チャプター2 「その声が聞こえた者」5
レスリーたちが黒猫の住処を出る頃には日が沈み始めていた。
黒猫の住処から中央区の大通りまで、エレナとの間には重たい沈黙が降りていた。
大通りの賑やかさは、今はどこか遠くに聞こえるようだった。
エレナにとって、星に選ばれたことは大きな出来事だったと思う。けど、レスリーにとってもそれは大きな衝撃だった。
レスリー自身が当事者であるわけでないが、生まれた感情とどう向き合えばいいのかわからないでいた。
その感情の発端は、エレナに魔法使いになって欲しくないことだとわかっていた。
彼女が特別な存在になるのが嫌なのか? 違う。すぐに浮かんだことを否定した。そうではない。もうすぐ十二歳を迎える子供が、魔法使いに選ばれるという大きな変化を迎えたことに戸惑っていた。
けれど、今は自分が落ち込んでいるわけにはいかない。
隣でぼんやりと大通りを見つめているエレナに声を掛けた。
「えっと……エレナちゃん、大丈夫?」
「え?」
大丈夫?
そんなわけはない。
レスリーは自分の言葉選びの失敗に内心で頭を抱えた。
「あー、……帰り道、家まで送ろうか?」
どうにか続く言葉を口にした。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
「そっか……」
「レスリーさんこそ大丈夫ですか? 心なしか顔が白いですよ」
「え? うん、大丈夫」
しばしの沈黙の後、
「今日はありがとうございました」
エレナはぎこちなく笑顔を作って、今日のお礼を言った。
「ううん、いいの……」
「じゃあ、また」
エレナはお辞儀して、大通りへと消えていった。
レスリーは彼女の小さな背中をジッと見つめていた。
「……私……なにしてるんだろう……」
レスリーはぼそりと呟いて、アルスハイム工房へと向かって歩き出した。
その足取りは、とても重たいものだった。
◇◇◇
竜の大鍋は今日も大盛況だった。
注文が飛び交い、店員が料理や飲み物を持って行き交っている。
旅行者や旅人、冒険者、多種多様な人間が飲んで食べて、騒いでいた。
しかし、その騒ぎの中、静かなテーブルがあった。
そこにはフィル、レスリー、アストルムの三人の姿がある。
「ほら、レスリー、何食べる?」
メニュー表を差し出しても、レスリーは首を小さく振るだけだった。彼女の反応にフィルはアストルムと顔を見合わせた。
彼女がアルスハイム工房に帰ってきたのは、夕方だった。昼間にはエレナをマリスに会わせられると喜んで出ていったのに、帰ってきたらその真逆でただただ落ち込んでいる様子だった。
彼女の気分転換を兼ねてレスリーを竜の大鍋に連れ出したのだが、今のところ効果はない。
「レスリー、なにかあったのですか?」
「……」
アストルムが話掛けてもこの様子だった。
何も言わない。
反応も最低限。
黒猫の住処で何かがあったのだろうけど、話してくれないことにはなにもわからない。
「ありゃま、レスリーちゃんどうしたー?」
竜の大鍋の喧騒に負けないぐらいの声量で、俯いたままのレスリーに目を大きく見開いて様子を心配しているのは恰幅のいい女性――シアンだった。
「フィルが怒ったのかい?」
「なにもしてないよ。工房にいても気が紛れないだろうから、ここに連れてきたんだけどさ」
「しょうがないわね……ちょっと待ってな!」
シアンは顔をしかめながら席を離れて、しばらくすると手に一枚の皿が乗っていた。
「ほら、サービスだよ。これでも食べて元気だしな」
バンっとテーブルの上に置かれた皿には、三段重ねのパンケーキ、その上にはアイスやフルーツ、さらにたっぷりのシロップが掛けられていた。
見た目だけじゃなく匂いでも甘さが伝わってきた。
「うちの店じゃ、何も言わない男には肉、女には甘い物って決まってるんだよ。何があったかわからないけど、そのパンケーキ一口食べな」
「シアンさん、ありがとうございます!」
フィルがパンケーキのお礼を言うと、背中をバシバシと叩いてきた。
「これぐらい、いいのさ。あとはフィルとアストルムちゃんがしっかり話聞くんだよ」
シアンは、それだけ言って、ガハハと豪快に笑って去って行った。
「レスリー……シアンさんがせっかく用意してくれたんだから、一口ぐらいは食べなよ」
レスリーは頷いて、パンケーキをナイフで切り分けて、フォークで一切れ口へと運んだ。
「……美味しい……」
レスリーはパンケーキを食べ始めたら、陰っていた表情が徐々に明るさを取り戻していく。パンケーキを完食する頃には、普段の明るさを取り戻していた。
「少しは持ち直したか?」
「はい」
「それでレスリー、何があったのですか?」
アストルムがもう一度尋ねると、レスリーは迷いながらも口を開いた。
「エレナちゃん……マイヤーズさんたちの娘さんと、マリスさんのところに行ったんです」
「ケンカでもしたのか?」
フィルの言葉に、レスリーは首を振る。
「違います。マリスさんに……その……エレナちゃんが魔法使いになるって言われて、それを聞いて、なんだか私、ショックで……」
彼女の言葉が理解できなかった。
レスリーがエレナのことでショックを受けていることは理解した。
マリスかエレナと何かがあって、ここまで落ち込んでいると考えていたのだから。
理解できないのはそこではない。
レスリーは何を口にした?
