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司令室にある巨大なスクリーンの画面中央で、青白い光が弾ける。数秒ほどで消えたその光を黙って見つめながら、ソネヴァは側に控えている部下の女性の報告に耳を傾けた。
「第一砲、旧Eブロック地点に命中。スペースコロニー・リートルーバー、三十八パーセントの消滅を確認しました」
黒いトレンチコートを纏う上官へ敬礼しながら、部下の女性が口にする。そんな彼女の姿を一瞥すると、ソネヴァは手に持ったコーヒーカップを注視する。
やはり、かつての大型コロニーを片付けるのは至難の業か。心の内でそう呟くと、ソネヴァはカップの中にあるブラックコーヒーを少しだけ飲んだ。そして小さく息を吐くと、自分とさほど歳の変わらない彼女へ顔を向けることなく応じた。
「そうか。では、第二砲の装填準備にかかるよう伝えろ。狙いは旧Aブロック、三十分後に発射する。あと、今度は第一砲よりも威力を上げろ」
ソネヴァの命令を聞いた女性は軽くお辞儀をすると、司令室を後にする。そのまま、鯨のごとき形と大きさを誇る艦の前部にあるコントロールルームへと、素早く移動した。開け放たれたままの扉を一瞥したソネヴァは、再びスクリーンへと向き直った。崩壊が始まったスペースコロニーの姿を黙って見つめていると、彼の背後から低くしわがれた声が響く。
「なるほど、君たち統括軍の人間には若者が多いとは聞いていたが。いやはや、流石の行動力だ」
ソネヴァが振り返ると、ベージュ色のスーツとスラックスを身に纏った中年の男――アッジャ・レミースが、司令室の扉の側に立っていた。皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべたまま、彼はすたすたと司令室へと入る。横で一礼しているソネヴァに構わず、アッジャは顎に蓄えた白髭を軽くいじりながら、司令室のスクリーンに映る光景に目を細めた。
「いや、私の会社の連中だがね、戦争が終わって以来どうにも優柔不断な態度が目立ってな。管理職や下っ端どもに、統括軍の爪垢を煎じて飲ませてやりたいものだよ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。貴賓室におられなくても良かったのですか」
ソネヴァの言葉を耳にしたアッジャは、ちらと彼の顔に目を移し、再び眼前のスクリーンへと目線を戻した。そのまま、アッジャは淡々と答える。
「あぁ、かつて私たちの先祖が研究していた『禁忌』が、綺麗さっぱり消える瞬間をちゃんと見ておきたくてね。君たちの協力を仰ぐことが出来て、私も感謝しているんだよ。これで我がレミース社も、さらに前進できる、というものだ」
「恐れ入ります。我々統括軍としても、宇宙最大規模の勢力を誇る御社とは、今後とも良好な関係を維持していきたいと思ってますので」
そう言って、ソネヴァは恭しく頭を下げた。彼の前にいる五十歳を迎えたばかりの男は、三百年弱に亘って広大な宇宙に君臨する大企業『レミース社』を率いる会長だ。レミース社は日用品や兵器など、最先端の商品を絶え間なく流通させている。そうして蓄積させてきた影響力は、宇宙戦争を経て、戦後間もない今に至ってもなお衰えを知らない。長い歴史と財力、そして権力を兼ね備えた企業の頂点に立つ第十五代会長は、ソネヴァを前に不敵な笑みを浮かべながら応じる。
「それはこちらも同じだよ、ソネヴァ殿。私もね、先の宇宙戦争を終わらせる力を持ったあなた方と、強いコネクションを作りたかったんだ。この先地球や火星を含めた宇宙全体が、反戦に向けて大きく舵を切る。戦争を思い起こさせる負の遺産は、世論の手によって残らず淘汰されるだろう。我々は、そんな世界を求める人々の力になりたいんだよ。だからこそ、総司令……ソネヴァ殿のお父上とは、今後とも懇意にしてもらえると嬉しいね」
饒舌に話すアッジャの姿を前に、ソネヴァもまた口角を吊り上げた。唇の端から、くつくつと笑い声が漏れる。強力な兵器を次々に生産し、巨額の戦争特需を手にした大企業の会長は、右手で白髭をつぶさにいじりながらスクリーンのみを注視していた。
「なるほど。レミース会長は、先見の明に長けていらっしゃる。長期にわたり泥沼化した戦争を終わらせることも、計算のうちだったと」
「はて、何のことかな?」
