チャプター4 「輝く星の光」4
手のひらの箱を見つめて、その言葉を口にした。
「開け、夜染めの箱」
夜染めの箱に命じる。
箱の蓋が開く。
そこから溢れるのは黒い泥のようなものだ。
どろりとした闇だ。
泥はフィルの足元から床へと広がる。
床から壁へ、壁から天井へ。
この空間を染めていく。
天井に広がった闇の、遙か奥に微かな光が生まれる。
この光景を知っている。
夜だ。
天井にあるのは星空だ。本来天井であったはずの場所は、どこまで続く夜と星に置き換わっていた。
「夜を召喚しおったな」
ラピズは楽しそうに、それでいて嫌そうに呟いた。
「それがこの夜染めの箱の効果だからな」
フィルが手にしている夜染めの箱は、ハイ・アーティファクトだ。ただ、このハイ・アーティファクトはフィル自身が作ったものではない。アストルムと一緒に保管されたいたジェームズ・アルスハイムが製作した二つのハイ・アーティファクトの一つだ。
夜染めの箱の効果は『夜を召喚する』ことだ。
「たった一晩分の夜だから、長くは保たないけど、アストルム、いけるな?」
「問題ありません」
アストルムの空の色の髪がバチバチと発光しはじめる。
それは彼女の中にある魔力炉の出力が限界を超えて稼働し始めたことを示している。アストルムに魔力炉と内蔵魔法術式には一つの制限がある。それは夜にしか、最大出力と最大効果を発揮できないことだ。
アストルムの魔力炉と内蔵魔法術式は、星に関する魔法で構築されている。だから、星が瞬く夜において、本来の出力を発揮することができる。
彼女の魔力発光を見ながら、もう一つのハイ・アーティファクトである指輪をポケットから取り出して、右手の人差し指に嵌めた。
「アストルム、力を貸して欲しい」
「わかりました」
フィルが右手を差し出すと、アストルムはその手を取り、星加護の指輪に口づけをした。彼女の口づけを受けて、星加護の指輪が青白く光を帯びた。
「星加護の指輪と私の内蔵魔法術式が問題なく接続されたことを確認できました」
「いくぞ、ラピズ!――“私はその輝きを知っている。遥か彼方より私たちを照らす光。夜に瞬く光を束ね、彼の敵を討つ、剣とする。”七星の剣」
フィルが詠唱すると星加護の指輪が強く輝き、星の光がフィルの右手に集まり、剣となる。
白と黒の刀身には七つの輝く星が宿り、柄や持ち手は黒く染まっていた。
「星加護の指輪を通した、アストルムの魔法の行使か!」
これがフィルが所持する二つめのハイ・アーティファクト、星加護の指輪の効果だ。アストルムと魔力経路を接続することで、星加護の指輪の装着者が、アストルムの内蔵魔法術式を使用することができる。
「アストルム、援護は任せた」
返答を聞くよりも早くフィルが走る。
「どれ、もう少し力を見せようか」
視線の先、自分を迎え撃つラピズが笑った。
「“お前は誰にも捕まえることはできない。その速さは全てを置いていく。その速さは誰にも手が届かない。その速さは全てを魅了する”疾風の加護」
魔法の詠唱が聞こえると同時に、
「な……きえ……」
「遅い」
声は背後からだった。
瞬きほどの時間で、ラピズが背後に移動していた。
「“吹き飛ばせ。お前の行方を阻むものを全て吹き飛ばせ”突風」
彼女の右手から強力な突風が放たれる。
「まだまだ!」
木の葉のように吹き飛ばされるフィルを、ラピズは魔法で追撃してくる。
いくつもの瓦礫の礫が飛ばし、それを追いかけるようにラピズも姿を消す。
「くそっ!」
吹き飛ばされながら体勢をどうにか立て直そうとしながら、フィルが毒づくと同時に凛とした声が聞こえた。
「星の光」
