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アルスハイム工房へようこそ  作者: 日向タカト
第1話「アルスハイム工房へようこそ」
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チャプター5 「その想いを抱きしめて」2

 聞き慣れた声がした。

 もう聞くことができない声だ。

「モーリス……」

 思わず、その名前を呟いた。

 アルスハイム工房が作ってきた、断想再生機から、モーリス・プレストンの声がした。『始めはパン屋での出会いだった。ライ麦パンの匂いに誘われたのがキッカケだった』

 いつも決まった時間に、ライ麦パンばかり買いに来ていた彼のことはすぐに憶えてしまった。

 最初は誰か知らなかった。

 毎日、パンを買いにくるお客さんだったから、気まぐれで声を掛けたことが、今にして思えば、始まりだったかもしれない。

『あなたは仕事ができるのにお喋りは苦手なのねと言われた』

 モーリスがパン屋に通うようになって一ヶ月ぐらいしてから、やっと彼があのモーリス・プレストンだと知った。

 何度か会話するようになっても、モーリスは愛想もなく、「ああ」「そうだな」ぐらいしか返事してくれなかった。

 だから、彼にお喋りには苦手なのねと言ってしまったことがある。

『孫ほどの歳が離れた君に恋をして、プロポーズするのは、私にとって勇気がいることだった。だから君が、ライラが受けてくれたことは嬉しかった』

 ええ、そうでしょうね。

 私だってあなたからまさかプロポーズされるなんて思わなかった。

 だって、私とあなたでは年の差がありすぎたのだもの。

 でも、私は時折見せる無邪気さや困っている多くの人を放っておけないところに惹かれていた。だから、プロポーズの答えだって決まっていた。

『君と一緒に結婚記念日を祝うと約束したが、仕事が押してしまい果たせなかった。君はいいです。といったが、とても怒っていた。すまない』

 怒りますよ。

 毎年祝っていた結婚記念日を、当日、連絡もなしに一緒に食事する約束を破ったのですもの。

 モーリスはいつも多忙で家にいる時間も少なく、夫婦で会話することも少なくなってしまった。

 世間じゃ、遺産目当てだなんだと言われていた。

 それがなんだ。

 私とモーリスは確かに愛していた。

 それがわからないなら、黙っていて欲しかった。

 断想再生機がモーリスの声で次々と日記に宿る想いが再生していく。

 その度に、私は首を振ったり、頷いたり、モーリスの言葉に答えたりしている。

『私の病はもう治らないだろう。いつか君を残して旅立つ日がくると思っていた。それがもう来るとは……。ライラ、ライラ・プレストン……君にはたくさんの苦労を掛けた』

「そんなことはありません……」

 涙声でモーリスの言葉を否定する。

 苦労なんてそんなこと。

『君との日々は、老い先短いワシにとって黄金だった』

 応接室が静かになる。

 誰も声を発することもできない。

 ただモーリスの言葉を待っていた。

『ライラ、愛している。両手に抱えきれない幸せと共に先立つことを許してくれ。どうか、君のこの先の人生が幸福であるようにと願っている』

 私は断想再生機を抱きしめ、大声で泣いた。

 人目も憚らず、泣いた。

 ああ、モーリス。

 私の愛しい人。

 あの日、私が聞くことができなかった問いの答えを、やっと聞くことができたわ。



◇◇◇



 泣きじゃくるライラを、アストルムは見つめていた。

 彼女が泣いているのは、モーリス・プレストンとの愛を確認できたからだろう。知りたかった亡き主人の想いを知ることができた。

 誰かの声を聞いて、誰かの想いを聞いて、涙を流すのはどういうことなのだろうか。

 先日のレスリーの件も、今回のライラの件も、自分が人間なら理解ができたのだろうか。

 理解できないから、推定する。

 ライラは、きっと半身を失った喪失感を改めて感じているのだろう。モーリスと一緒に歩んだ時間を思い返し、その日々を懐かしみ、そしてこの先の時間を歩んでいく中にモーリスの姿はない。

 それを自分に置き換えたらどうなるのだろう?

 フィルが、レスリーが、いなくなってしまったらどうなのだろうか?

 そう思考すると、なぜか胸が痛い。

 アストルムは痛みを堪えるように、胸の前でギュッと両手を握りしめた。

 自己診断を走らせる。

 しかし、各部位に異常はない。

 ならば、この痛みはどこから来るのか。

 存在しないものから来る痛みだ。

 わからない。

「アストルム、どうした?」

 フィルが小声で問いかけてきた。

「いえ、何でもありません」

 ズキリと胸の奥が痛むが大したことではない。

「何でもないわけないだろ」

 アストルムの自己診断は変わらずなにも異常がない。

「えっと……アストルムさん?」

 レスリーまで心配そうにこちらを見ている。

 アストルムが、二人が何をそんなに心配しているのか、わからないでいると、フィルがその答えを口にした。

「アストルム、泣いてるのか?」

 そう言われて、目元を確かめた。

 触れる先には、わずかに湿り気を帯びていた。

 それがキッカケだったのか、次々と頬を水滴が、涙が伝う。

 アストルムは自分に起きていることが理解できないでいる。

「これは……どうして?」

 自分には涙を流すという機能はない。

 そのはずなのに、なぜ涙が次々と溢れてくるのだろうか。

 そしてなぜ胸の痛みは消えないのだろうか。

「アストルム、使いなさい」

「ありがとうございます」

 ルーシーがハンカチを差し出していた。それを受け取り、涙を拭く。

「ライラさんの涙に感化されたのね」

「感化……?」

「ライラさんのあの姿をみて、あなたの魂が、なにか揺さぶられたのではないの?」

 ライラへと目を向けた。

 さきほどまでは泣きじゃくっていたが、時折涙を拭いていたが、今は落ち着きを取り戻しつつあった。

 ルーシーの言葉を頼りに、自分に起きたことを推定した。

 きっとライラの感情の強い揺れ動きに、アストルムの中にある疑似魂が感化され、未熟な感情を刺激したのだろう。そして、ライラが抱いていた喪失感を、自分に置き換えて考えることで、ライラの胸の内に知らずに共感したのだろう。だから、これまで理解できずにいた他者のことで涙を流すということに至ったのだろう。

 大切な人と時間と感情、そして思い出を共有していく。それが嬉しい時もあり、悲しい時もある。そういったうねりを共にする。そして大切な人を失うことで、自分の魂が傷つく。その感情の源泉が、今、自分の中に生まれつつあるものだ。

「きっと私は……ライラさんを通して、愛というの感情の端を知ったんだと思います」

 アストルムは、ルーシーを、レスリーを、そしてフィルを見た。

「フィル……この依頼を請けてくださり、ありがとうございます」

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