アッジャは、ソネヴァに向き直ることなく応じる。すると、先ほどコントロールルームへ向かっていた部下の女性が、足早に司令室の前へと戻ってきた。
「何やってる! レミース会長の前で、無作法な! コントロールルームには行ったのかっ」
ソネヴァが女性に向けて強い怒声を浴びせる。申し訳ありませんっ。声を張り上げながら、女性は半ば反射的に深く頭を下げる。しばしその体勢を保持した後、彼女は再び敬礼した上でさらに言葉を重ねる。
「それが、ギリーズ・エンドライン曹長から緊急通信が入っています。繋ぎますか」
女性の言葉を聞いたソネヴァは、一瞬目を丸くする。やがて彼は小さく舌打ちすると、部下の女性に顔を向けることなく告げた。
「繋ぐ必要はない。切断し――」
「いいじゃないか、ソネヴァ殿。繋ぎたまえ。これもまた一興だ」
すぐ側から聞こえてきたアッジャの声に、ソネヴァは思わず顔を向ける。対するアッジャは、先ほどからの笑みを崩すことなく、ソネヴァの顔を見返した。
しばしの沈黙の後、ソネヴァは苦虫を噛み潰したような面持ちで部下の女性に向き直る。彼女は敬礼を続けたまま、その場で棒立ちになっていた。
「分かった。通信をスクリーンに繋げ。それからレミース会長にコーヒーを用意しろ、急げ!」
ソネヴァの命令を受けた女性は、素早く身を翻すと、司令室の外にある細い廊下を駆けていった。十秒ほど経ってから、ゼウスの前部にある巨大スクリーンに、ギリーズの顔が映し出された。宇宙ヘルメットと暗視スコープを装着したままの彼を前に、ソネヴァは凛とした調子で応じる。
「ご苦労だったな、ギリーズ・エンドライン。それで、エウリュアレは見つかったのか?」
ソネヴァの問い掛けに、画面の向こうにいるギリーズはちらと後方へ視線を向ける。彼の後方では、十歳ぐらいと思しき少女が、落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「ほう、どうやら無事に見つけたようだな」
「ええ。それで、イルフェルム中佐。お尋ねしたいのですが、ゼウスが宙塵城の軌道付近まで来ているのは何故でしょうか。これより帰還するところでしたが――」
「帰還の必要はない。先ほどこのゼウスが放ったビーム砲の光を、お前も見た筈だ。宙塵城は完全に破壊する。お前とエウリュアレもろとも、な」
ソネヴァが言い放った言葉を聞いたギリーズの表情が曇る。その様子をしげしげと眺めた後、アッジャは一歩足を踏み出してギリーズへ語りかけた。
「ほうほう、君がギリーズ・エンドラインか。それで後ろにいるのが、アスカだな?」
アッジャの言葉を聞いたギリーズは、後方にいるアスカへちらと視線を向けると、再びアッジャたちへ向き直った。そのまま、彼は低い声で問う。
「こいつを知ってるのか。何者だ、ジジイ」
ギリーズの問いに、アッジャは口元に微笑を浮かべて答える。
「おっと、君は知らないんだったな。私はアッジャ・レミース。エウリュアレ……アスカを生み出した、親みたいな存在だと言っておこうか」
初対面の男の言葉をギリーズは、一瞬だけ目を大きく見開いた。彼の視線が自分に注がれていることに気付いたアッジャは、口角をわずかに歪め、さらに言葉を重ねる。
「君が連れているその子は、全宇宙を束ねる力を持つ、最強の兵器の可能性を秘めているんだ。それ故、開発当時は女神とも、禁忌の象徴とも呼ばれたがね。だが、あとちょっとでエウリュアレが名実共に完成しようというところで、リートルーバーは戦争で破壊され、人の手が及ばないグランレイス宙域に入ってしまった。その混乱で、当時我が社も致命的な打撃を被ったこともあり、エウリュアレの研究はやむなく頓挫した。そして戦争は終わり、世論は反戦に傾きだした。人々に過去の災禍を思い起こさせる兵器は残らず抹殺することが、我々力を持つ者の使命なんだよ。賢い君なら、分かるだろう」
中年の男が淡々と口にするのを聞きながら、ギリーズは少しずつ顔を顰めた。アッジャの話がようやく一段落したところで、ギリーズは大きな溜息を吐く。ヘルメットに内蔵された小型モニターへ目を向けると、彼はそこに映るアッジャたちを前に、不満げな表情を浮かべた。
「まったく、お喋りが好きなジジイだ。難しい事情はどうでもいいが、だからと言って統括軍の下っ端を巻き添えにする理由には……」
「アムネジアックが、言葉を慎め!」
