カミングアウト
風邪もすっかり治り、今日も寝ぼけながらのお散歩です。ダルい。
あれから10日が過ぎた。ベロはとっても元気だ。サキちゃんが来ると嬉しくて嬉しくてキチガイになる。
昨日も遊びに来たサキちゃんの身体によじ登っていた。歩いている時に後ろからだ。どんな犬だよ。けっこう身体もデカいクセに、猫みたいに背中まで登るのだ。「キャッ!」って思わず床に手を着いたサキちゃんの背中に乗ったまんまで首筋をペロペロしてた。俺がやりたいわ。
サキちゃんとの関係は相変わらず進展が無い。俺が煮え切らないせいだ。熱を出して寝込んだあの日など、泊まり込んで裸で抱き合っていたのにだ。
そんな事を、まだ覚めきらない頭で考えながらのベロ君とお散歩です。
「お早う、シグマ君。ムフフフフ」
「おー! ビックリした……ますみさんか。後ろから急に声掛けないでよ」
「ベロた〜ん、久しぶりだね〜。う〜〜ん、ナデナデ」
しゃがんだますみさんの肩に前足ーー手かもしれないーーを乗せて顔中を舐めまくるベロ。どんだけ女好きなんだよ。
立ち上がったますみさんが、「ひっひっひ」などと、悪い魔女のように笑ながら俺の肩に腕を回す。
「ついにヤッたかい。うむうむ。我が妹は…ウシシシシシ、どうだった?」
この人はいったい何を考えてる? よっぽど暇なのか、それとも、その手の話がヨダレが出るほど好きなのか? 後者の方だな……
「……」
「何勿体ぶってんのさ。誰にも言ったりしないから、ほれ、内緒で教えなって。え…? まさか……そんなことないよね? だってこの前……泊まったんでしょ?」
「あの時はね、俺、熱がスゲーーーー出てて、それどころじゃ無かった訳で、サキちゃんもね、熱計ったり、お粥作ったり、掃除や洗濯もして、一生懸命看病してくれて……あ! ちょっと姐さん、ダメだって!」
「そんなナイチンゲールもどきの話なんて聞いてもツマンナイって。あんた、マジでEDになった?」
「ちょ…ちょっと姐さんって……妹の彼氏の触るのバップだってバップ」
「だから確かめてんじゃないの。妹が不幸になったら可哀想だからね」
いやいやいや、30を過ぎたバツイチの独身女性は皆んなこうなのか? っな訳ねぇだろ。この人が特別過ぎだ。
「姐さん! ほら向こうから誰か来たって!」
朝のウォーキングをしているオバサンが歩いて来る。流石にヤバイと思ったのか、首をすぼめて逃げて行ったますみさん。どうもならん。
俺とサキちゃんには進展が無いが、周りは結構動いていた。
太郎が勇気を出して由美ちゃんに告白をし、今では付き合っていると言う。
奈緒は関東へと戻って行った。盛んに「貸しが二つだからね」と、電話口で念を押しながら。
メグミは退院して、例のホーケーボーイともすっぱり切れたらしい。
スケベなミクは相変わらずスケベらしいが、就職活動に専念しているとの噂を聞いた。あいつって学生だったのかよ。どこの大学だ? 痴女学科専攻だったら笑える。
「シグマ、聞いた? リカ、止めたんだってさ」
そう言ったのは、目の前に座っている静香だ。
「お待たせ〜。シグマがコーヒーで、静香がオレンジジュースだったよね」
純さんが働く喫茶店に来ていた。マスターの姪っ子の純さんが、注文の品と自分のココアを持って静香の隣に腰を下ろす。
この店に来たのはあれ以来だが、静香はしょっちゅう来ていたらしく、純さんとは大の仲良しのようだ。
「リカが止めたって、何を?」
「結婚」
「はい??」
「今週の日曜日に結婚するはずだったでしょ。披露宴の会場も押さえて、招待状も出して、後はその日を待つだけだったのに。確か新婚旅行だってヨーロッパに行くはずだったんだから」
