過ぎた年月
他の患者さん達がカーテンから顔を出しては直ぐに引っ込める。どうやら、こいつのせいだ。まだ寝るにはまるで早い時間なのに、どのベットもカーテンを引いていた。
そんなほかのベットの様子を振り返ったりしながら見ていると、それが勘に触ったのだろう。椅子に座っているそいつの足が激しく動き始めた。
貧乏揺すりかよ、みっともねぇぇ。だいたい、なんであんなに股開いてんだ? あれが格好いいのか?
「シグマさん、迷惑って言ったの聞こえねぇ?」
俺のことを知ってるようだ。生意気な態度してるけど、さん付けで呼ぶってことは、太郎が言ってた通り、二つ下の後輩なんだろうな。だけどなんなんだ、あのファッションは。伸び切ったオレンジ色のジャージの上下に、中には胸に何やら縦書きで文字が書いてある青いTシャツ。あれは詩か? どんなセンスしてんだよ。同じ高校だったら勘弁だ。
俺は同級生の女の子の名前がよく分からないのだが、同性でも先輩だの後輩だのとなると、もっと知らない。からっきし興味が無かったからだ。一応聞いてみよう。
「君、誰だっけ?」
「……シグマさん、いつまでも先輩風吹かせんの止めてくれませんかね〜。それこそ迷惑ってもんでしょ」
ふ〜ん、ずいぶんと余裕かましてくれるじゃん。しかし、こいつの大股開きがどうしても気になる。
「お兄さん、下の毛も金色? ちょっと見せてよ」
「はぁああ?」
「まさか、まだ生えてない?」
「頭おかしいんじゃね。なに訳分かんねぇ事言ってんだよ」
貧乏揺すりが一段と大きく激しくなってきた。俺の知り合いには、こんな変な癖を持った奴はいない。もしいたら、力ずくで押さえ込んでる。この癖は嫌いだ。見てるとこっちまでイラつく。「いいから見せな」と、俺は近づいて行く。
「ふ、ふざけんな! てめぇぇはホモか?」
「誰? え……シグ…」
メグミがカーテンから顔を出した。眠っていたのかもしれない。俺は椅子に座った金髪兄ちゃんの口を左手で塞ぎながら壁に押さえつけ、ジャージを下着と一緒に下げてやったとこだ。ジタバタしながら目を剥いてるわ。
「よう、メグミ。お前、こんな包茎と付き合ってんのか」
「あ……」
ぽかんと口を開けて金髪兄ちゃんの下腹部を見ているメグミ。見ると頬に痣がある。
殴られたってマジかよ。ふざけやがって。
掴んでいたジャージと下着を一気に高く上げると、下半身裸で床にひっくり返った金髪兄ちゃん。
ざまーみろ。窓から脱がしたジャージと下着を放り投げてやった。
金髪兄ちゃんが慌てて窓に走り寄って行くが、ここは3階だ。振り向いて口をパクパクさせている。俺を見たりメグミを見たりして。
「お兄さん。お前、包茎のクセに女殴るのか?」
だらしなくぶら下がっている物を指で差す俺は、そうとうに意地が悪いのだろうが、女に手を上げる男は、とにかく嫌いだ。
慌ててTシャツを引っ張って股間を隠し、腰を引いて僅かに膝を曲げて内股となっている姿は、金色に髪を染め、強面を気取ったサングラスを掛けているだけに、とっても恥ずかしい。
「聞いてんだから答えなよ。包茎が女殴っていいと思ってんの?」
俺は意地悪だ。いつの間にか他の3つのベットから、それぞれ顔が出ていた。どの顔も中年のオバサンだ。
「ちょっと〜、剥けてないんだわ」
「ウソみたい。イヤだ〜」
「見掛け倒しもいいとこ」
俺も酷いが、年増の女性はグサっとくるような事を、グサグサグサって刺しまくってくるもんなんですね。笑っちまうぜ。ヒヒヒ。
内股のまま身動きが取れなくなった金髪兄ちゃんは、まがりなりにもメグミの彼氏だ。メグミも何となくだがバツの悪そうな顔で俺を見てる。そして蚊の鳴くような声で、
「シグ……なにしに来たの?」
「ほら、お見舞い。大して入れてないし、お返しは要らんから」
用意して来たのし袋をベットの脇にある机に置いた。とりあえずの5000円。
「あ……どうも…」
「そんな事はどうでもいいよ。殴られてアバラ折ったって聞いたけど、この包茎がメグミの彼氏で、その包茎に折られたのか?」
「バカ! おっきな声で言わないで」
聞くと、やはり女を殴るクセがある男のようだ。些細な事で喧嘩となり、顔を叩かれたメグミがよろけてテーブルのへりに脇腹をぶつけたらしい。だが喧嘩や傷害は健康保険証は使えない。だから、不注意で転んだ事になっていると言う。
