居酒屋で
他の客すら振り向くほどの大声を上げたリカに、太郎もギョっとした顔だよ。俺は何とか平静を装い、「よっ!」と挨拶をする。こいつがリカかよ、知ってる知ってる。ホっとしたぜ。
そんな俺の隣にドカッと座ってきて睨んでます。ちょっと近ぇぇだろ。
「リカ、シグマに文句いっぱいあるんでしょ! 言っちいゃなって、バンバン」
どうも、そのためにリカを呼んだらしい。おそらく静香自身も俺に言いたい事があるのだろう。リカと二人なら言い易いとでも考えたんだと思う。面倒くせ~~。
気の優しい太郎君。「まじかよ、静香よ~」と言いながら、申し訳無さそうに俺に視線を向けてくる。
「卒業してから、初めて会ったはず…だ…よ…な」
「まっ、とりあえず私もビール」
――っと言いつつも、横目で睨んでくるリカ。
そう言えば、こんな場面では、「再会を祝してカンパーーイ」って、やるんじゃないのかね。そんな素振りなど微塵も見せない静香が、斜め向かいに座ってグビグビやってます。
遅れて現れたリカも、ジョッキが来るや否や、半分くらいを一気に飲みました。ぷは~とか言って。勿論、乾杯の「カ」の字も言わない。
優しい太郎君が、今の俺を庇ってくれているのか―――
「どうせ高校の時のシグマに文句なんだろ。あの頃のシグマってヤバかったからな」
あまり庇う事になっていない。
鼻の下にビールの泡を付けたままのリカ。拭けよ、女なんだからよ~って思ってる俺を睨みながら、「完全取扱い注意だったって。よくメグミは3年間も付き合ってたよね。今でも信じられない。世界の七不思議の一つだって」と、あまり滑舌のよくない口調で喋り出しました。
あれ~、こいつって、こんなに舌っ足らずだったか?
すぐに思い出しましたよ。そもそも、リカの喋り方など知らなかった事を。
静香は相変わらず俺の顔を見続けている。睨んでいるのとはちょっと違う感じだ。
「さっきから、ずっと思ってたんだけどさ、シグマ、ちょっと痩せた? 頬も更にこけたようだし。痩せたら、もっと精悍な顔付になるのに、なんで逆? 目? なんだろう…目の光かな。優しくなってる。なんで?」
「っだよね。私もすぐに気付いた。憑き物? 憑き物が落ちたって昔の人って言うでしょ。それ?」
色々言われた事はあるが、憑き物はお初だ。狐が憑いていたとでも言いたいのか、こいつらは。
短時間でビールジョッキが次々と頼まれ、3杯目からは酎ハイに変わっていた。
あっと言う間に4人の酔っ払いとなりました。酔った女というのは遠慮がない。特にリカなど目が座っちまってクダを巻いている。
そのリカ、3年間も俺と同じクラスだったらしい。クラス替えが2年の時にあって、それでも同じクラスになり泣いたそうだ。半分登校拒否のような状態で、泣きながら学校に通っていた事が判明。
俺は絶対に知らん。喋った事も無いはずだ。いったい何なんだ? クラスで俺って何をやってたんだろう。あまり覚えていないのも不思議だ。
トロ~ンとした半眼のリカ、ずっとペンペンペンペン俺の頭を叩いている。
「さっきから、叩きまくってないか、俺を」
「いいの。アハハハ~」
酔った静香が注文用のタッチパネルを睨み、何やらモチャモチャしている。「ちょっと~、なにこれ、めっちゃウザいんだけど。……ちょっとーーーーーーー! すんませーーーーん。酎ハイ4っつーーー!」と叫ぶが誰も来ない。見かねた太郎がタッチパネルを操作してます。まだ飲むのか。俺は飲んでもあまり変わらない方だが、二人の女は完全にマズイ状態に見える。吐いたりしないでくれよな。
リカが俺に肩を組んできた。なにをするつもりだ、この女は。顔が近すぎるだろ。化粧が落ちてきているのさえハッキリ見えている。
「今だから言うけどさ~、学校でちょっとだけオシッコ洩らしたんだからね~、シグマのせいで~」
「………メグミに聞いたような。それって君だったの」
ようやっと離れた。マジで顔を噛まれるかと思った。
正面に座っている太郎の視線に気が付いた。目が点になり、口も半開きだ。飲み物が口に含まさっていればダラ~~っと垂らしているだろう。そりゃ~そうでしょう。20代前半の女の子のオシッコ洩らしたとのカミングアウトだ。驚かないヤツはきっといない。
そんな固まっちまった太郎の隣では、酔った静香が、同じく酔ってるリカの手を握り、「ウッソ~~、マジ~~。それで~」と、話の続きを促してます。
「トイレで~泣いてた~。そしたらね、メグミがね、ヨチヨチって慰めてくれたーーー。シグマが悪い、シグマが悪いって。パンチュも買いに行ってくれたの」
「ちょっとーーー! シグマってほんと酷い奴だね!」
おいおいおいおい、事情も分からんで俺が悪役かよ。その事情とやらは俺も知らないが。
「あ…あのさ~……お…俺に…何されたんだっけ?」
「授業中に…シグマが寝てんの」
寝てる? 俺が寝て何が悪い? 大人しくって、返っていいくらいだろ。
意味が分からず口を挟もうとすると、静香に遮られた。「あ~寝てた寝てた。寝て無い時って無かった」と。それを聞いて勢いを得たリカが続けます。
「寝る人って~、普通、教室の後ろの方に座るんじゃないの~。なのに~、一番前で寝てんの…なんで~?」
「思い出した、思い出した。そうそう、シグマって寝るクセに一番前に座るの。いっつも」
さすがに太郎君も驚いたようで、「先生の目の前で、どうやって寝るの?」と、その話に乗ってきた。
「堂々と腕組んで寝てたって。時々、ビクっとしたりして」
「やり難いだろ。そんなのが目の前にいたらさ。先生もよ~」
「うん、やり難かったはず。だけど、どの先生も起こさなかった」
「いやいやいや…いくらなんでも毎日じゃないだろ。アハハ…」
「いーーーや。毎日だった。それも1時間目から寝てた。ビックリしたもん。この人夜中に何やって朝から寝れるんだろうって」
リカが続きを話し始める。聞きたいような、聞きたくないような。
「先生の机にね、1人1人がね、何かを持って行かなきゃならなくて~…私ね、シグマの列の後ろの方の席だったから……寝てるシグマの横、通んなくちゃならなくて……怖かった……グスン…グスン」
冬眠中の熊の傍じゃあるまいし…っと言おうと思ったが、静香の表情を見て止めた。目をウルウルさせ心底同情している。
「ちょっと~リカ~…思い出して泣いてるの~? かわいそうに~~」
「ぅぅ~~……オドオドしゃって私、寝てるシグマにぶつかっちゃって、なんか机から落ちたの。慌てて拾って謝ろうとしたら……ギロって睨んだ」
睨んだ?? もしかして、それだけで、ちびった?……俺は死神か?
