ボルゾーの戦い
「ロマニア国の輝きは消え失せ、勝利の栄光は遙か遠くに逸した! されど、我らは今ここにあり! 我、今ここにあり!」
愛槍を掲げ、高らかに謳いながら馬を走らせるパルティスを先頭に、パルティス軍は鏃の陣形のまま全軍で突撃したのである。
エルドア国軍は、ドワーフ重装歩兵による横隊をもってこれを迎え撃った。長柄の武器を持ち、大盾を構えたドワーフたちが並ぶ横列を幾重にも重ね、如何なる突撃であろうと受け止め、跳ね返してやろうという構えであった。
これを前に馬蹄を轟かせて突撃するパルティス軍の中から騎士が叫ぶ。
「パルティス殿下の御前を切り開けっ!」
馬に激しく鞭を入れてパルティスの前へと飛び出す騎士の後を何人もの騎士が続く。
鞭で叩かれた馬は狂ったように嘶きながらドワーフ重装歩兵の列へと突っ込んだ。
肉と肉が、鉄と鉄が、そして肉と鉄が激しくぶつかり合う。
盾にぶつかり、騎士が馬ごと弾き返されたかと思えば、興奮する馬の馬蹄がドワーフを踏み潰してながら横列に飛び込む。ドワーフの槍が騎士の身体を貫けば、そのドワーフもまた別の騎士に突き殺される。馬上から転げ落ちて首の骨を折って絶命する騎士もいれば、横転した馬体にドワーフたちが押し潰される。
そこへパルティスとそれに続く騎士と兵たちが突っ込んだ。
その場は瞬く間に阿鼻叫喚の大混戦となった。
パルティス軍の進撃がドワーフ重装歩兵たちとの衝突で鈍ったのを見て取った蒼馬は、号令を発する。
「両翼のズーグとエラディアへ命じる! 敵を包囲せよ!」
シェムルによって太鼓の拍子に変えられた蒼馬の号令が戦場に打ち鳴らされると、エルドア国軍の両翼に配されていたゾアンの戦士と黒エルフ弓騎兵隊が動き出した。
ゾアンの戦士と黒エルフ弓騎兵隊はパルティス軍の退路を遮断すると、その後背へ襲いかかる。
後世において「破壊の御子の抱擁」と呼ばれる包囲殲滅戦をしかけられたと見るや否や、パルティス軍の後方にいた約半数がやにわに転進する。
「殿下の後背をお守りせよ!」
誰が上げたともわからぬ声とともに、包囲しようとするゾアンの戦士と黒エルフ弓騎兵隊へ向かってロマニアの騎士たちが突撃して行った。
黒エルフ弓騎兵隊の矢に射られ、ロマニアの騎士たちは次々と落馬する。
しかし、全身に矢が突き刺さり、まるでハリネズミのようになりながらも重装鎧の防御力に任せてロマニア国の騎士たちはゾアンの戦士と黒エルフ弓騎兵隊の懐へと飛び込んだ。そして、辺り構わず武器を振り回して暴れ回る。これには軽装であるゾアンの戦士と黒エルフ弓騎兵隊たちでは手が着けられず、パルティスの後背を突くことができなかった。
そうして配下の将兵らが時間を稼いでいる間に、パルティスはドワーフ重装歩兵を蹴散らし、いくつもの戦列を次々と食い破っていく。
「進め! 敵を蹴散らし、前へと進め!」
パルティスにとって、乱戦での戦いこそが彼の真骨頂であった。
視覚に頼らず持ち前の卓越した勘によって自身に向けられた殺意と凶器を把握するパルティスは、たとえ死角からの攻撃であろうと難なくさばき、回避する。逆に、前後左右に振り向かずに振るわれるパルティスの愛槍は予期せぬ攻撃となって、ドワーフたちに襲いかかった。
「退けとは言わぬ! さあ、来い! 我はパルティスである! パルティスは、ここだぞ!」
自らの名を高らかに謳いながら縦横無尽に愛槍を振るって進撃するパルティスの姿に、いつしかドワーフ重装歩兵たちは恐怖を覚えて背を向ける者が続出した。
◆◇◆◇◆
「気迫が違いすぎる……」
