宝探し
翌日、天気は大方の予想通り、快晴だった。
天気予報にも、向こう一週間傘のマークはない。この調子なら、昼には昨日と同じく、うだるような暑さになるだろう。
そんな夏の天気も、気温が上がりきらない朝は存外快適。
すずめが電信柱でさえずり、その下を小学生から高校生までが同じように登校する。
何でもない、静かな朝。柚月はそんな朝をこよなく愛していた。
「宝探しをしましょう!」
そんな平穏をかきけすように、まき姉はキラキラした目でそう言った。
「宝探し?」
「そう、トレジャーハント!」
まき姉と出くわしたのは、全くの偶然だった。
同じ学校に行くのだから、登校中に遭遇するのは別段おかしなことはない。だが普段まき姉は、頼まれ事や委員会やらの仕事で柚月と登校時間は被らないため、珍しくはあった。
何でも、今日はたまたま仕事がなかったらしい。
用事で早く学校へ行くことの方が稀な柚月からすれば、まき姉は相当な苦労人に思える。
それでもまき姉は、不平一つ言わない。
「出来る人がやる。それで世界が回るなら、それはとっても素敵じゃない? ノブレス・オブリージュだよ、ゆず」
以前、仕事の不満を聞いた時に、まき姉が言った言葉だ。
貴族の務め。自分を貴族に例えるなんて傲慢に聞こえるかもしれないが、まき姉はきっとそんなこと毛ほども考えていないだろう。
この人は、ただ善意だけで自分を動かせる人なのだ。
そんな人でもやっぱり人間な訳で。そのストレスが、自分との勝負で発散されているのだと勝手に思いたいだけの柚月である。
「今日の勝負だよ」
朝だというのに、まき姉のテンションは殊更高い。
「わかったよ、それでルールはどうするの?」
そう聞くとまき姉はふんと鼻を鳴らし前に出ると、柚月と対面するように後ろ歩きを始めた。
「実は私、昨日のうちに宝物を学校に置いて来ましたー」
「まき姉、ちゃんと前見て歩いて。あと学校に私物を持って来ちゃ駄目だから」
柚月が注意すると、まき姉は仕方ないといった感じでため息をついて後ろ歩きを止めた。
「全く、ゆずはつまんないねー」
隣から覗きこむまき姉は、柚月を賤しんでいるようで、少しニヤついている。
「まあそれはこの際置いといて、今日中に私の宝物を見つけ出すこと。これが柚月の勝利条件だよ」
「今日中に?」
「そう」
「宝物って何?」
「教えない」
「どこにあるの?」
「柚月、宝探しって知ってるよね?」
柚月は魂を抜かれた魚みたいな顔をした。
これは柚月の言うところの、「外れゲーム」だった。
柚月は勝負で一度も勝ったことがない。とはいえ、それなりに惜しい勝負だって幾つかはあった。いつまでも一方的なメッタ打ちばかりではないということだ。
だが、そんな手に汗握る展開からは全くかけ離れた、初めから柚月に勝機など微塵もないような勝負がまき姉から提案されてしまうことがしばしば起こる。
柚月はそれを「外れゲーム」と呼んでいる。
今回の勝負が、その最たる例だった。
限定的な情報、限られた少ない時間。十中八九無理だ。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと分かりやすいようにしてるから」
まき姉は柚月の諦めムードを感じとったのか、笑って言った。
話している間に、柚月たちは学校の目前まで着いていた。校門近くには、多数の生徒や先生が見てとれる。
本当に探せるのか、宝物。いや、まき姉が言った以上、訂正も取り消しもない。やるしかないのだ。
とはいえ、今回は何時もとは勝負の様相が違った。
例えば、そうだ。
「じゃあ探している間、まき姉は何してるの?」
今回は、まき姉自身と何かする訳ではない。自分も楽しみたいのなら、柚月にも宝物を隠させて、自らも宝探しに参加しそうなものなのに。
「ああ、私はね――」
「日暮真希」
ちょうど校門に差し掛かった所で、柚月たち、いやまき姉が呼び止められた。
しかもフルネームでとなると、流石のまき姉も声のした方を振り向く。
校門前に仁王立ちで出迎えたのは、メガネの似合う色白美人。まき姉に負けじとも劣らないオーラを醸し出しているのは、我らが誇り高き東岡高校の現生徒会長。笹原錦先輩だった。
「げっ、ササニシキ」
まき姉は会って早々、とんでもないことを口にした。
「おい日暮真希、何度言ったら分かるんだ。その呼び方は止めろ」
「だってササニシキはササニシキでしょ」
まき姉は、嫌な相手と遭遇したという感じに少し声のトーンを落とす。一方ササニシ……笹原先輩も、眉間に皺をよせ、不快感を露にしていた。
その様子に、柚月は内心驚いていた。
誰が相手だろうと、まき姉は平等に優しく接する。分け隔てなく、傷つけないように。
だから、たとえ友達をあだ名で呼ぶことはあっても、人を小馬鹿にしたようなあだ名で人を呼んでいる所を、柚月は初めて見た。
柚月以外には決して見せない、と思っていたまき姉の一面。
なんだか新鮮なようで、複雑な気分だった。
