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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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作者: 禍福凪

「急で悪いんだけどこの子一週間預かって! 頼んだよ!」


 私が大学を中退して以来、一度も会っていなかった知り合いが突然白衣で訪ねてきたと思ったらこれだ。そりゃ確かに、働いてもいないからずっと家にはいるが、親の仕送りのみで生活している身で子供を預かる余裕などない。と、文句を言う暇もなく彼は走り去ってしまった。残された5歳くらいの女の子を見つめながら、開きっぱなしの玄関に立ち尽くす。女の子も私をじっと見つめ返してくる。保護者らしき大人に置いて行かれたというのにも関わらず、嫌に落ち着いている。


「えぇっと、あの人から何か聞いてたりする?」


 私が恐る恐る尋ねると、彼女はこくりと頷いた。


「お父さんのお友達のおうちに一週間お泊り」


「……そっかぁ」


 彼女はそう聞いていても、私は初耳だ。そもそも、私と彼は友達という程親しくはない。

 ただ、私が彼に借りがあるだけ。だから、頼まれてしまっては投げ出すことはできない。


「ごめんね、その、あんまりお金がないから大層なもてなしはできないけど……」


 もてなしどころか、人間的な生活すらも正直保証しかねる。一日二食でそのどちらもカップ麺で過ごしてきたのだ。子供にこんな不摂生な日々を送らせる訳にはいかず、食費は倍以上になる。私が一日一食、いや、二日に一食にして、更にほとんど残っていない貯金を切り崩せば何とか……。私が一人で唸っていると、彼女が私の服をちょいちょいと引っ張った。


「ん? な、何?」


「自己紹介」


 言われて初めて気がつく。現実的な問題に気を取られていたからだろうか。それとも、かれこれ五年程人と交流をしてこなかった弊害だろうか。


「そ、そうだね、ごめん忘れてたよ。私は那美。君は?」


「私は、ひぃ。人造人間」


 彼女は簡潔にそう答えた。かなりおとなしい子だが、子供らしい冗談も言うようだ。


「そっか、そっか。人造人間なんだね。それじゃ、一週間よろしくね、ひぃちゃん」


 にっこり笑って手を差し出すと、彼女は私の手を握り返した。




「ごめんね、一人暮らしなもんで、狭くて……」


彼女をちゃぶ台の前に座らせると、彼女はすんすんと何かの匂いを嗅いだ。


「あっごめん、ちょっと最近シンクに溜め込んでて……臭いよね」


 彼女が首を振り、少し安心する。冷蔵庫を開けると、何も入っていなかった。現在、この家には買いだめしてあるカップ麺しかない。


 買ってくるしかないか。時計を見ると午後四時。スーパーはまだ開いている。


「ひぃちゃん、晩御飯何が食べたい?」


 数週間ぶりに財布を取り出しながら尋ねると、彼女は首を振った。


「いらない」


「もしかして今お腹空いてなかったりする? でも晩御飯はしっかり食べなきゃ。ね?」


「いつも食べない」


 え、と思わず声をあげる。


「晩御飯食べないの?」


「お昼ご飯しか食べない」


 これくらいの子供が一日一食で大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫ではないはずだ。彼もあまりお金がないのだろうか。しかし、小綺麗にしていた彼の身なりを思い出すと、そこまで困窮しているようにも思えない。まさか、と悪い想像をしてしまう。


