07月11日
あれから三日たった。あれから、とは俺が『FLOWER DRAGONS』に入ってからだ。
鉛筆を回しながら、上の空を見る。
今は、大学の講義中である。外国語__ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語、ヒンディー語の中から、俺はドイツ語を選択している__の講義である。こないだ入学したばかりのこの大学の講義にはまだあまり慣れていないため、暗号のように聞こえるこの授業はとてもつまらない。
ガチャン。
視線が俺の方に向く。シャーペンを落としたからだ。俺はすぐ拾って、いつもはつけていない眼鏡を正すと、すぐに元の体制に戻る。そのとき、皆に向かって一礼したら、また、教授は暗号を言い出した。
三日前、あそこに泊まっていけばいいと言われたので、俺は甘えて止まっていった。しかし、いつも寝るときに抱く枕がなかったので、こっそり、夜中に抜け出して、家に帰った。それから、あの家には行っていない。
しかし、今日、訪れてみようと思う。あの後部屋で、悠の連絡先だけもらった俺は、あの日帰った朝方、勝手に帰ったことを謝れば、今日来い、ということだった。日付があったので、俺は引っ越し業者に連絡し、荷物を運ぶ手配になっている。
チャイムが鳴る。すると数秒としないうちに、暗号は途切れ、俺でもわかる言葉となった。
「では、本日はここまでにする。」
たったこの一言で、椅子のいかれる音、話すざわめき、すべての音が一片に耳からの情報として脳に伝わる。
俺には基本友達がいない、いない‥‥いないはずだった。しかし、俺には話しかけてくる男、女、うじゃうじゃといる。
まず話しかけてきたのは、入学式に入る前。俺が楽器を持つのを見て、話しかけてきた楽器好きだった。名前は‥‥何と言ったかな‥‥。
「よう、龍。あ、今日はさ、軽音サークルのみんなで、あそこのファミレス行こうって話になっていたと思うけど、龍は来る?」
窓から見える小さなファミレス店を指さしてくる、その楽器好きの彼は、俺を軽音サークルに連れ出した、少しおせっかいな、世話好きの男子だ。そこまでの情報は思い出したが、これ以上は、名前すらも思い出せない。
「今日はいかない。用事がある。」
俺はいつも通り簡潔に答えた。
簡潔に答えたところで、次の人が話しかけてきた。
「ねぇ、龍くん__でいいよね?__いつも路上ライブ聞いてたよ。今日も行くの?」
俺の路上での歌を毎日聴きにきていた常連さん。もちろん、常連が学校同じだからと言って、名前は覚える気にはならない。
「用事があるから、今日はいかない。」
昨日も、一昨日も、一応行って歌っていた。もう、習慣になりかけている。しかし、家があちらに移って、衣食住全てが、あの空間となれば、もう路上で歌うこともなくなるだろう。
「俺は、もう行く。」
考え事をしていたら、次々に話してきていたらしく、返事を返さなかった奴は、あからさまに拗ねている。申し訳なく思いながらも、心の底では、有名人ってわけでもないんだから、俺に話す必要性はないだろ、と、少しキレかけていた。
俺は、講義のときに、特等席としているこの後ろから三列目の席は、少し遠いものの、人が座らない席なので、楽器の荷物とかは、後ろの席に寝かしても、まったく問題はない。目がよくてよかったと思った。
‥‥今日眼鏡をしていたのは、学校では目立ちたくないから真面目なふりをしようと、毎日つけているものだ。しかし、あまり効果はないので、ただの飾り物となっている。一部の人は、アクセサリーだと思ったのか、真似してくる、流行女子もいた。
とりあえず、早く帰りたかったので、俺は後ろの机に寝かせてあった、俺のベース、そして、チューニング用の機械やシールドが入っている鞄を担ぎ上げると、ざわめく教室から出ていった。
