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 小さな宇宙塵(スペースデブリ)ばかりが漂うグランレイス宙域を、白一色で統一された小型の宇宙戦闘機が単独で進み出してから、数時間が経った。

 戦闘機の内部に設置されたダイオードが、およそ三メートル四方の広さを持つコクピット全体を鮮やかな青白い光で照らし出す。それとともに、二時間ほどの仮眠を終えた青年――ギリーズ・エンドラインは、被っていた宇宙ヘルメットを素早く脱ぎ去った。

 深く長い溜息を吐くとともに、ギリーズは左手に持った手鏡で自分の顔を覗き見る。そこに映る青年の金色の髪は、宇宙ヘルメットを被っている間に生じた熱気と彼自身の発した汗により、すっかり湿っていた。肩まで伸びた金色の髪が頭皮に張り付き、所どころが寝癖で跳ねているのを前にして、ギリーズは目鼻立ちの整った顔を瞬く間に曇らせる。

「げっ、まじかよ。最悪」

 ギリーズはそう毒づきながら、左手で自らの髪を整える。だが、彼の細く白い指をいくら髪の間に絡めても、元の髪型へはなかなか戻らず、かえって苛立ちを募らせるばかりだった。シャワールームが欲しい。そう心の内で洩らしながらも、ギリーズの青い瞳は、操縦桿の近くにある小さいモニターに映されたレーダーマップと、その前方にあるスクリーン越しに広がる暗闇とを交互に注視していた。

 やがて、レーダーマップの隅に赤い大小の点が三、四個表示される。その中の一個は、ポセイドン――ギリーズが乗っている小型の白い宇宙戦闘機に、彼が自ら名付けた愛称である――と同等の大きさをしており、加えてそれはポセイドンが進む軌道から先の延長線上を漂っていた。小惑星との衝突まであと二十キロメートル、衝突予想時間まで三分三十秒――ポセイドンに付属されている最新鋭のコンピューターが、これらの予測数値をマップの下部に表示するとともに、若い女性の声をしたアナウンスと甲高い警報音がコクピット内に響き渡る。

『小惑星が近づいています。直ちに回避行動をとって下さい。繰り返します、小惑星が――』

「はいはい、分かりました。分かりましたよ、っと」

 機械的に淡々と告げるアナウンスに対し、ギリーズはぶっきらぼうに応じながら、手近にある白いボタンを押し、アナウンスと警報音を強制的に解除する。それと同時に、ポセイドンの進行方向の先に、大量の赤い点が次々にマップ上へ表示されていく。小惑星群だ――ギリーズはそう直感すると、小さく舌打ちをした。

「まったく、そんな宇宙の石ころを次々に表示してんじゃねえよ。んなもん、このギリーズ曹長様の操縦テクニックにかかれば、どうってことはないんだ」

 誰に言うでもなくそう言うと、ギリーズは今まで設定していた自動操縦機能を解除するとともに、藍色の暗視スコープを素早く自分の眼前に持って行く。左手でゴーグル状のそれを器用に装着すると、ギリーズは操縦桿を両手で強く握った。楕円形のスコープ越しから見るスクリーンの景色は、黒一色のみだった先ほどまでのそれとは打って変わって、広大な銀河と瞬く星々の片鱗が色鮮やかに映し出されていた。

 やがて、眼前のスクリーンに大型の小惑星が映し出される。全体が赤茶色に覆われ、あちこちに大小さまざまな形をしたクレーターを顕現させるそれは、徐々にギリーズの乗るポセイドンとの距離を縮めていく。小惑星があと数百メートルのところまで迫り、このまま衝突せんと言わんばかりの距離に到達したとき、ギリーズは握りしめた操縦桿を素早く手前へ引き寄せる。

 刹那、ポセイドンは小惑星と接触する寸前のところで徐々に上昇を始めた。機体後方にある二対のエンジンから白い煙状の推進剤を出しつつ、ポセイドンは小惑星の表面から紙一重の距離を保ったまま進む。やがて、ギリーズの眼下に存在した赤茶色のそれは、何事もなかったかのようにポセイドンとすれ違い、はるか後方へと消えていった。それを確認したギリーズは、ひゅう、と小さく口笛を吹くと、口角を不敵に吊り上げた。

