バーでの反省会
「ますみさん、ごめん…ほんと悪かった。すんません…」
「え~?? まだ言ってんの~。全然OKだって」
「俺に気ぃ使ってそんなこと言ってんだろ……」
「無い無い無い、そんな事無いって。……実はさ~、あの担任…シグにやられてザマーーって思ってんだよね。田沢ってヤツ、アタシ大っ嫌いなの」
「まぁ、あいつを好きな訳ないだろうけど……俺ってまだまだガキだよな」
「エヘヘヘ。白状するとさ~、もしかしたらシグが切れるかもって思ってはいたんだよね。ある意味想定内。ユイから聞いて、胸がスーーっとしちゃった」
「……姐さんにはかなわんな。でもさ、頭に血が上ってやっちまったら、ろくな事にならないんだよな」
「時と場合によるんじゃない。ユイもさ~、ふふふ…目にいっぱい涙ためて喋ってた。シグが戦ってくれたの嬉しかったみたいだね。……同じものでいい?」
バーのカウンターに座っている俺とますみさん。俺のグラスが空いたのに気付き、軽く片手を挙げると、自分のも飲み干して、「同じの2つ」とバーテンに告げる。
「でも…内申書ってやつ、大丈夫?」
「ゼーーンゼン。あの子の成績って抜群なのよね。これって別れた亭主のおかげだわ。メッチャ頭良かったんだよね、前の亭主って。オスの魅力はからっきしだったけどさ」
「ふ~ん、前にもチラっと聞いたことあるけど、ユイってそんなに成績いいんだ」
―――人は見かけによらんぞな。あのマセチビがマジで秀才かよ。
「アタシには全然似てないけどね。ひひひ。塾の先生がね、ユイの成績だったら行けない高校は無いって太鼓判押してくれたの。そもそも推薦入学なんて考えて無かったしね。実力で行けってユイにも言ってたしさ。あの子もそのつもりだし、そこんところは自慢の娘なんだ」
「そっか……。このスコッチ美味いな。同じものもう一つ。あーー、2つだ」
ここのバーは相変わらず空いている。いつもガラガラだ。まるで経営者が暇つぶしにやっているような店。繁華街から少し離れた場所にあるせいなのか、会員制のバーのように、週末であろうと混んでいる時を見たことが無い。
偶然、俺もますみさんも見知った店だったため、ここで待ち合わせをしたのだ。
10人も座れば一杯になってしまう磨き込まれた木目のカウンター。その後ろには3~4セットのBOXを置けるスペースはあるが、カウンターだけのバー。従業員も男のバーテンダーが1人だけ。天井には明かりが無く、カウンターの中だけの明かりが灯る薄暗いバー。
相変わらず姐さんって酒強いな。俺は酔ってきたぞ。すきっ腹のせいかな。ロックで飲んでるからか? そう言えば、姐さんと外で飲むのって初めてだ。ヤバ…絶対にエロいって、この人。カウンターに並んで座ってるから、肩くっつけなきゃ会話が聞こえ難いし。……ちょっとちょっと、俺の膝辺りに手を置いてモソモソ動かすのは反則ですって。ムリ、ムリ、ムリひぃぃぃぃ、バレたらヤバイって。姐さん気づいてないよな。気づいたらガッツリ握られそうだ。ちょびっと身体を斜めにして…っと。姐さんの視界に入らないよう身体を捻りまして……顔は姐さんに向けて…………かなりつらい姿勢かも。げっ、姐さんナニ喋ってた? トイレに行って会話を切ろう。グットアイディアだぜ。………無理だ~立てない……
「―――シグは間違いなく、カヨさんの弟だね」
「そ…そうか~~~」
―――グェェェ…なんでアネキの話題に変わってんだ?
「カヨさんの硬派っぷりは、サキから盛んに聞かされたから覚えてんだよね」
「???」
サキちゃんは、ますみさんの妹で、ユイの叔母で、俺の2つ先輩だ。当然それは知ってるけど、あのサキちゃんがアネキの事をますみさんに話してた?? なんで?