大学を出て、数十分歩くと、もうお別れとなるアパートが見えてきた。アパートの敷地内に入ると、俺は、真っ先に、一階の右端にある、大家さんの家へ向かった。
ピンポーン
一般的なインターホンの鳴るこのアパートは、少し古いながらも、こないだ行った耐震工事のおかげで、少しだけ新しく見える。しかし、見た目はよくなったものの、インターホンの音までは変わらなかったようだ。
「はーい、どなた?」
「5階、504号室のものです。引っ越しすることを宣言していたとは思いますが、今日にしようと思い、今月のお金と、粗末なものですが、鬼饅頭を持ってきたので、受け取っていただきたいと思い‥‥」
「あ、華恋ちゃんね。もう、声まで、イケメンなんだから」
笑いながら出てきた大家さん。
俺の事情も知っていて、高校のときは、俺のところによくご飯を作っては届けてくれた。そして、男装を勧めてくれたのもこの方である。
「お世話になりました。ほんとに、いろいろと。」
「いいのよ。気にしないで。バンド、続けていくんでしょ?頑張って有名になって、私が知り合いだってことが誇れるぐらいになって頂戴ね。」
また、冗談ぽく言う大家さん。俺が、去っていくのが辛くならないように気を使っているみたいだ。
「俺は、もう大人です。大丈夫ですよ。」
「そうね。おばさんも安心だわ。」
「では‥‥トラックも来たみたいですし、そろそろ移動始めますね。ほんと感謝しています。」
俺は深く一礼し、その場を去る。暖かい視線が差しているのがわかる。ほんとにありがたい方だった。
エレベーターに乗って俺は5階に向かった。そして、降りる。丁度インターホンを押していた、引っ越し業者と目が合った。俺が、大家さんと話していた時に後ろを通っていた人だ。
「そこの家のものです。わざわざ来てくださってありがとうございます。」
「あ、瀧音さんでよろしかったですか?」
「はい。」
俺は鍵を開けると、中に誘い込んだ。扉はほかの人も入ってくるだろうと、開けたままにする。すると声がした。
「龍、ここであってるか?入るぞ。」
「悠?ほんとに来たのか。」
一応住所を教えてあったので、来られたことに、疑問はないのだが、忙しかったら来ないとも言っていて、時間が経っていたので、来ないものだと思っていた。だがしかし、そんな予想も外れだ。
悠も来て、荷物をトラックに載せる作業はスムーズに進んでいき、きっと予定よりも断然早くなったであろう。引っ越し業者のトラックが後ろの扉を閉め、エンジンをかけた。
「俺はここまで車で来たんだが、一緒に移動するか?」
悠が俺に尋ねた。俺はもちろん肯定する。電車で行ける距離だが、お金の無駄であるし、悠の車‥‥というのもちょっとばかし気になる。
数分歩けば、パーキングがあって、悠はそこに足を進めた。俺もついていく。
車は多くは止まっていなかった。しかし、少ないとも言えなかった。空きはあるものの、悠の車をこの中から探すのは不可能といえよう。
「これだ。後ろでも前でも好きな方に乗ればいい。早く出発するぞ。」
「が、が‥‥外車!?」
「あぁ、魁斗からの誕生日プレゼントだ。確か一昨年もらった。」
さすが金持ち__。信じられないぐらい稼いでいるんだろうな、って改めて思った。
もちろん、車の扉を開ければ、綺麗なシート、透き通ったガラスの窓が待ち受けていた。
「龍、オープンにするか、どうする?」
「おーぷん?」
「これ、オープンカーなんだが、いい天気だし、せっかくなら開けてもいいかなって思ってさ。」
なるほど、それなら__
「開けてもらってもいいか?」
「あぁ。了解したよ、龍」
