チャプター3 「涙と雨の日」4
雨が窓を打ちつける音がアルスハイム工房に響く。
深夜から大雨の予報と聞いていたが、その予報より多少早く天気が変わった。
今日のアルスハイム工房の営業は終わっており、今は工房の片付けや店舗の後処理をこなしている。
フィルとレスリーは工房で使用した道具や素材を自分の作業机や棚にしまう。自分の道具と、レスリーと共有している道具が全部揃っているかを確認する。刃物や火を使うものなど危険な道具は特に気をつけているが、それ以外の道具をしまい忘れていないかも見る。万が一、しまい忘れた道具が床に転がっていたりしたら、それを踏みつけて転倒して怪我をしてしまう。道具のしまい忘れがないことを確認して、作業机と中央の作業台を雑巾で拭いて、掃き掃除をする。毎日使う工房だからこそ一日の終わりに掃除することが大事だと、フィルは考えている。
掃除を終えた後は工房内を見て回り、最終確認をする。
「大丈夫ですかね?」
「そうだな。今日もお疲れ」
「お疲れさまでーす。部屋でご飯までゆっくりしてます」
レスリーは一日の作業で凝り固まった身体をグッと伸すと、自室に向かって歩き出した。
フィルはもう一度、工房の中を見渡して、灯りを落とした。
そのまま店舗へと向かった。
店舗ではアストルムが帳簿にペンを走らせていた。
今日一日の売上げなどをまとめているのだろう。
「アストルム、そっちはもう終わるか?」
「はい。数字の見直しして問題無ければ終わりです。すぐに夕食の準備をします」
「頼むよ。レスリーがお腹を空かせてると思うから」
「それは急がないといけませんね」
店舗の窓ガラスを雨粒がぶつかり鳴り響く音の大きさが、雨の激しさを物語っていた。
「ん?」
フィルの耳に雨音以外の音が聞こえた、気がした。
「アストルム、今、何か聞こえなかったか?」
「いえ、私は気が付きませんでした」
フィルは自分の勘違いかと思ったが、もう一度、今度ははっきりと聞こえた。
コンコン。
音は店舗の出入り口の扉からだ。
「私が出ます」
アストルムが立ち上がろうとするのを制した。
「いいよ、俺が出るよ」
「ありがとうございます」
ドアを叩く音は止まない。
「はいはい、今行きますよ」
フィルは足早にドアに駆け寄る。
工房の窓から漏れた灯りを見て、まだ営業中と勘違いした客だろうか。
「雨の中、申し訳ないんですが、本日の営業は――」
ドアを開けたフィルは固まった。彼女は全身びしょ濡れでそこにいた。雨の中、傘を差さずにここまできたのか、普段はよく手入れされている赤い髪は、今は雨水で心なしかくすんで見える。強い意志を映していた青い瞳は、迷いに揺れている。なによりも、目の前の彼女は縋るようにこちらを見ていた。
「ルーシー……どうして……」
状況を掴めずにいたフィルは、彼女の名前を絞り出した。
名前を呼ばれた彼女は、それがきっかけだったかのように、俯いて泣き出した。
「……中に入れ、風邪引くぞ」
しかし、ルーシーは反応せず、その場から動かなかった。
「……て……」
彼女のか細い声は雨にかき消され、はっきりと聞こえなかった。
フィルを見上げるルーシーの顔は、胸の内に秘めた苦しさからか、悲しさに歪んでいた。
「助けて……」
今度ははっきりと聞こえた。
答えは考えるまでもない。
迷いは一瞬もない。
「当たり前だろ。今はとにかく中に入れ」
ルーシーを中に入れて、他の二人に協力を求めた。
「アストルム、タオルか……えっといや、シャワーの準備か!? レスリー、ちょっと来てくれ!」
「わかりました、すぐにお持ちします」
アストルムは作業を止めて、浴室へと走っていく。フィルの声を聞いたレスリーが二階から急いで降りてきた。
「フィルさん、どうしたんですか、そんな大声で――ええ!? ルーシーさん、びしょ濡れじゃないですか!?」
「事情は後回し、レスリー、悪いけど着替えを用意してくれないか」
「は、はい!」
レスリーはすぐに踵を返した。
「シャワーで身体を温めましょう」
アストルムは持ってきたタオルでルーシーの身体を拭いながら、浴室へと促した。ルーシーはアストルムに従って歩き出した。
フィルは二人を見送りながら、腰に手を当てた。
ルーシーがルゾカエン工房でレセプションパーティーに向けた作業しているのはわかっていた。だけど、ここまで疲弊しているのは想像していなかった。それだけ彼女は思い詰めていたのだろう。
ルーシーが泣いたところを学生時代に見たのは、卒業式の日やミーシャから声を掛けられた時だけだ。胸が詰まるような悲しい涙をここ数日は見てばかりだった。
あの日、ルーシーの手を握れなかった自分の手を見つめて、頷いた。
君が助けて。というなら、それに応える。
他の誰にでもなく、自分に助けを求めて手を伸したんだ。だから、その手を取ることに躊躇はない。
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