プロローグ
『人生は一冊の書物に似ている。愚かなる者はパラパラとそれをめくっていくが、賢い者は丹念にそれを読む。なぜなら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを知っているからだ。』
これはドイツの小説家、ジャン・パウルの言葉だ。
最近、努力を馬鹿にする若者が増えている。『努力するのはカッコ悪い』『努力するのは醜い』『努力したって無駄』『キモい』『有り得ない』──等々、理由は様々。努力する人を侮辱するだけして、自分はなにもしない。そんなことが近年の『流れ』となっている。
人生なんてものはゲームのようにリセットも効かないし、ハッピーエンドが必ずしも用意されている訳でもない。ルールもなければゴールもない。かといって、ドラマや小説のように、残酷なことだけが起きるわけでもなく、シナリオなんて勿論存在しない。結局のところ、人生と言うものは例えるとしたら、『白紙の原稿用紙』なのだろう。
物語を進めるためには『文章』を書かなくてはならない。その書く行為を怠れば文章は愚か、物語すら始まらない。そこでまず始めに『書く努力』をしなければならない。この国には『三日坊主』という、まさに人間を表した言葉がある。続けることは大変だ。続けるには努力が必要。書くにしたって、一日で終わってしまえば例え、それまで書いたものが素晴らしいものでも、物語としては成立しないのだ。
『書く努力』の次は、『美しく見せる努力』だ。『続けることは出来る。だが美しくは見せれない』のでは、物語は映えない。いくら文字を並べたところで文章には成らないように、無茶苦茶な文章をいくら並べたところで、物語には程遠いのだ。
加えて、努力はこれだけでは終わらない。また、努力は重ねて何個も一辺にすることだってある。『努力するために努力するが当たり前』そのくらいは頭のなかにないといけないのだ。物語を作る上で数えきれないほどの努力を強いられるのだ。
つまり、『人生=白紙の原稿用紙』という式が成り立つとして、人生を構成する殆どの物は努力となる。人間は生まれてすぐに泣く努力をする。それをしなければ死んでしまうからだ。それらを踏まえた上でも、生きている間には無数の努力をしなければ成らない場面があるのだ。
もし、その努力をすべて投げ捨てたとしよう。さてどうなる?
答えは至極当然。『原稿用紙はいつまでも真っ白なまま』である。
だから、俺は努力を怠らなかったし、馬鹿にもしなかった。努力の大切さも、重要性もきちんと踏まえているからだ。目標のためなら努力を惜しまない。俺がいつも心掛けていることだ。
ここで断言しよう。努力をしなかった奴は成功しない。絶対にだ。人生は、努力するからこそ成功するんだ。
人生は、誰もがみんな『名作』になれるのだ。
見習い小説家、美月シカメ作『 』冒頭より抜粋。