チャプター1 「君に贈る本」5
フィルはレスリーが作った魔力絵の具の製法に従って作業を進めていた。魔力絵の具の作業自体は難易度が高いものではないが、作るのに時間が掛かる。
翡翠の骨粉と顔料を混ぜ、それを特殊な液体と水を組み合わせたものに溶かす。そこに魔力を流し込んで一日置くという工程を数度繰り返す。これによって翡翠の骨粉が魔力を保持するため、魔力絵の具が出来上がる。
フィルは今日の分の魔力を魔力絵の具が入った容器に魔力を注入した。
「魔力絵の具はこんなものでいいか」
瓶に詰まった魔力絵の具は薄らと翡翠色を帯びているがこれは最後の工程で水を足して薄くして目立たないようにする。実際にレスリーが使う時は既存の絵の具と混ぜることで、絵の具自体が魔力を保持した状態になる。
「さてと、あとは『絵本を動かす』部分のアーティファクトの続きか」
魔力絵の具が詰まった瓶を棚に置いて、製作途中のアーティファクトを取り出して作業台に向かった。
こちらの作業は細かい部分が多く、まだそれほど進捗が出ているわけではない。いくつもの素材の加工が必要になる上、光魔法と音魔法の制御も大事になってくる。加えて、絵本のカバーとして装着されるため、強度の心配もあった。レスリーも革以外の素材の候補を図面のメモに挙げているが、彼女は最終的にフィルの判断に委ねてくれていた。
「元々レスリーが作る図面はキレイだったけど、無駄な部分が減ってだいぶ良くなってるな。図面の注意書きや魔法理論の部分もわかりやすい」
彼女自身は自分の成長の実感が薄いみたいだが、彼女の図面や魔法理論から成長を感じ取っていた。
「でも、ケアレスミスがゼロにならないか……こういうところも今後減ってくるといいな」
しばらく作業を続けていると、工房のドアが開く音がした。
振り向くとアストルムがマグカップを片手に入ってきた
「フィル。コーヒー飲みますか?」
「アストルム、ありがとう。じゃあ、いただこうかな」
アストルムは空いている椅子に座って、こちらをジッと見つめてくる。
フィルはマグカップのコーヒーを一口飲んで、彼女に発言を促した。
「どうした?」
「いえ。レスリーもフィルも大変そうですので、心配になっただけです」
「大変っていってもいつも似た感じだろ。依頼が来て、それを全力でやって、普段の納品用アーティファクトを作って……お店の方をアストルムにお願いして。いつも通りだよ」
なにも変わらない。
いつも通り。
でも、レスリーを雇ってから、アストルムと二人だった頃に比べれば、よくなった。それを考えれば、レスリーが来てからの日々が『いつも通り』と言えるぐらいに馴染んできたのかもしれない。
「それはわかっているのですが、お二人ともここのところ夜遅くまで作業されていますので」
彼女の声色は変わらず平坦ではあるが、心配していることは伝わってくる。
「気をつけるよ。俺もレスリーも作業を始めて集中し始めると時間を忘れてしまうからさ」
「そうしてください。私は二人が倒れてしまったらと考えると、胸が痛くなります」
「……わかった。レスリーにも言っておくよ」
フィルはマグカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「君が悲しまないようにするよ」
「悲しみ……ですか……?」
アストルムは自分の中で湧き上がった感情を理解していなかった。
「アストルムが感じる胸の痛みは悲しみだよ。――そういえば、レスリーは?」
フィルは自分の言葉で、彼女が少しずつでも自分の中で生まれた変化を理解することに繋がるのであればいいと思っていた。
「今日はマイヤーズさんのお宅に行って、打ち合わせのようです」
◇◇◇
ミシュルの南区の住宅街に、マイヤーズ夫妻の家がある。二階建てで、小さな庭もついてる白い家だ。依頼を請けてから二週間が経過して、レスリーも何度かマイヤーズの家を訪れていた。レスリーはいつも通り呼び鈴を鳴らすとカミラが迎え入れてくれた。
「今日は子供たちがいるから煩いかもしれないわ。あと絵本のことはうまく誤魔化してください」
カミラは玄関で小さな声で注意してきた。
マイヤーズ夫妻から請けている依頼については、子供たち、特に娘には秘密であることをレスリーも重々承知している。
だから、レスリーの小声で、
「わかってます」
と応えた。
