33:シエル1
シエル視点の話 その1
「帰りたい」
全くもってツマラナイ依頼内容だ。
今回もわざわざ国境まで出向いて、細作の補助やら結界の強化やらに駆り出された。
前回来た時に転移用の魔法陣を仕込んでおいて正解だったな。これがなければ移動だけで丸一日掛かるところだ。
「そんなこと言わないで下さいよ、シエル様……国の危機なんですからぁ」
傍らの兵士が困ったように話しかけて来る。
大体、国の仕事なら城付きの魔法使いだけに命令すればいいものを、あのオッサンは何故か毎回こちらに依頼して来る。僕はもう城付きの魔法使いではないというのに。
「お前の方が、強力な結界張れるだろ?」
そうやって煽てたって、値引きしてやらないよ? 遠征させられた分、ガッツリふんだくってやるから。
そうだ、報酬が手に入ったら、ネージュに新しい首輪を買ってあげよう。服も、靴も、装飾品も。早く帰ってあげないと、色々心配だ。
彼女のことを考えたら、少しだけ気分が浮上した。
同時に、彼女と出会った頃のことを思い出した。
ネージュとの出会いは、年末の初雪が降った日の早朝だった。
僕は例のごとく、オッサンからの無茶な依頼の所為で帰りが遅くなっていた。
この国の王は「ちょっと頼むわー」の一言で、現場での仕事の全てを僕に丸投げして来るのだ。
この地方はあまり雪が降らない、今降り始めた雪も積もることは無いだろう。
冬の早朝というのは、とにかく寒い。出来るだけ近道をして路地裏を通り抜けた。息が白い。
裏通りの治安は良くないが、僕に喧嘩を売って来る命知らずな輩は全て魔法で返り討ちにできる。幸い、この寒さで人通りは無く、無駄に絡まれずに済んだ。
家の近くまで来たとき、道の隅で何かが動いた気がした。
いつもなら無視して通り過ぎるけれど、何故か気になってしまい、僕はその物体に近づいた。
ゴミ? 捨てゴブリン?
魔法で指先に灯りを点し、ボロボロの布をまとった物体を観察する。
「あれ、君……大丈夫?」
ゴミでも捨てゴブリンでもなく、誰かがうつ伏せに倒れていた。
あまり関わりたくはなかったが、近所で死体が発見されるというのも気分が悪い。
声を掛けてみたのだが、反応がなかった。
仕方が無いので、その人物を仰向けにひっくり返して生死を確認する。
ボロ布に覆われた体をひっくり返すと、人形のように整った顔立ちの少女が現れた。
思わず、息をのんで彼女をまじまじと見つめてしまう。
だが、僕は少女の姿に何か違和感を覚えた。
「人、間……?」
彼女には、本来獣人にあるべき獣耳と尾が付いていなかったのだ。
僕が実際に人間を近くで見たのは、これが初めてだった。
この国の王も何匹か飼っているみたいだが、普段城では目にしないし、貴族連中が連れているのを遠目で少し見たことがあるくらいだ。
人間というのは、総じて美しい生き物だという。
獣人に依存しないと生きていけないか弱い生物の為、生まれつき獣人の庇護欲を誘う外見をしているのだ。彼女もその例に漏れず、獣人好みの綺麗な顔に華奢な体つきをしていた。
口元に手を近づけると、まだ息をしている。
「生きてる……」
僕は安堵した。
しかし、彼女の小さな手は氷のように冷たい。
拾うつもりなんて無かったのに、気が付いたら僕は外套を脱いて少女に被せ、彼女を抱き上げて家へと急いでいた。
家に帰るとすぐに魔法で暖炉に火をつけた。勢い良くパチパチと音を立てて薪が燃え上がる。
少女をソファに横たえるが、既に体中が冷えきっているようだった。唇も紫色だ。
回復魔法を掛けると、少しだけ彼女の血色が良くなった。
クローゼットから使っていないブランケットを引っ張りだして、彼女に巻き付ける。他人の看病なんてしたことが無いから、実のところどうすればいいのかよく分からない。
長い睫毛、滑らかな肌。拾った人間は見れば見るほど、とても愛らしい姿だ。僕と同じ銀色の髪というのも気に入った。
何故、あのような場所に転がっていたのか疑問ではあるが。
「早く目を覚まさないかな」
ソファに横になり、少女の手触りの良い髪を撫でてみたが反応はない。どうやら、まだ目覚めないようだ。