ウィーンという音で上の扉が開いて、青い空が見える。ほんとに、綺麗な天気である。これが、俺の未来を表しているならば、きっといい未来なんだろう。
そうあってほしい。
数十分経つと、さっきアパートの前で見た引っ越し業者のトラックが見えてきた。その隣では、これはなんだ?みたいな顔__あくまで、俺の予想だが__でトラックの周りをうろちょろする二人、魁斗と琉羽がいた。
「魁斗、琉羽!」
運転席の左窓に左腕をかけて、二人を呼ぶ。
「悠!‥‥と__」
「龍だ!!どうしたの!」
俺を見て、驚く二人を見て、自然ににやけた。こんな驚く姿は、普段の生活で、見られるものではない。微笑ましい。
「引っ越し。正式に、こっちに住むことになった。」
「__ということだ。車、駐車してくるからその間に、部屋まで運んでくれないか?」
悠が二人に頼んで、再びハンドルを握りなおした。
****
「ただいま」
「‥‥お邪魔します。」
あの、綺麗な家‥‥というか部屋に足を踏み入れた。
「龍、もうここはお前の家だ。お邪魔しますじゃなくて、ただいま、な。」
そうだ。俺からしてこの家は、他人__友達の家とかじゃなくて、自分の家になるんだ。ただの綺麗な家でもなくて、見知らぬ、不思議なアジトでもない。自らの家に。
「龍―!お帰り!!」
「琉羽!まだ、運び終わってないんだから、先にそっちやれよ」
「俺も手伝う。」
魁斗と琉羽ばかりにさせることではないから、そう、一言いい、手伝い始めた。
30分後、片付けは終わった。
俺は、荷物の入っていた段ボールをナイロンテープで巻き、外に出した。そして、悠と俺の寝室へと戻った。
「なぁ、龍‥‥これ__」
俺らの二段ベッドの下を指さして、苦笑いする。そこには俺の荷物が乗っていた。
「龍‥‥まさか、だが、これがないと寝れないからと言ってあの日戻ったのか?」
「悪いか?」
二段ベッドの下は俺のベッドで、俺の荷物というのは、赤色のうさぎのぬいぐるみと、黄色のくまのぬいぐるみだった。しかも少し大きめ。だから、悠は驚いているのであろう。
「悪くはないんだが‥‥その、お前、すごく女子力高いな‥‥」
「これは女子力じゃない。」
女子力じゃない。ただの、可愛いものが好きなだけである__。そういったら、はぁ、とため息をつかれ、まぁいい、と言われた。
俺は、後ろの悠に目をかけ、すぐに前を向くと部屋の扉を開けた。
「龍、片付いたのかよ?」
「あぁ。‥‥買い物行ってくる。」
夕飯を買ってこないと、冷蔵庫には何も入っていないだろう。買ってこなければ、夕飯なしとか言われてしまうだろう。いや、それは嫌だ。
「僕も行く!」
「じゃあ、琉羽もつれてく。」
では、行ってくる__そういい、俺らはこの家を後にした。
****
「ねぇ、龍?」
「どうした?」
デパートについたときに、少し疲れた顔をした琉羽が俺に尋ねる。
「‥‥なんでこんな遠いところまで?」
確かに少しばかり遠い所へときた。それほどに疲れたのであろうか。
「いや、別に特にといった理由はない。ただ、ここの常連なだけだ。」
「常連??」
「あぁ、いつもここにきてるから、置いてあるものとか探しやすい。それに、ここは安い。特に、今日は、な。」
水曜日__。今日はいつもより安い曜日なのである。それくらいは何年も通っていたら、覚えてしまうものだ。
「ふぅん、そうなんだね!‥‥じゃ、いこっか。」
カートに籠を入れ、手で押して突き進む。ころころとカートの音が鳴り進む。
「まずは野菜だな。」
「今日は何食べるの?」
「何も考えてない。とりあえず買う。」
なんとなくは決めているが、いつも安くなっているもので献立は変える。いつものことだった。
‥‥目の前の白菜が安い。白菜、か。白菜っていえば何かあるか‥‥?