思い出した。誰から送られて来たのか分からないメールの事を。確かに、披露宴するから来てねって書いてあった。絵文字もついてたな。
「リカってそんな親密な彼氏いたの……驚きだね。っで、止めたって何よ?」
「やっぱりやーーーーめた。ってヤツ」
「なんだそれ? あり得ねぇぇだろ」
「でも、そうなんだって。シグマ見て迷ったんじゃ無いの」
「はぁぁああ?」
静香の隣にいる純さんが興味津々って顔で、俺を見たり静香を見たりしている。女の人って、この手の話が好きだもんな。でも以前とは雰囲気が変わったような気がする。あれ〜、純さんてこんな感じだったかな? もっと大人しそうな人だったよな。今日はピッタリと胸を強調したセーターを着ている。おまけに大きなVネックだよ。胸の谷間が見えちゃってるって。
「ドタキャンってこと? うっわー、式場も押さえてたんでしょ。それって凄くない? 相手ってどんな人? ダサダサ君? リカって人も静香と同い年? シグマ見て迷ったって何さ? シグマの方が良さそうだって思っちゃったの? ねぇ、もしかして……エヘヘヘヘ… シグマ、そのリカって人と……寝た? なら責任重大よ!」
純さんって、歯切れの良い早口だったんだ。ちょっと舌も巻いてるし。江戸っ子か? 喋り終えるまでは、とてもじゃないが口を挟めなかったが、ようやっと喋ってもいいらしい。
「それはムリです。リカ君が言ってました。100万円貰っても俺なんかいらねぇぇって」
「きゃははははははは、嫌われてんだ〜。でもどうして? シグマって女の子に嫌われるタイプだとは思わないけどね。あれあれ、前に一緒にいた……由美ちゃんだっけ? あの子なんてシグマににじり寄ってて、いつでもオッケーって感じだったよ。あ〜、そう言えば、由美ちゃんに新しい彼氏できたんだもんね。積極的だよね〜。静香もちょっと見習った方がいいよ。……あっ……それじゃ、シグマ見て迷う理由ってなに?」
いやいやいや、ぐる〜っと一周するような話しのもってき方だよ。
「俺がバツイチだからだろ」
「へ……? ばついち? えーーーーーーーーーーーーーーー!! シグマって21でしょ? 結婚したことあるの? っで離婚経験もありなの?」
この人、すげぇぇ表情豊かだわ。ボディーランゲージも……外人か? 今にも眼球がこぼれ落ちそうなくらいに目ェ開けっぴろげて、両手も筋が釣っちゃうんじゃないかって思うほどパーにして顔の横で広げてる。勿論、身体を仰け反らせるのも忘れてません。
お喋りな静香にしては珍しいな。俺がバツイチだって事を純さんに言ってなかったんっだ。それを俺が言おうとすると純さんに遮られた。開いた口が、ちょっとだけバツが悪いぜ。
「静香、なんで教えてくれなかった? 私ね、夫婦になったカップルの夜の営みってのに、けっこう興味あるんだよね。ねぇねぇ、シグマ教えてよ。週に何回だった? いっぱい? 静香だって知りたいでしょ? もう聞いちゃった?」
「ちょっと〜、私まで純さんと同類にしないでよね!! 私、そんなのどうでもいいもん」
なんなんだ? そんなの聞いて何が面白いんだ? それに、男が女にそれ聞いたらセクハラだって大騒ぎになるだろ。大体、リカのドタキャンの話はどうなった?
「ふふふふ……静香ってマジむっつりスケベだね。シグマ聞いてよ、この前ね〜……」
「ダメーーー!!」
静香が喋り掛けた純さんの口を手で塞いでいる。何と無くだけど、この二人の距離って随分と近いな。なんだろう? ちょっと違和感を感じる。
静香の手を毟り取った純さん。そんなに喋りたいのか? あ〜、そう言えば、この街に来て日も浅いせいで、友達があまり居ないって言ってたな。此処ぞとばかりに喋り溜めしてんのか?