リビングに通され、カバンの中から数枚の紙を取りだして、テーブルの上に並べて見せた。
「今日は絵柄についてなんですが、どれがいいですか? いくつかの絵本を参考に描いてみたのを持ってきたんですが」
「そうですねー」
カミラは紙を手に取りそれぞれを見比べて自分の中のイメージと合う物がどれかを確認している。
「私は今回マイヤーズさんからいただいたお話の『はなのおひめさま』には、こちらの少し幼さがあるような絵柄がいいと思っています」
レスリーは事前にカミラから、今回製作する絵本の話を教えてもらっていた。『はなのおひめ』の概要は、ある国の姫が、父である国王の病気を治すために、奇跡の花を手に入れる冒険の話で、カミラから原案を教えてもらった時から、面白そうだと感じていた。
そういった内容を踏まえて、自分が自信を持っている絵柄をカミラに提案した。
「レスリーさんが言うようにこれがいい気がするわ。他の絵柄もいいけど、ちょっと大人っぽく見えてしまう気がするわ」
レスリーはメモを取りながら、カミラの言葉に頷く。
「そうですね。『はなのおひめさま』だと、柔らかい感じがいいと私も思っています。あと色なんですけど――」
色合い。
各ページの簡単なラフ。
セリフの配置。
細かいところを意識合わせしていく。
レスリーが事前に用意してきた資料に、カミラは時に同意し、時に首を振って自分がどう考えているか伝える。その度に、レスリーは自分の解釈を話して、何が違うのかをメモしていく。
アーティファクトを作る時も、相手の要望がなにかを明確にするために話し合いを何度も重ねることがある。それに近いが、絵本は自分でもわからない上、物語の完成形が明確にカミラの頭の中にある。だから、レスリー自身が抱いているものをカミラのものに近づけないといけない。
「あと……ここのお姫様が花を手に取るところなんですが――」
「ママー、喉渇いたけど、なにかある?」
子供の声が割って入ってきた。
カミラが素早く立ち上がって、リビングのドアへと向かう。ドアを少しだけ開けて、小さな声で子供に注意した。
「エレナちゃん、今日はママのお客様が来るから、リビングには来ないで。ってお願いしたじゃない」
「だって、キッチンいくのに、リビング通らないといけないし……」
カミラが子供を宥めているのを眺めていると、ドアの向こう側にいる子供――女の子の顔が見えた。
――あれ? どこかかで会ったことがあるような?
レスリーはこめかみに人差し指を当てて思い出す。
女の子もこちらの顔を見て、眉を寄せて考えているようだった。
女の子……プラチナブロンド……絵本……徐々に記憶のパズルがつながり出す。
「あっ」
レスリーが声を出すと同時に子供と目が合った。
『図書館の!』
レスリーと子供――エレナ二人の声が重なった。
状況が理解できていないカミラは困惑しながら、
「あら? 二人は知り合い?」
その質問にレスリーは気まずさを感じながら、頬を掻いて答えた。
「ええ……先日、お会いしまして。まさかマイヤーズさんの娘さんとは……」
「お姉さん、ママのお客さんだったんだ……」
「エレナちゃん、飲み物は冷蔵庫にあるから持っていきなさい。あとお客様に挨拶して――レスリーさん、娘のエレナです」
娘と面識があり、この場で会ってしまったなら仕方ないと考えたのか、カミラは娘の紹介をした。
「エレナ・マイヤーズです」
母に促されて挨拶したエレナはペコリと頭を下げた。
「あっ、レスリー・プリムローズです。よろしくね」
レスリーも彼女に名前を名乗った。
国立図書館で絵本について教えてくれた女の子が依頼人の娘だとは夢にも思っていなかった。依頼のことをなにも話してなくてよかったと、内心安堵した。
「このまえ教えた絵本読んでくれました?」
「読んだよ。面白い絵本ばっかりだった。ありがとう」
「じゃあ、今度感想教えてください!」
「こら、エレナちゃん! レスリーさんもお忙しいんだから!」
「私は大丈夫です。――エレナちゃん、今度お茶でも飲みながらお話ししようか」
「わーい!」
「すみません……」
申し訳なさそうにしているカミラに、レスリーは慌てて両手を振った。
「エレナちゃんには絵本のことを教えてもらいましたし、お礼させてください」
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