チャプター2 「黎明に至る道」5
アルスハイム工房の二階。
階段を上がって右手、廊下の奥には鍵が掛かった部屋がある。
そこはかつてジェームズ・アルスハイムが使用していた部屋だ。フィルがその部屋に最後に踏み入れたのは三年前、アストルムを製作していた時が最後だった。アストルムが完成してからは、その部屋を固く閉ざしたままにしていた。
フィルはそのドアの鍵を手にして、鍵穴をジッと見つめていた。
「……ダメだ」
手にした鍵をポケットにしまい、踵を返す。アストルムの部屋のドアが少し開いていた中を覗くとレスリーの姿があった。
彼女はベッドの横に座り、眠っているアストルムを見つめていた。
「レスリー」
「あっ、はい!」
声を掛けるとレスリーは驚いたように立ち上がり、こちらを振り向いた。
「ちょっと出てくるよ」
フィルの言葉に、レスリーは目を大きく開いて、駆寄ってきた。
「出てくるって……アストルムさんを助けるのに五日もないんですよ!? おじいさんの研究資料を調べて――」
フィルは小さな声で彼女の訴えを遮った。
「わかってる。けれど、こんなときでも前に踏み出せないんだ」
たったの五日。
その時間の中でセリックに依頼を請けてもらい、竜を倒す武器を作らないといけない。
そのためにも、自分が祖父の研究に向き合う必要がある。
やるべきことは明白だ。
けれど、この状況でも、忌避感のような考え方から抜け出せないでいた。
自分の抱えると問題とアストルムの状況を天秤に掛けても、アストルムのために振り切ることができない自分が情けない。
「しっかりしてください! マリスさんも向き合わないとダメだって言ってたじゃないですか!!」
フィルはレスリーに両肩を掴まれ、身体を揺らされる。
レスリーは、ハッとして、両手を離した。
「……すみません。でも、時間がありません。フィルさんが前に進むために一度寄り道が必要で、それがアストルムを助ける最短の道だと考えるなら……私は構いません。けど、今日だけですよ。フィルさんが帰ってきて何も変わらないなら、私が勝手にフィルさんのおじいさんの研究資料を読み漁りますから」
「悪いな、レスリー」
フィルは階段を降りて、アルスハイム工房を出た。
夕暮れの光にフィルは目を細めた。移動の疲れに加えて、先ほどの黒猫の住処でのことがフィルを鈍く消耗させていた。
レスリーへの言葉は、自分自身へのことでもあった。
慣れない遺跡調査同行、竜や儀式魔法のこと、そして祖父の研究のこと。さまざまな要因が折り重なるようにフィルにのし掛かっていた。
中央通りでフィルは足を止めた。
「……彼女に相談するか」
相談先として頭に浮かんだのは、ルーシーの姿だった。
フィルは大陸横断列車駅前の広場に向かい、循環馬車で南区を目指した。ほどなくして南区に着いて、ルゾカエン第二工房へ歩いた。
三大工房の一つであるルゾカエン工房は、いつも通り多くの人の姿があった。ショーケースのアーティファクトを眺めている人、アーティファクト製作相談の予約してきた人、さまざまだった。けれど、自分のように魔導技士個人に会いに来る人間は多くはないだろう。
受付カウンターにいるプリシラ・ブルーベルに声を掛けた。
「プリシラさん、今、いいかな?」
彼女は肩口で揃えられた黒髪を揺らし、丸眼鏡の奥の瞳で、驚きと興味深そうにこちらを見た。そして営業向けの笑顔から、柔らかい笑顔に切り替わった。
「フィルじゃない、星祭り以来ね。今日は何の用? うちの新作でも気になって敵情調査? それともまさかアーティファクトの製作依頼? 同業者からの依頼も受け付けてるわよ」
プリシラの言葉に笑って首を振った。
「機会があればその時は頼むよ。――ルーシーって、少し時間あるかな?」
フィルの用件を聞いたプリシラの表情に、興味と好奇心が浮かんだように見えた。彼女は「ふーん」と反応しながら、予定表らしき紙を取り出した。
「会議や打合せは入ってないから大丈夫だと思うわ。呼んでこようか?」
「頼むよ」
「じゃあ、ちょっと待っててね」
フィルが頷くとプリシラはカウンターを出て、階段を昇っていった。しばらくするとプリシラがルーシーを連れて戻ってきた。ルーシーは赤く長い髪を掻き上げながら階段から降りてきた。
「じゃあ、お二人さん、あとはごゆっくりー」
プリシラはそう言って、どこか楽しそうに受付カウンターに戻っていった。そんな彼女にルーシーはなぜか「まったく」と不満を滲ませていた。
彼女は溜め息を吐いて、フィルの方を見た。
「それでこんな時間にどうしたの?」
「ここじゃ……ちょっと……少し歩かないか」
「わかったわ。――プリシラ、ちょっと出てくるわ」
「はいはい、いってらっしゃい」
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