ギリーズの言葉を遮るように、ソネヴァがよく通る声で発言する。アッジャの前に立った彼は、巨大スクリーンに映る部下の顔を前に、不敵な笑みを見せた。
「最後の命令だ、ギリーズ・エンドライン。宙塵城、そしてエウリュアレもろとも、宇宙の塵になれ。安心しろ、殉職後は特進で中尉にしてやる。光栄に思え」
ソネヴァの言葉を受け、ギリーズは一度口内に溜まった唾を嚥下する。そのまま、少し乾きつつある唇をゆっくりと開いた。
「もし断ったら、どうなるんです」
「どうもこうもない。命令に逆らうなら、クビだ。だがどちらにせよ、お前に残された時間はあと二十四分。せいぜい余生を楽しむんだな……もういい、通信を切れ」
ギリーズが抗議の声を上げるより先に、スクリーンの映像が一瞬にして宙塵城の姿に切り替わる。眼前に広がる宙塵城は、先程の砲撃により外壁がところどころ崩落を始めていた。ソネヴァが全体の三分の一を突如として失ったかつてのコロニーを静観していると、足早に戻って来た部下の女性がアッジャへコーヒーカップを差し出した。カップの中は淹れたてのコーヒーで満たされており、芳醇な香りがアッジャの鼻腔を刺激する。
「なかなか、壮観な景色だねえ。一つの都市型コロニーが、宇宙塵に還ろうとする瞬間は」
アッジャはそう呟きながら、コーヒーを一口啜った。熱い息を深く吐くと、彼はさらに言葉を続ける。
「それにしても、彼――ギリーズ・エンドラインか。なかなか面白い男だ」
「そうですかね。一年以上前の記憶を持たないアムネジアックなど、面白味も何もない、ただの馬鹿に過ぎませんよ」
ソネヴァは嘆息交じりにアッジャの言葉を否定する。だが、当のアッジャは自分のペースを崩すことなく再びコーヒーカップを口元へ持って行った。熱気を帯びたコーヒーを喉を鳴らして飲み込むと、アッジャはつと溜息を吐く。ソネヴァと同様に宙塵城を注視すると、中年の男はゆったりとした口調で語る。
「まあ、彼にはいろいろと世話にはなったがね。しかし彼も、エウリュアレも、最早この世にいてはならない存在となり果てた。世界とは実に残酷なものよ」
◇
遠くから、何かが崩れるような重低音と歪な振動が響く。そんな中、ギリーズは右手をヘルメットに当て、ソネヴァたちのいる戦艦『ゼウス』へ二回目の通信を図った。しかし、ヘルメットのガラスに内蔵された小型スクリーンには、青と黒のノイズだけが映るだけだった。
「くそっ、繋がんねえ。あいつら、ふざけやがって!」
苛立ち混じりに呟いたギリーズは、つと後ろにいる少女――アスカに目を向ける。ギリーズの視線に気づいたアスカは、無表情で彼の元に近寄る。
「うー、んー?」
背後から顔を覗かせてくる少女を横目に、ギリーズは大きく溜息を吐いた。
「ったく、こんな状況で呑気な奴。あのな、お前のせいでおれはクビだ。それから、宙塵城もあと二十分ほどで木っ端微塵だ。なあアスカ、お前がソネヴァとジジイ共の欲しがってるエウリュアレだと言うなら、ちょっとは何とかしてくれよ」
彼の発言を尻目に、アスカは頭を左右に小さく揺らす。考えているのか、単に揺らしているだけなのか。そもそも自分の発言をどこまで理解できているのか。やがて、彼女の真意を確かめるのも億劫になったギリーズは、一直線に出入口へと向かった。出口に差し掛かったところで、彼の右腕をアスカのか細い手が握る。宇宙服越しにその感触を感じつつも、ギリーズは少女の黒茶色の瞳へと語りかける。
「アスカ。おれは、ここから脱出する。お前と宙塵城と一緒に心中するのはごめんだ。統括軍の人間でなくなった今、エウリュアレなんかよりも自分の命が大事だからな」
あばよ。ギリーズはそう言って彼女の手を振りほどこうとするも、アスカは彼の右腕に抱きついて離れようとしない。左右へ頭を振りながら金切り声を上げる少女を前に、ギリーズは強い口調で応じる。
「邪魔だ、ほら! どけって!」
「んーあー、あー!」
アスカもまた、青年の大きな手に怯むことなく、甲高い声を上げて応戦する。二人はその場で、押しつ押されつを繰り返した。
その時、二人のいた場所の近くで激しい轟音が響いた。ギリーズは咄嗟に、アスカの身体を自分の身体で覆い隠した。そのまま彼は、地響きのような音を聞きながら、上下に大きく揺れる部屋でじっと様子を窺う。
「くそっ……もういい、分かった。アスカ、ついて来い。おれから離れるなよ」
