6
白い宇宙戦闘機が、黒い宇宙をただひたすらに駆ける。
周囲に漂う細かな塵に構うことなく、ギリーズはモニターのレーダーマップを注視する。パチャカマックを後にしてから、十五分が経っている。まだそう遠くへは行っていないはずだ。そう己に言い聞かせながら、彼はポセイドンを走らせた。燃料の残りも限られているため、なおさら急がなくてはならない。
――そういえばおれは、どうしてアスカを追いかけているんだ?
ギリーズはふと、そう思った。自分自身も危ない今の状況下で、昨日会ったばかりの少女を助け出そうとする理由はない。それは彼自身も十分自覚していた。
ただ、そんな中でも自分自身を駆り立てるのはいったい何なのか。ギリーズはふう、と深く息を吐いて考える。利用価値があるから、女としての魅力を感じたから――そのどちらも、彼にとってはまるで見当違いだった。唯一、絶対に失ってはいけないという強い気持ちだけが、ギリーズの中で湧き上がる。そんな気持ちを抱いたきっかけは何だったのか。それを考えようとした瞬間、彼の頭の中に白い霧が立ち込めた。
「ええい、考えても分からねーことをいちいち考えるのは、ガラじゃねえ」
ギリーズは言いながら、左手で頭をがりがりと掻いた。そして、操縦桿を強く握り締める。パチャカマックから相当の距離を進んだが、キャロラとアスカの乗った赤い宇宙戦闘機の姿はどこにも見えない。レーダーマップにもそれらしき姿は映されておらず、ギリーズは深く溜息を吐いた。
一度パチャカマックへ戻るか。燃料の残量を確認したギリーズは、心の内でそう呟く。そして、操縦桿を傾け、パチャカマックへとUターンしようとしたその時、ポセイドンのコクピット内に警報音が鳴り響いた。
ギリーズはすぐさま、レーダーマップへと視線を移す。画面隅にある大きな赤い点が、徐々にポセイドンへと近づいている。『UNKNOWN』とだけ表示されている識別コードを前に、ギリーズはスクリーンを注視する。すると、左前方に巨大な戦艦と思しきものがぼんやりと見て取れた。
黒を基調としたそれは、フリゲートを模した形をしていた。黒鉄の船体を誇るフリゲートは、前部に白い照明を灯しながら全身し、巨大な艦橋には、ビーム砲や魚雷を発射するための砲台が幾つか据えられていた。装備面で考えれば、おそらく統括軍のゼウスにも引けを取らないであろう。
そんなことが脳裏を過ったギリーズの耳に、短い電子音が入ってくる。彼がモニターを確認すると、『UNKNOWN』から通信許可の信号が出ていた。ギリーズは、躊躇うことなくポセイドンとの通信を許可する。その瞬間、コクピットの脇に据えられたレコーダーから、男の野太い声がコクピット内に響いた。
「元宇宙統括軍曹長、ギリーズ・エンドラインだな」
初めて聞いた男の声から自身の名前を聞いたギリーズは、一瞬眉をぴくり、と動かした。彼はそのまま、『UNKNOWN』の正体――フリゲートにいるであろう男へ向け、やや棘のある声で応じる。
「誰だお前。冷やかし目的なら、とっとと帰ることだな」
「冷やかし目的でないのは、お前が一番分かっているはずだろう。俺はモルドア、この『自由門』を束ねる頭領だ。俺たちの目的は他でもない、アスカ・レミースとお前の二人、ひいては統括軍が示した多額の報奨金さ」
男――モルドア・セビン・大村の目的を耳にしたギリーズは、スペースカノン砲を撃つ準備を整えながら応じる。
「ハッ、おれも随分有名になったもんだ。だが、昨日はおれを宇宙海賊にスカウトしたかと思えば、今度は統括軍の犬になっておれら二人を狙うとか。手のひら返しもいいとこだぜ」
「悪いが、俺たち海賊は金を獲るためなら、友や仲間だろうがあっさり裏切れるんでな。もっとも、統括軍が金を出す条件はお前と小娘の二人だ。さっき捕まえた小娘一人だけ、と言うわけにはいかねえ。そこで、お前を呼び寄せたってわけだ」
すると、フリゲートの下部にある格納庫がゆっくりと開いていくのが見て取れた。かすかに見て取れる滑走路を前に、ギリーズは砲口を定める。モルドアは、そんなギリーズへどこか楽しげに告げる。
「言っとくが、スペースカノン砲を撃つつもりなら無駄だぞ。俺たちの艦『金剛』の硬さは並大抵じゃねえからな。人質の命が惜しければ、無駄な抵抗をしない方がいい」
