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アルスハイム工房へようこそ  作者: 日向タカト
第2話「星に選ばれた子」
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チャプター2 「その声が聞こえた者」8

 マイヤーズ夫妻の依頼の期限まであと一ヶ月。レスリーはこの日の夜も、遅くまで絵本の作画作業をしていた。

 全体のイメージはカミラと擦り合わせが終わっていて、描いていたラフを清書していく作業に取りかかっている。その後、着色やアーティファクトで絵柄を浮かび上がらせたり、キャラクターに喋らせるための仕掛けを仕込む必要がある。やることはまだたくさんある。

 ここ数日睡眠時間を削って、どうにか残り作業ページ数も両手で数えられる程度まできた。

 しかし、レスリー自身に一つの自覚があった。

 作業ペースが落ちてきている。

 着手し始めた時よりも一日に進む作業量が減っている。

 原因は分かっている。

 エレナが星に選ばれたと知った日から明確に進捗が遅れている。

 自分の心にあるわだかまりを押し殺しながら、作業をしている。

 しかし、ふいにレスリーの手が止まった。

「ダメだ……描けないよ……」

 ペンを置いて、椅子の背もたれに背中を預けて、天井を仰ぎ見る。

 限界だった。

 レスリーは両手で顔を覆った。

「エレナちゃんのことが受け止めきれてない……」

 エレナが星に選ばれたことは、ラピズやマリス、フィルにも話をして、自分なりに理解と納得したつもりだった。

 でも、マイヤーズ夫妻から頼まれている絵本の作業を進めるたびに、マイヤーズ夫妻の娘への愛を感じ、それがレスリーの心を重くしていった。娘に喜んでもらおうと考えている両親は、エレナが魔法使いになることをまだ知らない。両親にこれほど愛されているのに魔法使いとしての道を歩むことになる。

 自分の問題じゃない。

 それはわかっている。

 頭では、エレナに起きた状況を理解している。でも、心がそれを受け入れてくれない。どうにもならない。

 絵本の作業をしている間、心がざわついてしまう。

 それがレスリーの手を止める。

 顔を覆っていた両手を退けて、大きく息を吐く。

「……描かなきゃ」

 もう一度、ペンを取り、紙に向き合う。

 しかし、レスリーの手は動かない。

 描く場面は頭の中にある。

 描くべき線はわかっている。

 それらを紙の上に表現すればいい。

 そのために自分の手を動かさないといけない。

 けれど、それをレスリーの心が拒否する。

「ダメだ」

 レスリーの手からペンが零れた。



◇◇◇



「フィルさん……相談があります」

「どうした?」

 工房を開けてしばらくした頃、レスリーが顔を見せた。

 彼女の表情は、普段の明るく快活な様子はない。ここ数日、夜中まで作業をしているのは知っていたが、疲労感からくる陰りではなく、どこか思い詰めたものであった。

 フィルの隣の、レスリーの作業机の椅子に座った。しかし、なかなか相談したいことを切り出さない。そのため、こちらから思い当たる話題を振ってみることにした。

「魔力絵の具が足りないか? それとも絵本のアーティファクトの図面変更か?」

 フィルの言葉にレスリーは首を振る。

「じゃあ、何の相談だ?」

「……け……な……んです」

 レスリーは小さな声で答えた。しかし、あまりに小さい声であったため彼女の言葉を聞き取れなかった。

「描けないんです!」

 彼女は悔しそうに涙を流した。

 流れる涙をそのままに、悔しさで顔を歪めながら、レスリーが言葉を続けた。

「エレナちゃんが魔法使いになることが、どうしても自分の中で整理できないんです。頭じゃ、どうにもならないこともわかってるんです。自分自身のことじゃないこともわかっているんです。それでも感情が整理できないんです。絵本を描き進める度に、マイヤーズさんたちのエレナちゃんへの愛がわかるんです。だから――」

「だから描けないのか」

 表情を変えずにフィルは彼女の言葉を引き継いだ、そのフィルの言葉にレスリーは頷く。

 彼女の訴えを理解した。

 その上でフィルがレスリーに掛けられる言葉は多くない。

「……じゃあ、どうする? レスリー、この依頼から降りるのか?」

「いえ……」

「でも、描けないんだろ、どうする?」

「わかりません」

「それじゃあ、この依頼はどうする? 君の感情、感傷、それらで依頼を投げ出すのか?」

 どんなに辛くてもレスリーは決断しないといけない。

 依頼を続けるのか、やめるのか。

「わかりません!! わからないんですよ! 言ってるじゃないですか! どうしたらいいのかわからない。私だって描きたいですよ! でも、できないんです!」

 レスリーの悲痛な叫びが工房に響いた。

「フィル、レスリー、どうかしましたか? 大きな声が聞こえましたが」

 アストルムが工房の様子を見に顔を出した。

 涙を脱ぐレスリーを一瞥して、アストルムの方を見る。

 彼女はまだ状況を理解していない。

 それと関係なく、フィルは一つの確認をすることにした。

「アストルム、丁度よかった。レスリーの絵を真似て描けるか?」

「……事情はわかりませんが、可能かどうかであれば……可能と判断します」

「じゃあ、アストルムは今日から三日でレスリーの絵を覚えてくれ」

 アストルムの返事を待たずにレスリーに目を向ければ、彼女は俯いて、固く握られた拳が彼女の悔しさを表わすように震えていた。

 俯く彼女を見ながらフィルは言葉を掛けた。

 それは怒りでもなく、呆れでもなく、ただ静かな声だ。

「俺たち魔導技士は引き受けた依頼を、依頼人のために成功させる努力をしないといけない。今のレスリーのように、自分自身の問題で投げだすなんてダメだ。アストルムに作業を引き継いでもらって、その上でマイヤーズさんたちの依頼が達成できなかったり、マイヤーズさんたちが納得しないのであれば、俺は違約金を払い、頭を下げる。うちの工房で達成できない依頼を引き受けてしまったのだからな」

「……ごめんなさい」

 レスリーはひと言そう言って立ち上がって、工房を後にした。

 これは彼女の問題だ。

 レスリー自身が乗り越えるしかない。

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