ブランケットの上から彼女を抱きしめると、思いの外抱き心地が良い。
数日間続いた仕事の疲れもあり、僕は大きなソファの上で彼女を抱きしめたまま眠ってしまった。
※
三時間程眠っただろうか……目が覚めてしまった。午前六時、いつもの起床時間だ。
腕の中では、昨日拾った少女がまだ眠っている。
「んん……」
不意に、腕の中の少女がモゾモゾ動いた。
「んんん……」
どうやら、僕の腕の中から抜け出そうとしているようだ。
「会社……行かなきゃ……朝……だし」
可愛らしい声をしている。人間なのに、会社に行くだなんて寝ぼけているのかもしれない。
モゾモゾ、モゾモゾ……
彼女は頑張って起き上がろうとしているみたいだった。
一晩で元気になったみたいで、安心した……と思ったら。
「ふげ————————!」
至近距離でネコ科の獣人の様な叫び声が響いた。耳がキンキンする。獣人は他の生物よりも極めて耳が良いのだ。
どうやら本格的に少女が目を覚ましたようだ。彼女の顔が見たくて、僕は腕を緩めて彼女の体を反転させた。
ああ、顔色も随分良くなっている。良かった、もう大丈夫だろう。
昨日は閉じていた綺麗なピンク色の瞳が見開かれている。瞼の下は、そんな色だったんだね。
「起きたの?」
少女はびっくりしたように固まって、まじまじとこちらを見つめてきた。
何故だか耳を凝視されている気がする。
「犬? オオカミ?」
僕が何の獣人だか聞きたいということだろうか。
「……キツネ」
よく間違われるんだよね、銀色の毛色は珍しいから。
尻尾を見ればキツネだって分かると思うのだけれど。
「朝ご飯、食べれる?」
少女は、黙ってコクリと頷いた。その仕草もとても愛らしい。
朝食を用意してやると、少女は目を輝かせて、僕の作ったものをとても美味しそうに食べてくれた。
彼女を見ていると、何故だかとても癒される。
「君、どこの子? 野良なの? ……それとも捨て人間?」
あんな場所に倒れているなんて、何か訳ありなのかもしれない。
少女は、しばらく考えるような素振りをした後、不安そうにポツリと呟いた。
「……よく分かりません」
少なくとも、誰かに飼われていたということはないみたいだ。
「じゃあ、たぶん野良だ、珍しいね。普通は見つけ次第すぐに捕獲されるはずなんだけど……」
人間というのは、純正のもの以外は自然発生する生き物だという。
そのような人間を、獣人達は総じて野良人間と呼んでいた。
この国では野良人間は、見つけ次第保健所に保護されることになっている。希少種である人間が、死んでしまったり悪用されたりするのを防ぐ為だ。
「気が付いたら昨日、この世界にいたのです。前にいた場所には獣人なんていなかったし。私……あの、保健所には引き渡さないで下さい、お願いします!」
少女は怯えたように必死に訴えてきた。
どうやら、彼女は発生したての野良のようだ。
この世界に来てすぐに、訳の分からないまま保健所に捕獲され、怯えて逃げてきたみたいだった。
話を聞くと、彼女の言う前にいた世界——人間の世界での保健所という場所は捕獲された引き取り手の無い生物を毒ガスで殺す恐ろしい所らしい。それは逃げたくもなるよね。
プルプルと震える彼女の姿はとても庇護欲を誘う。
僕は、彼女に保健所には引き渡さないという旨を伝えた。彼女はあからさまに、ほっとしたようだ。
「でも君、行く当てないんでしょう? 昨日は路地裏で凍えていたよね」
一抹の期待を込めて彼女に告げる。
一晩過ごしただけで、少し会話をしただけで……僕はもう彼女を手放し難い気持ちになっていた。
恐るべし、人間。
「あの、あなたが助けてくれたのですね……ありがとうございます」
「どういたしまして」
彼女を安心させるように、笑顔で彼女を手を取りながら僕は言った。
「君さ……うちの子にならない?」
「……え」
彼女は戸惑ったように僕を見つめてきた。
断られたらどうしようか、このまま鎖でつないでしまおうか。ふと、利己的な思考が頭をよぎる。
「そういう訳にはいきませんよ。この世界で人間はペット扱いというのは分かりましたが、納得がいきません」
「……どうして?」