五条の光が夜空に奔る。
それらは瓦礫の礫を砕く。
砕け散った残骸を見ながら、どうにか着地する。
「アストルム、助かった!」
「それはなによりです」
七星の剣を握り直す。
「それの程度で安堵を見せるのは甘いな! “共にあれ。竜を滅ぼし、神を斬り、あらゆる困難を打ち砕くには、お前の力が必要だ”千変万化の武具」
大広間の調度品や壁、鎧などの残骸がラピズに元に集まり、形を作る。
巨大な斧だ。
小柄なラピズの身の丈の二倍近くはあるだろうか。大の男でも両腕で持つのがやっという大きさ。そんな斧をラピズは軽々と担ぎ、走る。
彼女は走りながら詠唱して、魔法を起動する。
「風の槍・五連!」
五本の槍がフィルを目がけて飛翔する。
それらに臆することなく、前へと走り出す。
「七星の剣――解放、一番星」
七星の剣に埋め込まれた星が強い光を放ち、消えた。代わりに刀身が強く輝きを得た。
飛来する風の槍に七星の剣を振るう。
一閃、二閃、三閃。
風の槍は魔力を失い、霧散する。
星を解放することで輝きを増した刀身で魔法を切り裂く。
残る二本の風の槍を身を逸らして躱す。
ラピズもフィルを迎え撃つ形で走り出していた。
「させません」
「お前は退いていろ、アストルム! 風の塊」
ラピズが弾速が速い風魔法でアストルムを牽制する。
それにアストルムも動き出したところで足止める。
「――ッ!」
「はああああ!」
剣と斧。
星の光と瓦礫がぶつかる。
両の腕に瓦礫の斧の重量がずっしりとのし掛かる。
「楽しいぞ! 楽しいぞ! これだ!」
「俺は楽しくないね!」
膂力で斧を弾き返す。
ラピズがバランスを崩して、左足が一瞬、床から離れる。しかし、すぐに足を着けて、斧が弾かれた反動を全身で打ち消して、もう一撃と振り下ろしてくる。
「七星の剣――解放、二番星」
フィルが七星の剣に命じると、二つ目の星が大きく光を放った。
弧を描く光が、巨斧を一撃で切り崩す。
「破魔の効果相手では、分が悪いか! ――疾風の加護」
ラピズが一瞬で距離を取った。
「久方ぶりに星魔法を味わえたのは、大変心地よい。わらわも大魔法で返そうか」
空気が、ラピズを中心に渦巻く。
いや、違う。
魔力だ。
ラピズの屋敷の、大広間の魔力が、渦巻いている。
「“立ち上がりなさい英雄よ。お前の剣を、盾を、求める者がいる。嘆く誰かの為にもう一度立ち上がりなさい。その身が瓦礫に埋もれていたとしても。”」
詠唱が進むにつれて、魔力の濃度が増していく。
それは夜空を打ち破るほどの光となる。
「瓦礫の英雄!」
魔力が四散し、その代わりに壁や床が剥がれ、転がっている鎧が、それらが集まって形を作る。
「……まじかよ」
フィルはそれを見上げながら絶句した。
「なにあれ……」
戦闘を見守っていたレスリーがそう漏らす声が聞こえた。
「これがラピズ様の大魔法……」
アストルムは目の前で起きた大魔法をじっと見つめていた。
ラピズの背後に現れたのは、瓦礫によって組み上げられた男の上半身だった。
それを見て、フィルは幼い頃に読んだ英雄譚や神話に登場する英雄を思い出していた。
壁や床の資材で形成された右腕には、大きな剣がある。それを振るうだけでこの部屋を破壊するには十分だろう。
「さあこれで終わりにしようぞ!」
ラピズが右腕を振り上げれば、それに連動するように瓦礫の英雄も右腕を持ち上げた。轟音が響く。
大きな剣が天井の一部を破壊し、破片がパラパラと落ちてくる。
「俺らも大魔法で対抗するしかないか。――アストルム」
「問題ありません。私の魔力炉は稼働率120%で安定しています。レスリーの安全を確保も可能な程度に魔力の余力もあります」
