11
キャロラが乗る神威は、戦闘機が多く漂う宙域を進みながら、緑色の機体を次々に撃墜していた。モニターとスクリーンで絶えず状況を確認し、クラードやモルドアへ声を張り上げて報告する。
「ギリーズが、統括軍の機体と交戦中! あの金色の機体、強いみたいだけど……」
白と金色の機体がぶつかり合う様子を遠目に眺めつつ、キャロラは統括軍の機体を狙い、魚雷を発射する。黒い魚雷が爆発し、大小さまざまな無機物が漂う中でも、未だ敵機は衰える様子を知らずに、神威へと迫る。
「くそっ、まだいるの。これじゃ、ギリーズの応援にも行けやしない!」
キャロラが回避行動を取る。機体を降下させた神威に代わり、すぐ後方で待機していたクラードが青いボタンを押した。その瞬間、アイネアースの上部に据えられた長距離ミサイルが発射され、速度を上げながら統括軍の戦闘機へ迫る。そして、ミサイルを被弾した機体は、一陣の閃光と共に消滅した。
「数が多すぎる。流石に戦艦を四隻も出してくるだけのことはある」
舌打ち交じりにクラードが言うと、ちらとデュナミスの外縁軌道を周回する戦艦の姿を見る。ゼウスをはじめ、どの戦艦も未だ目立った攻撃を仕掛けて来ない。だからこそ、いつ何がどう転ぶかも分からなかった。
そもそも、戦闘機の数の上で考えれば、自由門側が圧倒的に不利だ。それ故、戦いを長引かせるわけにもいかない。短期決戦という形で終わらせるにも、現在の戦況がそれを許しそうになかった。
「なに、構うな。戦いは始まったばかりだ、余裕のあるうちに片付けるぞ!」
モルドアが、そんな二人を鼓舞するかのように告げる。彼の言葉を聞いたキャロラとクラードは、黙って頷くと、引き続き周囲の敵機と交戦した。
その時、突如一隻の戦艦が動くのを止めた。鯨の形を模した戦艦の艦橋から、大量の黒い砲門が現れる。そして、砲口から次々に長距離ミサイルが撃ち出された。短時間に射出された数百の弾丸は、黒いフリゲートを目がけてその軌道を伸ばし続けていた。その様子を目で追いながら、モルドアは金剛の指令室にいる少女へ、通信越しに声を張り上げる。
「金剛が狙われているぞ、リナ!」
「分かってます! ミサイル接触まであと三十秒! ミサイル撃墜用意、構えッ」
リナもまた、金剛の指令室で声を張り上げる。凛と響く彼女の声に、モルドアは安心感を感じ、引き続き眼前の敵機との交戦に集中する。
「撃てーッ!」
リナの声がより大きく響いた瞬間、金剛の艦橋から次々に弾丸が撃ち出される。なるべく近距離まで引きつけ、撃ち出したそれはほとんどがミサイルに着弾し、互いに弾け散った。残ったわずかなミサイルはその軌道を伸ばし続けるも、金剛の周りを哨戒していた茶褐色の戦闘機が次々に打ち出した魚雷によって、残らず打ち消された。
「全てのミサイルの、撃墜を確認! しかし、このままでは……」
リナの声が、竜頭蛇尾に途切れる。彼女の通信を聞いたモルドアは一度小さく舌打ちする。確かに、今のミサイルが立て続けに来られては、金剛もそうは持たない。そう察した時、扶桑のコクピット内で警報音が響いた。モルドアが咄嗟にモニターへ目を移すと、一機だけ圧倒的な速さでこちらへ迫って来ているのが見て取れた。
「敵襲だ、気をつけろ!」
モルドアは扶桑を回頭させるや否や、近づいて来る機体目がけて魚雷を撃ち出した。しかし、黄土色に塗装されたそれは、魚雷の追撃を難なく躱したうえで、ミサイルを射出する。黄土色の軌道が、徐々に扶桑との距離を縮め、やがて派手な閃光と轟音とを響かせた。
「キャプテン!」
キャロラが悲鳴混じりに叫ぶ。閃光から現れた扶桑は、所どころ損傷を受けているようだったが、致命的なダメージは避けられたようだ。それを察したキャロラは、ふう、と安堵の溜息を吐いた。
