チャプター1 「君に贈る本」1
イディニア国の首都ミシュルの中央区の外れにアルスハイム工房がある。整った顔立ちをしたアストルム・サンビタリアは店先をホウキで掃除しているところだ。
「アストルムさん、おはよう。朝から精が出るね」
「おはようございます。いえ、これも仕事ですから」
顔見知りの店主の挨拶を返す。
「アストルムさんみたいに真面目で綺麗な子がうちの嫁に来てくれたら少しはいいんだけどなー」
「ご期待に添えず申し訳ございません」
「ああ、いいの、いいの、冗談だから気にしないで」
「わかりました」
「じゃあ、今日も一日がんばって」
「ありがとうございます」
店主はご機嫌な様子で自分の店へと向かっていった。
彼だけなく、多くの人たちが自分の店舗の開店準備のために、動き出していた。
ミシュルの中央区は大陸横断列車の駅があるため、その大通り周辺に場所を確保している屋台は朝から賑わっているが、大通りから外れた店舗はこれから営業開始だ。
店の周りの掃き掃除を終えてアストルムは店内に戻った。
アルスハイム工房の店舗部分には、工房主のフィル・アルスハイムと従業員であるレスリー・プリムローズが製作したアーティファクトが並んでいる。フィルたち、魔導技士が製作するアーティファクトは、魔法使いだけが行使できる魔法という奇蹟を模倣し、誰もが使えるようにする道具だ。一つ一つ依頼者の要望に沿って製作するため、一点ものであることが多いが、商品棚に並んでいるアーティファクトは日常生活や仕事で役立つものが中心になっている。
アストルムは陳列してあるアーティファクトそれぞれの数や在庫を数えて、必要に応じて品だしやフィルとレスリーに製作を頼むものをピックアップして、ノートに書き留める。
「フィル、そろそろ、こちらとこちらの在庫が足りなくなるかと」
「わかった。レスリーと手分けして作るよ。あとこっちは大丈夫そうか?」
「最近の売れ行きの推移から推定するに、2,3日は余裕があります」
「2,3日か。そうなると素材になる、銀月貝のカケラと夜光魚の鱗は補充した方がいいな。あとで買い出し頼めるか?」
「問題ありません、リストに加えておきます」
「ありがとう、助かるよ。俺は工房行くから、レスリーがここに来たら工房にこいって言ってくれ」
「わかりました」
工房に向かうフィルの背中を見送ってから棚や床の掃除を始める。アストルムは与えられた仕事を淡々とこなしていく。
魔導人形である自分に仕事の好き嫌いがあるわけではない。
しかし、掃除して汚れていた部分が綺麗になったり、先ほどのようにフィルから礼を言われると満たされるような感覚を得る。
思考していると、階段を急いで降りる音が聞こえてきた。
居住エリアと店舗を繋ぐドアを勢いよく開ける音がした。
そちらに視線を向けると、レスリーの姿があった。彼女は急いで用意してきたのか、薄いピンク色の髪にはまだ寝癖があり、服装も乱れていた。
「おはようございます! ああ、アストルムさん、フィルさんは!?」
彼女の声からだけではなく、表情からも慌てている様子が窺えた。
「もう工房に行かれました。工房に来て欲しいと言っていました」
「怒ってました!?」
「いえ、そんなことはありませんでした。レスリー、工房に行く前に洗面所によることをおすすめします」
アストルムの言葉の意味を理解したのか、レスリーは自分の頭を触って、
「寝癖が! アストルムさん、ありがとう!」
「どういたしまして」
バタンとドアを閉めて、レスリーがドタバタと廊下を走る音が聞こえる。
しばらくするとまたレスリーが走っているであろう音が聞こえた。
店舗の隣にある工房からフィルの声が漏れくる。
きっと毎朝のようにフィルがレスリーを注意しているのだろう。
棚や床の掃除が終わる頃には開店直前のいい時間になっていた。アストルムは店のドアに掛かっていた「クローズ」の札を反転させて「オープン」に切り替えた。
アストルムがカウンターで店番している間は、フィルとレスリーは工房で依頼を請けているアーティファクトや店舗で販売するアーティファクトを製作している。そのため接客対応は、基本的にアストルムの業務になる。
アルスハイム工房を訪れる客の数は、それほど多くない。持て余す時間をアストルムは読書に費やしている。アストルムは一ページ、一ページとページをめくる時の指の感覚や、その音が好きだった。
たまにドアが開くと、ドアにぶら下げている鈴が音を鳴らす。そのたびにアストルムは本に栞を挟んで接客対応する。
「すみません、こちらのアーティファクトはどのような効果ですか?」
「そちらは――」
どのような効果があるアーティファクトなのかと聞かれれば効果や使い方を説明する。
「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」
「実は――」
「それでしたらこちらはどうでしょうか? こちらのアーティファクトでしたらお求めの効果も得られます。また価格としてもお手頃かと。必要でしたらアーティファクトの製作依頼もお受け致します」
お客から「こういう効果のアーティファクトはないのか」と言われれば、依頼いただければ製作可能と伝えたり、似た効果のアーティファクトを勧める。
「ありがとうございました」
アーティファクトを購入した客を入り口で見送り、時計を確認すると昼頃になっていた。ちょうど、そのタイミングでレスリーが顔を出した。
「アストルムさん、今日は私がお昼の買い出し当番なので、竜の大鍋に行ってきますけど、なにかリクエストありますー?」
「……そうですね。では、サンドイッチとコーヒーをお願いします」
「わかりましたー! いってきまーす!」
アルスハイム工房の昼食は当番制になっている。
料理ができるアストルムが当番の時はありもので昼食を作るが、フィルやレスリーは夕食などでよく使っている竜の大鍋に昼の買い出しに行く。
しばらくするとレスリーが帰ってきた。
「ただいまー。アストルムさんサンドイッチとコーヒー。シアンさんがおまけでアップルパイくれたから、あとでおやつどうぞ」
「ありがとうございます」
「あっ、昼休みだからドアの札クローズにしておきますね」
レスリーから紙袋を受け取り、中に入っているサンドイッチと蓋付きカップを取りだした。
サンドイッチをゆっくりと咀嚼して飲み込む。
アストルムはフィルの祖父であるジェームズ・アルスハイムによって作られた魔導人形であり、人間のように空腹感を感じたり、食事が必ずしも必要ではない。しかし、物を食べることで内蔵魔力炉がそれを分解してアストルムの活動に必要な魔力を生成するため、フィルたちに合わせて食事を取るようにしている。
昼休みを終えて、アルスハイム工房の営業を再開する。
午後に入ってしばらくした頃に、
「あの……すみません。アーティファクトの依頼をしたいのですが」
そう男性が訪ねてきた。
彼の後ろには女性の姿も見えた。
アストルムは立ち上がって、
「ご依頼の相談ですね。では、事務所へどうぞ」
二人を事務所へと案内した。
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