 しかし、万が一彼が虐待をしていたとしても、私は彼に対して何もすることができない。


「それじゃあお腹空かない?」


「空かない」


「うーん、まぁ、じゃあ、せめてうちにいる時は三食食べてもらおうかな。あんまり栄養がないものばかりになっちゃうかもしれないけど……」


 そう言うと、彼女は渋々頷いた。あまり食事が好きではないのだろうか。ならせめて好物を買ってきてあげよう。


「何が好き?」


「……特に何も」


 本当に食事に頓着しないようだ。


「ないの? うーんと、今まで食べた中でおいしかったものとかは?」


「……お肉しか食べたことない」


「お野菜とかは?」


「食べたことない」


「……お米とか」


「食べたことない」


 流石に栄養が偏りすぎるのではないだろうか。こうなってくると色々なものを食べさせてあげたくなってくるが、生憎お金がない。


「うーん、じゃあ、ごめんね、適当に買ってくるね」


「今あるのでいい」


 私が玄関に向かおうとすると、彼女は服を引っ張って制止した。


「あー、でもあんまり体に良くないものから…」


「それでいい」


 思っていたよりも彼女が食い下がったので、観念して部屋の隅に積んであったカップ麺を二つ手に取る。本当はお腹が空いていたのだろうか。


 ちゃぶ台の上に乗せると、彼女は匂いを嗅ぎそして首を傾げた。どうかした? と訊くと彼女は、なんでもない、と言っておとなしく座りなおした。


 元々自分が食べるためにお湯を沸かしてあったので、それをカップ麺に流し込む。ぎりぎり二つ分に足りてほっとする。


「三分待ってね」


 私がタイマーをセットしている間、彼女はじーっと湯気の漏れているカップ麺を見つめていた。心なしか、今までよりも目が輝いているように見える。


「カップ麺も初めてなんだよね」


「そう。初めて」


「そんなにおいしくないかもしれないけど……」


 カップ麺如きにあまり期待させても可哀想なので、少しカップ麺のハードルを下げておく。しかし彼女は大丈夫、とカップ麺から目を離さずに答えた。

 まだ? もう少し、というやりとりを何度も繰り返すと、タイマーの電子音がやっと鳴り響いた。


「お待たせ、はい、召し上がれ」


 蓋をあけると彼女は再び匂いを嗅いだ。すると、初めてぱぁと顔を綻ばせた。そしてフォークを入れて麺を掬いあげ、口に運ぶ。


「おいしい!」


「そっか、よかったよ」


 私も箸でずるずると麺を啜る。普段作業のように摂取しているだけのカップ麺が、何だかおいしく感じる。おいしい、おいしいと喜ぶ彼女を見ていつもより味わって食べているのかもしれない。


「これ好き!」


「お、おお、そっか、これ好きなのか」


 あまり良くないものを教えてしまったかもしれない。一週間後彼に怒られないだろうか。


「ごちそうさま」


 二人で空の容器を片す。


「おいしかった!」


 にこにこと笑って喜ぶ彼女に私も微笑む。うん、一週間何とかやっていけそうだ。




 彼女が来て三日目、彼女が寝込んでしまった。風邪でもひいたのかと思ったが、病気にかかっているというよりはただ単純に弱っているようだけのように見えた。しかし、そうなると私に対処法はわからない。初対面の時を除き、できる限り普通の食事をとらせていたので、栄養失調という訳でもないと思う。もしそうだとしても、たった三日でここまで不調がでるのは異常だ。


「病院……」


「大丈夫」


「全然大丈夫じゃないよ! うーん、お父さんの連絡先とか……わからないよね?」


 だめ元で彼女に訊いてみると、わかる、と返ってきた。


「本当に? じゃあそれ教えてもらってもいい?」


 彼女は弱弱しい声で十一桁の数字を呟いた。彼女はそれを彼の電話番号だと言う。彼女の記憶力に驚きつつも、慌ててメモをとる。


「ありがとうね、じゃあちょっと待ってね……」


 電話なんて何年振りだろう。しかし緊張している場合ではない。急いで携帯電話に番号をうち、彼に電話をかける。二、三回のコール音の後、彼は電話に出た。


『誰?』


「那美だけど、ひぃちゃんが大変で」


『は? どういうこと』


 眠たげな彼に、彼女が弱っており、病院につれて行こうとしている旨を伝える。行っても無駄だと思うんだけどなぁ、と独り言のような言葉が流れてきた。


『ちゃんとご飯食べさせてた?』


「もちろん」


『人肉?』


 突然悪趣味なことを言い出してぎょっとする。


「今冗談言ってる場合じゃないんだけど」


『その言い方、食べさせてなかったね?』


「……え、嘘だよね?」


 一瞬彼女の不調が頭から飛ぶ。


『本人から聞いてなかった?』


「そういえば、確かに肉しか食べたことないとは聞いたけど……」


『あー、人肉だとは話してなかったかもしれない』


「……本当なの?」


『本当。じゃなきゃあんたのところに預ける意味がないよ。あれだけあれば一週間は持つからね。今すぐ食べさせてやって。人肉であることが重要だから鮮度は関係ないんだ。腐ってても問題ない』


 私は通話を切った。




 私は彼女の元へ戻り、ただ黙って見下ろした。今にも止まってしまいそうな呼吸は変わっていない。いや、更に弱まっているかもしれない。多分、彼の指示通りにしないと、彼女はこのまま死んでしまうのだろう。彼女に背を向け、クローゼットを開ける。

 途端、腐敗臭があふれ出してくる。五年たっても消えない匂い。


「食べていい?」


 背後から彼女のはっきりした声がする。私は答えず、ただ黙って自分の罪を見つめている。


「食べるね」


 私は彼女を止めなかった。




「いやぁ、突然悪かったね。研究所の奴らに黙ってひぃを作ってたんだけど、うっかりばれそうになってさ。それであんたのとこに隠してもらってたって訳」


 玄関先でべらべらと彼が何かを話しているが、頭に入ってこない。


「それで、あいつを食べさせてやった? やっぱりあの時通報しなくてよかったよ。あんたもやっと、死体を誰にも見つけられないところに隠せてよかっただろ? いやぁ、未だにあんたがあいつをざくざくとやってたところは忘れられないね。あれを見て僕は人体の美しさに気づいたんだ。それでこの道に進んだって訳さ」


 彼女は彼の足にひっついている。まるで、普通の親子のようだ。


「本当、ありがとう。ほら、ひぃ、バイバイしな」


 彼女が遠慮がちに私に手を振る。私も何とか手を振り返し、彼女たちを見送った。

 

 後には私以外何も残されなかった。

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