1話
「そうだ。私の代わりに、お姉さまが行けばいいじゃない!」
だれからも愛される妹は、胸の前でパチンと両手を鳴らすと、にこっと可愛らしく笑った。
突然呼び出され、そんなことを告げられても、流れがよくわからない。ただ私に関係があることなのだろう。
困惑していると、父母は「そうだな!」と笑った。
「あんな冷酷な男のもとへメリルを嫁がせる必要はない」
「メリルはなんて頭がいいのかしら! かわいいリルが嫁ぐ必要なんてないわ。今までは恥でしかなかったけれど、我が家には二人の子どもがいるんですもの。身代わりがいればいいのよね」
「かわいいリル。お前はずっとここにいればいい。お前が好いた相手をこの家の当主にすればいいんだからな」
家族全員が揃った食卓。
父母と妹の三人は豪華なディナーを楽しみながら、妹の思いついた最高の案に称賛の声をかけた。
そして……私はそれを、扉の前に立ったまま聞いていた。
いつもは家族団らんの場に私はいないことが多い。
私の存在は、父母と妹にとって、必要ないものだからだ。
珍しく食卓へと呼ばれ、自室での読書を中断してきてみれば、これである。
「おい、聞いているのか!」
「本当に……。恥ずかしいったらないわ。我が家の恥」
「まあ! お父さま、お母さま。お姉さまにそんなことは言わないで。お父さまの大きな声は耳に響きますし、お母さまがため息をついては、食卓が悲しいものになってしまいます」
「ああ、そうだね、すまない、かわいいリル。こんな者に『姉』だと言うなんて、優しい子だね」
「ええ。食卓の雰囲気にも気を配るなんて……。かわいいリル。なんて優しい子なのかしら」
父母の表情が笑顔に変わる。
……妹はただ、自分のために父母を制しただけなのに、それを『優しい』と言ってしまうなんて。
「優しいだなんて……っ。私はただお姉さまとみんなのことを思って……」
「かわいいな、リル」
「ええリルはいつでもかわいいですわ」
「あまり言われては恥ずかしいです……っ」
笑い合う父母と、照れて頬を染める妹。
それを見ても、もう心が動かなくなった私がいる。
いつからだろう、私がこの父母と妹の姿になにも思わなくなったのは……。幼いころは心を痛めていたのだ。
食卓に私の椅子がないこと。褒められて頬を染めるのが私ではないこと。――姉の私ではなく妹ばかりが愛されること。
そして、愛されたいと努力したのだ。
知識を増やし、教養を身に付け、誇れる娘になりたかった。欲しいものがあっても口に出さなかった。服も妹のおさがりでよかった。
すべてを我慢して……。耐えて。それでも欲しかったのは家族からの愛。
「国王陛下の命令でな。メリルに縁談が来た」
「縁談が……」
笑顔だった父は私を忌々しそうに見ながら、言葉を告げた。
どうやら、妹に王命での縁談が舞い込んだらしい。伯爵家である我が家は、王命に従わなければならない。そして、国王からの縁談を受けられるなんて光栄なことのはずだが……。
「ありえません! こんなかわいいリルの縁談相手が、粗暴で汚らしい辺境伯だなんて!!」
母は金切り声を上げると、隣に座っていた妹をそっと抱きしめた。
父はそんな二人を痛ましい目で見つめたあと、私へと視線を戻す。そして、唸るように説明を続けた。
「辺境伯領は我が国の端にある。そこの森には地下迷宮があり、魔物が湧き出してくるのだ」
「地下迷宮……。聞いたことがあります」
我が国の東の端。そこには広大な森が広がっている。
そして、その森の中には地下迷宮へと繋がる洞窟があるのだという。地下迷宮にはこの世のものとは思えないおぞましい魔物が棲んでおり、たびたび地上に出ては国を荒らすのだ、と。
「野蛮な土地だ。辺境伯などという大層な地位を国王陛下から授けられているが、戦闘しか知らん、貴族とも呼べぬ者」
「噂では辺境伯自身が魔物だと呼ばれ、簡単に人を殺す、冷酷な人物と言われている……。そんな……。そんなところに、かわいいリルを行かせるわけにはいかない……!」