すると、扶桑や神威、アイネアースのコクピットで短い電子音が鳴った。発せられた通信許可の信号を、彼らは無言で承諾する。やがて、黄土色の機体から発せられた通信で、女の声が響いた。
「私は宇宙統括軍少尉、アンジェラ・カーレンである。海賊に恨みはないが、総司令からの命令だ。無駄な抵抗はやめて、直ちに降伏しろ。そうすれば、お前たちの安全は保障してやる」
アンジェラと名乗る女の声を聞き、クラードは彼女の名を反復した。それを聞いたキャロラは、青い機体を操るパイロットへ尋ねた。
「あいつ、知ってるの?」
キャロラの問いに、クラードは一度小さく頷いてから答える。
「ああ、聞いたことがある。宇宙戦争が終わる間際、たった一機だけで、戦場にいた敵部隊を壊滅させたらしい。気をつけろ、あいつは間違いなく強い」
クラードがそう答えた瞬間、アンジェラの低い声がコクピット内に木霊する。
「それが分かっていながら、何故軍を裏切った。クラード・レオ・ギャビン少尉」
同じ少尉とは思えない、冷たく棘のある声を前に、クラードは一瞬身を強張らせつつも応じた。
「それは俺の勝手だろう。友人が困ってるのを見捨てられるほど、俺は軍に肩入れしてるつもりはないんでね」
クラードの声を聞いたアンジェラは、眉間に深い皺を刻む。操縦桿を握りしめ、黄土色の戦闘機『シンモラ』をアイネアース目掛けて突進させる。
「この、痴れ者がぁ!」
クラードは咄嗟に回避行動を取り、シンモラの突進を躱す。それに入れ替わる形で、扶桑から黒い魚雷が放たれる。しかし、シンモラから撃ち出された炎のごとき赤いビーム砲により、魚雷は激しい爆発とともにかき消えた。爆発の衝撃で、アイネアースや扶桑は激しく揺れ動き、細かな鉄の塵が外装に何度か激突する音がコクピットにも伝わる。
「統括軍の、いいや宇宙の害虫どもめ! この『レーヴァティン』の炎で、焼け死ぬがいいっ!」
シンモラから、再びレーヴァティンの赤い軌道が放たれる。太く、長い軌道を描くそれを、クラードたちは三方に散ることで回避した。そのまま、シンモラとの間合いを取りながら、モルドアは赤い軌道を描く機体のパイロットへ通信を取る。
「キャロラ、聞こえるなっ」
「はいっ、キャプテン!」
キャロラの声が、扶桑のコクピット内に響く。それを聞いたモルドアは、穏やかな口調で告げた。
「命令だ。お前は金剛に戻って、リナたちのフォローに回れ。こいつは、俺とクラードで何とかする」
モルドアの口から告げられた言葉に、キャロラは目を泳がせる。スクリーンの脇に映る、灰色の髪をした男の顔を幾度も見返しつつ、彼女は答えた。
「そんな、どうして。私はまだ戦えます!」
「だったら、その余力を仲間のために使ってやれ! これは命令だ……分かったら、行け」
モルドアはそう言って、皺だらけの顔で満面の笑みを作ってみせた。キャロラもまた、そんな彼に倣って、口元に笑みを浮かべる。目を潤ませながら、彼女は思い切り声を張り上げた。
「分かりました、キャプテン! グッドラック!」
「フリーゲート、グッドラック!」
そして、キャロラはその場で回頭し、金剛へと退却する。そんな彼女の行く手を、緑色の機体が阻む。
「邪魔を、しないでっ!」
神威から黒い魚雷が撃ち出され、敵機の心臓部で爆発する。キャロラは構うことなく、金剛へ向けて操縦桿を操る。
遠くで赤い弧を描く神威の姿を眺めながら、モルドアは一度息を吸い込んだ。肺に溜めた酸素を、ゆっくりと吐き出す。そして、彼は青い機体を駆るパイロットの名を叫ぶ。
「行くぞ、クラード!」
「了解!」
