獣の刻印(後)
「俺のために、誠に申し訳ない。いくら詫びても詫びきれぬ」
額を地面にこすり付けて詫びるシェンガヤに、ガルグズはおごそかに宣言した。
「シェンガヤ、と言ったな。確かにきっかけはおぬしだったが、もはやこれは娘の問題だ。たとえあいつが死ぬようなことがあっても、おぬしの責ではない。それは、このファグル・ガガンタ・ガルグズの名にかけて保証する」
それにシェンガヤは、再び謝罪と、そして感謝の意味を込めて、もう一度頭を深く下げる。
「しかし、こうしてシェンガヤ殿が認めていると言うのに、なぜおまえの娘は、ああも頑なに否定するのだ?」
ふたりのやり取りを見守っていたグルカカが、ため息とともに疑問を吐き出した。それにガルグズも首を横に振る。
「俺にもまったくわからん。なぜ、あのような強情を張るのか……」
あれからシェンガヤのみならず、ガルグズやガラムも言葉を尽くしてシェムルを説得したのだが、いくら言ってもシェムルは頑として「知らない」の一点張りだった。さすがに大人たちも打つ手がなくなり、いったん狼の祭壇の麓に降りて額を突き合わせて相談していたのである。
しかし、なぜシェムルがあれほど強情を張るのかわからず、誰もが打開策を思いつかずに途方に暮れてしまった。
そうして皆が黙り込んでしまったとき、ガラムがポツリと呟いた。
「戦士たる者は一度誓えば、たとえ相手がそれを反故にしようとも、自らは誓いを守り抜くものだ」
皆の訝しげな視線を集めながら、ガラムは続けて言った。
「たぶん、親父のこの教えを守っているのだと思う……」
皆の視線がガラムからガルグズに向けられる。ガルグズは大いに慌てた。
「ちょ、ちょっと待て! 確かに、そのようなことを教えたが、まさかそれを守っているのか? あの子は、まだ十歳にもならんのだぞ?」
「原因は分かった。――さて、どうする?」
慌てふためくガルグズを放置して、グルカカが皆に問いかける。だが、原因がわかっても、どうやってシェムルを説き伏せれば良いか誰もが思いつかず、皆は難しい顔をして黙り込んでしまった。
「まったく、大の男どもが雁首そろえておきながら、小さな娘ひとりに手を焼くとは、情けないのぉ」
そこにやってきたのは、お婆様であった。
「お婆様には、何か良い手立てがあるのか?」
今にもすがりつかんばかりの表情でガルグズに問われたお婆様は、皺だらけの顔をクシャッと笑みに歪めると、「さあて、のう」と、しらばっくれた。
「しかし、せっかく来たのじゃ。死出の手向けに、あの子が好きな英雄譚でも聞かせてやろうかのぉ」
それにガルグズが泣きそうな顔をするのを尻目に、お婆様は杖をつきながら祭壇を上って行った。
すると祭壇の頭頂では、容赦なく照りつける太陽に下で、さすがのシェムルもぐったりとした様子で木にもたれかかっていた。
「おう、お婆様。何しに来た?」
それでもシェムルはお婆様に気づくと虚勢を張る。
「どうせ、暇じゃと思うてな。この婆が、おまえの好きな英雄譚でも聞かせてやろうと思って来たのじゃよ」
お婆様がそう言ったとたん、シェムルの目に活力が戻った。
「お婆様! 聞かせて、聞かせて!」
先程までの憔悴しきった姿から、一転して目をキラキラ輝かせてせがむシェムルに、お婆様はカラカラと笑って話し始めた。
「良いか。これから語るは、偉大なる戦士ヤッカの物語じゃ。――さてもはるか遠い昔のことじゃった……」
かつて平原にいた偉大なる戦士ヤッカは、まだ若かったときに、些細な過ちを犯して他の氏族の戦士に囚われてしまった。しかし、その戦士は若かったヤッカの過ちを赦し、解き放ってくれたのである。
しばらくしてヤッカは、自分を見逃した責により、その戦士が自害したと風の噂に聞く。
それを大いに悔やんだヤッカは、自分を見逃してくれた戦士に恥じぬよう、偉大なる戦士になることを誓い、そしてヤッカは氏族でも最強の戦士へと成長していった。
そんなとき、他の氏族と領域を巡る争いが起きた。
互いにどちらも引けず、かといって戦となって多くの血が流れるのを惜しんだ両氏族の族長たちは、それぞれの氏族を代表する勇者同士の決闘に争いの決着を委ねることにしたのである。
無論、その代表に選ばれたのは、偉大なる戦士ヤッカであった。
ヤッカは並み居る氏族の者たちが見守る中、相手の氏族の代表を待っていた。
そして、ようやく相手の氏族の代表が前に出てきたとき、ヤッカはあっと驚いた。
その若い戦士は、かつて自分を見逃してくれた戦士と瓜二つであったのだ。