ギリーズがそう言うと、アスカの顔に一瞬だけ微笑が浮かんだ。それを見届けた青年の左手が、アスカの白い手を掴む。
部屋を出て、階段を上る。そして、階段を上り切った先に出たところで、ギリーズは四方を見渡した。さっきの砲撃と、それに連なる崩落により、宙塵城の外壁は所々露出していた。あちこちに開いた大穴から垣間見える黒い宇宙を前に、ギリーズは小さく舌打ちする。
「まじかよ、おい」
早くポセイドンまで戻らないと、やばい。心の中で直感したギリーズは、アスカの手を強く握り、宙塵城の中を素早く移動した。元来た道順は把握しているので迷う心配はないが、とにかく時間との勝負だ。ソネヴァが言及したタイムリミットまで、既に二十分を切っている。
「うー、うー!」
アスカが苦しげな呻き声を上げる。ギリーズがちらと顔を向けると、彼女は目元にうっすらと涙を浮かべてギリーズの顔を見上げていた。少女の手は、ほのかに赤黒くなっている。
「おっと、力が強すぎたか。悪かったな」
そう言って、ギリーズはアスカの手を握る力を少し緩めた。その瞬間、彼女の白く細い指はギリーズの手をすり抜け、小さな身体はふわふわと宙を漂う。手足を思い切り伸ばしながら、アスカは楽しげな声を上げる。
「うーい、あー」
「アスカ。勝手なことすんじゃねえっ」
ギリーズは、徐々に離れていくアスカを掴もうと腕を伸ばす。すると、二人のすぐ側にある外壁が突如地響きを上げた。同時に、唸り声のような音を立て、外壁から剥がれた黒い鉄塊がゆっくりと落下する。
アスカが、自分に向かって落下する鉄塊を見上げる。ギリーズが驚いて声を上げるのも束の間、少女の華奢な身体は堅い床に圧し潰された。二、三メートルほどの黒い塊が床に着いた瞬間、細かな塵と赤い花弁が舞い上がる。
「アスカ!」
ギリーズは、目の前にある鉄塊へ駆けていく。歯を食いしばりながら、それを少しずつ押し退ける。塊の下にいる少女の姿が明らかになるとともに、ギリーズの表情に影が差していく。
ようやく鉄塊を押し退けたギリーズは、アスカの身体を抱き上げる。全身に傷と打撲を負った彼女のこめかみには深い傷があり、唇の端からは赤黒い筋が流れ出していた。完全に開ききった黒茶色の瞳孔を前に、ギリーズは唇を噛み、拳を思い切り床へと叩きつける。
「くそっ、だから言ったんだ! 目覚めたばかりで右も左も分からねえのに、馬鹿な奴! ざけんな、畜生が……ッ」
ギリーズは乱暴に吐き捨てると、少女の身体をゆっくりとその場に寝かせた。左手で開いたままの瞼を閉じさせ、か細い両手を胸の前で組ませる。さらにギリーズは自らの親指と人差し指、中指を揃え、眼前で十字を描いた。
「せめてもの情けだ。これで、ちょっとは心安らかに逝けるだろ」
じゃあな、アスカ。ギリーズはアスカの青白い顔を見つめ、ぽつりと呟いた。
刹那、閉じられたアスカの瞼がゆっくりと開いていく。ギリーズが気付くや否や、彼女は思い切り咳き込み、その場で半身を起こした。
「ど、どういうことだ、こいつは……」
ギリーズは困惑しながらも、目の前の少女を注視する。たちまち元の調子を取り戻していくアスカを前に、ギリーズは傷のあったこめかみへと顔を近づけた。そこにあった筈の傷は、跡形も無くなっている。さらに身体のあちこちにあった細かな傷や打撲痕も観察するが、いずれも初めから存在しなかったかのようにかき消えていた。
「ト、リトン? うーう?」
アスカが、先ほどと変わらない調子で口にする。彼女の唇の端から流れていた赤黒い筋は、うっすらとその跡だけを残していた。ギリーズは、無垢な笑顔を浮かべる少女の姿を前に、目を白黒させていた。
こいつ、一体何者なんだ。ギリーズの脳裏に、強い疑念が湧き上がる。さっき自分が顔を覗き込んだ時点で、死んでいたのは間違いない。しかし、致命傷となったであろう傷はすべて消え、アスカは何事もなかったかのようにピンピンしている。エウリュアレと呼ばれていることと、何か関係があるのか。思案するギリーズの側で、アスカが彼の宇宙服を引っ張り出した。
「トリトン? んー?」
アスカは首を傾げながら、青年の顔をしげしげと眺める。対するギリーズもまた、アスカの顔を見つめ返した。眼前で唇を尖らせながら、目を丸くさせる少女を前に、ギリーズは頭の中で疑問を浮かべた。
お前は一体、何者なんだ? 身体の傷はどうした? 死んだ筈なのに、どうして生きているんだ?