「オッケー、今日も絶好調。流石はポセイドン、流石はおれだ。どれ、このまま目的地に着くまで軽く肩慣らしと行くか」

 ギリーズはそう言って、自らの乗るポセイドンを俊敏に駆る。その先にはまた別の小惑星が漂っていたが、先ほどと比べて二回りも小さいそれへ再び接触する寸前まで近づいたギリーズは、今度は反対に小惑星の下側を通過していった。そんな彼の目前に、ほぼ同じ大きさをした小惑星が二つ同時に迫ってくるのも構わず、ギリーズは同じ方法で難なく避けていった。

 そうやって小惑星に近づいては回避するのを何度か繰り返したところで、レーダーマップの画面の脇に小さなアイコンが表示された。そこに、親しい友人の名前が書かれているのを確認したギリーズは、右手で操縦桿を握ったまま、左手の人差し指でアイコンをタップする。すると、大量の赤い点を映し出していたレーダーマップは画面の隅に追いやられ、代わりにギリーズとさほど年が変わらない、黒髪の好青年の顔が現れた。

「おはよう、ギリーズ。そっちはどうだ……って」

 黒髪の青年は、そこまで言いかけたところで突如唇を尖らせ、ぷっと息を吐き出した。そんな彼の様子を目の当たりにしたギリーズは、小さいモニターに映るその青年へ溜息交じりに応える。

「おいクラード、何だいきなり。さほど年の変わらない部下が危険な小惑星群を必死こいて進んでるってのに、どこか可笑しいか」

「可笑しいも何も、お前。その髪型、誰が見ても笑うに決まって……っ」

 モニターの先にいる青年――クラード・レオ・ギャビンが再び笑い出す。それを目の当たりにしたギリーズは、はっとしたように目を見開くと、左手を自分のぼさぼさになった髪へと伸ばした。一瞬だけ顔を紅潮させたギリーズは、迫り来る小惑星を(かわ)しながらも、自分より一つ年上の上官へぶっきらぼうに尋ねる。

「ああ、それで、ギャビン少尉。休暇中のところ、わざわざどういう用件でしょうか」

「まあ、そんな機嫌を悪くするなよ、ギリーズ。ただの雑談と、今の状況を軽く聞いてみただけだ。宇宙戦闘機のパイロットとしてはずば抜けた才能を持つお前のことだ、今頃はもうグランレイス宙域……その中にあるクレンジャ小惑星群を問題なく進んでるんだろ」

 クラードの問いかけに、ギリーズは相変わらず機嫌を直さないまま、無愛想に頷く。対するクラードはやれやれ、といった様子で彼の応答を確認すると、さらに言葉を続けた。

「クレンジャ小惑星群を抜ければ、そこにあるはずだ。お前の今回のミッション、ひいては宇宙統括軍の目的である『エウリュアレ』が」

「エウリュアレ、ねえ」

 クラードの発した言葉を、ギリーズは興味なさげに反復する。『エウリュアレ』――ギリーズが所属する宇宙統括軍の間で時折囁かれる噂話だ。その正体については、百五十年に(わた)って続いた宇宙戦争が生み出した負の産物であったり、反対に巨万の富や財宝、戦争の過程でこぼれ落ちた最先端科学技術の粋だったりと、軍の中でさまざまな議論がなされてきたが、その正体を知っている者はギリーズやクラードを含め、誰もいないままとなっている。

 そのことを思い返しながら、ギリーズは手に持った操縦桿を右に引き、ポセイドンの軌道を再び小惑星から逸らす。そして、小さいモニターの先にいるクラードへ向けて、半ば皮肉を込めた口調で呟く。

「あの宇宙戦争が終わってそろそろ二年、か。軍の上層部がなんで今更、その『エウリュアレ』とやらの回収をおれに命じたのやら」

「さあな。ただ、軍の主だった連中はみんな、先の戦争が終わって以来、ずっと戦後処理に追われたままだ。おまけに、クレンジャ小惑星群は巨大な(デブリ)や小惑星がウヨウヨ浮かんでるもんだから、簡単に攻略できる人員も限られる。それで、パイロットとしての才能もあって、なおかつ暇そうなお前に白羽の矢が立ったんじゃないのか」

