エピローグ「私の帰る場所」2 [第四話完結]
「えっと……じゃあ、これをマリスのところで買ってきてくれ」
フィルから素材の買い出しメモの説明を請けていると、二階からドタバタと足音と一階まで響くレスリーの声が聞こえた。
「まずい! まずい!!」
彼女の声にフィルが「やれやれ」と首を振って見せた。
「やっと起きたみたいですね」
「そうみたいだな。あとマリスのところに行く前に、竜の大鍋に行って、適当に差し入れ買っていってあげてくれ。この前極大魔法使ったことで、だいぶ仕事を積まれて大変みたいだからさ」
「では、シアンさんに頼んで、何か甘い物を用意してもらいます。ラピズ様の分も用意した方がよいでしょうか?」
「あー……。じゃあ、マリスのところに行った帰りにでも、ラピズの屋敷に寄ってくれ」
「わかりました」
竜を倒すためにマリスが極大魔法を行使した。そのことは当然イディニアの上層部が知られた。魔法使いとイディニアとの間で結んでいる契約に反すると、マリスとラピズには違約金とイディニアの魔法研究への一定期間の従事を求められたとのことだった。
「レスリーの朝食用意しますね。その後、マリス様のところへ行ってきます」
アストルムはフィルのメモを受け取って綺麗に折りたたんだ。ちょうど、レスリーが寝癖そのままにリビングに飛び込んできた。
「おはようございます! 寝坊です!」
寝起きだというのにレスリーは肩で息をしていた。
「レスリー、準備終わったら工房に来てくれ。今日の寝坊の件で話がある」
フィルは彼女を一瞥して、若干苛立ちを含めた声でそう言った。対するレスリーは項垂れながら答えた。
「ええ……わかりました……」
アストルムは、いつも通りの二人のやり取りを見て、声を漏らした。それは小さな笑い声だった。項垂れていたレスリーは目の端に涙を溜めて、アストルムに抗議してきた。
「アストルムさん、笑うのはひどいですよ!」
「それだけ個性的な寝癖を付けてたら、アストルムだって笑いたくなるだろ」
フィルは腕を組んで呆れていた。
「いえ、なんと言えばいいのでしょうか」
アストルムは自分に湧き上がったモノを形容する言葉を探した。
「フィルがいて、レスリーがいる。他にもマリス様やラピズ様もいらっしゃる。それらは当たり前なものだと考えていました。ですが、きっとそれは当たり前ではないんですね。私にはオルフェンスの対岸にいた頃の記録はありませんが、皆さんが必死に助けてくれて、取り戻せた当たり前なのだと推定できます」
人間の感情を完璧に理解することはできない。
しかし、それぞれがどういうものなのかは定義されている。
それに従えば、この胸の奥に生まれた温もりは、喜びと呼べるものだろう。
「当たり前を享受することは、もっとも幸せなことなのだと考えます。そして、その幸せを得られるこの場所、アルスハイム工房が、私の居場所で、帰る場所です。そう考えたら、愛おしくて、嬉しくて声が漏れていました」
言い終えると、レスリーが胸の中に飛び込んできた。
「アストルムさーん! 朝からそんな感動的なことを言うのはズルいですよー!!」
彼女を抱きとめた。彼女は、アストルムの胸に、ぐりぐりと自分の顔を押しつけるようにして喜びを表現していた。
「レスリー、いいから準備しろ」
「わかってますけど、今ぐらい、いいじゃないですか!」
フィルの言葉にレスリーが反論するが、すぐにフィルの手がレスリーを掴んだ。
「開店時間が近いんだよ!」
「わかりましたから! そんなに強く引っ張らないでください!」
フィルがアストルムに抱きついていたレスリーを引き剥がした。フィルはそのままレスリーを引きずってリビングを出ていく。
一人残されたアストルムは、誰に言うわけでもなく、口を開いた。
「ジェームズ、あなたが作った疑似魂は、まだ感情の全てを理解できません。ですが、居場所を見つけられたと考えます」
その言葉はかつて、彼が口にした願いへのものだった。
「いつかオルフェンスの対岸であなたに再会できたら、その時は私が経験し、記録したたくさんのことを聞いてください」
不測の事態とは言え、自分の疑似魂はオルフェンスの対岸を訪れた。
ならば、遠い未来、稼働限界を迎えたときに、もう一度、その場所に辿りつくだろう。
「しかし、その時は、まだ先だと思います。ですから、今しばらくお待ちください」
届かない言葉と届いて欲しい約束。
いつか叶った時に、多くのことを伝えられるように、アストルムは歩み、紡いでいく。
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