ギリーズはそれを口に出そうとして、思い止まる。今目の前にいる彼女に尋ねたところで、納得できる答えが返ってくる筈もない。心の内でそう言い聞かせた青年は、一度深呼吸すると、再びアスカの手を掴んだ。
「お前が何者なのか、聞きたいことは山ほどある。だが今は、宙塵城からの脱出が先だ。来い」
そう口走りながら、ギリーズはアスカの手を掴み、ポセイドンを置いている場所へ一直線に進む。宙を漂う金属片や細かな塵と幾度もすれ違う。その度に感嘆とも奇声ともつかない声を上げるアスカに、ギリーズは構うことなく自艇を目指した。
堅い床から宙を舞い、リートルーバーの内部を移動していくうちに、ギリーズの目に見慣れた白い宇宙戦闘機の姿が映る。ポセイドンだ。心の内でそう悟ったギリーズは、手早くハッチを開けていく。手足を伸ばして半ば抵抗するアスカを強引にコクピットへ押し込むと、彼自身もすぐにコクピット内の操縦席へと座った。
「ソネヴァが言っていたタイムリミットはそろそろだ。頼むぞ、ポセイドン!」
ギリーズはそう言って、ポセイドンを起動させた。二人の頭上で、白いハッチが閉じていく代わりに、コクピット内部が白い明かりで照らされる。モニターに宙塵城周辺のレーダーマップが映し出されるのを確認すると、ギリーズは手元にある操縦桿を強く握りしめた。
「おい、一応言っとくが中にあるスイッチはどれも絶対に触るなよ。触ったら、もう一回宇宙へ放り出すからな」
後方にいるアスカを振り返らず、ギリーズは口にした。握ったままの操縦桿をゆっくり手前へ引き寄せる。その瞬間、ポセイドンは大量の推進剤を吐きながらゆっくりと浮上し始める。白い煙状に噴出する推進剤の姿を脇目に、ギリーズはポセイドンの出力を最大に引き上げたうえで、艇を直進させた。
ポセイドンは、崩れゆくスペースコロニーを縦横無尽に駆ける。白い軌道を高速で描くそれは、所々から落ちてくる鉄塊を器用に避け、ひたすら外に広がる宇宙を目指して突き進んでいった。
徐々に速度を上げる白い艇は、緩やかな弧を描きながらも、宙塵城の外壁に出来た大穴へ向かっていた。操縦桿を強く握るギリーズの唇から、低い唸り声が漏れる。彼の眼前に広がるスクリーンに、黒い宇宙と大量に散らばる星々の姿が映るのを確認すると、手元のモニターへ視線を移した。たった今ポセイドンが出てきた箇所は、ゼウスが存在するポイントからは正反対の位置にいた。
「よし、これでいい。あとは……」
レーダーマップのチェックを終えたギリーズは、小さく嘆息を吐く。あとはこのまま、逃げるだけだ。ゼウスのレーダーを介してソネヴァたちに見つかるか、宙塵城もろとも宇宙の塵に還るか。そのどちらもを避けるには、ひたすら逃げるしか手はない。
そのことを頭の中で再確認したギリーズは、意を決したようにポセイドンを最大出力のまま発進させる。刹那、二人の背後で眩い光が瞬いたかと思うと、視界はあっという間に白一色に包まれた。
◇
予定時刻に到達し、ゼウスの上部に据えられた二つの巨大な砲台から、青白いビーム砲が射出された。青白い軌道は一直線に宙塵城へと進み、一瞬だけ強く煌めいた。光がほぼ消えたところで、巨大なスクリーンはスペースコロニー・リートルーバーがあった場所の拡大図を映し出す。
ソネヴァとアッジャは、ほぼ同時にスクリーンへと目を向ける。画面の中には、つい先刻まであったスペースコロニーの姿はなく、代わりに細かく砕けた鉄と金属の塵だけが静かに漂っていた。
「第二砲、旧Aブロック地点に命中。スペースコロニー・リートルーバー、百パーセントの消滅を確認しました」