魔法使いになる?
なぜ? どうして? 疑問が疑問を呼び思考が止まる。
「エレナちゃんが……なんだって?」
「魔法使いになるって……」
レスリーはマリスから聞いたであろうことを少しずつ口にした。
星に選ばれた子は、星の声が聞こえ、そして星の魔力に触れて、魔法使いになる。
つまり、エレナが星に選ばれたということだ。
話を聞いても理解ができない。
けれど、それはレスリーに取っても同じ事だろう。
エレナが魔法使いになる、そうだとして、じゃあ――。
フィルがレスリーに言葉を掛ける前に、
「それを聞いて、なぜレスリーが悲しい気持ちになったのですか?」
アストルムが純粋な疑問をレスリーに投げかけた。
「えっと……マイヤーズさんたちは娘のエレナちゃんのことを大好きだと思います。エレナちゃんもご両親のことを好きなんです。だから……」
「だから、人から外れて魔法使いになるエレナちゃんのことが可哀想だって思ったのか?」
レスリーの言葉を受けて、フィルが彼女の言葉の先を口にした。
「私にはわかりません」
しかし、アストルムはやはり理解ができないようで、疑問の言葉を重ねる。
「魔法使いになることが、なぜエレナさんやマイヤーズご夫妻に対して、可哀想という感情になるのですか? それであれば、レスリーは、マリス様、ラピズ様についても同じように可哀想と考えているのですか?」
「それは……違う。私はラピズさんもマリスさんも可哀想と思ってないよ。魔法使いであるあの人たちを尊敬しているよ。でも、一人の女の子が魔法使いになることが、衝撃だったの」
「つまり、レスリーは、変化することが受け入れられないんですか? 変化が辛いなら普遍であり続けた方がいいのでしょうか?」
アストルムの言葉にレスリーは首を振る。
「それも違う。エレナちゃんに突きつけられたのは、大きな分岐点、しかも自分の意志じゃない。小さな女の子がこの先、私たちよりも長く、本当に長く歩んでいくって考えたら、それがとても孤独に思えたの。それに娘が魔法使いになるなんて想像もしていないマイヤーズさんのことは受け入れられるのかな?って思ってしまって……」
「少しですが理解しました。魔法使いになるというのはとても大きな変化で、それによって発生するエレナさんの孤独、マイヤーズご夫妻の戸惑いまで想像した結果なのですね。――レスリーは優しいのですね」
アストルムは笑顔でそう言葉を掛けたが、レスリーは泣きそうな表情で首を振る。
「そんなことはないよ……きっと、私が思っているのは、偽善とか同情とか……そういう感情だよ。優しさからは遠いよ」
レスリーは力なく笑って見せた。彼女は迷いながら縋るように口を開いた。
「フィルさん……エレナちゃんが魔法使いになることを……ご両親に言った方がいいんでしょうか……」
「それは……俺らからは言えないよ。言うべきじゃない。エレナちゃんが決断して、彼女が言うべきことだよ」
「でも……そう、ですよね……」
フィルの答えにレスリーは納得できず、けれど続く言葉がない様子だった。
両親が知らない娘の事実。
それを伝えるべきかどうか。
悩むことはわかる。
きっとレスリーが両親に伝えれば、彼女の心にある感情が軽くなるだろう。そうだとしても、レスリーから言うことではない。彼女には酷かもしれない。しかし、これはレスリーの問題ではなく、エレナの問題だ。
そう考えるフィルの耳に届く、竜の大鍋の賑わいは、いつもよりも大きく、煩く感じた。




