チャプター3 「どこかの誰かの為に」2
「……」
「……」
レスリーがフィルに作業を続けることができないと宣言した翌日、アルスハイム工房内は重たい沈黙に包まれていた。
マイヤーズ夫妻からの依頼から手を離してから、レスリーはフィルに気まずさを感じていた。自分が蒔いた種とは言え、気まずさと沈黙で息が詰まりそうだった。
工房の中には、お互いの作業音だけが響いている。
目の前の作業に集中しよう。
個人依頼を請ける以外も工房の仕事は多くある。店舗で販売するアーティファクトの補充、竜の大鍋などに委託販売しているアーティファクトの作成と納品、場合によっては個人依頼で納品物の修理などもある。だから、暇になる時間はなかった。
レスリーもアルスハイム工房に来てから、いくつかのアーティファクトを何十、何百と繰り返し製作しているため、それらの魔法理論や図面を嫌でも覚えていた。
作業をしながら、次の素材へと手を伸した。
しかし、指先は空を切った。
「……あっ」
視線を向ければ、次の工程で必要な素材である銀月貝のカケラを入れていた瓶が空になっていた。
溜息一つ。
立ち上がって素材が入っている棚に向かった。
「えっと……確か……ここに……」
棚の扉を開けて、物品を確認していく。
翡翠の骨粉、水晶木の枝……違う。
おかしいな、と首を捻る。
フィルに、あの……と声を掛けようとして、躊躇してしまった。
頭を振って振り返る。
「フィルさん、銀月貝のカケラどこでしたっけ?」
フィルは手を止めて、棚の方を眺めて、
「その右隣の上から三段目だったはず」
「えっと……」
レスリーはフィルの言葉通りの棚の素材が入った大きめの瓶のラベルを確認していく。
その中の一つに、目的のものを見つけた。
「ありました。ありがとうございます」
「ああ」
ここのところの会話もこの手の事務的な会話だけだ。
フィル自身が怒っているわけではないと思う。彼もレスリーに依頼から手を引けと言った手前、声を掛けにくいのかもしれない。
それから二時間ほど作業は続いたが、その間は無言の時間が続いた。
コンコン。
ドアをノックする音が静かな空間に響いた。ドアを開き、アストルムが顔を見せた。
「フィル、レスリー、お昼の時間です。今日は私が当番なんですが……。フィル、申し訳ないのですが、外で食べてきてもらっていいですか?」
「……? 構わないが……?」
フィルがアストルムの言葉に疑問を持っていると、アストルムが理由を簡潔に述べた。
「レスリーと話がしたいです」
「私と?」
「ええ。だから、フィルがいると都合が悪いです」
「ずいぶん、はっきり言うなー」
アストルムの物言いに、フィルはガックリと項垂れた
「すみません」
フィルは大きく溜息を吐いて立ち上がった。
「いいよ、竜の大鍋行って食べてくるよ。一時間ぐらいで戻る」
そう言い残して、フィルは工房を出て行った。
残されたのは自分とアストルムだ。
「えっと……アストルムさん、私となんの話をしたいんですか?」
アストルムは近くの椅子を持って、レスリーの対面に座った。
「わからないことがあります。だから、それについて教えて欲しいんです」
「絵のこと?」
「いえ、違います。レスリーはこのまま絵本を描くのを本当にやめるのですか?」
アストルムの澄んだ紫色の瞳がこちらを真っ直ぐにこちらを見つめている。
「以前、レスリーは、エレナさんが魔法使いになることによる孤独、それに伴うマイヤーズ夫妻の戸惑いを想像して、悲しいと言っていました」
エレナが星に選ばれたことを知った日、竜の大鍋で話したことだ。
「うん」
「それは本人に確認されたのでしょうか?」
「え?」
「エレナさんは自分が孤独だと、マイヤーズ夫妻は戸惑うと確認されたのですか?」
「してないよ。そんなこと聞けるわけないじゃない……」
そう答えるとアストルムは顎に手を当てて何かを考えているようだった。
「今、レスリーの胸にある辛さは、相手の心中を推し量り、共感した上のものだと推定します。ですが、やはりわからないのです。なぜ自分が想像したことを確認されないのですか?」
「エレナちゃんに、君は孤独だと思っている? なんて聞けないよ!」
