チャプター4 「旅立ちの日」1
「ギリギリ間に合うか」
マイヤーズ夫妻の依頼の期限まであと二週間。
工房でフィルはマイヤーズ夫妻の依頼の作業について整理していた。
レスリーの不調で一時は作業が停滞していたが、彼女が自分の中にあった葛藤を解消して、遅れていた分を取り戻しつつある。ここ数日は最後のページを残して、書き上げたページそれぞれに絵を浮かび上がらせ制御したり、キャラクターごとのセリフを喋らせるための設定を魔力絵の具を使って仕込んでいるようだった。
フィル自身は自分の手が空いてきたこともあり、新たな依頼をいくつか請けて、それらをこなしていた。
レスリーには厳しいことを言ったが、どんな形であれ乗り越えたことは彼女の成長に繋がると考えているが、それを判断するにはマイヤーズ夫妻の依頼を無事に成功させる必要がある。
「レスリーは辛い時期だけど乗り切ってほしいな」
そんなことを考えていると、工房のドアが遠慮がちに開いた。
「フィル」
顔を覗かせたのはアストルムだった。
「どうした?」
「お客様がいらしています」
「ん? 依頼の相談?」
「いえ……マリス様です」
「マリスが? わざわざ工房にくるなんて珍しい。すぐ行くよ」
フィルは作業を切り上げて、すぐに応接室に向かった。
ドアを開けると、レスリー、マリス、そして見知らぬ女の子の姿があった。
マリスはフィルの顔を見ると、
「お邪魔させてもらってるよ。アルスハイム工房に来るのは久しぶりだけど、ジェームズの頃の面影がだ残っていて懐かしいよ」
「前置きはいいよ。その子は? まさかマリスの隠し子じゃないよな?」
「冗談はよしてよ。この子はエレナ・マイヤーズ、レスリーから話ぐらいは聞いているでしょ? 星に選ばれた子、魔法使いになる子だよ」
「あ、君が、エレナちゃんか」
「はじめまして」
フィルはエレナの挨拶に応えながらソファに座った。
エレナはフィルが想像していたよりも幼かった。レスリーから話を聞いてた印象では大人びていると思っていたが、フィルの視線の先にいる彼女は、もうすぐ十二歳になる年相応の女の子だった。
「今日はフィルに頼みがある。一つはこの子からの、そして私からは二つの依頼よ。まずは私から」
マリスは一枚の写真を取りだして、テーブルの上においた。それを手に取り、確認する。写真にはどこかの湖と大きな樹が写っていた。それだけしかわからなかった。
「その写真は、アンテサリアの森にある湖のものよ」
「アンテサリア?」
「ミシュルから大陸横断列車で一日ほどのところにある霊脈よ。簡単に言えば、星の魔力が溢れている場所よ」
「それでここがどうした?」
「この子を連れ行ってほしい。星に選ばれた子は星の魔力に触れて世界と繋がる必要があるの。だから、星の魔力に触れないといけないけど、これがどこでもいいわけじゃない。星の子が指定した場所に行かないといけない」
「エレナちゃんの場合、それがそのアンテサリアの森ってわけなのか」
「そういうことよ。こんな危ないところに子供を一人で行かせるわけにはいかないでしょ」
「言ってることはわかるが、それは魔導技士に頼む話じゃないだろ」
フィルはテーブルに写真を置いて、マリスを見る。
魔導技士の本分はアーティファクト制作であり、護衛や戦闘じゃない。
それをわからないマリスじゃないだろう。
「だいたい誰かがついて行くような状況なら、マリスかラピズがついて行ったらどうだ?」
「私もそうしてあげたいのはやまやまよ。けど、私たちはイディニアとの契約によって、このミシュルから出ることは出来ないの。もちろん、選択肢として私からイディニアに掛け合ってエレナに護衛をつけてもらうの考えたわ。それはなしよ。わかるでしょ、魔法使いが新しく生まれるなんてイディニアに言ったらどうなるかなんて」
国にとって魔法使いは希少な人的資源だ。今では周辺諸国との小競り合いも減ったが、魔法使いは戦況を左右したと言われている。戦況以外でもアーティファクトや魔法理論の発展にも大きく関わる。
それだけ重要な存在をイディニアがそのままにしておくはずがない。
「国との契約が前提になるか」
「私やラピズみたいに擦れた魔法使いはいい。だけど、この子みたいな新しい魔法使いには自由でいてほしいのよ」
「事情はわかったけど、それでもうちに依頼する必要はないだろう。冒険者ギルドの伝手もあるだろ?」
冒険者ギルドは、その名前は冒険者たちの組織だ。冒険者たちは秘境の奥地や遺跡探索、異形の排除、要人の護衛など幅広く依頼を請ける。そういった冒険者たちへの依頼の一つに、マリスのような素材屋による、素材採取も含まれている。マリスが懇意にしている冒険者を何人かいる事も知っている。自分のような魔導技士に頼むより、荒事に慣れている冒険者たちに頼んだ方がいい。
だが、フィルの提案をマリスが首を振って拒否した。
「それもわかる。口が堅い冒険者も知っている。金を積めば請けてくれるだろう。それでも魔法使いだと事情を知っている人間は少なくしておきたいんだ」
「……そういうことを考えて、うちに頼むってことか」
「それにここにはアストルムがいる」
「私ですか?」