「最後の一言は余計だ、クラード」

 クラードの冷静な回答を前に、ギリーズは少し苛立った様子で応じた。まあまあ、そうあんまり短気になるなよ、ギリーズ。親友がそう諭すのを尻目にギリーズは一言だけ、うるさい、と告げる。彼の目線はモニターの先にあるスクリーンを注視していた。

 すると、大小さまざまな小惑星群に紛れて、鋼鉄でできた宇宙塵がスクリーンの端に現れる。大きさこそ数メートル程度のものだが、それが人工的に作られたものの一部であったことは、ギリーズの目から見ても明らかだった。

「クラード、いい知らせだ。人工物の塵が確認できた。その『エウリュアレ』とやらがあるっていうコロニーも、きっとすぐ近くだろうぜ」

 ギリーズが得意げに口にする。その言葉を聞き、モニターの中にいるクラードが唇を動かそうとすると、突如ポセイドンに備え付けられたスピーカーが、甲高い警報音を鳴らした。それに合わせて『CAUTION』の文字が、モニター上部で忙しく踊る。

 やがて、ギリーズの眼前にあるスクリーンに、白いとも黄色いとも取れない色をした光の線が幾筋も流れ出す。それを確認したギリーズは、手早くモニターに表示されているボタンをタップした。そんな中、響き渡る警報音に混じって、クラードの声がかすかに青年の耳に伝わる。

「どうした、ギリーズ。何があった」

 無線越しに伝わる言葉を受け、ギリーズはモニター上に新たに表示されたボタンを左手で器用に繰りながらも応じる。

「敵襲だ。向こうの武器のしょっぱさからして、多分トレジャーハンターか、宇宙海賊だろう。いずれにせよ、おれはここを根城とする連中にあんまり歓迎されてないらしい」

 吐息交じりにそこまで言うと、ギリーズはモニター上のボタンから手を離し、両手を操縦桿に預ける。すると、ポセイドンの先端部分が開き、そこから細い砲身が現れた。

 モニターに表示されるシステム越しにそれを確認すると、ギリーズはあらためてスクリーンへと目を移す。小惑星の影から黄色い閃光が何度もポセイドン目がけてやって来るのを躱しながらも、真っすぐに砲撃の源を見つめる彼の目は、獲物を前にした獣のごとく不敵に輝いていた。

「さあて、このおれを相手にしたらどうなるか。教えてやるよ、雑魚が! ()ちろ!」

 そう叫ぶと同時に、ギリーズは操縦桿に据えられた赤色のボタンを力強く押した。すると、ポセイドンが出した砲身の前部にある小さい口から、翠色(みどりいろ)のスペースカノン砲が一発、勢いよく射出される。

 翠色の軌道を描くそれは、黄色い砲撃を繰り出していた小惑星目がけて一直線に飛んでいき、接触すると同時に翠色の閃光と轟音を生み出した。少し間をおいてから、ポセイドンもまた爆発の衝撃でにわかに振動したが、ギリーズは構うことなく眼前の光景に視線を集中させていく。

 やがて、スクリーンの映像をほとんど覆い隠すほどのまばゆい光が消えた。そこには、跡形もなくなった小惑星の破片と、攻撃を仕掛けてきた敵機体の残骸とが複雑に混じり合い、ただの塵だけが音もなく宙を漂っていた。

「大丈夫か、ギリーズ」

 クラードの通信が、コクピット内に響く。それに応じるより前に、ギリーズは小さく吐息を漏らす。

「問題ない。たった今、ポセイドンへ積極的に攻撃を仕掛けてきた敵機のうち一機を撃墜した。どこの誰だか知ったことじゃないが、向こうにしてみれば多少はいい見せしめになっただろう」

