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嘘吐き少年  作者: 小島もりたか
2/5

六月二日(火) 午前五時

「おはようございます!」


 快活な声に目を開けると、サニーが部屋のカーテンを開けていた。


「あ、おはよう……」

「違いますよ、ライトお嬢様。『ご機嫌よう』です」


 ライトはそれに欠伸で返事をする。どうやら朝のようだが、まだ随分と暗い。普段ならば、起こしに来るとしても、もっと明けてから起こしに来るはずだ。

 何故かと考えかけて、そういえば今日は嫌な奴のためのパーティの日だったことを思い出す。


「まだ起きるには早すぎるのじゃない?」

「いいえ、淑女の準備は時間が掛るものですよ」

「私は淑女じゃないもの」


 そういってライトは再び布団に潜った。すると、素早くサニーが布団を剥ぎとる。


「さっさと起きてください。準備ができたらすぐに朝食なんですから!」

「もう……」

「それはこちらの台詞ですー」


 ライトはサニーに首根っこを引っ張られながら布団から引き摺りだされ、されるがまま朝の支度をされていく。自室を出る頃には外出しても恥ずかしくない格好になっていた。

 ライトは薄い桃色を基調とした、いかにも少女らしいドレスの裾を引っ張り上げて呟く。


「パーティ行きたくないなぁ……」

「逃げたら、ダメですよ」

「分かってるって……」

「言葉」

「存じております」


 リビングに行くと、すっかり家族が集まっていた。父・母・大婆様・伯母家族等々。今日パーティに出席する面子は既に正装に着替え終えており、朝食を食べ始めていた。

 ライトの姿を見つけるなり、伯母の一人がライトの服装の確認をする。


「そのリボン見立て通り似合ってるわ」

「ありがとう、ミエリッキ伯母様」

「ドレスはもっと濃いめの方が良かったかしら?」

「ほら、ライトがドレス選びの時に逃げてばかりいるから、まだ姉さんが悩んでる」


 言って母はブロッコリーを口に入れた。


「面倒くさいだもん」

「頑張って興味を持ちなさい」

「はーい」


 母の言葉にライトは口だけの返事をする。

 すっかり出そろった頭を見て、ライトは眉を顰める。目立つ頭が一つ足りなかった。


「あれ、お姉様は?」


 いつも自分よりはるかに朝が早いはずの姉の姿がなかった。サニーの替わりに父が答える。声には苦笑いが混じっていた。


「どうやら家出をしたらしい」


 そう言ってライトに一枚の紙を見せる。紙には姉の筆跡で文が書いてあった。


 親愛なる家族へ


  運命の人を探しに行きます。

  私のことは探さないでください。


             レイより


 読み終わって思わず父の顔に振り向いた。父は苦笑いまじりの顔を横に振る。ふと父の使い魔を探すと、姿がなかった。どうやら一応は探しに行かせたらしい。


「姉さんずるい! 絶対この日狙ってたでしょ」

「まあ……そうだろうなあ」

「私も――」

「『私も行かない』とかほざくんじゃないわよ」


 きつい視線で母に睨まれた。思わずゴクリと唾を飲み込む。


「だって……」

「だってもクソもないの。あの子とあなたじゃ立場が違う」

「うん……」


 ライトは大人しく自席に腰を下ろす。それは重々承知していたが、こんな時になるとふつふつと不満が盛り上がってくる。


 ――姉ちゃんが私より大変なのは、分かってるけどさ……。


 ライトは荒々しく朝食を片づけていく。所々で父やサニーから食べ方について怒られたがひと通り無視した。


「ほら、はしたなく食べるから頬っぺたにソースが……」


 サニーに頬を拭われるのを、ライトは不満顔で我慢する。


「そんなに女の子扱いが嫌なら、さっさと上級魔法士トゥーン・ルルージュになればいいのよ」


 母の言葉に他意はなかったが、ライトは眉を顰めて俯いた。


 スターフィールド一族では長年、上級魔法士を一人前の人間として扱ってきている。姉は八歳で上級魔法士の試験に合格していたが、ライトは今年十二歳になると言うのに、まだ下級魔法士サスク・ルルージュの試験に合格していない。


 今年度で魔法学校の小等部も卒業である。今年最後の昇級試験で合格しなければ、ライトはスターフィールド一族で一番できの悪い子どもになってしまう。しかし、両親はそんなライトを特に叱咤するわけでもなく、激励するわけでもなかった。かといって、ライトに対して無関心というわけではないようなのだが……。


「……ねえ、本当に今日のパーティ出なきゃだめ?」


 父は申し訳なさそうに首を横に振った。


「今日のラファエル様の誕生祭は、是非家族でとミカエル様から仰せつかってるからね」

「でもお姉様はでないんでしょ?」

「そもそもレイと私たちでは出席枠が違うよ。それに、妻も子ども誰も出ないとなると、ミカエル様から大目玉だ」


 別に大目玉でもいいじゃない、とは口が裂けても言えなかった。そんなこと言ってしまったら自分が母から大目玉だ。行きたくもないパーティのために着飾らさせられ、ずっと不満げな表情の自分の子に父は優しく微笑む。


「去年は普通に出てくれたのに、今年はなんでそんなに行きたくないんだい?」

「だって……」


 言いかけて思わず口を噤んだ。恐らくそれは父も十分知っている内容だったからだ。


 ――今年の誕生祭は、あの糞野郎の婚約相手を発表する。


 ラファエルは今日で十八歳になった。ゴールドル一族の跡取りは、十八歳の誕生祭に婚約者を発表する習わしがある。婚約相手にもその時まで知らされることはなく、一度婚約者として発表されてしまえば、その人物に拒否する権利はない。逃亡しようものなら、関係者全てに追い回されることになる。捕まらないなど、不可能に近いだろう。


「さ、出発まであと一時間もないのよ、さっさと支度して頂戴」


 母の一声でライトはサニーにリビングを追い出されてしまった。


 精一杯おめかしさせられた状態で、ライトは父と家の一角にある部屋の鏡の前に立った。


「うん。大丈夫だな」


 タキシードに身を包んだ父が、鏡の中の自分の姿とライトの姿を確認して頷く。


「行こうか」

「うん」


 ライトが頷くと、父はライトの手をとった。


「行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」


 手を振るサニーに見送られる中、父は目の前の鏡に向かって脚を踏み出した。

 二歩目で鏡にぶつかるはずだった足先は、水面に足先を浸けるがごとく鏡の中に吸い込まれていく。鏡が水面のように波打った。父の身体の残りが、自分と繋いでいる手だけになると、ライトも続いて鏡の中に身をすべり込ませていく。

 全身を羽で撫でられた感覚の後、目を開くとまた部屋があった。巨大で豪華なベッドはあるが簡素な寝室。閉じられた寝室の扉の向こうからは、僅かに人の気配がした。


 父は無遠慮に扉を開ける。二階にあった寝室から一階に下りる。リビングには車椅子に座った顔色の悪い女性と、『父』と『ライト』が居た。『ライト』は自分と目が会うなり、花のように微笑んだ。『ライト』はライトに近づくと、そっと手を重ね合わせ、