「そっちこそ。お仲間の報告をちゃんと聞いたのか、オッサン。それこそ無駄だったと、きっと後悔するぜッ!」
ギリーズはそう言って、スペースカノン砲を滑走路目掛けて、二発発射した。翠色の軌道が、ゆるやかな弧を描きながら、どんどん加速する。だが、滑走路に命中する寸前のところで突如閃光と轟音が巻き起こった。細かな塵が舞い上がる中、閃光の奥から宇宙戦闘機が勢いよく飛び出した。灰色の機体は、黒い推進剤を放出しながら、真っ直ぐにポセイドン目掛けて突き進む。宇宙戦闘機にしては珍しく、大型の巨体を誇るそれは、楕円形型の両翼に魚雷発射管を二機搭載していた。
「そうかい、ならばこの俺が直接片付けてやるまでだ! この『扶桑』の餌食になれ!」
興奮したモルドアの声がコクピットに響く。ギリーズは、急速に距離を縮める灰色の宇宙戦闘機――扶桑の懐へと、ポセイドンを操る。接触する寸前まで距離を縮めたところで、ポセイドンを急上昇させる。白い宇宙戦闘機の俊敏な動きに、灰色の大型戦闘機は後方へ回頭するも、大型の体躯ゆえにその速度は他の戦闘機に比べて鈍かった。
「もらったァ!」
ギリーズは再度、スペースカノン砲を撃ちこんだ。扶桑の機体目掛けて放ったそれは、灰色の宇宙戦闘機に命中する。一瞬翠色の閃光が弾け、短い轟音が響く。だが、扶桑はそれに怯むことなく再度ポセイドンへと近づいてきた。ギリーズは咄嗟に、ポセイドンの機体を左に傾け、急旋回することで扶桑との突進を躱す。わずかな窪みも見当たらない敵機を前に、ギリーズは小さく舌打ちしながら、扶桑に乗り込んでいるモルドアに大声で毒づく。
「なかなか硬い戦闘機だな、オッサン。マジうぜえ」
「お前こそ、相当な速さじゃねえか。ちょこまかしやがって、小バエが」
ギリーズとモルドアは、ほぼ同時に手元の操縦桿を握った。二機の宇宙戦闘機は、金剛から離れた空間へと移動しながら、幾度も距離を縮めては離れ、再び縮めることを繰り返す。ギリーズの駆るポセイドンが速さと小回りを活かし、モルドアの操る扶桑の懐を狙うも、機体の圧倒的な硬さを前に決定打を撃てずにいた。そして、白と灰色の機体は時折目に見えないほどの複雑な軌道を描きながら、ほとんど塵が存在しない宙域へと躍り出た。
「どうだ、ここなら存分にやりあえるだろう。さて、今度はこっちが攻める番だ!」
そう言うと、モルドアは扶桑の両翼にある発射管から黒い魚雷を発射した。コクピット内に流れる警報音を聞きながら、ギリーズは二つの魚雷の軌道をモニターで確認すると、回避行動を取るべくポセイドンを急旋回させる。しかし、魚雷はポセイドンの軌道を執拗に追いかけ続けた。操縦桿を握るギリーズの手に、熱い汗が滲み出る。
「俺の扶桑の魚雷は追尾機能付きだ! 諦めて、とっとと墜ちろ!」
コクピット内で、モルドアの自慢げな声が響く。ギリーズは、一度舌打ちした。魚雷は、ポセイドンとの距離を徐々に縮めていく。やがて、ポセイドンまであと数メートルまで迫ったところで、黒い魚雷は瞬時に勢いよく爆ぜた。灰色の粉塵がポセイドンに大量に付着するとともに、爆発の衝撃で機体が激しく振動する。
コクピット内に耳をつんざく様な衝撃音が響く。ギリーズは身を縮めながらも、激しい振動に耐える。数種類の警報音が同時に耳に入るも、ギリーズは構うことなく堅い操縦桿を握り続けた。彼の手の熱が伝わったのか、爆発でシステムが不調になった影響か、操縦桿はカイロのごとき高熱を放っていた。
「危ねえな。けど、これで勝った気になるんじゃ、ねえよ!」
ギリーズはそう言うと、ポセイドンを一気に百八十度回頭させた。その場で後方を向いた白い宇宙戦闘機は、振り向くや否やスペースカノン砲を一発発射する。真っ直ぐ扶桑へと突き進むそれは、右翼にある魚雷発射管に命中した。灰色の発射管は完全に破損こそしなかったものの、衝撃でその砲口は歪に変形した。
「どうだ、オッサン。おれとポセイドンはまだ、諦めちゃいねえぞ!」
ギリーズは息を荒げながら、扶桑に乗るモルドアへ声をかける。対するモルドアは、宇宙統括軍に一般配備されている白い宇宙戦闘機の姿を前に、感嘆の溜息を漏らした。