「なぁ、ちょっと2人だけで話せるか?」
「うん…ちょっとだけなら。今、起きるから……うっ………ふ〜〜」
姿勢を変えるたびに折れた箇所が痛むのだろう。立ち上がったメグミの額に汗が見えた。
エレベーターで1階に下り、敷地から外れた場所にある喫煙スペースへとメグミに合わせてゆっくりと歩いてゆく。途中、落ちていたジャージと下着をメグミが拾っていた。
「シグ、1本ちょうだい」
メグミが咥えたタバコに火を点けてあげる。美味しそうに吸い込み、俺に向かって煙を吹きかけてきた。頬の痣が痛々しい。
「包茎と別れないのか?」
「ちょっと〜、その呼び方止めてよ」
「ふ〜ん、あれがいいのか?」
「シグ! 怒るよ! また思いっ切り急所蹴り上げるからね」
俺もタバコに火を点け、メグミの顔をまじまじと見た。ちょっと痩せたな。
「そんなふうに見ないでよ……もうシグとは何でもないんだから」
「だな…」
居心地の悪い時間が流れている。当たり前の事だが、あの頃とは違う、随分と距離が出来たのだと改めて感じた。
メグミが視線を逸らし、少し困ったような表情で下を向く。ああ、この顔ーーー唇を尖らせた膨れっ面は憶えてる。相変わらずこの顔するんだ。
不思議な気がした。まだガキだった二人が、互いの身体を調べるように肌を合わせていった。あの時のセーラー服の子が目の前に居る。もうガキじゃない。女になっていた。俺はどうなんだろう。変わったのかな。
病室に戻ると、メグミの布団で下半身を隠している金髪兄ちゃん。
「よう、ホーケーボーイ、まだ居たんだ」
他のベットからオバちゃん達の失笑が聞こえる。
メグミが、拾ってきたジャージと下着を金髪兄ちゃんの顔目掛けて投げつけていた。その拍子に折れたアバラが痛かったのだろう。ベットに片手をついて耐えているみたいだ。
金髪兄ちゃんが、チラチラ俺の顔を見ながら慌てて下着に足を通してる。ベットに手をついているメグミが顔を上げない。
「メグミ、大事にしろよ。俺、行くわ」
「うん……」
俯いたままのメグミの声が見送ってくれた。ジャージも履き終えた金髪兄ちゃんと目が合い、俺は廊下に来いと顎で合図を送る。
出て来たそいつのサングラスを奪い、肩を組んで並んで歩きながら優しく諭してあげましょう。
「今度、女に手ぇ出したら、街中にバラすから。君の包茎。イラスト付きで。確か曲がってたよね。右? 左? どっちに曲がってたっけ?」
「……」
「君さ〜、高校の後輩なんだろ。2つ下って聞いたけど、あってる? なら、同級生みんなにイラスト送っちゃうから。俺って絵心あるんだぜ。見たい?」
「いっ、いえ……いいです」
「そっか、残念だな。驚くくらいリアルに書けるのに。……いいか包茎、よ〜〜く憶えとけ。忘れるんじゃねぇぞ」
「はい…」
「じゃーねー」
別れ際に、金髪兄ちゃんの股間をガッチリ握ってやった。そうとうに強く。
「うっ……」
そのまま廊下の床に膝をついて蹲っているのを尻目に、俺はエレベーターに乗り込んで行った。
病院を出て、さっき来た喫煙スペースでタバコに火を点けた。俺は不思議と車の中ではタバコを吸わない。ヤニの匂いが車内に染み付くのが嫌なのだ。
煙を吐き出しながらメグミの言っていた事が思い出された。
「あいつ泣くんだよ、別れ話し切り出したら。泣きながら、別れないでくれ別れないでくれって私を抱くの。なんだかさ〜、可哀想になっちゃって、されるまなになって……ずるずる続いてるんだよね。何で叩くって? うん……私ね…浮気したことあるの。そう、あいつと付き合ってんのに他の男とヤったの。驚いた? へへへへ……そん時、初めて男の人に叩かれた。それからだね。とにかく凄いヤキモチ焼きで、ちょっと他の男と喋ったりしてたら、すぐに疑うの。また浮気してるんじゃないかって。……シグ…心配してくれたんだ。ちょっと嬉しかったかも。でもさ、あいつとは長続きするとは思えない。近いうちに別れる。さすがにね怪我させられちゃったし、もう、抱かれたくない」
そんなメグミの話しを思い出しながら何気なく上を見上げると、3階の窓に女の人が見えた。俺は目が良くないせいで誰なのかは分からなかったが、手を振ったのが見え、俺も手を振りかえしていた。