「いってらっしゃい」

というと霧がゆっくりと霧散するように消えていった。重ね合わせた手の中指には、『ライト』の替わりに銀色の指輪が嵌っている。


「行ってきます」


 ライトは消えた『自分』に向かって小さく呟いた。

 もう一人の父の姿も尾を引くような笑顔を残して消え、車椅子の女性だけが残った。父はその女性に話しかける。


「レイについて何か知ってる?」

「さあ……私には何とも……」

「そうか、いつもありがとう。行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃい」


 車椅子の女性が儚く微笑み、二人を見送る。今度は玄関から外に出た。小さな庭のガレージに停めてある深緑色の車に乗り込む。父が運転席に座り、ライトは後部座席に座った。エンジン音もなく車が動き始める。

 ライトは窓から外を眺めた。空には澄みきった青空が広がっている。黒い影が目の前の空を横切っていっては、それを目で追う。空を飛翔する影がいつもよりかなり多い。


「やっぱり今日はいつもより人が多いね」

「そうだね。流石、王子の誕生祭だ」


 車が脇道にいた自転車の横を通り過ぎていく。追い越してすぐに、精一杯お洒落をした、浮かれた顔の自転車の持ち主が自転車に跨り、漕ぎ始めた。数メートル走ると、自転車は目に見えない坂道を登る様にゆっくりと空に向かって昇っていく。

 ライトは車の窓を開けた。春と考えてみても気持ちが悪い、生温かい風がライトの頬を柔らかく撫でる。ケケラバイルの花の甘い香りが含まれたその風に、ライトは顔を顰める。


 ――季節感がない。


 秘かに溜息をつく。ライトはこの世界――正確には、魔法使いの国『トエル国』が心底嫌いだった。生まれた時から暮らしていることになっているこの国は、全てが魔法使いのために管理されている。一応季節もあるにはあるが、外の世界に比べると遥かに緩やかに過ぎるようになっている。


 父の運転する車は、この世界のどこからでも見える城に向かっていた。高い山の一つが全て一つの城であるその場所は、この世界の最高管理者であるラファエルの父、ミカエル・ゴールドルの持ち物の一つでもある。ミカエルはその場所から、この世界を監視し、支配している。あのラファエルもいずれはその立場になるのだろうと思うと、より気分が重くなった。


「ねぇ、お父様」

「なんだい?」

「なんでラファエルみたいなやつが王様になるの?」

「そういう家系だからね」


 父の声にはどこか諦めの色が浮かんでいた。ライトは何故かそこが気に食わない。


「お父様達はそれでいいの?」


 率直なライトの言葉に、父は車のミラー越しでライトと目を合わせた。父の目は少し困ったように笑っていた。


「よくないんだけどね。恥ずかしい話、今はやりようがないんだ」

「何で?」


 ライトの棘を隠さない言い方に、父は微笑んだ。丁度、信号で車が止まる。父はライトに振り向いた。


「小等部を卒業したら、それも含めて教えよう。それまでは、自分で考えてみるといい。もしこれだと思う答えが見つかったのなら、答え合わせをしよう」


 父の言葉にライトは僅かにむくれながらも頷いた。


 パーティ会場である城の庭の一角に入ると、父は挨拶回りを始めた。ライトは父に付いて数人に挨拶するとすぐに飽きて庭の散策を始めた。庭のテーブルに並べられた料理はどれもとても豪華だったが、何となく食べる気になれない。祭りで並んだ屋台の料理を食べたい気分だった。

 庭のあちらこちらで綺麗な花が咲き乱れ、その花に負けないとばかりに多くの女性がおめかしをしている。庭の一角で音楽団が演奏し、ダンスフロアでは何人もの男女が優雅にダンスを踊っている。

 会場にいる者の胸には、皆ケケラバイルの花が着けられているせいか、パーティ会場は城下以上にケケラバイルの芳香が強かった。


 ――姉ちゃんは、今どこで何してるんだろ?


 姉のいるであろう場所と、今自分が置かれている状況を比較して思わず溜息が零れた。

 ふと級友の顔が見たくなり、庭を見渡すが、見つかるはずがない。彼女は平民だ。このパーティには一部を覗いて貴族以上の者しか参加できない。ライトの目に入る十代以下の者は、ほとんど貴族の子供で、さらにその多くはラファエルの取り巻き連中ばかりだった。


「あ、できそこないだ」

「できそこないなんかが、なんでここにいるんだ?」

「親の七光だろ。普通ならこんなできそこない、招待されないって」


 彼らはライトの姿を見つけては、ライトに聞こえる程度の声でライトの悪口を言ったが、ライトはそれを悉く無視した。こういったことには慣れていた。

 ライトは参加者を観察しながら会場を歩いていく。


 ――あれ?


 一瞬視界の端に金色の髪が見えた気がした。

 そんなことあるはずがない、と思いながらも慌ててそこに視線を向ける。振りかえると伸ばした栗色の髪を後ろで一つに束ねた青年――二十歳程度だろう――がいた。料理皿から料理を取り分けているその軽薄そうな青年は、ライトが見つめていると、品を取り終わったのか、丁度ライトに向かって振り向いた。目が合う。


「……こんにちは」


 目が合った気まずさから、思わず挨拶をしてしまう。青年は皿に取り分けた生ハムを一  つ口に入れると微笑んだ。そのまま淀みなくライトの目の前まで歩いてくる。


「こんにちは、あまり好きじゃない服を着させられるのも、嫌なものだね」


 何気ない言葉だったが、瞬時に冷やりとしたものがライトの身体を駆け抜けた。

 そんなライトを知ってか知らずか、青年はまた一つ生ハムを口に入れると微笑んだ。


「生ハム美味しいよ。君も食べてごらん」


 普段なら断るはずが、今回は何故か断ることができなかった。青年はフォークに刺した生ハムを直接ライトの口に入れる。咀嚼すると、確かに美味しかった。


「あっちの木陰に行かない?」


 この言葉も断れずに素直に従った。城の壁にもたれ、二人で青年が取り分けた料理を突き合う。


「お兄さんはどこの貴族の人?」

「僕はイスラフィール家の人間だよ」

「え? ゴールドル家の分家の?」

「一応そうだね」


 青年は頷いた。

 ライトはまじまじと青年の姿を見る。本家の跡継ぎのパーティに参加するにしては、些かラフな格好している。ヘラヘラと笑う顔は、ゴールドル家の高飛車な笑い方とはまた違う臭いを感じさせられた。


「本当にゴールドル家の分家?」


 青年の砕けた雰囲気から、ライトの言葉遣いも砕けたものになっていた。家族以外の者にはなかなか言葉を砕けさせないライトであったが、ライトは自身のその変化に気がついていなかった。