「今日だが、臨時で委員会議を開くことになった。お前も参加してほしい」
「いや、今日は大事な予定があって……」
「それは、委員としての責務を放棄するほど大事な予定か?」
「うぅ……」
頼み事というよりかは、脅迫に近かった。
まき姉はなんとか理由をつけて対抗しようとするが、笹原先輩がそれを片っ端から潰していく。
まき姉が言葉で押されているというのも珍しい。
「場所は視聴覚室、放課後16:30からだ。遅れるなよ」
まき姉はうーんとうなだれる。
そしてしばらく考えた後、「そうだ」と思いついたように手を合わせた。
「ササニシキを私の代わりにしよう」
「へ?」
まき姉が何を言っているのかは分からないが、不穏な空気だけは感じとれた。
いやな予感がする。
「ササニシキ、あなたも宝探しに付き合いなさい!」
「は?」
笹原先輩と柚月の返答がシンクロした。
「馬鹿を言うな、委員会議は私も出席しなければならん。また訳の分からんお前の遊びに付き合ってられるか」
「あれ、委員会議は生徒会から一人出席すれば良いはずでしたよねー」
「それは……まあそうだが」
形勢逆転だ。まき姉はすでに勝利の薄笑いを浮かべている。
「じゃ、そういうことで! 詳細は後で説明するわー」
そう言った途端、まき姉は一瞬で校舎に向けて走り去ってしまった。
逃げるが勝ち作戦である。なんと卑怯な。
「おいこら、日暮真希!」
呼び止めても、時すでに遅し。まき姉はなんといっても足が速い。今でこそないが、2年の頃まではしつこく陸上部に勧誘されていたほどだ。
「まったく、常識の通らないやつほど厄介なものはない」
チッと、舌を鳴らす音。
見ると笹原先輩の顔は般若のような恐ろしい形相で、まき姉の後ろ姿を眺めている。
まき姉、この人に殺されないかな。
そう心配しつつも、いつこの視線がこちらに向けられるかもしれない。
柚月はそそくさとその場を後にした。
「それでよお、あいつなんて言ったと思う? 慎吾の言葉は軽すぎるだってよ。てめーに何が分かんだよ、軽いのはお前の尻だろって、その場で言っちゃったわ。あーもう一発で冷めたね俺は。なあ、柚月聞いとんか?」
2年1組の教室では、黒板を背にして座る者、スマートフォンをいじっている者、弁当を食っている者などが、窓側後ろから二番目の席からはよく見えた。
机と椅子の数に比して、教室にいる生徒は少ない。
「ああ、聞いてるよ、自分の言葉が軽すぎるって話だろ」
「そうじゃねえよ、うちの彼女がどうしようもないって話や」
教室のベストポジションといっても良いこの席だが、この時期はとにかく陽射しが強い。窓から覗く、青く染まった空で太陽は真上まで昇り、遠くの山の上に入道雲が浮かんでいる。
「実際たらしの言葉は軽いよ、その関西弁とか」
「いま関西人全員を敵に回したぞ、柚月」
そう言ってたらしは持っていた焼きそばパンを頬張った。
「だいたいその彼女さんだって、いったい何人目なのさ」
「何人目って、それはいつから数えればいいんや?」
「たらしがこの世に生まれ落ちた瞬間からだよ。普通聞くかそんなこと」
「いや、幼稚園の時のはカウントすんのかなと思って」
「目覚めるのが早すぎる」
たらしは柚月の同級生。付き合いは中学の頃からだ。
ちなみに「たらし」と言うのは勿論本名ではなくあだ名で、由来は呼んで字のまま、こいつが女たらしだからである。
不愉快なことに、たらしはそこそこにモテる。
確かに顔は整っているし、イケメンと言って語弊がないくらいには良い顔をしている。
だがたらしがモテる起因は、恐らくノリの軽さだろう。たらしを一言で表すのなら、きっと高嶺の王子様よりも、親しみやすい隣人というのがお似合いだ。
たらしもそれは自負しているようで、するりと女性の懐に忍びこんでは、気を許せる相手というポジションをかっさらっていく。
そんな女子の敵見たいな奴だが、柚月はたらしのほどほどにクソ野郎な所も案外嫌いではなかった。
自分に素直な奴は、嫌いじゃない。
世間体としてはどうかとは思うけれども。
柚月はあきれ返りながら、オレンジジュースをストローですすった。
なんと言って昼休みだ。何を飲んでいても咎められることはあるまい。
「そんで、柚月の方はどうだったんや。昨日も結局、撃沈か?」
不躾にもたらしは、悪びれる素振りもなく聞いてくる。
「撃沈じゃないよ」
「お前の場合、告れんかったののは撃沈と同じやろ」
たまにたらしは核心をつくようなことを言うから嫌いだ。
「生憎、僕はたらしと違ってナイーブなので」
「俺はそんな慎重になる必要ないと思うけどなぁ」
「どういう意味だ?」
「意外と柚月は鈍感なんだなってことだよ」
言っている意味が分からなくて、柚月が聞き返そうとすると、どこかから柚月の名前を呼ぶ声がした。
教室の後ろの方。扉付近がやけに騒がしい。
「春日柚月はいるか」
ぴんと張った弦を弾いたような声に、柚月だけではない。クラスの全員が押し黙った。
そこに立っていたのは、他の誰でもない。笹原先輩だった。