 そうか。クラードが一言そう答えるのを尻目に、ギリーズの視線は相変わらずスクリーンへと注がれていた。スクリーンの先では、残された数機の敵影が、戦況を不利と判断したのか、あるいはポセイドンの後部にある宇宙統括軍の紋章に気づいたのか不明だが、撤退を始めていた。ポセイドンが白い光を不規則に放つのにも構わず、クレンジャ小惑星群の彼方へ足早に去っていく敵機を見届けたギリーズは、口角をにっと吊り上げる。先ほどまで白い肌に密着していた暗視スコープをわずかにずらしながら、ギリーズはモニターの先にいる親友へ得意げに告げる。

「馬鹿な奴らだ。先に仕掛けておいて、少しやられただけであっさり逃げ帰りやがった。このおれに機体を撮影されたとも気づかずにな。統括軍本部へ送ったが最後、機体の識別コードから素性も何もかも筒抜けだ。ミッションがあるから今は深追いしないが、このおれの前で醜態を晒したことを、いつか後悔する日が来るだろうぜ」

「おお、怖い怖い。こんな部下を持って、俺もいつ背中を狙われることやら」

 クラードが全身を大げさに震わせながら言うのを見て、ギリーズは小さく溜息を吐く。

「よく言うぜ、士官学校を首席で卒業しておいて。仮にそんなことしようものなら、むしろおれの方が逆にやられちまうがオチさ」

「そうか? 何なら、このミッションが終わったら久しぶりにシミュレートでもしてみるか。俺とお前、どっちが先に相手を墜とすか」

「もしおれが勝ったら、ビールでも奢ってもらおうか」

「それは駄目だ。お前まだ十九だろ。飲酒は二十歳になってから、と軍規で厳しく謳われてることぐらい、知ってるだろう。もし俺がお前に飲酒させたのがバレたら、俺は二十歳にして懲戒処分だ。勘弁してくれ」

 違いねえ。ギリーズがそう返すと、二人はどちらからともなくくつくつと笑い出す。それはまるで、見えない悪戯を楽しむ子どものように無邪気な笑顔だった。しばし互いに笑い合ったところで、ギリーズは両腕を天井へ目いっぱい伸ばし、小さくあくびをした。そして、再び右手を操縦桿に預けたところで、ギリーズはあらためて顔を小さいモニターへと向ける。

「さて。それじゃ、さくっとミッションコンプリートして来ますよ、少尉殿」

「そうか。まあ、せいぜい頑張って来いよ」

「そっちこそ。休暇が終わるまでの間に、せいぜい勝利の報酬でも考えとくことだな」

 ギリーズはそう言って、モニターの端に表示されている通話終了ボタンを押した。モニターの画面に一瞬だけ『A.D.2492 Oct.23rd 08:11』と緑色の文字が大きく表示されたかと思うと、すぐにまた当初のレーダーマップへと切り替わる。

 ギリーズがマップへと視線を落とすと、あちこちに点在する赤い点に混じって、巨大な青い四角形が画面の端から徐々に表れ始めた。戦闘機の進行方向の先からやって来る『それ』の姿を確認すべく、ギリーズはずらしたままの暗視スコープをあらためて装着すると、すぐさまスクリーンへと目を向けた。

「おお、圧巻」

 ギリーズはぽつりと呟くと、自らの青い瞳をスクリーンの隅々へと泳がせる。特殊センサー越しに見えるその景色は、スコープなしでは見ることのできない細かな塵の海を捉えるとともに、その中心に浮かぶ巨大な鉄塊の姿を鮮明に伝えてきた。

 かつて大勢の人間が暮らしていた『それ』は、巨大な窪みや、熱によって溶けたと思しき痕跡を身体のあちこちに残していた。さらに、直径およそ二キロメートルはあるだろうドーナツ型の体躯は、網目状の大きな亀裂により一か所だけ完全に分断され、アルファベットの「C」とよく似た形状になっている。

「間違いない。これが、先の戦争で崩壊した都市型スペースコロニー・リートルーバーの成れの果て……『宙塵城(ちゅうじんじょう)』か」

 そう確信するギリーズの目前で、スペースコロニー・リートルーバー――宙塵城は、人工物と天然物の塵が入り混じった空間を音もなく漂っていた。

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