「ウチの家ってさ、母さんが早くに死んじゃって、アタシとサキって11っこ年離れてるからさ。あの子が高校の時って何でも話してくれたの。きっと母親代わりだったんだね。確かサキが高1の時って、カヨさんが高3だったはず」
「俺より姉貴が4っつ上だから…あ~そうかも」
―――アネキ、サキちゃん、高校、硬派。この4っつのキーワードから話の流れを想像すると……わからん。酒で頭が回らん。
「カヨさんって凄い硬派で超有名人だって聞いた。先生もビクビクしてたらしいね。何度か見かけた事あるけど超美人だしね」
「お…おおお、誰でもビクビクだ。美人か~? 確かに目はデカイけど、あの性格は全てを打ち消す」
「めっちゃ憧れてたらしいよ、サキ。なんだか手紙書いたらしいね。憧れてますって」
「はぁああああああああああああ! 姉貴に憧れてたーーー? どうなりたかった訳? って言うか……サキちゃんって……もしかしたらバイ?」
―――そんなああああああああああ、俺の初恋の人って女が好きだったのかーーーーーーーーー。それも、よりによってアネキが好きだとおおおおおおおおおおおおおおおお。
「ギャハハハハハハハハハ、ノーマルでしょ、きっと。今度、聞いておくわ。シグがサキの事バイなのかって聞いてたって。キャハハハハハハハハハハ。そう言えばさ~、シグの初恋ってサキだって言ってた事あったよね、ギャハハハハハハハハハハ」
「いやいやいや、ちょっとやめて。マジで聞くのは……俺の名前まで出して」
「思春期の女の子ってさ、バイっちゃ~バイかもね。だってね、アタシも初チューって男じゃないもん。多かれ少なかれ、女ってさ、そんな時期があるもんなの。アハハハハハハハハ」
「おおおお…そ…そうなの……ちょっとトイレだ」
俺は席を立ってトイレに向かった。
おおおおお……とりあえず立てる状態に戻ったわ。アネキの威力は絶大だね。っで、何の話しからこうなった?……わからん。しかし姐さんの初チューが男じゃ無いって言ってたけど、犬か? まさか動物はカウントせんだろ。女同士って事だろうな。ま~いいけどよ、男同士は無理だな。……うわ、想像しちまったぜ。でもサキちゃん、今でも超カワイイんだよな~~。
「シグって優しいよね」
「言われた事ないな~、親切ではないと思うけどね」
「だけど、臆病になってるね。……女に」
「……」
「シグは、まだ二十歳そこそこだけど、アタシと同類だもんね」
「……」
「すみれさん、たまに来てるね。いいよね~、なんかさ~。……正直に言いなよ。離婚後も、すみれさんと…あるんでしょ?」
「……うん…あった」
「前にね、シグんとこに晩御飯持って行こうとした事があって、すみれさんが入って行くの見えたんだ。それで遠慮したの」
「そっか…」
「すみれさんの顔ハッキリ見えちゃって、綺麗だった。とっても。身体が熱いの伝わってきたって言うのかな~。これって誤解しないでね、変な意味で言ってる訳じゃないから。女だって、そういうのあるって全然わかるし。……あんた達、憎み合って別れた訳じゃないようだし。正直うらやましいな~って」
「前の旦那としたいの?」
「まさか。それは全然ムリ。生理的に受け付けない。なんて言うのかな~、1度は結婚した相手じゃん。それが結果的に一緒に暮らせなくなったからって、いつまでも憎みあったり、口も利かないのって不幸だよね」
「ああ、そうかもしれない」
「でもね…シグ。なんかね……いや…ごめん、ごめん。これ以上は他人が口を挟む事じゃないね。ごめんよシグ、気にしないで」
ますみさんと俺に関する立ち入った話は、互いに避けようとしているのだが、結局は男と女の話しに。触れそうで触れないギリギリの会話が続いた。この店の雰囲気が雑談などを拒んでいるようだ。
たまに誰かが1人で入ってきては、待ち合わせの人が現れ、何時の間にか居なくなっている店。けして見知らぬ人の会話が邪魔になることの無い空間。
バーテンダーも俺たちから距離をとった位置でグラスを磨く。まるで、そのバーの一部にでもなったように気配すら感じさせないバーテンダー。そしてスピーカーからは小さくもないが大き過ぎもしない音が滲み出るように流れ、外の世界を忘れさせる何かを造り出していた。
どれくらいの時間が過ぎたのか、耳元でますみさんの声が―――
「踊って…」
手を取り合って立ち上がり、自然に体を寄せ合っていく。
「前にね、ここで踊っているカップルがいてね。熟年の夫婦だったと思う。素敵だな~って見てた」
いい香り。石鹸の匂い。シャンプーかな。この匂い、好きだ。
ますみさんの身体ってやわらかいな。
このブルース知ってる。なんだったろう……いいや、どうでも。
なにも話さないな。
俺、好きなのかな……女として。ユイがなにかを言ってたな。
左の肩に顔をうずめるますみさんが顔を上げて、もし目が合ったら……
自然な流れに行っちゃうのかな。
チークの時、男が反応するのってマナー違反かな。
いいや、もう子供じゃない。
曲が終わり、ますみさんの身体が離れる気配がしたが俺は引き寄せていた。両手を腰に回す。驚いた顔。俺を見てる。ますみ、目を閉じろ。
次の曲が始まり俺の首に腕が回される。胸に埋められた顔。もうステップもない。ただ抱き合って互いのぬくもりを肌で感じあっている。僅かに開いた太腿の間に俺は足を差し込んでいた。
ドワのカギを開けた。
「ベローーー、ただいまーーー」
鼻を鳴らしながら頭を下げて出てきた黒い物体。尻尾だけでは足りないとでも言うように、お尻までもをフリフリしながらベロが出迎える。
「ヘッヘッヘッヘ、いかにも起きて待ってたんだよ~って顔してんな」
必死に俺の顔を舐めてくる。誤魔化すように。「寝てたんだろ、バレてんだぞ」と言ってやると、ギャウギャウ言いながら俺の手を甘噛みをする。
「もう3時か、寝る前のオシッコして、寝るか~」
布団の中で意識が無くなるまで思い出していた。
3曲の間抱き合っていた。
「帰ろうか……」
ますみさんの言葉。それが踊り始めてから交わした、最初で最後の会話。
2人でタクシーに乗り込み、そして俺は運転手に何かを言い掛ける。だけどその言葉はますみさんの声で遮られ、俺の住所が聞こえた。
「ますみ……さん」
「……嬉しかった……アタシを女として……」
「……」
「シグマの身体…………嬉しかった」
会話の無い車内。目を瞑り、身動きもしないますみさんの顔は、待っている女の顔のようでもあり、それ以上は行けないと言ってるようにも見えた。俺の家に着いたタクシー。
俺が先に降り、車内に残ったますみさん。
「おやすみ……シグ」
「ああ、おやすみだ」
今日も一人と一匹で寝ました。