ヤッカは慌てて族長に、代表から降りたいと願い出た。
しかし、氏族の未来を決める大事な決闘である。氏族でもっとも優れた戦士であるヤッカ以外に考えられなかった族長は、それを許さなかった。それでもヤッカは三度願い出たが、それでも許されなかったため、やむなく決闘の場へと赴いた。
なるほど、相手の若い戦士は代表に選ばれるだけあって、優れた戦士であった。
しかし、偉大なる戦士と呼ばれたヤッカから見れば、まだまだ毛も生えそろわぬ子供と変わりない。ヤッカが本気になれば、数合も打ち合わずに勝負が決するだろう。
だが、深い恩義のある戦士の忘れ形見に刃を向けるわけにはいかず、かといって氏族の代表としての責務にも逆らえない。悩みに悩んだヤッカは、自分からは一切手を出さず、ただひたすら相手の攻撃をさばくだけに留めたのである。
日の出とともに始まった決闘だったが、決着が着かぬままついに日も暮れ、勝負無しとなった。
決闘を終えたヤッカは、身体中に大小様々な傷を負い、血と汗がまじったしずくを全身からしたたらせ、まさに満身創痍と言った有様だった。
いくら偉大なる戦士と呼ばれたヤッカであろうとも、一方的に攻撃を受け続けていれば無傷ではいられなかったのだ。
しかし、そのヤッカを族長らは、なぜ本気で戦わなかったのかと激しく罵った。それをヤッカは甘んじて受け入れ、一言も抗弁しなかったと言う。
それからしばらくして、相手の氏族から使者が訪れた。
それはヤッカと決闘した若い戦士である。若い戦士は決闘で一切刃を振るおうとしなかったヤッカに不審を抱いていた。そのうち父親が助けた他の氏族の戦士の話を思い出し、もしやと思い父親の知人に話を聞いたところ、その知人が覚えていた父親に命を救われた戦士の姿が、まさにヤッカその人であったのだ。
これを聞いた若い戦士は自分の力がヤッカに遠く及ばず、もしヤッカが本気で戦っていたら、自分は瞬く間に負けていただろうと素直に自分の族長に打ち明けた。
それを聞いた族長もヤッカの振る舞いに深く感じ入り、改めて友誼を結ぶために若い戦士を使いに寄越したのである。
しかし、時すでに遅く、ヤッカは自害していた。
このためヤッカを責め立てた族長たちは、自分らの行いを大いに恥じ入りヤッカを手厚く弔ったという。
これが偉大なる戦士ヤッカの物語である。
それを聞き終えたシェムルは、さすがは偉大なる戦士ヤッカだ、と感心した。ところが、お婆様は思わぬことを言い出した。
「じゃが、わしはヤッカも悪いと思う」
びっくりして目をパチパチさせるシェムルに、お婆様は優しく説いた。
「ヤッカは、なるほど誇り高い偉大なる戦士じゃ。じゃが、彼が自分の誇りを守るために沈黙したことで、族長らをはじめ多くの者たちが自分らの行いを後悔することになりおった。もし、ヤッカが自分の恥を晒すのを恐れず、理由を述べていれば、また違った結末があったのではなかろうかと、わしは思う。自らの恥を恐れず、人を救う。それもまた勇気ではなかろうか?」
シェムルは、お婆様の話に黙り込んでしまった。
「シェムルよ。今、おぬしが本当のことを言わぬのは、戦士の誓いだからじゃろう。しかし、それを守り通して満足なのは、おぬしだけよ。果たして、それが本当に誇り高き戦士のやることじゃろうか?」
悩むシェムルの姿を暖かな目で見つめてから、お婆様は待ちかねていたガルグズたちを呼び寄せる。
自分の前に並んだ大人たちを前に、シェムルはちょこんと頭を下げた。
「あたしが村の食料に手を付けたのは、そこにいるシェンガヤに食べさせるためでした。ごめんなさい」
それに、皆はいっせいに安堵した。
しかし、そう思ったのも、つかの間である。
いきなり、シェムルがぱたりと倒れた。
「シェムルっ!」と、ガルグズは、悲鳴を上げる。「お婆様、お婆様! 娘が! シェムルが!」
すぐさまお婆様がシェムルの容態を確認する。胸に耳を当てたり、脈を取ったりしたお婆様は、ホッと息をつくと、おろおろとそれを見守っていたガルグズに苦笑して見せた。
「大丈夫じゃよ。どうやら、腹を空かせすぎて目を回したらしい」
お婆様の言葉を証明するように、シェムルの小さなお腹が、きゅうっと鳴った。
◆◇◆◇◆
シェムルが気づくと、そこは広大な平原の真っただ中だった。
今は冬だと言うのに青々とした草が生い茂り、それが心地よい風に吹かれ緑の大海のように波打っている。
はて、いつの間にあたしはこんなところに来たのだろう?