「大丈夫だって、私だってオナニーしてるし、静香だけじゃないから」
なに? いきなりリアクションに困るようなカミングアウトは止めて欲しいんですけど。どんな顔すりゃいいんだ?
周りを見渡すと店内には誰もいない。マスターの姿も見えなかった。あ〜、そっか。純さんはこれが素なんだ。叔父さんの傍だと良い子ちゃんを演じてるのか。まぁ、あの時は俺をヤバイ人だと勘違いしてたせいもあるしな。
「ねぇ、シグマの前の奥さんだってしてたんでしょ?」
「え?」
「オナニーだって」
「あ、ああ……」
「ほーーーーら」
最近、こう言う女性が増えてんのかね。ミクなんかもヘッチャラで喋ってるもんな。メグミは付き合ってる時に聞いたら、「してるけど、誰にも言ったらダメだからね!!」って怒ってた。なんで俺が怒られなきゃならんかったんだ? でも、靜香は真っ赤な顔でチラチラこっちを見ては明後日の方向に視線を逸らすを繰り返している。まいったね。そこまで恥ずかしがられると、こっちも恥ずかしくなる。でも、サキちゃんってどうなんだろう? 今度聞いてみよ。ヒッヒッヒ。あっ……そう言えば、姐さんの誕生日にそっち系のマッシーンをプレゼントするんだった。すっかり忘れてた。姐さんもきっと忘れて……ないな。ぜってぇぇ覚えてる。誕生日って何時だっけ? あれ…聞いたか? ヤバ……聞いたかどうかさえ覚えてない。
「ーーー靜香に頼まれて、アダルトのレンタルDVD借りに行ったんだよ。どうしても見たいのあるっていうからさ〜。本当はHなくせに、真面目ぶりっ子してるから身動き取れなくなってんだよね」
純さんの声がやたらとデカイ。
なに? アダルトのDVDって言ったか? 俺は周りを再び見渡していた。さっきも見たばかりだろ。そんな俺に気付いたのか、
「今日は8時までが叔父さんで、私と交代で帰ったの。だから10時にクローズの看板下ろしちゃった。でも、まだ居ても全然いいから。って言うか、しばらく居て。だって、シグマ全然来ないから静香に呼び出してもらったんだからさ」
そう、今日は静香から純さんの喫茶店に遊びに行こうと誘われたのだ。
前々からサキちゃんとの事を静香と太郎には言わなければと思っていた。なんせ、バレー部のOBで作っているサークルで、しょっちゅう顔を会わせているのだから。
そんな事もあって今日のお誘いに乗ったのだが、本当にサキちゃんと付き合っていると言ってもいいんだろうか? 俺みたいな奴が彼氏じゃ恥ずかしいはずだよな。誰が見たって、サキちゃんはメッチャ可愛いし美人だ。ちょっと背が高過ぎて敬遠する男はいるだろうけど、付き合ってる男がバツイチじゃ、彼氏ですって紹介なんて出来ないよな。
「ーーーシグマ聞いてる? さっきから、なんだかボーーっとしちゃってるよ。縛りだって縛り」
「え……しばり?」
「SMで縛るやつ。そんなのが静香の好みだって知ってた?」
「違うからね!!好みって……ただ、一度見たかっただけだって……もう〜」
なんだ? オナニーの次は縛り? 静香はこの手の話が嫌いだと思っていたが違うの? 観たかった? へ〜驚きだね。
「ねぇ、シグマってさ、あれ……なんてったっけ? カメの何だかって名前の縛り方って出来る?」
「はぁぁああ? カメ? あ〜〜亀甲縛りの事だろ。んなもん出来る訳ねぇだろ。あれって凄くマニアックな縛り方だって」
「へ〜、ムリか。でも名前は知ってんだ」
「有名だろ。SMなんかに興味がなくたって、日本男児なら誰でも名前くらいは知ってんじゃないの?」