青と灰色、二つの機体はシンモラ目掛けて真っ直ぐに突進する。そんな中、クラードはちらとモニター上のレーダーマップへ視線を落とした。
ギリーズ、頑張ってくれ。心の内で呟き、クラードはシンモラへとミサイルを発射した。
◇
白と金色の機体が、互いに距離を詰め、離れる間際に攻撃を仕掛ける。一挙一動、相手に隙を見せないように注意しながら、ギリーズはオーガ・ポセイドンを駆り、スペースカノン砲や魚雷を交互に撃ち出す。
「そんなもの、効くわけがないだろう! 三下ァ!」
対するソネヴァのグリトニル・フォルセティは、続けて放たれた砲撃を難なく躱してみせた。ギリーズは、まったく損傷のない金色の戦闘機の姿を前に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
そんな彼の前で、グリトニル・フォルセティの両脇からミサイルが大量に撃ち出された。ギリーズは、オーガ・ポセイドンを静止させるとともに、自身もまたミサイルで応戦する。眼前で、互いの放ったミサイルが爆ぜる様子を眺めながら、ギリーズは次の攻撃を準備する。狙う場所が分かっていれば、対策も立てやすい――頭の内でそう思いつつ、彼は正面へスペースカノン砲を放った。その瞬間、通信越しにいたソネヴァの呻き声や、かすかな振動音が耳に入り、ギリーズは確かな手応えを感じ取る。
ギリーズは、すぐさまオーガ・ポセイドンを上昇させた。それに続いて、金色の戦闘機もまた上昇し、つかず離れずの距離を保ち追随する。速度を上げて追跡しながら、ソネヴァはギリーズへ声を張り上げる。
「さっさと諦めて、墜ちろ! ギリーズ・エンドライン!」
グリトニル・フォルセティから、黄色い砲撃が続々と放たれる。オーガ・ポセイドンは上昇を続けたまま、なるべく被弾しないように旋回を続ける。およそ五十発の砲撃を終えた後、ソネヴァは舌打ちし、顔を真っ赤に染め上げた。
「こいつ、どこまでもちょこまかと! ふざけやがって!」
ソネヴァの手が操縦桿を力強く握る。そんな彼の耳に、アスカの声が入る。あー、うー。抑揚も感情も、何も籠っていない無機質な声を聞いたソネヴァは激高し、言葉を荒げる。
「ハッ、怪物が。何も知らずに、呑気なご挨拶だな。舐めやがって!」
「アスカを、怪物呼ばわりすんじゃねえ!」
ギリーズが目いっぱい叫ぶと同時に、オーガ・ポセイドンは上昇を止め、グリトニル・フォルセティ目掛けてスペースカノン砲を放った。眼前に迫る翠色の閃光を躱し、ソネヴァは再び白い機体と相対する。明朗な口調で、彼は白い機体のパイロットへ尋ねた。
「怪物ではない、だと? 決して死ぬことのない、人類の禁忌に同情でもしたのか?」
「だとしたら、何だ」
ギリーズが即座に返答する。それを聞いたソネヴァは、瞼を細め、口元に微笑を浮かべてみせた。
「それはそれは、結構なことで。女神に誑かされた酔狂が。同じ禁忌同士、よく似合ってると思うぞ」
「うるせえ! 怪物や禁忌だろうが、おれには関係ねえ!」
ギリーズは操縦桿を握り、デュナミスの方角を目指して白い戦闘機を走らせた。黄金に彩られた戦闘機もまた、彼の後を執拗に追いかける。
「アスカは人間だ! おれにとっては、一人の人間だ! 最初に会ってから、ずっとなあっ」
ギリーズの言葉に、ソネヴァは顔を曇らせる。ニンゲン。その言葉を反復したソネヴァは、鼻で笑った。青年の放った一言は、エウリュアレという不死の怪物には最も似つかわしくなかったからだ。あの女を人間と言えるほど、馬鹿だったとはな。心の内でそう呟くと、ソネヴァはグリトニル・フォルセティの砲門からミサイルを放った。
「だったら、そのニンゲンの小娘と仲良くあの世へ行きやがれ! ギリーズ・エンドライン!」