そんな疑問に、しきりと首をかしげていたシェムルの前に、草を掻き分けて何かが姿を現した。
それは、獅子に似た一頭の獣である。
金色に輝く美しい毛並み。雄々しきたてがみ。大地を踏みしめる力強い四肢。その額に生えた、真っ直ぐ天を衝くような一本の角。深い叡智と慈愛を宿した眼。
そして、何よりも神々しいまでの風格を全身から漂わせている。
「恐れるな。我が愛しき子、ゾアンの娘、シェムルよ」
その獅子の口から、穏やかだが重厚さ感じさせる声が洩れた。
「――我は、獣の神。汝ら、ゾアンを生みし者なり」
シェムルは、びっくりした。
確かにその姿は、まさにお婆様の語った神話に出て来る、獣の神に他ならない。
シェムルはどうして良いかわからず、とにかくお婆様や大人たちが神像へとやるのを真似て、あぐらをかくように座ると上半身を地面に投げ出すようにして頭を深々と三回下げて最大の敬意を表した。
それを受け取った獣の神に顔を上げるようにうながされ、シェムルはおずおずと顔を上げる。
「我の問いに答えよ、愛しき娘よ」
獣の神はシェムルの前に腹ばいになると、腕組みするように前脚を重ねた。
「我は、汝を見ていた。汝が戦士の誓いを守ろうとし、その小さき命を賭けた行いのすべてを我は見ていた。それ故に、汝に問う。我が愛しき娘、シェムルよ。汝は、死ぬのが怖くないのか?」
それにシェムルは即答した。
「怖い!」
その答えは獣の神にも予想外だったのか、その獅子の目を小さく見開いた。
「それは、おかしな話だ。ならば何故、汝は死しても誓いを守らんとした?」
シェムルは何と説明したらよいかわからず、首を傾げて考え込む。そのうち考え込みすぎて、傾げる首の角度がどんどん大きくなり、ついには傾げすぎた首の重さにつられて身体ごと横に倒れてしまった。
その拍子に何を思いついたのか、パッと顔を明るくして飛び起きる。
「あたしには、母がいた!」
シェムルが唐突に語ったのは、彼女が物心つく前に亡くなった母のことであった。
「母は、とってもとっても美しくて強い女戦士だった。父も父の友達も、みんなそう言う!」
シェムルは、自分の母親のことをまるで我がことのように自慢する。
しかし、その顔が一転して曇った。
「だけど、あたしの友達にそれを言っても、知らないって言われた」
そのときの悔しさを思い出したのか、わずかに口を堅く閉じる。
「そのとき、あたしは思った。父や父の友達も、いつかはいなくなる。そうしたら、母を覚えているのは、あたしとお兄ちゃんぐらいになってしまう。それは、とても悲しいことだと思う。父はよく言っていた。『母は死んだが、おまえたちの心の中に生きている』って。それなら、忘れられたときが本当に死ぬってことなんじゃないかなって」
シェムルは、しょんぼりと肩を落とした。
「そして、あたしはこうも思った。とってもとっても美しくて強い女戦士だった母がそうなら、あたしは、どうなるんだろう? あたしが死んだら、すぐに忘れられてしまうに決まっている」
そこで、落ち込んでいたシェムルの顔が、一転してパッと明るくなる。
「それなのに、お婆様の教えてくれる、偉大な戦士たちはすごい! 母よりも、ずっとずっと昔なのに、今でも忘れられていない。死んでない!」
興奮したシェムルは、その小さな両の拳を握りしめ、ブンブンと上下に振った。
「だから、あたしは偉大な戦士になりたい! ずっとずっと、みんなからすごいって言われる戦士になりたい! それに――」
シェムルは、ニカッと満面に笑みを浮かべた。
「偉大な戦士になれたら、カッコいい!」