「ふ〜ん……外国じゃ何て言うのかな?」
俺はけっしてSM愛好者ではない。そんな趣味は絶対に持っていません。神に誓って断言します。でも、なぜだかちょっとだけ知ってます。はい。
縄で拘束するのって日本独自の文化なんだよね。海外じゃ拘束具を使うはず。なんでそんな事を俺は知ってんだ? 自分でも不思議だわ。
確か江戸時代だよ。色んな縛り方がどんどん発達していったのって。縄抜けを防ぐために藩ごとに競い合うように縛りを開発したのが今に残ってるって聞いたな。だから縛り方って今で言う企業秘密だったはず。他藩には絶対に教えないの。
そんな事を俺が喋っていると、向かえに座ってる女性二人が、ポカーーンと口をあけています。
「シグマって、もしかしたら……本物?」
「はい? ホンモノって何が?」
「本物のSM愛好者で、チョーーーーーマニアック」
「あのね……」
「麻縄でいいんだよね?」
「いや、だから俺に聞かないで。………そんなの知ってどうすんの?」
「ウシシシ……借りたDVD、静香と一緒に観たんだ。なんだかさ、静香を試しに縛ってみたくなっちゃったの。静香は絶対にMだね。麻縄買っちゃったさ。きゃはははははははは」
この純さんって人、ボンテージファッションで仮面付けて鞭持ったら似合いそう。
見ると、赤い顔で俯いている靜香。え……マジ? 君らってそうなの?
「二人って恋人?」
「ばれた?」
はいはいはい、俺はそんなものに変な偏見もないし、色んな趣味の人がいても驚きはしません。どうぞ、お幸せになってくださいな。
案外ケロっと言っちゃってる純さんは、以前から自分がそうだと自覚していたのだろう。だが、その隣で真っ赤な顔で下を向いてる静香は、未だそんな自分に戸惑ってるのかもしれない。「シグマ……誰にも言わないで」と、まるで静香らしくない声で、そう言ってきた。
「ああ、了解。純さんは周りにカミングアウトしてんの?」
「ムリムリ。前に住んでた街でね、フった彼女が有る事無い事ベラベラ言い触らしちゃってさ。完全に腹いせ。そんでこっちに来たって訳」
「今日、俺を呼んだのって、もしかしたら、二人がそうだって事を俺に言うためか?」
「ビンゴ!! シグマって、そんなの気にするタイプじゃないでしょ」
周りの誰にも知られないように隠して付き合うのは、精神的にかなりキツイらしい。そのフラストレーションが原因で、上手く行くものでも結局ダメになってしまう事が多いと、静香の手を握りながら説明している。
「誰か一人でも知っていてくれると、不思議と安心するものなんだよね」
「ああ、それって何と無くわかるかも」
そう同意をした俺は、サキちゃんとの事が頭をよぎる。またボーっと考えていると、なにやら麻縄がどうしたと言っている純さんの声が盛んに聞こえてくる。
「麻縄は、なめすって聞いたことあるな」
「なめす?」
俺は本当に愛好者ではないのです。声を大にして断言します。俺は違うんだーーーーーー! だけど知ってます。
皮と同じで、なめさなかったら堅いのですよ。まずは煮る。なんども水を替えて煮るんです。そして熱いうちに脱水を掛けてオイルを染み込ませて、縄の端っこに重りをぶら下げて陰干しです。最後は柱に擦り付けて表面を滑らかにする。
はい、この俺の説明を聞いていた二人に女性。この二人にとっての俺は、完全にホンモノです。
「シグマ……本当は簡単に出来ちゃうんでしょ。亀甲縛り」