艦内全体に、若い男性のアナウンスが響く。コントロールルームから発せられているその声を聞きながら、アッジャはゆっくりと瞼を細めた。
「戦争の中で生まれた恐ろしい禁忌も、こうして見れば実に呆気ないものだな。何というか、こう……がっかりだよ」
そんな彼の側で、ソネヴァはスクリーンを注視したまま、唇の端を歪ませた。そして、司令室全体に響かせるかのように、声を張り上げる。
「気にすることはありませんよ、レミース会長。人類にとって有害な宇宙塵が一つ減った、ただそれだけのことですよ。我々は宇宙の、ひいては人類のためにやるべきことをしたんです。今こうして、一つの都市型コロニーが完全にこの世から消えたのも、摂理というものでしょう」
ソネヴァの言葉を聞いたアッジャは、ちらと彼に視線を向ける。レミース社を率いる男の顔にも、左右非対称に歪んだ微笑が浮かんでいた。
「なるほど、摂理か。面白いことを言うなあ」
「恐れ入ります」
ソネヴァが恭しく応じる中、司令室の内線電話が部屋全体に鳴り響く。甲高い電子音を聞きながら、ソネヴァは乱暴に受話器を取った。
「何の用だ」
苛立ち混じりに口走ると、ソネヴァは電話の画面に表示されている相手先を確認する。コントロールルームからであった。
「それが、第二砲が目標地点に命中する寸前に、白い軌道が宙塵城から脱出してまして」
通話口から聞こえてきた若い男の声を聞いたソネヴァの眉間に、深い皺が刻まれる。
「それで」
「機体情報などを確認したところ、ギリーズ・エンドライン曹長の機体かと。いかがいたしましょう、イルフェルム中佐……」
「聞かなくても分かるだろ、木偶の坊が! 奴を探せ、探し出せ! 進路予測を立てて、部隊を編成しろ! 何してる、もたもたするなっ!」
ソネヴァは、乱暴に受話器を置く。その様子を静観していたアッジャは、落ち着いた口調で語りかけた。
「どうやら彼は、まだ我々を楽しませてくれるらしいな」
中年の男の言葉を耳にしたソネヴァは、深い溜息を吐いた。さらに、興奮を抑えるかのように、ゆったりとした口ぶりで応じる。
「我々統括軍としては、奴にこのまま逃げられては困りますがね。ですがレミース会長、ご安心を。早急に奴を追撃する準備を整えますので」
ソネヴァがアッジャへ深く頭を下げる。対する彼は、歪んだ笑みを絶やさぬまま快活な口調で告げた。
「気にやむことはない。ビジネスに不測の事態は付き物だ。むしろこの状況を楽しんだ方がいい。なんせ、それを乗り越えたときの勝利の味は格別だからね」
アッジャはそう言って、けたけたと笑い始める。そんな彼の姿を前に、ソネヴァはしばしの間、目を白黒させていた。
この男が垣間見せる余裕は、宇宙一の大企業を率いるが故か、それとも生来の性格なのか。いずれにせよ、油断はできない。このままあの男を放っておけば、いつ自分が不利な立場に追い込まれるか分からないのだ。
禁忌は、この世に存在してはならない。心の内で息巻くと、ソネヴァはトレンチコートの襟を正し、司令室の内線電話を手に取った。
◇
ポセイドンは、細かな塵が漂う宇宙を駆けていた。宙塵城を脱出してから既に数時間が経過している。ギリーズがコクピット内のモニターに視線を落とすと、時刻は二十一時を回ろうとしていた。
「あー……疲れた」
溜息交じりにそう言うと、ギリーズはポセイドンの操縦を手動から自動に切り替えた。その後、宇宙ヘルメットと暗視スコープを立て続けに脱ぐ。
ポセイドンが進む先の宙域に、惑星やコロニーはない。あるのは、小惑星と塵だけが漂う広大な星の海だけだ。ソネヴァたち宇宙統括軍が、宙塵城を脱出したことに気付いた自分たちを追って来るのも時間の問題だろう。