「やっぱり? あんまり僕ってそう見えないみたいなんだよね」


 言って青年は軽薄に笑う。


「あ、ごめんなさい。先に名前を訊くべきだったわ」

「別に気にしなくていいよ。僕の名前はトビト。トビト・イスラフィール」


 トビトは栗色の瞳を笑わせて言った。


「僕も君の名前を訊いてもいいかな?」

「私はライト・ロペス」

「ロペス……あぁ、四侯アドワルドフのドラコさんの娘?」

「うん。そう」

「そうかそうか、なら君もさぞかし優秀なんだろうね」

「学校の成績は最下位よ」


 ライトは特にコンプレックスを感じている風もなく、ただ事実だけを伝えた。トビトが意外そうに笑う。


「へえ、人には色々あるものなんだね。でも、そんなことを自信満々に話すのは頂けないな」

「え?」


 意外な指摘に、ライトは思わず頬を赤く染めた。そんなライトの反応を気にする訳でもなく、トビトはライトの髪を一房手に取る。


「透明に近い、綺麗な銀髪をしている。こんな綺麗な銀髪をしているということは、君のお父さんだけでなく、お母さんも銀髪ということになるね」

「――」


 なんで、それが分かるの? と口にしかけ、寸前で思い止まる。『綺麗な銀髪』だからとトビト自身が言っていたことに気がついたからだ。しかし、ライトが焦ったことはそこではなかった。


「トビトさんは私のお母様をご存じなの?」


 トビトは軽薄に笑う。


「さん付けしなくていいし、敬語も使わなくていいよ。そんなに歳も変わらないだろ?」

「私、大人っぽく見えたかしら? 今年で十二歳よ」

「……あー、八つ違いか……。でも、まあ僕は気にしないから、いや、寧ろそうして欲しいかな」

「ゴールドルの分家なのに変わった人」

「よくそう言われる」


 トビトは大して困っていないのに、困ったように笑いながら頭を掻いた。


「あー、君みたいな銀髪が一番いいなあ」


 心底羨ましそうにトビトはライトの髪を指の中で滑らせる。


「銀髪は銀髪で余分な期待をされて面倒臭いわ」

「いや、銀髪が立場的に一番美味しいよ」


 魔法使いの髪の色には、大きく分けて三つの分類がされている。銅髪・銀髪・金髪である。また、魔法使いになるための魔力を有していない者は、黒髪のことが多いが、この場合は、『魔法使い』ではないため分類からは除外される。


 細胞を有する生物は皆須らく、魔力を持つと言われているが、ほとんどの場合、その力は自身の生命活動のために全てが消費されている。しかし、人類の場合、およそ十万人に一人の割合で、生命活動で消費する以上の魔力を体内で生成する者が生れる。そういった人物が自身の力の使い方を学び、魔法使いになるのだ。


 人類の約十万人に一人の割合で生まれるのが、銅髪の魔法使い(レクト・ルルージュ)。

 人類の約二千万人に一人の割合で生まれるのが、銀髪の魔法使い(ティルガ・ルルージュ)だ。


 銀髪の魔法使い(ティルガ・ルルージュ)は一般的に、茶髪の魔法使いの十六倍の魔力を有していると言われているが、現在、魔法使いの間で正式に銀髪の魔法使い(ティルガ・ルルージュ)として認識されているのは、世界でおよそ三百人程度だ。銀髪の魔法使い(ティルガ・ルルージュ)は魔力を多く有するが、銅髪の魔法使い(レクト・ルルージュ)より数は大きく劣っている。


 そして、歴史上で未だに片手で足りる程の人数しか発見されていないのが、金髪の魔法使いである。彼らが有する魔力は、無限とも銀髪の魔法使い(ティルガ・ルルージュ)の十倍程度とも言われているが、彼らのその多すぎる魔力を計測する方法が存在しないため、未だに分かっていない。


「銅髪じゃ魔力が微妙だし、かといって金髪だと目立ちすぎる」


 トビトに指摘されて、ライトは確かにそうかもしれないと納得する。


「それにただでさえ、魔法使いは『ケスト』だと生きにくいものね。金髪だったらと思うとぞっとするわ」

「……君はケストに行ったことがあるの?」


 トビトの言葉に再びライトは冷やりとしたものを感じる。


 ――この人、見た目でかなり誤魔化されてるけど、かなり鋭い。


「学校の授業で聴いた話よ」


 嘘は付いていなかった。トビトはそんなライトの反応に悪戯っぽく笑う。


「質問に答えてないよ」


 ライトは僅かに戸惑った。ライトは世間的には、一度もトエル国から出たことがないことになっているからだ。できるだけ落ちつき払った態度を心がけてライトは言う。


「期待に添えなくて申し訳ないけど、ないわ」

「本当に?」


 尚もトビトは悪戯っぽい笑みを浮かべながら問い掛ける。


「ないってば!」

「あまり娘を苛めてくださるな」


 ライトの横から父が顔を出した。


「それはすいません。お子さんがあまりに可愛らしかったので」


 父が現れても姿勢や態度を変えないあたりは、ゴールドルの血筋だなとライトは思った。


「ライトの父のドラコ・ロペスと申します。初めてお会いするかと思うのですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 父が改めて挨拶すると、それにはトビトも姿勢を正した。


「お初にお目にかかります、四侯アドワルドフ。私は、トビト・イスラフィールと申します。今まで長くケストで生活しておりましたため、ラファエル様のご生誕祭に参加するのは初めてになります故、振舞い方等ご教授頂けたらと思います」


 父は意外そうに口を開き、珍しく興奮した様子でトビトに握手を求めた。トビトも気軽に握手をする。


「これはこれは、あの、イスラフィール家のご当主で! 噂は常々聴いております。お会いできて光栄です」

「あはは、そんなこと言って頂ける人間じゃないですよ、僕は」


 トビトは自身を指差して笑った。


「こんなんなので、あまり気を使わないでください。僕は気を使うのは苦手なので、おあいこという風にして頂けると助かります」


 父は僅かに悩むと、一つ頷いた。


「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」


 父も二人に倣って城の壁にもたれ掛かった。片手に持っていたグラスワインを一口含む。

 ライトは先ほどの父の興奮具合を不思議に思った。先ほどから話している感じだと、妙に鋭いと思うところもあるが、それだけで大して凄そうな人には見えなかった。イスラフィールという名前自体、あまり有名な部類には入らない。


「トビトって、実は凄い人なの?」


 本人ではなく、父に問い掛けると、

「なんで僕に直接訊いてくれないのさ」

とトビトがおどけながら拗ねた。無視して父の顔を覗く。父は薄く笑うだけで答えてくれそうになかった。仕方がなく、トビト本人に問い掛ける。


ケストで何をしてるの?」

「んー、色々しているかなぁ。基本はバグ退治で、空いた時間に魔具の開発とか、新しい魔法の探究とか、スカウトとか」

「え、バグ退治してるの?」

「うん」


 驚きを隠せずにいるライトの質問に、事もなげにトビトは頷いた。父が付け足して説明をしてくれる。


「イスラフィール家は歴代、ケストバグ退治をすることを生業としているんだよ」

「そんな貴族もいたの? 初めて聞いたわ」

「あまり有名じゃないからね」


 トビトは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「前線で闘ってるの?」

「うん」

「怖くないの?」

「昔は怖かったけど、もう慣れたかな。それに怖がっていたら食べられちゃうし」


 トビトはライトの瞳を覗きこみながら、悪戯っぽく笑った。


「君はバグを見たことがあるの? ずっとトエル国にいるのに?」

「――」


 意外な問い掛けに、心臓が跳ねた。

 そういう風に思わせる言葉は、一つも口にしていないはずだ。寧ろ月並みな会話しかしていないはずである。

 嫌な汗が一筋、背骨の窪みを流れていく。

 父が、自分がどう対応するか窺っているのが気配で分かった。


「さっきのことといい、なんで話がそう飛躍するの?」

「質問に答えていないよ」


 トビトは更に笑みを深くする。


 ――め……面倒くせえなこいつ……。


 内心毒づきながら、どう答えようかと思った矢先、

「ドラコさん、こんにちは」

と、父が柔らかい声の男性に声を掛けられた。振りかえると、声とは裏腹に糸目で凛々しい顔をした東洋人がいた。東洋人の割には堀が深く、不思議と銀髪の髪が似合っているせいか、あまり老けて見えない。