「琉羽、白菜といえば?」
「うぅーん、鍋とか?もしかして、鍋にしてくれるの!?鍋大好きなんだよね。」
「いいけど、ほんとに鍋でいいのか?」
「うん!塩鍋ね!」
キムチ鍋がよかったんだが、辛いのが苦手だとダメだし、仕方ないか。俺は、心の中で少しばかり残念に思いながらカートを進めた。
魚のコーナーを通り過ぎお肉のコーナーへ向かった。鍋にはお肉も必要であろう。野菜だけじゃやっぱりつまらないものだと思う。
他にも、大根と、豆腐と‥‥牛乳とかヨーグルトとか、調味料、あとは缶詰やお菓子とかその他諸々、たくさん買っておいた。
最後、総菜のコーナーを見ていたところだった。
「お、琉羽!‥‥ん?てめぇ、誰だ?」
頭に一筋金髪の髪の毛が伸び、それ以外を刈り上げにしている人が話しかけてきた。琉羽の知り合いらしい。
「__慶?」
琉羽に慶と呼ばれた男は、にやりと笑う。
「あぁ、久しぶりだな。__なんだ?もう新しいベーシストでも見つけたのか。せっかく戻ってやるかと考えてたのによぉ。」
連れと、慶と呼ばれた男は笑う。すると呼ばれる男の人は、俺の隣にきて勝手に肩を組む。
「ふん、慶、噓つくなよ。」
連れが俺の隣にいる高身長の男に話しかける。男は笑った。
「くくく‥‥そうだな。俺は噓をついた。」
「ど、どういうことだよ!?」
口調が荒れかかっている琉羽。笑う二人を置いといて俺が琉羽の耳元で答えた。
「慶っていうやつは戻る気はないってことじゃないのか?」
息をのむ琉羽。きっと予想はしていたのだろう。驚いた顔ではない。信じたくない、そんな顔だった。
「っ慶!!なんでお前!!」
「なんでお前!!__じゃねぇだろ。お前らとの真面目なバンドごっこはつまんねぇ。」
「真面目なバンドごっこ__?」
黙りこくる琉羽。もう泣きそうな顔だ。俺は琉羽の背中に左手を置いた。
この話を聞いていて、正直腹が立っているのは俺も同じである。あの時の言葉を思い出す。
(あんたのやっている生真面目なバンドごっこなんか見ていたくもないんだよ!消え失せろ!!)
「っ‥‥」
俺はもう、バンドごっこと言われてもくじけないようなベースの練習もして、男になることで強くなった。__と思っていた。でも‥‥それは違った。強がっていただけだった。俺の心は変わっていない。だから、指の先すら動かない。
「二人して、動かなくなって‥‥面白っ!な、浩。」
連れの名前は浩らしい。浩と呼ばれた男が笑った瞬間、男はもっとすごいことを口にする。
「魁斗はさ、俺のこと、中学から一緒で大学まで一緒だったからって勝手に親友呼びしやがってふざけんじゃねぇよ。信頼してるから、金貸してやるとか、困ったら言えってさそんなリッチ野郎にはわかんねぇよ、俺らがどんな暮らししてるか。俺のことわかってもいないやつがよく、親友呼びしてくれたぜ。あんな虫けらのクズが。」
「もう一度言ってみろよ!!」
琉羽が怒った。周りの客も目を見張る。それはそうだ。小さいやつが大きい人に向かって胸ぐらをつかんでいるなんてことが急に起こったら驚きもするだろう。
だが、俺は驚かなかった。なぜかは、わかりきったことだ。自分が出かけていたこぶしをしまう。自分も行こうとしていたから。
「あいつなんか、これっぽっちも信頼してなかったっていってんだよ。あんなクズ。」
そういって琉羽を突き放す慶とよばれている男。俺は、カートを手放して、突き放された琉羽を受け止めにいった。
ぎりぎり間に合った。だが、勢いが強く、後ろの棚にぶつかり、物が落ちてくる。女である俺よりも小さい琉羽を丸め込んで包む。ドラムは全身使うから、体にけがを負ったら困る。その割に、ベースはましだから__。