ギリーズは頭の中でそう考えながら、後方にいるアスカへと顔を向ける。コクピットに常備されていたショートブレッドを口に含んでいた彼女は、振り向いたギリーズに気付くと、笑顔で彼の元へ這う。その際、アスカの唇の端から、ショートブレッドの破片が零れ落ちた。
「おい、零すなよ。はあ、ただでさえ狭いコクピットに乗せてやって、非常食も分けてやって。あと、統括軍から追われる身となって。まったく、とんだ厄介者を乗せちまったぜ、おれも」
ギリーズは、頭を掻きながら独りごちる。そんな彼の様子に構うことなく、アスカは彼の足を掴んだ。ギリーズが足元を見ると、曇りない黒茶色の瞳が、彼の顔を見上げていた。
「うーあ、トリ、トン。ふふ、うふふ」
すると、アスカがふいに笑い出した。何事かと思ったギリーズは、彼女の様子を窺う。アスカ自身に特に何か変わった様子は見られない。やがて、少女が宇宙ヘルメットを外した後の自分の頭からずっと目を離さないことに気付いたギリーズは、再び手を髪へと持って行く。長時間にわたりヘルメットを着けていた頭部には、汗で濡れた髪が張り付き、あちこちが寝癖のように跳ね上がっている。
「こいつ、おれの髪を見て……おい待て、触るな! おれの髪はおもちゃじゃねえッ」
「うーい、あーう」
アスカが青年の金色の髪に触れようとするのを、ギリーズは身を屈める形で避ける。屈託のない笑顔で手を伸ばす少女は、どうやら自分の髪に興味を持ったのだろう。そう分析したギリーズは、小さく舌打ちをし、先ほどまで身に着けていた暗視スコープを手に取った。そのまま身を翻したギリーズは、アスカの手をかわし、彼女の頭にスコープを装着させる。彼は、ポセイドンのスクリーンへと少女の顔を向けさせた。
「どうだ。これが、お前がいた宇宙の景色だ。おれの髪よりも、ずっといいだろ」
ギリーズは息を切らしつつも、アスカに問いかける。藍色の暗視スコープを装着した彼女の目には、宇宙の彼方で無数に輝く星々が鮮明に映っていた。様々な色で構成されるそれらを前に、アスカは無言のままスクリーンを注視していた。すっかり見入っているのだろう。それを察したギリーズは、一度欠伸をした後、小声で語りかけた。
「どうだ、アスカ。これが、おれたちの生きている世界だ。馬鹿みたいにどこまでも続いて、宇宙塵がごろごろ転がってる黒い闇。お前はこれから、この世界で生きていくんだ」
そこまで言ったところで、ギリーズはちらとアスカへ目を向ける。口をぽかんと開けたまま、スクリーンを見ていた彼女は、青年の言葉が耳に入っていないようだった。小さく息を吐くと、ギリーズはコクピットの座席に思い切り背を預ける。再び宇宙ヘルメットを装着しながら、彼は再び小さな声で言葉を紡ぐ。
「まあいいさ。さて、おれたちはこれから、どこへ逃げるか……ここから遠く離れた太陽系の惑星、地球か、火星か。つっても、戦争の影響でどちらも酷い環境になってるらしいが」
ヘルメットを着けたギリーズは、ゆっくりと瞼を閉じた。しばし、コクピット内に静寂が訪れる。やがて、再び瞼を開いたギリーズが、アスカに向けて顔を動かした。
「なあ、アスカ」
「うーん?」
スクリーンから目を離したアスカが、ギリーズの顔を見つめる。微笑を浮かべた彼女の顔を前にしたギリーズは、一度嘆息すると小さくかぶりを振った。
「いや、何でもない。お前も早く寝ろよ。あと、コクピットの中を好き勝手に弄るんじゃねえぞ。それじゃ、おやすみ」
ギリーズはそう言うと、アスカから顔を逸らした。そして再び瞼を閉じた彼の前に、暗い闇が音もなく広がり始めた。