「ツカサ! 仕事以外で会うのも久しぶりだね」

「これも仕事みたいなものですけどね」

「確かに、それもそうだ」


 父は笑って頷いた後、軽く姿勢を正してトビトに振り向いた。


「彼は四侯アドワルドフの一人、ツカサ・サクラバです」

「初めまして、トビト・イスラフィールです」

「え! これはこれは、噂は常々聴いております……!」


 ツカサも父と同様に興奮していた。トビトは再び照れ臭そうに頭を掻く。


「こういう珍しい反応をされると、照れますね。サクラバさんも四侯アドワルドフなんですね」

「ツカサで構いませんよ。ほとんどドラコさんの部下ですけどね」

「またまた、ツカサはすぐそうやって逃げようとする」

「逃げてないですよ。本当のことを言ったまでです」

「君はそうやって上手い具合に、面倒臭い仕事を僕にさせるんだ」

「ドラコさんには、本当に頭が上がりませんよ」


 ツカサが軽く腰を屈めて視線をライトに合わせる。


「ライトちゃん久しぶり、大きくなったね」


 ライトはお嬢様らしく、ドレスの端を摘まんでお辞儀をしてみせた。


「お久しぶりです。ツカサ小父さま。小父さまは相変わらず、年齢詐称が簡単にできそうな程若くみえますね」

「まだ二十代でもいけそうだ」

「酷いなぁ、これでも小皺ができてきてちょっと落ち込んでるんですよ」

「ツカサさんはおいくつなんですか?」

「今年で三十八です」

「全然そう見えないですね……」

「これだから東洋人は厄介なんだ」


 父は業とらしく溜息をついてみせた。


「今日は歌川兄妹も連れてきてくれたそうだね」

「連れてきたといいますか、二人は直接招待されていますしね」

「しかしながら、ついでに天使の歌声と天才ピアニストの演奏が聴けるなんて幸運だよ」

「そうかもしれませんね」


 一つ笑った後、ふいにツカサが真面目な表情になる。


「イスラフィール家から見ても、今後蟲バグの発生は増える一方なのでしょうか?」


 急なツカサの質問に、トビトは頭を切り替えるように顔を顰めた。


「んー、増え続けると思いますよ。それはトエル国が創造されたころから変わらない事実です」

「時空のワームホールを開かないようにする手立てなどは、まだ研究されているのですか?」

「一応してはいますが、結果はあげられそうにないですねえ……」


 二人の会話を聴いて、ライトはそんな話が存在していたことに感心した。


 ――ケストでは今、バグの発生件数が指数関数で増え続けている……。


 ツカサはトビトの話を聞いて、少なからず肩を落としていた。


「そうですか、やはりそこの解決は難しいですか……」

「なら、ケストもトエル国みたいにしたらダメなの?」

「それはとてもいい案なのだけど、実現が難しいんだ」

「なんで?」


 トビトの言葉にライトは素直に首を傾げた。


「んー、大ざっぱに言うと、魔力が足りないから」

「トエル国にいる魔法使い全員分でも足りないの?」

「全員分の魔力があれば足りるけど、今度は創る過程に難がありすぎる。それに空間を保つための魔力の供給源は? っていう問題もある」

「あー」


 なるほど、とライトは頷いた。


「でも、これ以上蟲バグが増え続けたら、ケストは大丈夫なのかしら?」


 ツカサが顔を顰める。


「まだしばらくは大丈夫だろうけど、百年後も大丈夫かと訊かれると怪しいな……」

「なんでバグが増えているのかしら?」


 ライトが首を傾げると、父が笑った。


「それが分かっていたら、皆困ってないよ」

「それもそうね……」


 ――『あっち』もバグの出現数が増え続けてる、って大婆様が言ってたな……。


「一説によると、この世界を構成する力が弱っていると言われているよ」


 トビトがさらりと言った。


「構成する力ってどんな? 魔力じゃなくて?」

「魔力に近いけど、また違う力じゃないかな?」


 僕も詳しくは分からないよ、とトビトは小さく手を上げた。


「とりあえず、ケストのさらに外の世界が大きく関係しているのだろうけど、まあ時空が違うから調べようがないんだよね」

「トビトさんって意外と博識なのね」


 トビトの説明にライトが素直に感想を述べると、トビトはバツが悪そうに笑った。


ケストバグ退治を生業にしていると、どうしてもその辺の知識は増えてくるんだ。それに一応当主だしね」

「ライトちゃんはバグに興味があるの?」


 少し意外そうに、しかしどことなく面白そうにツカサがライトに問い掛ける。ライトは少しバツが悪そうに顔を顰めた。


「あると言えばありますけど……」


 ライトの言葉に再びトビトが食いつく。


「へえ、面白いね。なら今度僕と一緒にバグ退治に行くかい?」

「娘はまだ見習い(サートン)の身分ですから、ケストに連れ出すのは勘弁して頂きたく……」

「えー、ダメですか?」


 嫌々と首を振る父をツカサも擁護する。


「結局十八歳になったら、嫌でも一年間外ケストに滞在しないといけませんしね。父親的にはできるだけ娘をケストに行かせたくないでしょう」

「本人は行きたそうですよ?」

「え?」


 別にそういった表情はしていなかったはずなのに、トビトにそう告げ口されてライトは顔を引き攣らせた。


「そもそも十五歳未満の見習いはケストに行かせないように、という法律ですよ」

四侯アドワルドフとゴールドル一族の力を使えば、そんなこと関係ないでしょ?」


 ヘラヘラと軽薄に笑う青年は、冗談で言っているのか、本気で言っているのか分からない。ツカサも父もトビトの発言に驚き、目を瞬かせる。やがて父がコホンと咳払いをした。


「とにかく、四侯アドワルドフとしても、父としても、そんなことは許しません」

「トビトさん、冗談でもそんなことは言ってはいけません」

「釣れないなぁ……。君も行きたかったでしょ、残念だね」


 トビトの発言に、ライトは更に顔を引き攣らせる。


「私、行きたいなんて一言も言ってないですが?」

「無駄無駄。顔に行きたいって書いてあるよ」

「――」


 言い返そうとして、思い止まる。


 ――危ない危ない、余分なことまで言うところだった。本当にこの人は……。


 トビトの顔を下から見る形で睨むと、目が合った。ニヤニヤと悪戯っぽく笑っているのが、腹に立った。


 ――あ。


 嫌な物が目に入った。短い髪を金色に染めた頭が、こちらに向かってきている。途中で呼びとめられては、その場に留まればいいのに何故か断って進んでくる。トビトがライトの視線に気がついたのか、ライトと同じ方向に目を向けまた軽薄そうに笑う。