オーガ・ポセイドンは、後方から迫るミサイルを躱し続けた。そんなギリーズの視界に、宇宙に浮かぶ青い惑星の姿が徐々に鮮明に見え始めていた。
◇
キャロラは、金剛付近へと神威を走らせ、周囲に漂っている統括軍の機体を撃墜していた。ギリーズたちと行動を共にしていた間、アインやツヴァイをはじめ、自由門の部下たちが敵機のほとんどを掃討しており、キャロラは物足りなさを感じながらも最後の一機へ魚雷を放った。目の前にある緑色の戦闘機が塵に還るのを眺めていると、リナから通信が入る。
「キャロラさん、お疲れ様です」
「そっちもね。周りは今のところ落ち着いた。距離の離れたここまで近寄ろうとする輩は、とりあえずいないわ」
「そうですか。ありがとうございます、助かりました」
キャロラの言葉に、リナは笑顔でお辞儀をする。そんな彼女を前に、キャロラは右手の拳から親指だけを上に伸ばした。
「お礼なら、帰ってきた時に聞くわ。ここが片付いたら、私も戻ってキャプテンたちの応援に……」
「それが、キャロラさん」
彼女の言を遮るかのように、リナが声を上げた。ゆっくりと言葉を選ぶかのように、リナは唇を動かす。
「先ほど、キャプテンから通信がありまして。神威を含め自由門の機体は全て、金剛へ帰艦せよとの命令が入っています」
リナの発言に、キャロラは思わず間の抜けた声を上げる。
そんな、当初話していた撤退の時間まで、まだあと四分もあるのに。だが、神威の周りにいる自由門の機体は、次々と撤退を始めていた。漠然とした疑問を抱いたまま、キャロラはリナと通信を続ける。
「ちょっとリナ、それどういうことよっ」
「そう言われましても……わたしも今、キャプテンから命令を聞いたばかりなんですから」
しどろもどろに応じるリナの声を聞いたキャロラは、モルドアたちのいる前線へ向かおうと、神威を駆る。しかし、そんな神威の行く手を二機の黒い戦闘機が阻む。通信越しに、キャロラは二人のパイロットへ声を荒げた。
「アイン、ツヴァイ、退きなさい!」
悲鳴混じりに叫ぶ彼女の声を聞いたアインとツヴァイは、目を伏せながら応じた。
「できません。特にお嬢は尻尾を掴んででも金剛まで戻せと、キャプテンからの命令です」
「お嬢の気持ちはお察しします。ですが、神威も魚雷の残量が減っていて危険です。お嬢、どうか」
部下たちの言葉を聞いたキャロラは、納得できない気持ちを抑え込みながら、分かったわよ、と一言だけ応じた。神威の後に続き、アインとツヴァイの乗った戦闘機も続く。
大きく開かれた格納庫の出入口では、黒い戦闘機が我先にと金剛の中へ入っていく。その中に灰色の機体の姿はなく、キャロラは独り深い溜息を吐いた。
◇
わずかな塵芥が漂う宙域で、扶桑はアイネアースとともにシンモラへ攻撃を続けていた。時折割り入ってくる統括軍の機体を退けながらも、モルドアやクラードは怯むことなく魚雷やミサイルを放つ。だが、シンモラはそんな攻撃を跳ね除けるかのように、ある時は黄土色の身体を旋回させ、またある時はレーヴァティンの炎で焼き尽くした。そんなシンモラの姿を前に、扶桑のコクピット内にリナの声が響いた。
「キャプテン、総員全員の帰艦を確認しました。けが人が何人かいましたが、幸いにも今度は全員が無事生還しました。セリアさんたちが、皆の治療に当たってくれてます」
嬉々とした調子を湛えたリナからの通信に、モルドアはそうか、と一言だけ応じる。そして彼は、唯一懸念していたことを尋ねる。
「キャロラも、ちゃんと帰って来てるか」
「キャロラさんも、戻って来てますよ。今は格納庫から指令室へ向かってきてるところです」