遠眼鏡を使って戦況を見やっていた蒼馬は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
しかし、それも無理はないと思った。
これまで自分たちが経験してきた戦いは、ほとんどが劣勢。負ければ後がないという追い詰められた状況での戦いがほとんどであった。
それに対してこの戦いは、圧倒的な兵力差による勝って当然。命を賭けなくても順当に戦えば、それだけで勝利は揺るがない戦いである。すでに自らの死を決して死兵と化したパルティス軍とは、そもそもこの戦いに挑む覚悟が違いすぎた。これでは兵も自分の命を惜しんでしまうのも無理はないのだ。
そう状況を分析する蒼馬が見る前で、ドワーフ重装歩兵の戦列が破られてパルティスを先頭としたパルティス軍が飛び出した。
蒼馬がいるエルドア国軍本陣とパルティス軍との間には、わずか百名ばかりの小部隊がいるのみである。
しかし、蒼馬は焦らない。
なぜならば、その小部隊の武装は黒一色であったからだ。
◆◇◆◇◆
「お見事! さすがは西域にその名を知られるパルティス王子! まさに、お見事!」
パルティスの武勇に賛辞を上げたのは、アドミウスであった。
「されど、我らもまた西域にその名を轟かせる『黒壁』! 多くの者を王都に置いてきたため総員ではござらんが、奇しくもそちらとこちらの数はほぼ同じとお見受けする。これぞ神々の采配と申せましょう! いざ、お相手つかまつらん!」
アドミウスの号令とともに、「黒壁」の勇士たちは音を立てていっせいに槍と盾を構えた。
「馬上では、良い槍の的であろう」
そう判断したパルティスは馬の脚を緩めると、ひらりと下馬した。
「おまえとは長い付き合いであったな」
パルティスは馬の首筋をひと撫する。
その馬はパルティスがもっとも円熟していた二十代後半から四十前まで愛馬として乗り続けていた馬であった。馬の年齢は二〇歳を過ぎており、人間であれば六〇歳過ぎにもなる老馬である。
ここ数年で目も悪くなり、体毛に白いものが混じり始め、体力も落ちてきたために他の馬に乗り換えていたパルティスであったが、最期の戦場で跨がる馬として選んだのが、この馬だった。
「ここまで共にでき、感謝する。後はおまえの好きなところへ行くが良い」
そう言うとパルティスは馬の首を戦場の外へ向けると、その尻を平手で叩いた。
尻を叩かれた馬はひとつ嘶き、トコトコと戦場の外へ向けて歩き出した。それを見届けたパルティスは愛槍を構え、待ち構える「黒壁」へと突撃する。
「さて、死地に参るぞ!」
パルティスと同様に馬から下りた騎士と兵が「おう!」と唱和し、パルティスに続いた。
さすがは名にし負う「黒壁」よ。
槍を腰だめに構えて突撃しながらパルティスは賛嘆の念を抱いていた。一部の隙も無く並べられた盾は、まさに鉄壁。槍一本をもって城壁に挑むような絶望すら感じさせられる。
ここまでか、とパルティスは覚悟を決めた。
そのときである。
パルティスの脇を大きな影が追い越していく。
先程のドワーフ重装歩兵に対して行ったように、配下の騎士が先駆けて突撃したのかと思ったパルティスだったが、その正体を見て驚いた。
それは先程別れたはずの愛馬だったのである。
「何だ、この馬はっ?!」
パルティスばかり注視していた「黒壁」たちは、突如やってきた馬に驚いた。慌てて突っ込んでくる馬に向けて槍の穂先を差し向ける。何本もの槍が馬体を貫くが、それで馬は止まらない。突き立てられた槍ごと「黒壁」の兵を撥ね飛ばし、前脚を振り上げては踏みつけた。
この思わぬ乱入者によって完璧だった「黒壁」の防御に亀裂が生じる。