「おやおや」


 呟いて、再びライトの顔を見る。


「異性があんなに積極的に来てくれているのに、その顔は酷いね」


 父とツカサも気がついた。


「第二王子がいらっしゃったということは、もうそろそろということですね」

「そうだな」

「ドラコさん、トビトさん、少しあちらでお話宜しいです?」


 ツカサのその言葉に、ライトは思わず大きく振り向いた。素早くツカサの服の裾を掴み、大きく首を横に振る。

 その仕草を見てツカサは困ったように微笑んだ。


 ライトはツカサがライトと第二王子に気を遣っての行動だということを、よく理解していた。しかし、第二王子の気持ちはどうであれ、ライトにとっては十分にいい迷惑であることは間違いなかった。そしてこのことに関しては、最後に一緒に参加したパーティで説明したことでもあった。


「将来的には、今のうち親密になっていた方がいいかもしれないよ?」


 その言葉にもライトは大きく首を横に振った。


「後悔しません。今が大事です。今、嫌なんです。変に気を遣わないでください」


 ツカサが父に目配せをする。父は苦笑いしながら肩を竦めた。トビトは面白そうにニヤニヤ笑っていた。

 そうこうしている間に、第二王子、ウリエル・ゴールドルが目の前にずかずかとやってきた。少し離れた後方で、ウリエルの付き人のマリアがウリエルを見守っているのが見える。父やツカサが最敬礼の姿勢をとる。


「御機嫌よう、ウリエル様」


 父らの挨拶をウリエルは手で制す。ウリエルと目が合った。濁った金色の目が挨拶しろと言っているのがライトには分かった。少し遠巻きで多くの貴族が自分達に注目している。仕方なく、簡単に挨拶をする。


「ご機嫌麗しゅう、ウリエルさま」


 満足気にウリエルは一つ頷く。


「久しぶりだな、ライト」


 掛けられた声は、年齢より幾分か高く感じる声だった。


「ドラコ、ツカサ、向こうでルドルフが探していたぞ」

「ご報告ありがとうございます」


 言って父とツカサはウリエルに一礼して去っていく。嘘の確率が九十パーセント程だったが、言われてしまえば行って確かめるしかない。ツカサが「ごめんね」と小さく謝っていった。

 二人を見送り、ウリエルは再びライトに振り向く。とそこに、全て片づけたと思っていた人影がまだ残っていた。さらに、顔を見ると、ウリエルには心当たりがなかった人物らしく、不機嫌そうに顔を歪めた。


「オジサン、誰?」


 自分に発せられた言葉に対し、トビトは盛大に息を噴き出した。心底愉快そうに笑う。笑うトビトとは正反対に、ウリエルの顔はさらに不機嫌なものになった。


「不敬だぞ」

「あー、これはこれは、ウリエル様、申し訳ありません」


 トビトは全く申し訳なさそうに謝る。


「自分より七つ程度かな? 年上の人間に対し『オジサン』と言うネタがあまりにも古典的すぎて、笑いを耐えられませんでした」

「な……」


 トビトの言い様にウリエルは顔を真っ赤に染め上げる。そんなウリエルの様子を気にも留めず、トビトは更に言葉を付け加える。


「そのネタは、あまり使わない方が良いよ」

「お前――」

「それよりさ、僕はオージさまに初めてお会いするから知らなかったんだけど、オージさまは『金色の魔法使い(レナルド・ルルージュ)』だったの?」


 ウリエルの怒りもお構いなしに、トビトは自分の気になることをライトに質問する。


「そうよ」


 ライトの言葉に「へぇ」と頷きトビトは品定めするようにウリエルを観察し、一人で勝手に深く頷き始める。


「それが本当なら、凄いな。魔力を全く感じない」

「封印してるんですって」

「へぇ、どうやって?」

「待て待て、俺が目の前にいるのに、何故俺に直接訊かない?」

「え? 機嫌が悪そうだから」


 自分が悪くさせておいて、トビトは「何を今更?」という風に首を傾げる。


「お前はつくづく、不敬だな。名前は?」

「トビト・イスラフィール。それより、なんで?」


 遠回しの脅しも全く気にせず、自分の疑問を解決しようとするトビトに、ライトは感嘆を覚えた。


 ――この人、色んな意味で凄いかもしれない……。


バグの魔力に対する嗅覚は鋭すぎる。いくら僕達が認識できない段階まで魔力を封印してトエル国内にいるとしても、金色の魔法使い(レナルド・ルルージュ)程の魔力なら、バグに察知されてもおかしくないはずだ。

 しかし、ここ数年トエル国内にバグが出たという噂も聞いていないし、オージさまがここ数年、ケストに出たという知らせも聞いていない。

 なんで?」


 トビトの問いかけに、ウリエルは不敵に笑んだ。


「秘宝だ」


 そう言ってから、ウリエルは首元から首飾りを取り出した。白銀のチェーンの先に、深い金色をした石がついている。

 誰も訊いてもいないのに、ウリエルは勝手に説明を始める。


「これは、かの有名なこの世界の創造主がその身に着けていといわれる装飾具の一つ、『秘宝・女神の首飾り』だ」


 トビトは心底愉快そうに笑んだ。


「つまり、オージさまはその首飾りで自分の魔力を無効化しているってことだね」

「そういうことだ」


 ウリエルは自信満々に頷いた。

 この世界には、この世界を創造した女神が身に着けていた装飾具が六種類あると言われている。装飾具それぞれに再現することができない魔具としての特徴があり、ウリエルが身につけている首飾りは『魔力の無効化』の効力があると言われていた。


「へえ、少し触ってみていいかい?」


 トビトが石に手を伸ばそうとすると、ウリエルは素早く石を引いた。


「馬鹿者! 信用もできない物に誰が触らせるか」

「えー、いいじゃないか。僕、それいらないし、わざわざ奪う必要もないもん」

「信用できるか!」


 そう怒鳴りつけると、ウリエルはそそくさと首飾りを自分の服の中に戻してしまった。


「生まれた時からずっとそれを着けているの?」

「当たり前だ。そうしなければ、トエル国にもバグが溢れてしまう」

「じゃあ、自分の魔力で魔法を一回も遣ったことがないんだ?」


 トビトの問いかけにウリエルは僅かに押し黙ると、ややあってから頷いた。


「つまりは、そうなるな」

「あはは、君達二人は本当に面白いね!」

「なんで私まで含まれるの?」


 突然笑い出したトビトに、ライトは鋭くツッコむ。


「だって――」


 トビトが話そうとした瞬間、会場が目映い金色の光に包まれた。会場がざわめく。

 ライトは反射的に光源を振り仰いだ。頭上高くに空からそびえ生える、トエル国の太陽であり月であり、象徴である、『中心木ケイム・モーズ』が、二本現れたように思える程、強く光り輝いていた。


「あ――」


 しばらくすると、その光の中心に黒い影が見え始めた。小さな影はやがて大きくなり、数人の人の影を成した。光を纏った人が降りてくる姿は、人々に神の降臨を連想させた。

 会場の人々が唖然とその人影を見上げる中、ゆっくりと光を纏った人物が会場の舞台に降り立った。一人は青年で、彼以外の四名は女性だった。青年以外は皆揃って純白の布で顔を覆っている。四名の女性内、三名は背筋がしっかりとしているが、一人は曲尺のように腰を曲げている。そして曲げた腰に、長く延ばされた金色の髪が乗せられていた。その老婆以外は、皆透き通るような銀色の髪をしていた。そして皆飾り物の様に美しく磨かれた金色の腕輪をしていた。