あいつ、今度は扶桑の魚雷発射管を狙いやがった。声に出さないまま、モルドアは対峙する戦闘機の姿を凝視する。ギリーズという男の操縦技術に反応速度、機転の速さ。宇宙戦闘機を駆るパイロットとしては、いずれも飛びぬけて高い。機体の性能に助けられている部分もあるだろうが、それを差し引いて考えたとしても、相当な経験と勘が必要になることは間違いない。
五十七年生きてきた中で、あれほどの腕を持つ人間は初めてだ。あいつはいったい――頭の中でそう考えていると、扶桑のスクリーンに映し出された白い機体が、自分の機体に向けて猛スピードで突進してきた。
「どうした、降参か? 何も言わねえなら、これでとどめだ!」
ギリーズの乗るポセイドンから、二発のスペースカノン砲が撃ち出される。モルドアは咄嗟に、左翼の発射管から魚雷を二発続けて発射した。両機の目の前で互いの弾がぶつかり合い、激しい爆発音が鳴り、閃光が煌めく。やがて翠色の光の奥からポセイドンが突進してくるも、扶桑は接触する寸前で旋回し、回避して見せた。
そして、ポセイドンと扶桑は再び距離を置き、互いに相対する形となった。そこで、モルドアは口を開く。
「やるじゃねえか、お前。ギリーズとか言ったか。元軍人の肩書を持った、ただの若造だと思ってナメていたが、まさかこれほどとはな」
「どーも、オッサン」
ギリーズは淡々と応じる。モルドアは口元に笑みを浮かべると、さらに言葉を続けた。
「気に入った。ただ互いに殺り合うだけじゃつまらねえ。賭けをしようじゃねえか。俺が勝ったら、お前は小娘を諦めろ。俺たちに生け捕りにされるか、殺されるかは選ばせてやる。逆にお前が勝ったら、お前の望みを何でも聞いてやる。どうだ、悪くねえ話だと思うが」
モルドアの問いに、ギリーズはしばし考えた後、ポセイドンを前進させた。そんな彼の青い瞳は、不敵な輝きを湛えていた。
「上等だ。その賭け、乗ってやるよ。勝つのは、おれだ!」
「男なら、そう来ないとな! だが、そう上手くいくか?」
ギリーズは、扶桑目がけてポセイドンを駆る。再び距離を縮めようとしたところで、モニターに新たな機体反応があった。再び視線をモニターへ落とすと、右横に『UNKNOWN』と表示された識別コードが急接近していた。ギリーズは咄嗟に急降下することで、横から現れた赤い宇宙戦闘機との接触を回避する。
再び、ポセイドンのコクピット内に短い電子音が鳴る。新たな『UNKNOWN』との通信許可を解禁したギリーズは、赤い宇宙戦闘機の主へ語りかけた。
「やっぱお前か、キャロラ」
ギリーズの問いに、キャロラはくすりと笑い声を上げて応じる。
「せーいかーい。あんたさっきからキャプテンと一対一でやり合ってたけど、最後までそうするとは誰も言ってないしね」
「へえ。ところで、さっきはいろいろ世話になったが……アスカはどうした」
ギリーズが声を低くして尋ねる。すると、コクピット内にトリトン、と呼ぶアスカの声が響いた。ギリーズはふと顔を上げてアスカの名を呼ぶ。
「アスカ!」
「安心なさい、アスカは無事よ。多少好き勝手な行動をされるのが玉に瑕だけどね。ま、私はこの子を気に入ってるからいいけど――」
キャロラは言いながら、赤い宇宙戦闘機の両翼に据えられた魚雷発射管から魚雷を発射した。ポセイドンを狙って追尾するそれを前に、ギリーズはスペースカノン砲を撃ちこむことで応戦する。
爆発とともに互いが打ち消される光景を前に、キャロラは口元に笑みを浮かべた。その瞬間、彼女の背後から小さな手が伸び、頭をぽかんと叩く。
「トリトン、トリトン!」
アスカは、赤い宇宙ヘルメットを被ったキャロラの頭を何度も叩きながら、取り乱したように叫ぶ。そんなアスカを左手で軽く押さえると、キャロラは目線をスクリーンへと泳がせる。
「大丈夫よ、あいつは何ともないわ。それにしても、さすがね。引っ掛かってくれると思ったけど」
「抜かせ。こんな不意打ちで墜とされてたまるかよ」
「その減らず口、この神威の前でどこまで通じるかしら!」
キャロラはそう言うと、自らの操る赤い宇宙戦闘機――神威を急発進させた。ギリーズは、そんな神威から逃げるようにしてポセイドンを急上昇させる。すると、扶桑が放った一発の魚雷が、再び白い機体に狙いを定めた。ギリーズはポセイドンを回頭させるも、神威がその進路を遮る。
「邪魔だ、どきやがれ!」