「‥‥浩、帰るぜ。」
「あぁ‥‥ざまぁみろだな、こいつら。」
「すっきりした、ほんと。」
男二人は去った。俺は俺の上にある、売り物をどかす。打った背中がうずく。
「‥‥っ琉羽?__大丈夫か?」
俺は平然を装う。だいぶ傷んではいるが‥‥。
「うん、大丈夫‥‥」
「怪我だけじゃない。」
そういうと黙りこくる琉羽。すると、俺の方を向いて泣きついてきた。
「‥‥あいつ__。あいつ、むかつく!!悔しい!悔しいのに‥‥何もできない!!」
俺は琉羽の背中をさすりながら、少しずつ落ちた売り物を拾い始めた。すると、周りの人も少しずつ手伝ってくれた。それも、大丈夫ですか、とか、貴方達は悪くないですよとか慰めの言葉をもらいながら。礼を言いながら、泣きつく琉羽が胸の中にいるので、手だけを動かして、まとめる。そして、他の人に戻してもらう。
「ありがとうございました。」
その言葉を受けて、皆はにっこりと笑って去っていった。
「琉羽、立てるか?」
「うん、立てる。ごめんね‥‥龍。」
「帰るぞ、とりあえず。」
うなずく、琉羽。
カートの中身をレジへと持って行った。そして払う。そこそこの値段がかかったが、俺も金がないわけではなかったので普通に現金で支払った。
「ただいま戻りました。」
「‥‥ただいま。」
帰ってきた。自分の住む家に。
「お帰り‥‥琉羽、どうしたんだ?」
「遅かったじゃねぇか。琉羽がどうした?」
「琉羽、一度部屋で休んでおけ。俺がご飯作る間だけでも寝てな。」
俺の言葉で、察した悠と魁斗。そっとしておいてほしいというのが伝わったらしい。そのあとも、何も聞いてこなかった。
俺は、買い物袋を台所へと持っていき、冷蔵庫に片づけた。
「‥‥っ」
背中が痛む。右肩甲骨の下が。我慢する。
今日の献立は鍋‥‥塩鍋だ。具材を切って、そくささと鍋の中へと入れていく。そしてふたを閉めて、煮込む。
「なんだよ、お前ら。」
「はやっ‥‥」
「ほんとに__料理が得意なんだな。」
魁斗、悠と順に声を出していく。俺の料理力に驚いたみたい。
数分経って、調味料を入れて、もう一度煮た。
「ん、完成した。琉羽、誰か起こしてくれるか?」
「俺、行ってくるわ。悠と、龍、皿とか用意しといてくれ。」
俺らは各自の仕事にそれぞれ了解し、各方向へ、移動した‥‥が。
「皿、少ない‥‥」
「あぁ、使う機会がなかったからな。‥‥買いに行かないとな。」
信じられなくも思ったが、よく考えれば、ここはコンビニ生活をしていた人たちだから、仕方ないのかもしれない、そう考えなおした。
机に着席する。落ち着いた琉羽もそろった。
席は台所側に俺、魁斗が、テレビ、リビング側に座るのは悠、琉羽。窓側は魁斗、琉羽である。
皆が器に具材をとり終わると、琉羽は、話し始めた。今日のことを。
「‥‥っあいつ!!」
怒った魁斗は、隣である俺の背中をたたいた。
「‥‥‥‥っ!!」
激痛が走る。俺は、痛すぎて膝を抱え、椅子から落ちた。
「龍!!」
「え、俺、なんかしたか!?慰めのつもりで、背中‥‥」
「背中っ!!」
悠、魁斗、琉羽の順番で声を出す。その中でも魁斗の言葉は途中までだった。なぜなら、琉羽が遮ったから。
「背中?」
「まさか龍‥‥俺かばったとき__」
実際そうだった。当たっている。琉羽が飛んできたときにかばって棚にぶつかったときの痛みだから。
「龍‥‥ごめん、ごめんね。やられっぱなしだった上に、関係のない龍まで巻き込んじゃった__ほんとごめんね‥‥」
「ほら龍、俺、医術ちょい勉強してんだ。背中向け。」