「だって、働かざるもの食うべからずですから。大体、獣人が人を飼うなんて常識的に考えておかしいです!どこか働き口があれば雇ってもらいます」
どうやら彼女はずいぶん変わった人間のようだ。彼女がいたと言う人間の世界は、一定年齢以上の人間達が皆働く場所だったらしい。
あと、獣人が人間を飼うのは、この世界の常識だと思うのだけれど。
今まで人間の生態についてあまり知らなかったので、彼女の話は興味深い……が。
「人間を働かせてくれる場所なんて、無いと思うよ?」
「……! 無いのですか?」
彼女の驚きように、こちらの方が驚いてしまう。人間の思考回路はよく分からない。
「うん。いくら姿形が似ていて同レベルの知能を持っていたとしても、人間は愛玩動物だし、か弱いし……獣人と一緒に働くのは難しいんじゃないかな」
「私は、か弱くありません!」
そんな外見で何を言っているんだか。
まだ人間の世界の感覚が抜けきっていないのか、彼女は意外にも頑固だ。
僕は作戦を変えることにした。
「でも、人間が一人でいるとなると危ないよ」
「何故ですか?」
「人間ってこの世界では希少価値が高いから、とても高値で取引される生き物なんだ。君が一人で暮らしていくことになっても、すぐに捕まって売り飛ばされちゃうよ? 悪い獣人の元に売り飛ばされてしまったらどうするの?」
そこまで、考えが至らなかったのだろう。彼女の顔が徐々に青くなっていく。
あと一押し。
「……そんなに、危ないのですか」
「一人で暮らしている人間なんて、今まで生きていて聞いたことがないね」
「……そうですか」
彼女の声が沈んだ。明らかに落ち込んでいるようだった。
「その点、うちなら安心だよ。三食寝床付き、お風呂もあるし着るものも用意してあげる」
「……うーん」
少女が可愛いピンク色の目でチラチラとこちらを見て来る。
心が揺れ動いているようだ。
「あの……」
彼女がおずおずと口を開いた。
「その、生活の目処が立つまで、お世話になってもいいでしょうか……?」
「もちろんだよ」
どうせ生活の目処なんて立たないんだから、一生ウチにいればいいよ。
※
望み通り、人間の少女と一緒に暮らすことになった僕は、まず彼女を風呂に入れた。
洗ってあげると言ったのに、何故か猛烈に拒否されてしまった。
彼女を見ていて分かったが、人間はそれほど世話を焼かなくても、ほぼ獣人と同じ様に生活できるみたいだった。風呂にも勝手に入り、僕の用意した衣服にも一人で着替えて出てきた。
飼いやすいが、世話のし甲斐がない。
急いで取り寄せた首輪を、彼女が自力で外せない様に細工をして首に付けてあげると、案の定、嫌な顔をされた。
必死に外そうとするので、外したら保健所に捕まると言って脅しておいた。別に嘘は言っていない。
彼女の首に、自分の名前を彫った首輪が巻き付いていると思うと、何故だか満ち足りた気持ちになった。
「CIEL……?」
首輪に掘られている文字を読んで、彼女が首を傾げた。
「それ、僕の名前。シエル・ラテールって書いてある」
「シエル?」
彼女が僕の名を呼んだ。なんだかくすぐったい。
人間である彼女にとっては、魔法使いシエル・ラテールの名も何の意味も持たないものなのだと安堵する。
「そういえば、君の名前は?」
「私の名前は……あれ……?」
彼女は不自然に静止した。何かを必死に思い出そうとしている様に。
「名前、無いの?」
「あったはずなのですが……思い出せないのです……」
不安げに白くて細い首を傾げている。
「君の名前が思い出せるまで、呼び方が分からないのは困るなあ……」
呼びかける時に不便だ。
「あの……でしたら、私が自分の名前を思い出せるまで、好きに呼んで下さい」
彼女が名前を決めていいと言うので、その言葉に甘えて名前をつけさせてもらうことにした。
「君のことはネージュって呼ぶよ。今日から君の名前はネージュ・ラテールだよ」
彼女と出会った雪の日にちなんで、ネージュと名付けた。
「ネージュ?」
「はい!」
付けた名前に彼女が笑顔で返事を返してくれる。
それだけで、僕の心は今までにないくらい満たされた。人間は不思議な生き物だ。