 顔を出している青年――ラファエル王子が、金髪の老婆を恭しくエスコートする様を見て、会場から拍手が上がった。


 ライトはその様子をバツが悪そうに眺めていた。


「ようこそお越し下さいました」


 舞台に醜い体型に豪華な衣装を着せた男が上った。老婆の隣に立つ身長の高い女性が男に振り向き、頷く。


「本日は、私の成人となる誕生祭にお越しくださり、誠にありがとうございます」


 青年が老婆の手の甲に口づけをする。

 ライトはその光景を見て、吐き気を催した。色んな意味で気分が悪かった。


「始祖様にご来場頂き、至福の極みでございます」

「へえ、シソさまって、どんなヒトなの?」


 明瞭な、それでいて軽薄なトビトの声がライトの耳を突き抜けた。ライトは思わず目を瞬かせてトビトを見上げた。今、会場内で言葉をまともに発しているのは、舞台の上にいる者だけだったのだ。それなのに、普段通りの音量で声を発するなんて通常の感覚の持ち主ならできない。


「ねえ、どんなヒト?」


 トビトはライトに答えをせがむように、言葉を重ねる。

 どれだけ人に注目されたのか、あのラファエル王子まで声が届いていないか周囲を窺うと、不思議と誰もトビトに対して視線を向けてはいなかった。それどころか、隣にいる筈のウリエルまでトビトの発言を気に留めていない様である。

 不思議に思いながらも、ライトは声を潜めて返す。


「貴方、こんな時に喋ろうなんて、いったい何を考えてるの?」

「大丈夫大丈夫、皆気にしないから」


 平然と普段の声で話しかけてくるトビトにライトは顔を顰める。改めて周囲を確認してみたが、トビトの言うように誰も二人の会話を気にしてはいないようだった。


 ――魔法? それにしては魔力を感じない……。


 『隠密魔法ナッカーン』という言葉が脳裏を過るが、ライトは小さく頭を振ってその考えを打ち消した。隠密魔法は、通常魔法では感知されてしまう魔法使用時の魔力を完全に消してしまう魔法の種類であるが、その分魔力の消費が激しい。トビトの様な銅髪の魔法使い(レクト・ルルージュ)では使えない魔法であるはずだ。


 ――それなら魔具?


 それにもライトは首を振る。一定の効能を発揮させる魔法を仕込んだ道具といえど、自分より上位の魔法使いには効かないはずだ。この会場には恐らくトビトより上位の魔法使いは何十人もいる。その彼らにまで魔法が適用されているのは不自然だ。


「それで、シソさまはどんなヒト?」


 ライトはトビトの声で我に返った。トビトの声ばかりが近くに聞こえ、舞台の声がやたらと遠くに聞こえる気がした。


「始祖様は最古の魔法使いで、少なくとも十三世紀生きている、『創造主』に最も近いお方と言われているわ……」

「へぇ、他には?」

「初代ゴールドル家当主、クリスファー・ゴールドルと、ラファエル・サン・レナードの三人でこのトエル国を創ったと伝えられているわ」

「ラファエル・サン・レナード?」


 トビトが僅かに顔を顰めた。


「始祖様と同じ金色の魔法使い(レナルド・ルルージュ)で、今の魔法教育の基盤を作った人だそうよ」

「あぁ、『ラファエルの教典』か……あれ、まだ使われているんだ」


 トビトが頭を掻く。ライトが目を瞬かせたのを見て、トビトは微笑んだ。


「僕が魔法学校に通っている時も使っていたのだけど……やっぱり数百年使っていたらそうそう変わらないか」

「そうね、あれ以上の教典はないって言われているもの」

「……それで、シソさまはいつもゴールドル家当主の誕生パーティに来るの?」

「いいえ、滅多にいらっしゃらないわ。普段は今、始祖様の周りにいる『末裔』のうちの誰かしか来ない」

「ずいぶん立派な人なんだね」

「そうね」


 ライトは淡々と頷く。


「シソさま達は、さっき『空』からやってきたけど、『空』に住んでいるの?」

「そう言われているわ。実際、今トエル国に暮らしている人は、空からやってくるところしか見たことがないそうよ」

「君も?」


 トビトと目が合った。ライトは自分の心が読まれている様な錯覚に陥る。


「当たり前じゃない」


 ライトの突っ放した言い方にトビトは少し笑んでから、今度は舞台上の人々を指差した。


「そういえばさ、なんでシソさま達は顔を隠しているの?」

「……さぁ?」

「知らないの?」


 ライトが「うん」と頷くと、トビトが「うーん」と悩んだ。


「なら、どうして顔を隠していると思う?」

「私の考え?」

「そうだね。君の考えが知りたい」


 今度はライトが「うーん」と悩んだ。


「……顔が中心木ケイム・モーズみたいに光っているから、皆が眩しくないように?」

「それなら、布の隙間から光が漏れているんじゃない?」

「じゃあ、目」

「それも一緒でしょ」

「口を開けると光線がでちゃう」

「なるほど、だからさっきからずっと喋らないんだね。でも、それなら口元だけでいいよね? 物理的な理由以外の可能性とかは?」

「んー、格の違いを見せつけたいから?」

「有り得るね。だとしたら喋らないのも納得だね」

「でも始祖様以外は、喋ってるところを見たことあるわ」

「え、そうだったの?」


 トビトが頭を掻いた。その前で末裔の中で一番背の高い女性が、儀式的な言葉を荘厳に唱えていた。


「本当だ」


 トビトが僅かに息を噴き出した。


「貴方はどう思うの?」

「僕? 僕はねぇ……」


 トビトは勿体ぶったように間を開けてから、口を開いた。


「自分が誰だか知られたくないからかな」


 ライトはトビトの言葉に思うところがあったが、それは表情に出さないように意識した。


「どういうこと?」

「あんなに目立っちゃっていたら、ちょっとした所用で買い物するのもきっと苦労するでしょ? だからこういう時は顔を隠して役目を果たしつつ、普段は自分の顔を出して同一人物だって分からないようにさせる――みたいな感じかな」

「じゃあ、いつも同じ人がやってなくても分からないってこと?」

「そうじゃないかな。現にこの会場の殆どの人は、今来ている人が毎回来ている人なのか、初めて来ている人なのか分かっていないんじゃないかな?」


 トビトの言葉にライトは深く頷いた。確かにそうなのだろう。あの見た目だけで認識するのはかなり無理があるはずだ。


 ――でも。


「たぶん、さっき前に出て喋っていた人は、結構な人が認識してると思うわ」

「へぇ、なんで?」

「儀式的なことは大体あの人がするもの」

「そうなんだ。末裔の中でもやっぱり立場とかあるのかな」

「そうじゃないかしら」


 気がつくと始祖様を始め、末裔の人々が舞台に用意された椅子に腰を下ろしていた。ラファエル王子が舞台の中心に一人で立ち、姿勢を正すとラッパの音が会場に響いた。


「それでは、私の成人を祝して、幸運なる私の婚約者を発表しよう!」


 まるで抽選の発表会の様に、悪趣味な効果音が会場に響く。会場にいる全ての人々が舞台に意識を傾けているのが分かった。

 たっぷり間を取った後、ラファエル王子が口を開く。


「現、『最強の魔法使い(セシル・ルルージュ)』であり、金色の魔法使い(レナルド・ルルージュ)である、ルーメン・ステルラ!」


 会場がどよめいた。予想通りだと納得する者も多かったが、選ばれなかったことに対し泣いている女性もそれなりにいた。ライトはそんな女性を横目に、面倒くさそうに首元を掻く。