そして、それを見逃すようなパルティスではない。
「突っ込むぞっ!」
パルティスは愛槍を振り回して、「黒壁」の隊列へ突っ込んでいった。
思わぬ馬の襲撃によって統制が乱れたところへパルティス率いる死兵となったパルティス軍の突撃を受けた「黒壁」は防戦一方となり、たまらず後退せざるを得なくなる。
それを追うパルティスは、すでに息絶えて横たわる愛馬をその脇を通り抜けざまに一瞥する。
「大儀であった!」
ただ一言だけ愛馬に言い残すと、パルティスはさらに前へを突き進む。
「押し返せっ! 隊列を作れっ!」
隊列を立て直そうと躍起になる「黒壁」だったが、そうはさせぬとばかりにパルティス軍は張りついて離れない。むしろそのまま押し切ろうとパルティスを先頭にさらに圧力を掛けていく。
「邪魔だ、どけっ!」
愛槍を振り回して「黒壁」を突き破ろうとするパルティスの前に、アドミウスが躍り出る。
「おう! その盾は、噂に聞く《鬼盾》かっ?!」
「応よ! 貴殿の首を取る者と心得られよっ!」
パルティスの呼びかけに応えたアドミウスは、剣と盾をもってパルティスを迎え撃った。
アドミウスの戦いの前提は、接近戦にある。「黒壁」が破られそうになったときに、その敵を押しとどめ、味方が立て直す時間を稼ぐのがアドミウスの役割であるからだ。
アドミウスはパルティスとの間合いを詰めると、短めの直剣を巧みに使い、時には盾を鈍器として用いてパルティスを追い詰めていく。
槍の間合いを潰され、手も足も出せないパルティスは、溜まらず防戦一方となる。
何とか間合いを取ろうとパルティスは後退した。
しかし、それこそがアドミウスが狙っていた好機である。
「うおおぉぉ!」
盾を目の前に掲げてアドミウスが突進した。
後退して動きがとれなくなる一瞬の隙を突かれたパルティスは盾の突進を胸に受け、たまらずよろめいてしまう。
「お命頂戴いたすっ!」
アドミウスは突きつけた盾の下から素早く直剣を突き出した。
それこそアドミウスの必勝の戦法。
体勢を崩し、なおかつ盾で作った死角から繰り出す必殺の刺突である。
「《鬼盾》よ。このパルティスの命を取るには、少し及ばんぞ」
だが、その必殺の刺突がかわされた。
パルティスは持ち前の勘で死角から突き入れられた切っ先をかわしていたのである。しかし、それは完全にではない。アドミウスの剣の切っ先は、パルティスの脇腹を存分にえぐり、大量の血を流させている。だが、それでもパルティスは傲岸不遜に笑って見せた。
舌打ちとともに剣を引き、再度刺突を放とうとするアドミウスだが、それよりも早くパルティスは動く。
愛槍から右手を離すと、その手で突き出されたアドミウスの盾の縁を掴むと、力任せに引き寄せる。そして、さらに互いの間合いを詰めたパルティスは、いったん大きく背をそらすと、全身のバネをつかってアドミウスの顔面に頭突きを喰らわした。
かぶっていた兜がひしゃげさせる程の強烈な頭突きを喰らったアドミウスは、たまらずよろめきながら後退する。
そのアドミウスに向けてパルティスは槍の刺突を放つ。
左手一本で放たれた槍の刺突はアドミウスの掲げた直剣に弾かれ、狙っていた首元を外れて右肩口に突き刺さり、アドミウスの手から剣を落とさせる。
「こなくそがぁっ!」
アドミウスは左手の盾を振り回し、自身の肩に突き刺さる槍を殴打する。その衝撃は自身の肩の傷口をえぐり、広げるが、その代価としてパルティスの愛槍の柄をへし折った。
さらにアドミウスは盾を固定する留め具を歯で引きちぎると、パルティスへ向けて盾を投擲する。