ちょっとピンチ‥‥だな。大変だ。俺‥‥女子なことばらすなって悠に言われたんだ。ばれたらどうなるかな。魁斗‥‥とか、怒りそうだな。__それよりも痛い。
「ゆ、悠。俺‥‥」
「どうした?魁斗にやってもらえ。応急処置ぐらいならやってくれるぞ。」
「違う‥‥」
わかってくれない‥‥絶体絶命じゃねぇか。悠もこんなところで天然発揮するとは思わなかった。
「魁斗‥‥大丈夫だ。もう‥‥立ち上がれる」
「息切れてるのに無理あるだろ__もしかしてだが、龍隠し事してんのか?」
ついに、山だ。これで気づかなかったら、俺は終わり‥‥だろうな。悠、気づけ。
そんな心配もつかの間、杞憂で終わった。
「あぁ、そういうことか。龍、すまん、忘れてた。」
はぁ、ぎりぎりセーフ。
「ほんとに隠し事だったの?」
「あぁ‥‥あんまり人に言いたくない‥‥」
二人も、しぶしぶ了承してくれた。
「それなら追及しねぇが。悠に見てもらえ。」
俺は、頷いた。なんなら、ほかっておいてもいいが、とか思ったが、今にも泣きそうな顔をしている琉羽と、背中を優しくなでてくれている魁斗を見て、誰が二人の望むことに背くだろうか。俺には無理だ。
「食事に戻ろう。傷の手当は後でいい。‥‥鍋は暖かいほうがうまいからな。」
痛みが少し収まった身体をゆっくりと持ち上げ、席に着く。ほかの人も続いた。
静かな食卓である。男3人、男装女子1人。もっとうるさくてもいいはずではあるが。それともなんだ、俺の認識の間違いなのだろうか。男性の混じった会食はうるさいというのは。身内には男がいなかったし、学校に行っても男子は喧嘩した後でもうるさかった。やっぱり成人男性は違うのか、そう思った。
食べ終わって、静かに鍋を洗っていると、また痛みが走ってきた。鍋を少し大きめのものを使ったので重さで痛みが増しているのであろうか。
「大丈夫か?」
心配してか、魁斗が寄ってくる。‥‥罪悪感でも感じているのだろう。俺は一言声をかけた。
「別に悪かったとか思わなくていい。魁斗は悪くない。」
「優しいな、龍は。ありがとな。‥‥お大事にしろよ」
最後に一言つけてテレビの前へと戻っていく。その言葉といい、右手を挙げる仕草__頑張れとか、ありがとう、とかって意味と受け取った__といい、なんか、ありがたい。一人暮らしではありえない温かい行動が見れた気がした。
****
「‥‥っ!!」
「ちょっとは我慢しろ。俺だって難しいんだからな。」
「でも__」
じたばたする俺と、あたふたする悠。先ほど、魁斗が、
「背中の傷は広範囲に及ぶと思うから塗り薬‥‥が一番楽にできると思う。風呂場でやってもらうのがいいんじゃねぇか?」
なんて言って、風呂場に塗り薬と俺と悠をぶち込んで去っていった。そこから逃げるわけにもいかないし、結局はしてもらうことだったので、俺は胸から下にかけてタオルを垂らして、先に入っていった。そのあとに悠も来た。そこから傷__そこそこ大きい切り傷と打撲で、さらしは一部赤くなっていた__に水をかけ、悠に塗り薬を塗ってもらう。そこで今の状態になるわけだが‥‥
「そんな、俺は女の背中なんて触ったことないんだから、動くなよ!」
リビングまで聞こえないように叫ぶ悠。
「母親ぐらい‥‥ないのか?」
「__か、母さんのはあるが‥‥」
鏡越しに見る悠の顔が赤い。俺のせいなのか、その発言のせいなのか、それはわからない。
「そんなに無理ならもういいぞ。俺は髪洗って出る。」
「あと、そこだけ塗る‥‥」
そういって傷が一番深かったところに塗り薬が届く。悠は知らずにやったみたいだが、さすがの俺もギブアップ。
「痛い~~っ!!」
自分の叫び声の後に聞こえてきたのは、リビングから届く、小さな笑い声の言の葉だった。