「選ばれなかったね」

「そうね」


 隣を見た。金髪の頭が何かを探す様に周囲を窺っていた。


「どうしたの?」

「――いな」

「我が愛しの花嫁! 前に!」


 見ると舞台上のラファエルも周囲を窺っている。心なしか焦っているようだ。その様子を見て、ライトは妙に納得した。


 ――ああ、そうか。


「ルーメンは今日、来ていないのか?」


 ラファエルが今度こそ焦って舞台横に声を投げる。


「も……申し訳ありません。ご来場は確認できておりません……」


 若い男の召使が自分のせいではないのに、心底申し訳なさそうに声を上げた。


「なんだと!」


 横からラファエルの父――現ゴールドル家当主であるミカエル・ゴールドルが召使の胸倉を掴みあげる。


「迎えに行けと命令したではないか!」

「すでに、ご自宅にはいらっしゃらなかったと、申し伝えましたが……」

「探しに行かなかったのか?」

「お探しいたしましたが、この短い時間では、お見つけすることは、できませんでした。そもそも、ルーメン様は、最強の魔法使い、私共の様な下級の魔法使いでは、見つけることなど、到底……」

「これでは、花嫁が逃げ出したようではないか!」


 震えながら訴える召使を国王は横に投げ飛ばした。小さな悲鳴と共に召使がテーブルにぶつかり、高価な食器類までも無残に壊れてしまった。


 ――した『よう』じゃなくて、実際そうだろ。


 会場が俄かに騒がしくなる。周囲があることないこと噂する中、ライトがトビトを見上げると、トビトは心底面白そうに笑んでいた。目が合う。トビトが口を開く。


「――」

「お待ちなさい!」


 会場に凛とした声が響いた。自尊心の高さを顔面に押し出したような女性が、舞台に強い足取りで上がる。


「花嫁は誘拐されたのです!」


 そう言って、彼女――ラファエルの母・エダニは衛兵と一人のみすぼらしい服を着た男性を舞台にあげた。男性は顔面が蒼白で、服以上にみすぼらしい顔になっていた。


「お話しなさい」

「わ、私は今朝、だだだ第二王子、ウリエル・ゴールドル様が、るる、ルーメン様をゆうきゃいしたところを、みみみみましたっ!」

「え――」


 視線がウリエルに集中する。ウリエルは振り子人形のように、忙しなく首を横に振り続けた。首が横に一往復するごとに、顔色が悪くなっていく。


「私はそんなことしておりません!」


 ウリエルの声は、張り詰めた釣り糸の様だった。


「お黙り! 証人がここにいるのよ!」

「お母様、私の言葉を信じてくださらないのですか?」

「ならば証拠をお見せなさい!」

「お母様――」


 今にも消えてしまいそうな声で、ウリエルは呟く。


「結局、私より見ず知らずの人間の言うことを信じるのですね……」


 ライトは自身に充ち溢れた、我儘なウリエルの姿しか見たことがなかったため、この時のウリエルの陽炎の様な姿を意外に思った。


 ――あ。


 衛兵が近づいてくるのが視界に入った。


 ――逃げないと。


 普段は嫌っているはずなのに、そんな姿を見てしまうと、何故だか助けなければいけない気がした。俯くウリエルの手を握り走り出そうとした矢先、誰かがライトの腕を掴んだ。掴んだ者をキッと睨む。トビトが悪戯っぽく笑んでいた。


「なに――」

「ねえ、こんな時にバグが出るとしたら、アリだと思う?」

「意味が分からない! 邪魔しないで!」


 他人事のように振舞うトビトに、ライトは無性に腹が立った。しかし睨んだその先にある目は思いの外真面目で、ライトは面喰ってしまう。


「アリかな?」

「さあ、有りなんじゃないの? そっちの方が、逃げるのに助かる!」


 放して! と言おうとした途端、トビトはライトの腕を解放した。


「そうか、アリか!」


 更に「逃げていいよ」と言わんばかりに、今度はライトの背中を優しく押す。


「ウリエルこっち!」

「逃げるぞ! 追え!」


 ライトがウリエルの手を引いて走り始めると、慌てたように衛兵も走り始めた。走る気力もなく、ただ引っ張られるがままになっているウリエルが重い枷になっている。人がいない出口に向かって走っているが、このままでは、捕まってしまうのも時間の問題だ。


「陽炎の踊り(サッカト・クロース)」


 ライトが唱えた途端、衛兵の動きが止まった。目標物を見失った様に、一様に辺りを窺っている。しかし、ごく一部の銀髪の魔法使い(ティルガ・ルルージュ)が動き始めていた。ライトは振り向いてウリエルの額に指を当てる。


月兎アブ・ゲスティン


 呪文と共にウリエルの身体が宙に浮いた。


「え? え?」


 我に返ったウリエルが宙で悶えるのも構わずにライトは呪文を続けようとしたが、目前に人が立ちふさがった。


解除ケストルブーア


 ウリエルの身体が芝生に落ちる。何とも情けない声が、ライトの足元から聞こえた。


 ――指輪のせいか!


 ライトは小さく舌打ちをする。魔法使いが身につけなければいけない指輪には、一般的に所有者に対する有害な魔法を軽減する効果があった。そのせいでライトの魔法が効かなかった者が、予想より少し多かった。

 立ちふさがる銀髪の男性には見覚えがあったが名前までは覚えていなかった。ゴールドル家に仕えていることだけは把握していた。男と目が合う。


「君は――」

強風ベガンティック!」


 突如、男が真横に吹き飛んだ。


「王子、逃げてください!」

「マリア!」


 一人の老婆が血の気を変えて、ウリエルに向かって走ってきていた。どうやらウリエルの召使、マリアにも魔法は効かなかったようだ。マリアは向かってくる魔法使いを何度も蹴散らす。そのお陰でライトに余裕ができた。


月兎アブ・ゲスティン!」


 再びウリエルに浮遊の魔法をかける。ウリエルは泳ぐようにして抵抗する。


「ちょっと待ってくれ、マリアが――」

捕縛カルティスク

「おっと!」


 足元に飛んできた光弾を、ライトは軽く跳躍することで避けた。


「ごめん、待ってられない!」


 ライトは宙を浮くウリエルの手を引いた。何の抵抗もなくウリエルは宙を移動する。軽く走り始めた所で、急にウリエルが抵抗を始めた。


「ライト! ライト!」

「何、暴れないで!」

「会場! 舞台!」


 後方、少し遠い所で悲鳴が聞こえた気がした。


「何?」


 苛々を隠さないまま後方を振り向く。振り向き、ライトは息を呑んだ。


「時空のワームホール!」


 会場の目に見える範囲に少なくとも四ヶ所、異様な『歪み』ができていた。複数の絵の具をなだらかに混ぜ合わせたような景色の歪みは、やがてその混沌を深めていき、限りなく黒に近い色なった。黒色になった瞬間、元の景色に戻り、その一瞬後、景色に亀裂が入った。ピキピキとか細い音を携えて景色に罅が入っていく。


「あぁ――」


 隣でウリエルが呆然とその光景に魅入っているのがわかった。


「――来る」


 ライトの言葉と同時に、景色が割れた。一つ目の穴が開くと同時に、連鎖して残りの罅も星屑が割れる様な音を携えて割れていった。

 四回以上割れる音がしたことから、ライトは目の前の分だけが今回できた時空のワームホールの全てではないことを悟る。


 割れた穴の先には漆黒の闇が広がっていた。そこから赤黒い闇が一つぬっと顔を出す。何故か最初の一匹が現れた時だけ、スローモーションのように感じたが、二匹目以降の出現の速度は異様に早く感じた。


 ――『蟻』かよ!