「そうか。戻って来たら、俺から急ぎ伝えたい話があると伝えろ。フリーゲート、グッドラック」
了解、グッドラック。リナの言葉を聞いたモルドアは、シンモラと相対したまま、横にいるアイネアースのパイロットへ声をかけた。
「おいクラード。お前、ミサイルとかの装備はまだ十分残ってるか」
モルドアの言葉に、クラードははい、と応じる。その言葉を聞いたモルドアは、一度小さく頷くと、落ち着いた口調で告げた。
「扶桑の魚雷の残弾が、あと一発になっちまった……俺は、それに賭けようと思う。フォローしてくれるな」
中年の男の言葉に、クラードは言葉を失う。その後、彼は一秒だけ瞼を閉じ、モルドアの顔を見つめた。
「了解しました」
一言だけそう言って、クラードはアイネアースを駆る。シンモラとの距離を詰めながら、扶桑の様子を確かめるも、灰色の機体はまだ目立った動きを見せない。
「死に急ぎの害虫が、とっとと墜ちろ!」
アンジェラが声高に叫ぶ。そして、黄土色の機体からレーヴァティンが放出された。クラードは回避行動を取りつつ左へと旋回し、長距離ミサイルを三発発射する。シンモラはミサイルを避け、再びレーヴァティンを放つ構えに移った。
「そろそろ、終わりだ! 死ね!」
アンジェラの低い声とともに、赤い閃光が宇宙をかけた。正面から迫って来る赤い光を前に、クラードは回避行動を図る。しかし、アイネアースに迫る炎は速度を落とさず、真っ直ぐに目標へと迫っていた。避けきれない――クラードがそう思った時だった。
アイネアースの左側から、突如何かが勢い良くぶつかり、激しい振動が起きた。思わぬ事態に、クラードは短い悲鳴を上げる。そんな彼の真横を、赤い炎が破裂音を上げながら掠めていった。
いったい、何が。そう思ったクラードが、スクリーンの先の景色を見つめる。すると、赤い残光の隙間から、大部分が損傷した灰色の戦闘機が現れた。クラードは、思わず叫び声を上げる。
「モルドアさん! モルドアさん、しっかりして下さい!」
クラードは、扶桑との通信を試みる。やがて、映像が所どころ乱れた状態であるものの、扶桑のコクピット内が見て取れた。そこに乗るパイロットのこめかみからは、赤黒い血が流れ出している。
「クラード、か」
弱々しい声で応じるモルドアを前に、クラードは目を伏せた。そのまま、彼は赤く染まった唇を強く噛んだ。
「すみません、モルドアさん。俺のせいで」
アイネアースの前に、シンモラが再び迫る。黄土色の機体の攻撃を防ぎつつ、クラードはモルドアの言葉に耳を傾けた。
「気にするな。お前を庇おうが、庇うまいが。俺がこれからすることは、どうせ変わらねえんだ……ッ」
刹那、モルドアは大きな咳を二、三度出した。反射的に、左手で口元を押さえ込む。手のひらには、赤い血が大量に付着していた。
どうやら、本当に限界みたいだな。そう察したモルドアの耳に、リナの涙声が響く。
「キャプテン、どうしたんですか! 応答してください! キャプテン……あっ」
リナの金切り声が途切れ、少しの間を置いた後、コクピット内に聞き慣れた少女の声が木霊した。
「キャプテン……!」
彼女の声を聞いたモルドアは、その声の主の名を呼んだ。
「キャロラ、か」
はい。一言だけそう告げるキャロラに、モルドアはスクリーンの端に司令室の映像を呼び出した。ノイズが走り、不鮮明な映像に映る少女を前に、モルドアは語りかけた。
「お前、また泣いてんのか。だらしねえ、なあ……これから、そう泣いても、いらんねえのに」
「泣いてませんっ!」
意地になっているのか、キャロラはスクリーンを睨んだ。そんな彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。結局泣いてんじゃねえか――そう思いながら、モルドアは声に出さず、途切れ途切れに告げる。