彼女の返答に頷く。
七星の剣の切っ先を瓦礫の英雄に向ける。
「全星を解放する」
七星の剣の刀身から極大の光が生まれる。
「“最期の時は全てに訪れる。星の終わり、終焉の光は、万物を消滅させる。それは私も貴方も等しく、無に還る”星破光」
砕ける音がする。
ガラスが割れるような音だ。
されど、小さな音だ。
七星の剣が砕け散り、光が一直線に奔る。
夜空を切り裂く光。
それは星の終焉の光だ。
瓦礫の英雄の剣が、星破光に触れる。
光に触れた瓦礫が、消滅していく。
「くっそおおおおおおおおおお!」
ラピズの叫びごと、全てを飲み込んでいく。
光が収束すると、瓦礫の英雄の姿は消えていた。部屋を覆っていた夜も消えていた。
星破光の行使と共に、夜染めの箱の効果時間が切れていた。
肩で息をするラピズに、歩み寄り、
「もうこれで終わりだ……さすがにこれで無理だったら、俺らに打つ手はない」
「ああ、わらわの負けだ。あー、疲れた」
ラピズは両膝をついた。
彼女はそのまま床に大の字になって寝っ転がった。
「あー、負けじゃ、負けじゃ」
「ラピズ、約束は守ってもらうぞ」
寝っ転がっているラピズの顔を覗き込んで、約束の履行を迫る。音魔法の音声抑揚制御方法を教わらないと、アストルムに戦闘を手伝ってもらったことや夜染めの箱、星加護の指輪まで持ち出した意味がなくなってしまう。
「わかっておるわ」
よっと、ラピズは身体を起こして立ち上がる。
ラピズは、腕を真上に伸して、背中を伸す。
そしてフィルの顔面に人差し指をビシッと向けた。
「ただし、フィル、貴様にわらわのノウハウを教えるのは癪じゃ。――そこの小娘」
「え、私?」
まさか自分が指名されると思っていなかったレスリーが左右を確認する。
ラピズが素直にノウハウを教えてくれるとは思っていなかったが、フィルを避けてレスリーに教えるというのは、予想外ではあった。ただ、それはフィルたちに負けたことへのささやかな対抗心なのだろう。
「他に小娘がおるか? お前は残れ。きっちり、みっちり叩き込んでやる」
「ええ……!?」
「魔法使いから直々に教えてもらう機会はないから、しっかり学んできてくれ」
「待ってください! 待ってください! 私、殺されませんか!? さっきまでお互い殺しそうな勢いでやりあったんですよ!?」
「わらわを人を取って喰らう悪魔かなにかだと思っておるのか?」
レスリーの慌てぶりに、ラピズは呆れて眉をひそめた。
「そうじゃないんです! 話が急すぎて、気持ちがついてきてないんです!」
「ラピズの機嫌さえ損なわなければ、大丈夫だから」
「お前もわらわをなんだと思ってるおるのか……」
実際、魔法使いから何かを直接学ぶというのは貴重な機会だ。ラピスと同じ魔法使いマリスも有料で相談に乗ってくれるが、それでも解決の糸口や魔石の提案がせいぜいだ。それを考えると、ラピズから何かを学べるのであれば、今後のレスリーの成長に繋がる。
「じゃあ、ラピズ、あとは頼むよ。あと、今日はありがとう」
「……ラピズ様、それでは失礼します」
「うむ」
フィルとアストルムが頭を下げると、ラピズ様はその小さな胸をグッと反らして、頷いてみせた。
「ほら、時間がないぞ。さっさと奥にいくぞ」
「え、本当に私を置いていくんですか!? フィルさん、アストルムさん!?」
「大丈夫、死なないから」
フィルの言葉に不安の表情をしたレスリーを残して、ラピズの屋敷を後にした。
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