 ライトは素早く身を翻した。翻す瞬間、女性が大人の背丈ほどある『蟻』に襲われているのを見たことはなかったことにした。

 宙を浮くウリエルの腕を引き、素早く駆けだす。


「俊敏なる逃亡者ラジオ・キャンテス


 ライトの走る速度が増した。突風の様に蟻や人の間をすり抜ける。


「待ってくれ! マリアが!」

「待て、逃げるなっ!」


 バグが出現しても尚、ウリエルに追いすがろうとする誰かの声が聞こえた気がした。ライトは全ての声を無視して、城から逃げ出た。


 ライトは三十分以上、自動車と同程度の速さで走り続けた。途中、裏路地の一角にウリエルの指輪を棄てた。ウリエルは喚いていたが無視した。血の味が口の中に広がっていることがどうしても不快で、目的の場所――ドラコ・ロペスの自宅に到着するなり、オレンジジュースを一パック一気に飲み干してしまった。

 ルーナは、そんなライトを温かく迎えた。


「放映機で観ていたわ、大変なことになったわねえ」

「もう、本当に勘弁してほしいわ……」

「ライト、今すぐ俺を解放しろ! バグが……!」


 宙に浮かせたままのウリエルが暴れる。ライトは軽く溜息をついた。


「少し黙ってて」


 ライトはウリエルの額に手刀を入れた。と同時に浮遊の魔法も解く。ウリエルはそれなりの勢いで床に叩きつけられた。「ぐぇ」と情けない声を上げてから、床を転げ回る。どうやら顎を打ったらしかった。


「別にライトが助けてあげる必要もなかったのじゃないかしら?」

「――」


 ライトは彼女の問いかけに答えようと口を開き、しかし言葉は発さなかった。


 ――あんな表情見ちゃったら、助けるしかないよ……。


「そういえばルーナお母様、お城はどうなったか知ってる?」

「途中で放映機の映像も途切れてしまったから、分からないわ……」

「そう……。私達が逃げるところも映ってた?」


 僅かに心配そうな顔をするライトに、ルーナは優しく微笑んだ。


「あなたの姿は一度も映っていないわよ」

「よかった。ありがとう」


 ガタガタと床を鳴らしながら、ウリエルが立ちあがる。ドアに向かっていた。


「停まれ(ケスィード)」


 ライトが指し示した指先から光の弾が飛び出し、ウリエルに当たる。ウリエルの身体が母親に叱られた子供の様に硬直した。


「馬鹿じゃないの? 城に戻ったところでどうなるの? 魔法が使えない貴方は足手まといなうえに、捕まるだけだわ」

「……でも」

「女々しい! 今の貴方はこそこそ逃げるしかないの。本当のことを言ったところで、誰も信じてくれはしない」

「……お前は信じてくれるのか?」

「――っ」


 背中越しのウリエルの言葉に、ライトは息を呑んだ。


「貴方の想像に任せるわ!」

「分かった。じゃあ、お前が私を信じているということを信じる」


 ウリエルの透き通った言葉に、思わずドキリとする。ライトはそんな自分を否定するように小さく首を横に振った。


「もう家から出ようとしないから、この魔法を解いてくれないか?」

「――分かった。進め(サナルカナル)」


 再び光弾が発射され、ウリエルの身体に当たる。当たると同時にウリエルはライトに振り向いた。


「すまない、礼を言う」


 ウリエルはゆっくりを瞼を閉じた。ライトは久しく直視していなかったウリエルの顔を見る。ウリエルの顔立ちはまだ成長期を迎えていないためか、中性的だった。それなりの格好をさせてしまえば、一般的な女性よりも顔立ちは整っているかもしれない。

 ウリエルが瞼を開く。鼻筋は父親のミカエル王に似ているが、目元はミカエル王にもエダニ王女にも似ていない気がした。二人よりももっと美しい瞳をしている。ふとウリエルが恥ずかしそうに顔を逸らした。頬は薄紅色に染まっている。


「そんなに見るな……」

「あ、ごめん」


 ライトは長い間ウリエルの顔を凝視していたことに気がついた。


「それで、これから俺はどうするべきだ?」

「ここに居てもいずれ見つかってしまうでしょうし、とりあえず、トエル国から逃げなきゃね」

「とりあえずトエル国から出るって、一番無理な話じゃないか。トエル国の入出国は中心木ケイム・モーズ四侯アドワルドフを中心とする魔法協会によって厳密に管理されている」

「そうね」


 ライトは中指にはめられた指輪を外し床に放り投げた。瞬時にそれが人型に変わる。


「え……、君がもう一人……? え?」

「私の指輪は特別仕様に改造しているの」


 指輪をはめたもう一人の『ライト』が、悪戯っぽく笑いながらスカートの裾を軽く摘まんでウリエルに会釈した。


「宜しくね」


 『ライト』は言葉もなく頷く。


「ルーナお母様、騒がしくしてしまってごめんなさい。もうあちらに帰りますわ」

「いつも静かなくらいだから、楽しかったわ。ありがとう。ソルさんに宜しく伝えて」

「分かった」


 頷き、ライトはルーナに手を振った。


 ライトは驚きを引き摺ったままのウリエルの腕を無理矢理引っ張り、二階へ上がった。そのまま迷わず寝室に入るライトにウリエルは戸惑ったが、ライトはウリエルに何かを言わせる暇すら与えない。寝室は貴族階級である四侯アドワルドフのものとは思えない程簡素だった。ライトは寝室にある大きな鏡の前で立ち止まり、ウリエルに振り返る。


「いい、これから起こることは他言無用――正確には、『誰にも話せない』ことになるわ。心して」

「ライト、お前は何をしようとしているんだ……?」


 ウリエルの困惑を隠せない声に、ライトは自信満々に答えた。


「もちろん、亡命よ」

「亡命って、ここはお前の両親の寝室じゃないのか?」


 ライトは悪戯っぽく笑いながらウリエルの手を引いた。そのまま鏡に向かって歩みを進める。


「ライト?」


 このままでは鏡にぶつかると思った瞬間、ライトの身体が水に入る様に鏡の中にすべり込んだ。鏡の表面が、波打つ水面の様に揺れている。


 ――なんだ、これは?


 思いの外強い力に引っ張られ、ウリエルの身体も鏡の中に入り込んでいった。

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