「キャロラ、よく聞け。お前は今、この瞬間から、俺たち『自由門』の新しいキャプテンだ。分かったら、今すぐに、この宙域から離れろ」
キャプテンが発した一言に、キャロラの目が大きく見開かれる。彼女が言葉の意味を呑みこむより先に、モルドアはさらに続ける。
「分かるな。これからお前が、金剛にいる奴ら、全員の命を預かるんだ。ここを創った当初からいるお前なら、やれる」
キャロラは、その場に立ち竦んだままかぶりを振る。オレンジ色の髪が左右に揺れるとともに、涙が頬を伝う。
「出来ないよ。私には、キャプテンがいなきゃ」
キャロラは、途中で声を詰まらせる。そんな彼女を前に、モルドアはスクリーンに手を置いた。彼の手指から、生温かい血が流れ出す。
「出来ないんじゃない、やるんだ。キャロラ……お前は俺の、かけがえのない娘だ。みんなを、頼んだぞ……グッドラック、幸運を祈る」
指令室に響く父の言葉を噛みしめながら、キャロラは自身の胸に拳を当てた。数秒ほど、彼女は何も言わず考え込む。父のこと、母のこと。自由門で出会った様々な人たち。彼らの笑顔が脳裏に浮かんでは、音もなく消えていく。
その後、キャロラはモルドアの顔をあらためて見返す。凛とした佇まいで、彼女は幾度も大きく頷いた。それを見たモルドアは満足げな笑顔を見せると、無言で金剛との通信を切ろうとする。
「とうさん……!」
キャロラが言いかけたところで、娘の顔は視界から完全に消えた。スクリーンに、青い戦闘機と黄土色の戦闘機が、宇宙で戦いを繰り広げる様子が映し出される。
最後に、言えるだけのことは言った。悔いはない――そう自分に言い聞かせながら、モルドアは扶桑を前へと動かす。操縦桿を握る手が、血で滑って上手く動かない。
だが、それでも。モルドアは、精一杯力を振り絞り、扶桑を動かす。出来る限りスピードを上げながら、最後に残った魚雷の発射準備に入る。すると、シンモラがアイネアースから距離を置き、扶桑へと砲口を向け直した。
「なんだ、まだ生き残ってたのか。だが、そんな状態で何が出来る! 墜ちろ!」
アンジェラの声が、コクピット内に響く。灰色の髪をした男は、彼女の声を聞き流し、ただひたすら扶桑を黄土色の機体目がけて突進させる。
「モルドアさん!」
クラードの呼びかけと同時に、シンモラは赤い炎を放とうとする。モルドアは、速度を落とさないまま黄土色の機体との距離を縮める。
そして、あと少しでシンモラと接触するところで、扶桑の魚雷発射管から黒い魚雷が放たれた。魚雷は、レーヴァティンを今まさに撃たんと、赤い光を帯びる砲口に命中した。
刹那、クラードの目の前で赤い閃光と共に、大きな爆発が発生した。彼は咄嗟に、アイネアースを上昇させる。機体がわずかに振動し、操縦桿を握る手も歪に震えた。
「モルドアさん……!」
クラードは、赤く充血した目を、眼下に漂う空間へと向ける。先程まで扶桑とシンモラがいたその場所には、熱で形が変形した鉄屑や塵のほか、灰色をした丸いポッドだけが漂っていた。
◇
「扶桑の機体反応が、たった今、消失しました……」
スクリーンのレーダーマップを見つめていたリナが、嗚咽交じりに報告する。それを聞いたキャロラの手が、一瞬ぴたと止まる。やがて、指令室にいた老若男女からどよめきが巻き起こる。
「そんな、キャプテンが」
「う、嘘だろ?」
先ほどまで自由門を率いていた男を失ったことにより、指令室にいた人間の表情が、混乱と喪失感とで埋め尽くされる。キャロラの後方に控えていたアインとツヴァイもまた、目元に涙を浮かべ、嗚咽を上げながらもその場に立ち尽くしていた。