思わず、大きな声が出てしまったが、アストルムは冷静に小さく首を振って否定した。
「聞けない。ではなく、聞くべきです。直接的な表現で聞けないと言うのであれば、話をするべきです」
「なんでアストルムさんはそのことにこだわるの?」
「話すべき相手がいるからです。レスリーとエレナさんはお互いに話せる状態にあります。もし、このまま、相手と話をしなければ、ライラ様とモーリス様のようになってしまいます」
アストルムが口に出した、ライラとモーリスのことだった。
以前、アルスハイム工房はライラ・プレストンの依頼で、彼女の亡き夫モーリス・プレストンの想いを再生して欲しいというものを請けた。モーリスが生前、ライラとの結婚生活が幸せであったかどうかを確認するためだった。
亡くなってしまった人の想いをあとから確認することは難しい。だから、アストルムはレスリーとエレナはなぜ話をしないのかと言っているのだ。
「なぜ、フィルが私にあの日三日後までにレスリーの絵柄で絵を描けるようにしろと言ったかわかりますか?」
「……それは……私の代わりに作業してもらうためですよね」
自分が仕事から手を引いたとしても、アルスハイム工房が請けた依頼を放り出すわけにはいかないから、レスリーの代わりをさせるためだ。
「はい。ですが、私は……レスリーの絵を真似るだけであれば、三日もいりません」
「それはショックなんだけど……」
落ち込みを見せるレスリーに、なので、とアストルムは言葉を続けた。
「フィルはレスリーに猶予期間を与えているのではないのですか?」
「……っ」
アストルムの指摘にレスリーは息を詰まらせた。
そんな風に考えてなかった。
彼の言葉通り、自分は外されてたと思っていた。
猶予を与えているなら、フィルは自分に期待しているんだ。
魔導技士として依頼を達成するために立ち上がることを。
だったら、今の自分は、フィルの期待を裏切っているのではないか。
「だから、もう一度言います。レスリー、エレナさんと話すべきです。エレナさんがレスリーが想像するように孤独なのか、或いは戸惑いがあるのか。話をするべきです。もし、エレナさんがレスリーが思うような感情を抱いていなかったら、レスリーは後悔すると推定します」
「ありがとうございます、アストルムさん」
アストルムにお礼を言ってレスリーは立ち上がった。
「私、エレナちゃんの家に行ってきます!」
工房を出て、走り向かう先は、南区にあるエレナの家だった。
しかし、レスリーは自分の悩みに決着を付けるためにエレナの家を訪れたが、エレナは不在だった。彼女に用事があったとカミラ伝えると、どうやらエレナは弟を連れて公園に行っているらしい。公園の場所を教えてもらった。
公園に着くとエレナは小さな男の子――弟だろう――を抱きしめていた。
「エレナちゃん」
呼びかければ、彼女は男の子を離して、こちらを向いて立ち上がった。
「ライアン、遊んでおいで。今度は転ばないようにね」
「うん!」
男の子は元気に走り出した。
「弟さん?」
「はい。ライアンって言うんです、まだ五歳なんだ」
「かわいいね」
「そうですね。やんちゃなところもあって大変ですよ。――レスリーさん、どうしたんですか?」
「エレナちゃんとお話ししたくてね」
公園で遊ぶ子供たちを見ながら、レスリーは自分がエレナに会いに来た理由を口にした。
「私ね、エレナちゃんが星に選ばれたって聞いてからずっと悩んでたの。だから、エレナちゃんと話したいの」
「なんでレスリーさんが悩むんですか」
「そう。それがずっと自分でもわからなかった。ひどい言い方になるけど、私自身のことじゃない、エレナちゃんの人生の岐路であって、なにを選択しても関係ないと思えばいいと思う。何を選択したって、私には関係ない」
レスリーがそういうとエレナはけらけらと笑った。
「うわぁ……本当にひどいなー。でも、そうだと思いますよ。魔法使いになること、それをどうするかは私の問題です」
「そうだよね。たぶんね、私はエレナちゃん、ううん、周りの人たちは普通に生きていくんだと思っていたの。それに私自身が誰かが重大な場面に立ち会うことを考えてなかったの」
