チャプター2 「黎明に至る道」8
「ありがとうございました」
フィルは循環馬車の御者に礼を言って、大陸横断列車の駅前広場に降り立った。南区にあるルゾカエン第二工房から中央区に循環馬車で戻ってきた。南区を出る頃は沈みかけていた夕陽はすっかりと姿を隠して、ミシュルの街は夜の時間を迎えていた。
大陸横断列車の駅前広場を行き交う人の賑やかさの中、フィルは腕を組んで次の行動を悩んでいた。迷い、立ち止まっていた自分の心はルーシーの言葉で、歩き出す覚悟が出来た。そうなれば、次にすることは、セリックに竜の討伐を依頼することだ。
「問題はセリックさんがどこにいるかだよな」
魔導技士にとって魔技連があるように、冒険者には冒険者ギルドがある。ミシュルで活動する冒険者はここで登録することで、この街で発生するさまざまな依頼を受注できるようになる。
冒険者は要人の護衛、懸賞金付きの犯罪者の確保や未踏領域や遺跡調査などで報酬を得て金を稼いでいる。
冒険者と魔導技士の関わりは、先日の遺跡調査同行や、素材採取が主な物になるため、利害関係が薄いフィルは冒険者たちとの関わりがない。冒険者ギルド所属でもある魔導技士ランドリクにセリックの居場所の確認を頼むことを考えたが、今回の件は自分から動くべきだと判断した。
冒険者は魔導技士と違って、工房のような拠点を持っていないことが多い。拠点を持っていても、ほとんどの場合、秘匿している。
そのため個人を捕まえるとなると冒険者ギルドに足を運ぶのが無難な選択肢である。
「この時間なら、竜の大鍋の方が確実か」
フィルは敢えて、冒険者ギルドではなく、竜の大鍋を選んだ。竜の大鍋のような大衆食堂は、ミシュル市内にいくつも店舗があり、それぞれ盛況だ。しかし、竜の大鍋はミシュルの中でも特別だ。
店主シアンは、駆け出しの冒険者や魔導技士、ミシュルにきたばかりの若者など、多くの人達の面倒をよく見ている。食うに困れば代金の代わりに店の仕事をさせてメシを食わせ、行く当てがなければ従業員たちの寮の空き室を貸していた。
だから、彼女にお世話になった人達が今でも竜の大鍋を贔屓に使っていて、多くの人と情報が竜の大鍋に集まってくる。今日の客の中にセリックがどこにいるかを知っている人物やセリック自身がいるかもしれない。そう思いフィルは竜の大鍋に向かって歩き出した。
中央通りをしばらく歩き、竜の大鍋の近くまできた。
「おい、てめぇ、見ろ、せっかくの酒が零れちまったじゃねか!」
竜の大鍋から、物騒な野太い声が聞こえてきた。ケンカが始まる雰囲気を察したのか、多くの野次馬たちが店の前を囲んでいた。
「それは悪かった。だけど、ズボンはそのうち乾くだろうし、お詫びに一杯奢るよ。だから、そんなに大声を出さないでくれ」
「なんだと! 外に出やがれ」
「そうだね。店内で暴れたらシアンさんに迷惑かかるしね」
二人の会話はどこか噛み合っていないようで、野太い声の持ち主が更に怒声を上げていた。
竜の大鍋では客同士のいざこざが起きるのも珍しくはない。そのたびにシアンが宥めたり、警察が駆け付けたりして、場を収めている。
今回の場合は、当事者同士で解決というなのケンカになりそうだ。
これまで何度かこういった場に遭遇したことあるフィルはうんざりしながら、野次馬の一人に声を掛けた。
「ケンカ?」
「ああ。ただ、今日はあっちの大柄の男は運が悪い」
人集りの奥に目をやれば、大柄ではげ頭の男のズボンは濡れた跡がある。対する金髪碧眼の男はフィルが探していた、セリック・ラザフォードだった。
大柄の男は鼻息荒く、大股で外に出てきた。セリックはめんどくさそうな足取りで続いた。
プロタクラム都市群遺跡では鎧や剣を身に纏っていたセリックだが、今は薄手のシャツとパンツ姿と軽装だった。
セリックは長身な方であるが、大柄な男は彼よりも高く二メートル近くはあるだろうか。
「言っておくけど、僕は君が売ったケンカを買っただけだからね。何があっても恨まないでくれよ?」
セリックは苦笑しながら頭を掻いてみせた。それが相手の気に障ったようだった。
「バカにしやがって!」
大柄な男が先に仕掛けた。
「バカにしてないんだけどな……」
セリックはポケットに両手を入れたまま、迫る拳を前に呆れて笑っていた。彼は一歩だけ動いて、大柄な男の拳を避けてみせた。
一発、二発と続く攻撃をセリックは最小限の動きで回避していく。その度に野次馬たちが湧き上がる。
「セリックにケンカを仕掛けるなんて……あいつ、ミシュルに来たばかりか?」
「だろうな。相手が悪い。この街で冒険者やって稼いでる奴なら、ケンカ売っていい相手じゃないのがわかるだろ」
野次馬たちがそんな感想を漏らす。
フィルも彼らと同じ感想だ。
プロタクラム都市群遺跡で竜と戦うセリックの姿から、街中でのケンカ程度で彼が後れを取ることは想像できない。
セリックは男の攻撃を幾度も幾度も回避する。大ぶりの攻撃を繰り返す男は、次第に息が上がってきていた。無理もない力任せに拳を振るっていては体力の消費も激しいだろう。
「こいつ……!」
男が拳を振り上げて、何度目かとなると攻撃を繰り出そうとする。セリックはこれまでと同じように回避する。そして足を引っかけた。バランスを崩した男の背中を、セリックが左手で軽く押した。
男が派手に転ぶと、野次馬たちが笑い出した。
その笑い声を聞いて、男が顔を真っ赤に染めた。セリックは座り込んだままの彼を見下ろして笑顔で問いかけた。
「どうする、まだ続けるかい?」
息一つ乱していない様子のセリックの問いに、大柄な男は首を振った。
「……やめておく」
大柄な男はたった一度転倒させられたことで意気消沈したわけではないだろう。実際に対峙してみて、彼我の実力差を理解させられた形だ。
「君が賢明な判断をしてくれてよかった。ズボンは乾いたじゃないか。多少、シャツがほこりっぽくなったけどね」
セリックは男に手を差し出して、彼の身を起こした。
「いつの間にか、にこんなに人が集まってたんだ。恥ずかしいからやめてくれ」
彼は少年のように照れて笑ってみせた。
騒ぎが収まったのを見計らったようにシアンが、外に出てきて腕を組んで竜の大鍋に集まっている人たちを見渡した。
「全く、お前たち、店の前で騒ぐんじゃないよ。ほら、野次馬たちもここに来たなら、うちで飲み食いしていきな!」
セリックはシャツの袖で汗を拭きながらシアンに声を掛けた。
「ああ、シアンさん、そこの彼に一杯サービスしてあげて。代金は僕につけてね」
「しょうがないねー」
シアンは両手を腰に当てて、頷いた。
「セリックさん! セリックさん! ちょっと待ってください!」
解散する野次馬たちの間を抜けて、フィルはセリックに声を掛けた。彼はこちらに気が付くと、目を大きく見開いて笑顔を浮かべた。
「フィルくんか。もしかして、さっきの見てた? 恥ずかしいな」
「相談があります」
「じゃあ、お店の中で話そうか。――あ、お姉さん、彼と僕に果実酒を一杯ずつ頼むよ」
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