「君の力があれば、アンテサリアの森に出る守護獣も退けられるだろう」
「待ってくれ。守護獣ってなんだ? 星の魔力に触れるだけじゃないのか?」
「おや、説明してなかったかな?」
マリスはすっとぼけた表情をしてみせた。
「星の魔力を守るもの、魔力の集合体だよ。星に選ばれた子に向けた試練だと思ってくれていい」
魔導人形であるアストルムは身体の中に、内蔵魔法術式が封じられている。それを使えば、守護獣と渡り合えるとマリスは考えているのだろう。
確かに冒険者ギルドに頼めない、イディニアの力も借りられないのであれば、アストルムの力に頼るのは間違いと思えない。
「……その試練を俺とアストルムがどうこうしていいのか?」
「簡単に言えば、エレナちゃんにとどめを刺してもらえればいい」
「私にですか……?」
「言ったでしょ。試練だって。私もラピズも、他の魔法使いも乗り越えてきたの」
マリスはバッグから小さな箱を取りだした。
箱を開けると、オリーブ色をした小さな宝石があった。
「ペリドットですか?」
アストルムが口にした宝石の名前を、フィルは聞いたことがある。
ただの宝石の名前としてではない、目の前にいる魔法使いの名前としてだ。
「その通りよ、アストルム。これが試練を乗り越えて手に入れた宝石、そして、私の名前よ。魔法使いは試練を乗り越えて、守護獣の核である宝石を手に入れ、宝石の名前を手に入れる。それが試練よ」
「で、その守護獣の弱点は、核の宝石でいいのか?」
「ええ。ただし、守護獣を倒すには条件がある」
マリスは頷いて、エレナの方を見た。
「守護獣の核に、エレナちゃんが魔力を流し込むこと。魔法使いになる試練だから、必要なことなのよ」
フィルは俯いて、眉間を押えて、大きく息を吐いた。
「わかったよ。当然、報酬はもらう。アンテサリアの森までの旅費やその他の経費だって請求するぞ」
「もちろんよ。全てうちで持つわ。金額はフィルの言い値で構わないよ。それに必要な素材や魔石があるなら無償で提供するわ」
「条件が破格すぎるんだが……なぜそこまでする」
「この子と私が同じ魔法使いだからよ。それ以上でもそれ以下もないわ」
魔法使いという存在の全体数は少ない。だからこそ、仲間意識が強いのかもしれない。
「わかったよ」
「すみません……」
フィルとマリスのやり取りを聞いていたエレナは肩をすぼめて、申し訳なさそうにしていたい。
「あー、君が謝ることじゃないよ。マリスがうちになんで依頼を持ってきたのかをちゃんと聞かないと、うちとしても請けていいか判断できないからね。あとご両親に話はしてある?」
まだ子供のエレナをミシュルの外に連れ出すとなると、彼女の両親が今回の話を知っているかどうかを確認する必要があった。
「は、はい。話してあります!」
「そうか、なら、大丈夫か」
「私の依頼はあと一つあるが、それより前にエレナちゃんの方を聞いてやってくれ」
「わかった。――エレナちゃんからはどんな依頼なのかな?」
フィルはできるだけ優しい口調と声で問いかけた。
「えっと……記録を残したいんです」
「記録?」
「私はミシュルを離れようと考えています。一年、二年……もっと長い時間かもしれません。だから、家族に私が居たことを残しておきたいんです」
「……納期は?」
「二週間後の私の誕生日翌日にはアンテサリアの森にいこうと思うので、そこに間に合えば大丈夫です」
「二週間弱か」
口元を手で押えながら、思考する。
記録するためのアーティファクトを今から作るとなると、どういう理論がいる? 図面は間に合うか? レスリーに手伝いを……いや、ダメだ、彼女の作業を止めたら、絵本が間に合わなくなる。
……無理か。
フィル自身がどこかで無理をしても、押し通すのは難しい。
「あっ、フィルさん、記録用ならアレがあるじゃないですか!」
レスリーが何かに気が付いたらしく声をあげた。
「アレ?」
「アレですよ、ルゾカエン工房の!」
そうだ。
それがあった。
自分たちで制作する必要はない。
「封映玉か! エレナちゃん、うちが作るわけじゃないけど、既に君が欲しいアーティファクトはある。知り合いがルゾカエン工房にいるから話を聞いてみるよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「ただ……」
言葉を言いながら、マリスに視線を向ける。
こちらの言いたいことを察したマリスは頷いた。
「その封映玉とやらの代金もうちが持つ」
「じゃあ、決まりだ。マリスの残りの依頼は?」
マリスは自分の依頼は2つだと言っていた。
一つはエレナをアンテサリアの森に連れて行ってほしい。もう一つ残っているはずだ。
「ああ、これは、フィルじゃなく、レスリーに頼みたい」
「私にですか?」
マリスからの意外な指名に、レスリーが目を丸くした。
「そんなに驚くことはないよ。杖を一本作って欲しい」
「杖ですか……どうして?」
「魔法使いの風習でね。魔法使いになった子には杖を贈るのよ。エレナちゃんがあなたに作って欲しいっていってるのよ。別に畏まったものじゃなくていいのよ。アナタがエレナを想って作ってくれればいい」
「わかりました……」