それに獣の神は、その獅子の口を大きく開いて笑い声を上げた。
その笑い声は凄まじく、まるで爆風のようである。それをまともに受けたシェムルは座ったままの体勢で吹き飛ばされ、コロコロと後ろに転がってしまった。
ひとしきり笑い終えた獣の神は、転がされたシェムルが四つん這いになって戻って来るのに、その獅子の目を細める。
「そうか! 偉大な戦士になるのは、格好良いか?」
それに、シェムルはしきりと頷いて見せた。
「何と面白き子だ。気に入ったぞ」
そう言うと獣の神は、のそりと四つ足で立ち上がった。
「我は汝が偉大なる戦士となれるよう、力を与えよう。――平原一の怪力が良いか? それとも、風のように駆ける足が良いか? 千里を見通す目か? 汝が望む力を我は与えようぞ」
しかし、シェムルは即座にそれを断った。
「それなら、あたしはいらない!」
獣の神は、驚いた。今まで力を授けると言えば、どんなゾアンの英雄たちも大喜びして受け入れたものだ。
「ほう。それは、何故か?」
「あたしががんばっても、それは獣の神様の力のおかげだろうって言われちゃうからだ!」
それはもっともだ、と獣の神はうなずいた。
「ふむ。なるほど。汝の言うとおりだ。――しかし、我とて手ぶらで返すわけにもいかぬ。はてさて、いかがしたものだろうか」
「じゃあ、あたしが偉大な戦士になれるよう見張っていて欲しい」
ほうっと獣の神から、感嘆の吐息が洩れた。
「あたしが恥ずかしいことをしないように見張ってください」
そう言って、ぺこりと頭を下げたシェムルを獣の神は慈愛を込めて見下ろした。
偉大な戦士になりたいと言うのに、力を求めず、そればかりかさらに自らを厳しく律することを求める。
何と、気高き娘であろう。
多くのゾアンの英雄を見守ってきた獣の神をして、このように気高く、真っ直ぐな心を持つ者は初めて見た。
それは幼さゆえかもしれぬ。世間を知らぬがゆえかもしれぬ。この理不尽がまかり通る現世においては、いつかは折れ、砕けてしまう小さな誇りかもしれぬ。
しかし、獣の神は、今目の前にある気高き娘の心を、ただただ愛おしく思った。
「頭を上げよ。我が愛しき娘、ファグル・ガルグズ・シェムルよ」
シェムルに頭を上げさせると、獣の神はその右足をシェムルの左胸にやさしく添える。
「我は汝を――と認めよう」
◆◇◆◇◆
「娘が目を覚ましてからでも、遅くはないのではないか?」
シェムルが目覚めるのを待たず、〈牙の氏族〉の村を後にしようとしたシェンガヤに、ガルグズはそう言った。
「もともと私は、姓を奪われたはぐれ者です。本来ならば、石をもって追われる身。これ以上のご厚情に甘えるわけにはいきません」
無断で他の氏族の領域に踏み込み、族長の娘にまで大変な迷惑をかけたと言うのに、それを不問にしてもらったばかりか、旅の糧食を分け与えてもらい、こうして旅立ちを見送ってくれたのだ。これ以上の厚意に甘えるのは、シェンガヤの誇りが許さなかった。
それを察したガルグズも引き留めはしなかったが、それでも惜しむ。
「娘がさびしがるな……」
「小戦士には、よろしくお伝えください」
そう言うとシェンガヤは、シェムルがいるであろう村の方角に向けて、あぐらをかいて座ると、両手を高く突き上げてから大地に上半身を投げ出す動作を三度繰り返すと、最上の敬意を表した。
その所作ひとつとってみても、罪を犯して氏族姓を奪われた者とは、とうてい思えない。
何か別の理由から、氏族姓を名乗れないのでは、とガルグズは思った。
このソルビアント平原にいたゾアンの氏族は、牙、爪、目、たてがみ、尾の五つだ。