「レスリーさんは優しすぎるんだと思いますよ」
その言葉に首を振った。
「同じ事をいろんな人に言われた。でも、違うんだと思う。私はきっと誰かに同情してるだけだよ。想像力を働かせて、可哀想だと思ってるだけだよ」
「だとしても、優しさですよ」
エレナは大事そうに持っている、小さな紫色の花を見つめながら、
「この花、ライアンがくれたんです。最近元気がないからって。あんなに小さい子でも意外にみてるんですね」
嬉しそうに笑う。
「花を持ってきてくれたときに、ライアンは転んで膝を擦りむいちゃったんです。私は気が付いたら、回復魔法を使ってました。魔法なんて使ったことないのに、でも、昔から使えたように自然に使えたんです。ライアンはありがとうって言ってくれました。その時、思ったんです、誰かの役に立ちたいって」
だから。と彼女は言って、レスリーの手を取った。
彼女の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
そこにはレスリーが抱いている迷いは微塵もなかった。
……そっか、エレナちゃんは決めたんだね。
「私、魔法使いとして、世界各地を回ってみようと思うんです。多くの人の役に立ちたいと思います」
「ミシュルじゃダメなの? ここでも多くの人の役に立てるし、エレナちゃんの家族もいるよ?」
この質問の答えはわかっている。
でも、彼女の口から、答えを聞きたかった。
「だって、私の大好きな『やさしいまほうつかい』は、いろいろな場所を旅してたんです。だったら魔法使いになった私も同じようにしたいんです。それにずっと、この街を離れるわけじゃないです、たまにミシュルに戻ってこようと思います」
「そっか……」
「レスリーさん、もう私のことで悩まなくて、大丈夫です」
「うん……ありがとう」
年下の彼女が決断したんだ、だったら、自分が悩み、迷うことはない。
自分がやるべきことをやって、彼女のこの先の人生で最高に喜んでもらえるように、絵本を完成させよう。
自分が勝手に、エレナのことを孤独だとか可哀想だと考えていたのは、彼女に対して失礼だ。
自分に出来ることをちゃんとやり遂げよう。
胸の中にあったわだかまりが消えたレスリーは、アストルムの助言の通り、エレナと話を出来てよかった。
彼女の決意に自分は応えたいと思う。
「エレナちゃん、やっぱり、話できてよかった! 私もがんばるね!」
「私もレスリーさんとお話しできてよかったです」
「よし、私、仕事に戻る! ありがとう!」
公園を後にして、急いで工房へと向かう。
ここのところ、曇っていた自分の心が晴れたのがわかった。
アストルムの助言の通り、エレナと話せてよかった。
話もせず、エレナのための絵本を完成させなかったら、自分はずっと後悔を抱えていたと思う。
軽くなった歩調は徐々に速さを増して、気が付いたら走り出していた。
中央区の大通りを駆け抜けるレスリーを、多くの人が振り向く。
視線を気にしてる場合じゃない。
今は少しでも早く工房に戻りたい。
レスリーは、全力で走り、肩で息をしながら、アルスハイム工房まで戻った。
勢いよく工房のドアを開けて、息切れしながらも、
「フィルさん、絵本の続きやらせてください!」
すぐにフィルに頭を下げた。
彼は作業中の手を止めて、座ったままこちらに向く。
「やりきるんだな?」
「はい! もう投げ出すようなことはいいません。エレナちゃんは魔法使いになることを、この先の生き方を決めたんです。だから、私はそれに応えたいんです。そしてもちろんご両親の愛も伝えたいです」
「わかった」
フィルは立ち上がるとレスリーの前髪を持ち上げて額を露出させた。
パチン。
渇いた、小さな音がした。
「いたっ!!!」
額を抑えてうずくまた。
フィルがレスリーの額を指で弾いた。
「もう投げ出すとか考えるなよ。依頼を請けた以上、やり遂げる。やり遂げられないなら、依頼をそもそも請けない。俺は今回の依頼はレスリーのがんばりも含めてやれると思って請けてるんだからな」
「はい!」
「頼んだぞ」
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