「お、お嬢、大丈夫ですか」
「お嬢、お疲れでしょう。ここは一度、お部屋でお休みになっては……」
アインとツヴァイは、互いに言葉を探りながらキャロラへ声をかける。彼女の瞳は、スクリーンの風景やレーダーマップなどに向けられ、忙しく動き回っていた。
「……時間に、なったみたいね」
キャロラはぽつりと呟く。そして、一度深く息を吸う。鼻腔と喉に冷たい空気が流れ込み、肺を心地よく刺激する。間もなく、少し熱の籠った息を吐き出すと、彼女は指令室全体に伝わるように、声を張り上げた。
「みんな。たった今から、この宙域を離脱するわよ」
凛と響く声を受け、リナやアイン、ツヴァイたちは一斉にキャロラへと顔を向ける。頬に涙の跡を残したまま、彼女はさらに続けた。
「ギリーズやアスカ、クラードのことは心配だけれど……私は、必ず無事に生き延びると信じるわ。だから、私たちは生きるため、ここからの離脱を選択する」
キャロラの言葉を受け、リナたちは互いに頷き合い、前を向いた。そして、彼らの手が再び金剛を動かす準備を整えた時、新しいキャプテンは迷うことなく、快活な口調で告げる。
「さあ、新しい自由門のキャプテンの命令よ。総員、金剛の離脱準備を進めて! 金剛、百八十度回頭! もし統括軍の戦艦からミサイルが撃ち出された時は、直ちに撃ち墜として! 全速前進よ!」
キャロラの命令に従う形で、黒いフリゲートはその場で回頭し、前へと進み出す。青い惑星を背にしながら、金剛は再び暗い宇宙へと消えていった。
◇
すぐ側に近づくデュナミスの姿を前にしながら、ギリーズとソネヴァは戦いを続けていた。白い機体と金色の機体は、互いの武装をぶつけ合っては打ち消し合い、どちらかが仕掛けた時は回避行動を取り続けた。未だに致命傷を与えられないまま、ギリーズは舌打ちする。
デュナミスまで、もう目と鼻の先まで近づいてきた。周囲を見渡しても、統括軍の機体の姿はほとんど見当たらなくなった。近づいてきた緑色の機体は、オーガ・ポセイドンの魚雷とミサイルで接近される前に対処してきたが、その分武器の消耗も早い。対するグリトニル・フォルセティは、ミサイルなどの武装にもまだ十分に余裕があった。これ以上の持久戦は不利だ。声に出さないまま、ギリーズは確信する。
「どうした、ギリーズ・エンドライン! そろそろ弾丸が切れて来た頃合いかぁ、どうだ?」
ソネヴァは余裕を崩さないまま、白い戦闘機目がけてスペースカノン砲を放つ。ギリーズは回避行動を取るも、オーガ・ポセイドンの尾翼に翠色の残光が接触する。モニターに踊る警報音を解除しながら、ギリーズは再び金色の機体と相対した。
「そんなの、おれをさっさと墜とせば分かることだ。それが出来ないから、分かりもしないことを口走ってんだろ、小物が!」
「おーおー、あー!」
ギリーズは、ソネヴァへ向かって目いっぱい声を張り上げる。アスカもまた、彼に倣って叫んでみせた。対するソネヴァは、眉間に皺を刻みながらも、周囲に構えている戦艦の様子を眺めた。ゼウスをはじめ、全ての戦艦の準備が整ったらしい。
わずかに残る冷静さを駆使し、ソネヴァは思考を巡らせる。これでいい、完璧だ。そう確信したソネヴァの口元が歪み、左右非対称の笑みを作り出す。
やがて、グリトニル・フォルセティはその場で後退する。ギリーズはその光景を前に、オーガ・ポセイドンを前進させようと操縦桿を握った。
「逃がすか、あいつ……!」
「トリトン!」
ギリーズの後方で、アスカが叫ぶ。刹那、ゼウスから放たれた青白いビーム砲の光がスクリーンを埋め尽くしたかと思うと、ギリーズの視界は眩い光に包まれた。