この中で、平原の南に住居を構えていたため、もっとも人間たちの侵略の被害を受け、平原から姿を消した氏族がひとつあった。たとえ、それはやむを得ないとは言え、一度は平原を捨てて姿を隠したのでは、他の氏族に顔向けできない。そんな氏族の者が、何らかの理由で平原に戻らなければならなくなったとしたら、自分ならば氏族を示すものを一切捨てて素性を隠すだろう。
そう思い至ったガルグズは、ついそれを言葉にしてしまう。
「シェンガヤ殿。もしや、おぬしの氏族は――」
「私は、ただのシェンガヤです。それ以外の何者でもありません」
ガルグズの言葉にかぶせる様に、シェンガヤは言った。それにガルグズは、余計な詮索であったと自分の言葉を恥じる。
「失礼した、ただのシェンガヤ殿」
「それでは、獣の神の導きがあれば、またいつの日か」
そう言うとシェンガヤは、四つ足となって平原へと駆け出して行った。
一度も振り返らず、そのまま地平線の彼方へと走り去って行ったシェンガヤの姿を見守っていたガルグズに、グルカカが声をかける。
「なあ、族長。もしや、あの男は――」
「あれは、ただシェンガヤだ。それで良いではないか」
ガルグズの言葉に、野暮だったな、とグルカカは自分の頬をピシャリと叩く。
「さて、戻るとしよう。そろそろ、あの馬鹿娘も起きている頃だろう」
そうしてガルグズが自分の天幕に戻ると、そこではすでに目を覚ましたシェムルが、お婆様の作った粥を頬張っているところだった。
父親が戻って来たのに気づいたシェムルは、慌てて口の中のものを呑み込み、口許を自分の腕で拭うと、ガルグズに頭を下げた。
「お父さん、心配をかけてごめんなさい」
ガルグズは、その下げられた小さな頭に手を乗せると、グシャグシャと毛をかき回す。
「本当に心配したんだぞ。もう、あのような無茶はするな」
父の大きな手に、心地よさそうにシェムルは目を細めた。
「そうだ! 父よ、獣の神様の夢を見たぞ! 獣の神様は、あたしを面白いって言ってくれた!」
純真な子供の夢の中に出てくださるとは、獣の神も粋なことをしてくださる、とガルグズは微笑むと、もう一度シェムルの頭を撫でた。
「そうか。それは良かったな」
しかし、シェムルは少し不満だった。
獣の神様と出会ったのだ。もっと驚いてくれてもいいんじゃないかと、ちょっとだけムッとする。
さらに何か言おうとしたのだが、そのときシェムルは自分の左胸に違和感を覚えた。それに身体をもじもじと動かしていると、気づいたお婆様が声をかける。
「どうしたんじゃ、シェムル?」
「ん~。何だか、胸のこのあたりがチクチクする」
粥が焦げ付かないように掻き回していた手を止めると、シェムルの隣に膝をつく。
「ほう。どこか気付かぬうちに胸を打ってでもしたかの。――どれ、見せや」
シェムルの服の裾をめくり、胸をさらけ出させたお婆様は、その左胸を覆う毛を掻き分けて、何か異常がないか調べた。
「……なんと!」
そして、絶句した。
「ガルグズよ! 急いでくるのじゃ!」
ただならぬ声色に、ガルグズは何か異常でもあったのかと焦る。慌てて駆け寄ったガルグズに、お婆様はシェムルの左胸を示した。
「これを見よ!」
掻き分けられた毛の下で、何かが淡く輝いていた。
それを目にしたガルグズは、驚きのあまり目を見開き、言葉を失う。
そんなガルグズに向けて、お婆様は震える声で断言した。
「これは刻印じゃ!」
それは、間違いなく刻印であった。
しかも、三本の鉤爪で引っ掻いたような爪痕にも似たそれは、間違いなく獣の神を示す刻印だ。
「この子は、獣の神の御子に選ばれおったわ……!」




