リサと名前
至福の時は終わってしまった。
後には、現実味のない現実が待っている。
「夕方とはいえ暑いな……早くあの涼しい部屋に帰ろう」
「お前、なに当然みたいなノリでリサんち戻ろうとしてんだよ!」
一周して戻ってきたはいいが、憧と自称王子が揉め始めた。
私はケンタロちゃんと一緒に憧の家の玄関を入り、足を拭いて犬用の柵の向こうへ放してやった。ケンタロちゃんは番犬ではなく愛玩動物なのだ。外飼いなんてとんでもない。
「リサ! こんな怪しいヤツ絶対家に入れるんじゃねぇぞ!」
「それは困るぞ町民! 僕はあの家の薄い扉からしか城に帰れないのだ!」
「バイバイ、ケンタロちゃん……また明日ね……」
ケンタロちゃんはぷりぷり尻尾を振りながら、雛倉家のダイニングへ去ってしまった。
かわりにキツめの美人が顔を出す。
「リサ。夕飯まだなら食べて行きな」
憧のお母さんだ。
「ありがと惠美おばさん。でも冷蔵庫に野菜残ってるから今日はいいや」
「そう? じゃあしょうがないけど、たまには食べに来なよ」
「いいじゃねーかリサ、食ってけよ。野菜なんて明日使えばいいだろ」
「もやし傷むからムリ」
「そ、そうかよ……」
憧にも引き止められたが、断ると落ち込んでいた。
憧は昔から、些細なことで落ち込みやすい。
「では戻るか!」
「いや、だから待て!! お前はリサんちと関係ねーだろ!」
「いや、だからあるって言ってるじゃん!! なぜ何度も言うのだ町民!」
憧は自称王子と結構仲良くなったようだ。
ケンタロちゃんに夢中であんまり覚えてないけど、散歩中も二人はひっきりなしにしゃべっていた。こいつ憧の家の押入れから出てくればよかったのに。
「じゃ、おばさんまた明日」
「はいよ。おやすみー」
「帰りがてら聞きたいのだが……その……バニラバーは、あと何本くらいあるのだ?」
玄関を出ながら、自称王子がなんかモジモジしながら小声で聞いてくる。
キモイなと思っていると、憧が慌てて追ってきた。
「待てよリサ俺も行く! ババア俺今日、り、リサんち泊まるから!」
「はぁ?」
脳内で聞き返すと同時に、惠美おばさんも聞き返す。
「何言ってんのバカ息子。あんたこの前の小テスト、点数落ちてただろ。今日の分の予習復習やったの? 終わってないクセにナマ言ってんじゃないよ」
「で、でも今日は……!」
「毛染め代」
「ぐっ……」
憧が黙った。美人が凄むと怖い。
憧は、実は成績がいい。
というか、良い成績を保たないと金髪にするお金をやらない、と惠美おばさんから言い渡されている。見るからに不良っぽい外見にするなら、成績の方は真面目感を出せということだ。
元々特に勉強好きでも秀才でもなかった憧は、毎日結構な時間を予習復習に充てている。ぶっちゃけ程々でいいやーとか思っている私に比べて超努力家。
オシャレのためによくやるよねー。
・・・
ケンタロちゃんと雛倉家に別れを告げ、帰宅。
「リサ! お腹が減ったぞ!」
「うわっ! そうだ、いたの忘れてた」
流しで手を洗っていると、背後で声がしてビビった。
「城ではいつも、日が暮れると夕食の時間なのだ。そろそろ食事を!」
自称王子は、ダイニングテーブルに両手を乗せた状態で着席していた。
「そろそろ食事を!」じゃないわ。
うちのダイニングで、浮いてるんだよこのコスプレ王子!
ムカつきながらもやしを取り出す。キャベツも刻んで、細切れ肉と一緒にフライパンへ放り込む。
「おお! いい匂いがしてきたぞ、何を作ってくれるのだ!?」
「和室へ行け」
誰が貴様に食わすと言った。
・・・
「……帰れなかったぞ……」
「チッ」
何度か王子が和室⇔キッチン間を往復し、今度こそ戻ってくるなと願ったのに戻ってきた。
「なんと、食事の用意ができているではないか! ありがとう!」
「これ私の」
「エーッ!?」
王子が目と口を大きく開き、心底驚いた顔で奇声を上げる。
思い通りの未来を手にするためには、そうなると盲目的に思い込んで行動するといいと聞いた。
だから配膳は私の分だけにした、のに。
「シクシク……お腹が空いて死んでしまう……パパ上……ママ上……」
「うざいよぉ……」
王子の「食事が出てくるに違いない」という盲信の方が強力だったってことなの?
つら……。
・・・
「……美味しい! 僕は、野菜は美味しくないと常々思っていた! だって草じゃん! でもこれは美味だぞ! リサは草の調理が上手いタイプなんだな!」
「黙って食べろ」
どんなタイプだよ。ゴマ油マジックだ愚か者。
渋々夕飯を出してやり、見慣れない輩と向き合って食べることになってしまった。
憧からは5分置きにLINEが来る。
『リサ大丈夫か!?フルーツ王子に怪しい動きはないか!?』
むしろ怪しい動きしかしてないよっと。
返信も既読つけるのもめんどいので、王子は帰ったことにしておいた。あとはスルーでOK。
「リサはこの家に一人で住んでいるのか?」
「そう」
フォークで豆腐の味噌汁と肉野菜炒めと白飯を食べながら、王子が聞いてくる。
うちの両親は今年の春から海外転勤だ。私は一人残る選択をした。
「独り立ちか、立派だな!」
ここより暑い新天地で、一から始める理由と根性が見当たらなかっただけだ。
「身の回りの世話をする召使もいないのだな!」
週一で家政婦さんに来てもらおうかとかいう話もあったけど、断った。家中の掃除を私が引き受ける条件で、家政婦さん代を貰えるよう交渉した。
だから私は、結構リッチな女子高生なのだ。おほほ。
「寂しくはないのか、リサ!」
「あれ? 私名前言ったっけ……」
「町民の男が呼んでいたので覚えたのだ! えっへん!」
憧のせいで私の個人情報が。
挙句王子はドヤ顔。
「リサも僕のことは名前で呼んで構わないぞ!」
「いや結構です」
「遠慮するな! しばらく顔を合わせる者同士、名は気安く呼び合うものだろう!」
そんなに長く置くつもりないわ。
明日も消えなかったらいよいよ警察に相談か……
・・・
「さあリサ、僕を呼んでみろ! チャーミング王子だ!」
「チャ王子」
「!?」
王子がショックを受けた顔になる。
基本リアクション暑苦しいよなこの人。
「なんだその呼び名は……」
「短ければ短いほどいい」
声を発するのもダ~ル~い~
「やだやだ、そんなのやだ! 僕の名前らしくない、変えてくれ!」
「チャーミ」
「なんで中途半端な所で切るのだ!」
「チャーちゃん」
「それは……僕がまだ小さく愛らしい子供だった頃、ママ上様だけに呼んでいただいていた名前だぞ(ポッ」
キモキモ。照れんな。
じゃ、チャーミンで。
「あと一文字なのに! この偏屈!」
めんどいって言うのすらめんどいんだから。察しろ。
居候の分際で家主にたてつくんじゃない。