とっさにパルティスが掲げた右手に弾かれたアドミウスの盾は、直撃はしなかったもののパルティスの右側頭部にぶつかった。
「おおおおおっ!」
頭突きにひしゃげた兜が弾け飛び、こめかみの辺りから血を飛び散らせるパルティスだったが、雄叫びとともに中程で折れてしまった愛槍の柄でアドミウスを強烈な突きを見舞う。
アドミウスは胸甲を強く打たれて転倒した。
「隊長をお守りしろっ!」
アドミウスの部下たちは慌ててパルティスとの間に割って入ると、アドミウスを引きずって後送する。
「やめろっ! ふざけるな! 俺はまだ戦えるぞ!」
引きずられながら怒声を上げるアドミウスを尻目に、パルティスは腰に吊していた剣を抜くと前方を指し示す。
「見よ! 我らはあの『黒壁』を突破したのだ!」
パルティスの指し示す先には、もはや「黒壁」はなかった。
ロマニア国の戦神と讃えられたダライオス大将軍ですらなし得なかった「黒壁」の中央突破という快挙をパルティスは成し遂げたのである。
だが、その代償は大きかった。
後方ではいまだ干戈を交える音が聞こえるが、それもわずかである。そして、パルティスの後に続く騎士も、たったふたりだけとなっていた。
パルティス自身も愛馬に続き愛槍を失ったのみならず、身体中に大小様々な傷を負い、まさに満身創痍である。特にアドミウスに負わされた脇腹の傷は深く、内臓にまで達していないものの今なお大量の血が流れ続けていた。
それでもパルティスは歩みを止めることなく、ひたすらソーマの黒旗が翻るエルドア国軍の本陣へ向けて進み続ける。
「我はエルドア国が大将軍にして、ソルビアント平原全ゾアンの大族長! ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉族長、ガルグズが息子、ガラム! 字は《猛き牙》!」
そんなパルティスの前に立ち塞がったのは、ガラムであった。
ガラムは手にした山刀をずいっとパルティスへ突きつける。
「我は、ロマニア国が王子パルティス殿に一騎打ちを申し込む!」
これにパルティスは、ニカッと笑う。
「ロマニア国第二王子パルティス・ドルデア・ロマニアニスである! 受けて立とう!」
大勢のエルドア国軍の兵たちと、生き残ったふたりのロマニア騎士が見守る中で、ガラムとパルティスの一騎打ちは始まった。
かつてエルドア国最強の戦士であるジャハーンギルとも真正面から打ち合ったことすらあるパルティスである。
しかし、今のパルティスは負傷ばかりではない。ここに来るまで戦い続け、直前にはアドミウスとの激闘を繰り広げたばかりと体力すら尽きていた。
それでもパルティスはガラムと数合激しく打ち合った。
だが、開戦前の宣言どおり一切の容赦ないガラムの一刀を首筋に受けてしまう。
「見事である!」
その言葉とともにパルティスは、どうっと倒れた。
こうして多くのロマニア国の将兵から愛された英雄パルティス・ドルデア・ロマニアニスは、その生涯を閉じたのである。
その後、パルティスに最後まで着いて来てその最期を見届けたふたりの騎士は、彼らもまたひとりずつガラムに一騎打ちを申し入れ、そして討たれた。
また、さほど時を置かず、後方でなおも奮戦していたパルティス軍もついに「破壊の御子の抱擁」に囚われ、ひとりまたひとりと討ち取られ、ついには押し潰されたのである。
なお、このときパルティス軍は誰ひとりとして降伏する者はなく、また負傷して囚われる者もなく、ただひとりの例外もなくパルティスに殉じたのであった。
アドミウスはティンべーとローチンの使いてだった!∑(゜д゜lll)