話を聞いていた太郎までが、「なんだか、かわいそうになってきた」などと言い出すしまつ。「それで洩らしちゃったんだ…」と、静香がリカの頭を撫でています。泣きながら頷くリカ。
良かった~。寝ぼけて怒鳴っちまった訳ではないようだ。っとホッとしたのは俺だけのようだ。
静香が急に真剣な口調で―――
「それって、なんだか分かる!! 高校の時のシグマって、人を固まらせたよ。目だけで!」
そんな事できるか! っと心の中で叫ぶ俺でした。とにかく黙って聞いてるしかない。
夜中の2時を回ってます。静香もリカも更にグダグダ。ずっと俺に文句を言い続けたリカ。舌っ足らずのところにもってきて、かなり酔っているものだから、何を言ってるのか分からなかったが、スッキリした様子だ。静香はまだ何かを言いたそうな感じ。
「シグマ、あんた、なんでメグミと別れたの?」
「高校の時だぜ、たいした理由なんて無いだろ」
「ふったの? ふられたの?」
「おお、俺も、それ聞きたいわ。あん時って、お前、何にも言わなかったからな」
「あ~~、自然消滅て言うか……俺、別の街の大学に行ったんだぜ、フェードアウトしても不思議じゃないだろ」
「遠距離だって有りでしょ。だって結婚した相手って、この街の人でしょ。それに、今は大学ってどうなってんの?」
「お休み中」
「メグミと別れたのって卒業前でしょ。ミクとか奈緒が原因じゃないの!」
「???」
静香の言ってる意味が全然分からない。なんで急にミクと奈緒の名前が出てくるんだ? いくらなんでも飲み過ぎだろ。太郎も「なに?」って顔で俺と静香を交互に見ている。
「だってさ、メグミ以外で当時のシグマと平気に喋れたのって、ミクと奈緒の2人だけだって。全然別のクラスなのに、どんな関係だったの。あの2人と」
「な……あのさ~、君らを含めた世界中の女性がね、どういうつもりか俺を避けてたの。だから、普通に喋れる女子が目だっただけだろ」
「いーーーや! あの2人はシグマの事が好きだった。絶対に」
「静香よ~、ちょっと飲み過ぎ…」
「太郎は黙ってて!!」
妙に熱くなっている静香。どうやら、元々ミクと奈緒の事が嫌いなのだろう。話の流れから考えると、メグミとは仲が良かったのだと思う。女子って、けっこうグループみたいのがあるからな。まぁ、それは男子も同じか。
リカがつっぷしてます。っと思ったら復活してきました。
「私、知ってるもん。奈緒がメグミに言ったの聞いてたんだから。…シグマの事ちょうだいって言ってた」
さすがに太郎が驚いたように聞き直してくれました。俺も同じ事を言おうと思っていた。
「よく、そったら事まで覚えてるよな。高校の時の話しだろ」
「うん、覚えてる。私なら100万円貰っても、シグマなんかいらないって思ったから、ハッキリ覚えてる」
笑うしかねぇぇ…
大きく頷いている静香。
「ミクはシグマが結婚したって聞いて、顔色変わったって誰かが言ってた」
「静香、もう遅いから帰ろうぜ」
太郎君は優しい男です。はい。
「ちょっと待って、もう一つ聞きたいの」
「明日、仕事なんだよな~…もう今日か…」
「ほんとに離婚したの、シグマ?」
「ウソ言ったって、しょうがないだろ」
「あんたが浮気したの?」
「そんな派手なもんじゃないって。残念だけどな」
午前の3時
「ベロ、ただいま~~。お前の事は、ずーーーーーーーーーっと大好きだからな。オシッコして寝るか。今日は疲れた、くっついて寝るか」
ベットに入ると、最初は隣でペロペロ俺の顔を舐めていたベロだが、抱きしめると、暑苦しいって感じで足元に行きやがった。
今日も一人と一匹で寝ました。




