55:転職
「転職、することにしたよ。あと、引っ越しも」
テーブルに肘をついてウトウトしていた私に、外出先から帰ってきたシエルが言いました。
「引っ越し?」
「うん。例の戦争の話を蹴っちゃったから……この国での再就職は難しくて。別の国で魔法器具の工房があるんだけど、そこで働けることになったんだ。実験や個人的な魔法関連の取引は、内容にもよるけど今後も続けるつもりだよ」
彼の話によると、この国から海を挟んで対岸に魔法の盛んな国があるらしいのです。
だから、そちらへ移り住んで新しい仕事を始めるのだそうな。
「わかりました、シエルがそれで良いのなら。私はシエルが元気な方が嬉しいです」
「ありがとう」
そう言って、シエルは私の唇にキスをします。
場所が場所だけに……そういうことは初めてだった私は、大いに戸惑いました。頬ならよくあるのですが、唇にキスされるのは初めてです。
「し、シエル……あの、そこは」
「あのとき、ネージュがああいってくれて嬉しかったよ。僕が行くところ、これからずっと一緒についてきて欲しい」
「あたりまえじゃないですか。それよりも、そこは」
「ネージュは、世界一可愛いペットだよ」
シエルは、そう言うと再度私に口付けます。私の戸惑いの声は、シエルの唇によって封じられました。
「……前に、城で少しだけ話題にのぼったことがあるけれど。ネージュがペットというだけでなく、本当に僕の恋人になってくれると嬉しいけどね」
確かに、以前、城でそんな話になったことがありましたね。ロシェとアナナさんは、私とシエルの仲を完全に勘違いしていました。
「でも、私は人間ですよ? ペットですよ?」
「獣人と人間が番になることは、珍しくはないよ?」
「確かに、そうですけど」
アナナさんと鹿の獣人男性は、恋人同士でお付き合いしていましたし。
「だから、ネージュがそれを望んでくれると嬉しいな。心配しなくても無理強いはしないよ。もし僕が振られても、ネージュを家から追い出したりしないし。ゆっくりでいいから考えて欲しいな……時間は、これから沢山あるから」
「はい。シエルにそんな風に想われていたなんて……なんだか少し嬉しいですね。嫌な感じがしないのです」
「ネージュ?」
「あの、番になる覚悟とかは、まだないのですが……シエルの、こ、恋人にして頂けるなら光栄です……といいますか、あの」
過去にショコラに人間と獣人の番を否定された時、少しだけショックを受けました。シエルが怪我を負って帰ったときは、心配で仕方ありませんでした。ついでに、私を追い出した獣人の看護師さんにちょっと嫉妬しました。
私は、シエルが好きなのですね……
以前から、シエルのことは人として大好きでしたが、それ以外に彼に対して抱いている自分の感情を私はようやく自覚しました。
次回最終話の予定