ギリーズが低い声で威圧するも、キャロラは怯むことなく返す。
「どうしたの? 私が邪魔なら墜とせばいいじゃない。それとも、可愛い人質を前に遠慮してくれてるのかしら?」
その言葉を前に、ギリーズは返す言葉もなく、ただ舌打ちする。その間にも、扶桑の放った魚雷はポセイドンとの距離を縮めていた。そして、神威が急上昇してから一拍遅れて、魚雷はポセイドンの右横で爆発した。
再び訪れる振動を前に、ギリーズは歯を食いしばりながら操縦桿を握り締める。モニターには、各所の異常を知らせる「CAUTION」の文字が幾つも表示されていた。
「この……クソッタレが!」
誰に向けるでもなく、ギリーズは毒づく。そんな彼の愛機のすぐ側に、扶桑が迫って来ていた。灰色の粉塵で所どころが汚れたカメラ越しに、その様子を目にしたギリーズは一瞬、息を呑んだ。
「これで終わりだ、ギリーズ! あばよ!」
灰色の発射管から、一発の魚雷が撃ち出される。至近距離からの攻撃を前に、ギリーズは思い切り操縦桿を傾けた。
その瞬間、ポセイドンの機体がわずかに左へと傾く。小さな流れに乗るように、ギリーズは操縦桿を徐々に左へと動かす。急旋回しながら、彼は再び体勢を立て直し、ポセイドンをさらに急加速させる。追い掛ける扶桑や神威をよそに、白い戦闘機はただひたすらに、黒いフリゲートを目指す。
頼む、もう少し持ってくれ。心の隅で祈りながら、ギリーズは自由門の戦艦『金剛』へと一直線に突き進んだ。そんなポセイドンの前に、金剛の船体から突き出た砲門から白い銃砲が矢のように連続して放たれる。それらを躱しながら、ギリーズは速度を落とさずひたすら前へと進む。
すると、金剛から放たれた銃砲のうちの一発が、黒い魚雷に衝突した。ポセイドンから数百メートル後方で、激しい爆発が巻き起こる。その様子を脇目に、ギリーズは操縦桿を手元へと引き寄せる。金剛の船体に衝突する寸前のところで、白い機体は直角に曲がり、そのまま急上昇した。
「あ、あいつ。あれだけの攻撃を受けて、まだこれほど動けるなんて」
「なんて奴だ……」
キャロラとモルドアが感嘆の声を漏らすのを聞いたギリーズは、二機の戦闘機に目線を向けると小声で口にした。
「これが、ポセイドンと、おれの実力ってものさ」
ギリーズは言いながら、モニターへと視線を移す。既に燃料は残りわずかとなった上、機体の損傷も激しい。鳴り止まない警報音の中で死を覚悟したギリーズは、深く息を吐くと、ゆっくり瞼を閉じた。
アムネジアックとして、時に差別的な目を受けながらも一年余りを過ごした軍人としての日々。宙塵城でアスカと出会い、今に至るまでに続いた波乱の数々。乗り越えた困難や味わった幸福に未練がないわけではないが、ギリーズにとって特段の悔いはなかった。最早思い残すことは何も――
「トリトン!」
通信回線越しに響いたアスカの声に、ギリーズは瞼をかっと見開いた。あらためて、彼は手元の操縦桿を強く握り直す。
「トリトン! あー、あ、あ!」
「こら、アスカ。肩を引っ張らないで、イタイイタイッ」
キャロラがアスカを宥めるべく声をかける。それでも、アスカがギリーズを呼ぶ声は、なおも続いた。
それを聞いた瞬間、彼の中で何かが音を立てて弾けた。それが何なのかは、ギリーズ自身でさえも分からない。ただ、少女の声を聞いた青年の中で巻き起こった感情は、恐怖と不安とが複雑に入り混じったものであった。
「おれとしたことが、諦めそうになっちまった。お前たち、自由門とか言ったな。おれは、お前たちからアスカを必ず取り戻す。負けられない! 必ず、勝つ!」
徐々に語気を強めながら、ギリーズはキャロラたちに告げる。それを聞いた宇宙海賊の二人はしばし黙った後、赤と灰色の機体をそれぞれ発進させた。
「何だか知らねえが、その意気込みは買うぜ!」
「今度こそ最後よ、ギリーズ!」
二機の宇宙戦闘機が、それぞれの魚雷を。ポセイドンがスペースカノン砲を、互いに発射しようとしたその時だった。ポセイドンのモニター上に、この三機とは異なる別の宇宙戦闘機の反応が現れた。
「何だ?」
ギリーズがその正体を確かめるより先に、ポセイドンの軍事用通信機器を介して、かつての上官の声が流れ出た。
「ようやく見つけたぞ、ギリーズ・エンドライン」