ここまで聞いて、私はようやく、話の流れがわかった。
王命により縁談が決まった妹。しかし縁談相手は冷酷と噂される辺境伯だった。父母はそれを嘆いていたのだろう。
冷酷な辺境伯、しかも魔物が出る土地に妹を嫁がせたくない。だが、王命であり、伯爵家の当主である父はそれに否ということはできないのだ。
だから、妹は――
「泣かないで、お母さま。私はお母さまの涙に弱いの。……それに大丈夫よ。お姉さまは優しい人だから。お母さまや妹である私の不幸を放っておくわけないわ」
母に抱きしめられた妹が首だけ動かして私を見る。
手入れされた金色の髪はふわふわと揺れ、潤んだ碧色の瞳は宝石のようだ。
だれにも愛される妹。父母の愛情を一身に集めた妹は、私を見て、こてりと首を傾げた。
「――お姉さまが代わりに嫁いでくれるよね?」
ああ……この妹は……本当に……。
心底、私のことを人間だと思っていないのだろう。
私は、先に生まれただけの……。妹が苦しいとき、身代わりになるだけの……。それだけの……。
「……王命を違えることになるのでは?」
妹の質問にすぐに「わかった」と言えなかったのは、気持ちの問題もあったとは思う。
だが、『王命』というのが怖かったのだ。
家族間のいつものやりとりであれば、私が我慢すればいい。私が我慢して、この家がうまく回るのならば、私は今まで通り、従っていただろう。
だが、王命まであるのならば、『妹のわがまま』や『家族愛』で済ませられる問題ではないのだ。
だから、そう言ったのだが、その瞬間、食卓の雰囲気は一気に変わった。
「まあ、お姉さま! なんて怖いことを!」
「ああ、かわいそうなリル。こんなに体を震わせて……!!」
「王命に背くことにはならん!!」
妹の震える声と、それを庇う母の声。
父は耳に響く、大きな声を出し、さらに食卓から立ち上がり、私まで歩み寄った。
そして、私はそのまま強引に腕を掴まれ、扉の外へと出される。
「メリルの前で、あのような態度を二度と取るな」
掴まれた腕がじんじんと痛みを伝える。
引きずられるようにして部屋から出たので、足がうまくついてこず、右足首をひねってしまっていた。
腕と足首の痛みで、眉を寄せる。
だが、父はそんな私を気にすることはなく、脅すように低い声を出した。
「王命として、辺境伯に望まれたのは妹のメリルだ。当然だな。姉であるお前を望む者などいない。だから、お前はメリルとして嫁ぐのだ」
……メリルの姉として嫁ぐのではなく……?
私自身が妹になる……?
「妹の代わりというのは……姉の私が行くのではなく……。私が妹を名乗れ、と。そういうことですか?」
そんなこと……。そんなことが可能だろうか。
妹と私。姿かたちは全く違う。妹は小柄で美しい金色の髪と宝石のような碧色の瞳を持つ、絶世の美少女だ。
それに比べて私は……。
考え込むと、父は私がなにを考えていたのか察したらしい。ハッと鼻で笑った。
「お前ごときがメリルの代わりになるとは思っておらん。勘違いするな」
そして、また脅すような低い声。
「お前は馬車に乗り、輿入れをするメリルとして辺境伯領へ向かう。……しかし、辺境伯領へ着いたあと、馬車は魔物に襲われるのだ」
父が話しているのは未来の話。
だが、父は私の未来を断定して話をした。
「メリルは辺境での暮らしなど耐えられないだろう。体を壊してしまうのが早々にわかっている。……たとえ王命と言えど、死ぬとわかっている場所へ、メリルを嫁がせるわけにはいかない。この家に残っていれば、たとえメリルと名乗れなくても生きていくことはできる。ちょうど、お前の戸籍が一つあるからな」
私はそこで……。この話の本当の意図に気づいた。
妹の代わりに辺境伯へ嫁ぐ私。そして、私の馬車は魔物に襲われる。私は辺境伯に出会うことなく――
「――お前が代わりに死ね」
――メリルとして、生を終える。