笑窪
なんとなく照れ臭そうに伏し目がちの姐さん。いつもは真っ白な歯を見せ声を出して笑う人が、口を閉じた笑顔で俺の横をすり抜けた。
あれ、姐さんってエクボ出るんだ。
ベロに案内されるように居間のソファーに腰を下ろし、ゆっくりと視線を上げる姐さん。俺は、初めて見るエクボを追いかけていた。
「これ、久保田って言うんだ。美味いよ」
「久保田? へ〜、人の名前みたいな酒だね」
湯呑みと小さめのお皿を2セット持ってくると、ポンっと小気味の良い音が部屋に響き、驚いたベロがソファーから飛び下りたところだった。
「あはははは、ベロちゃんごめんね〜。ビックリした? 隣においでよ」
こいつは本当に女が好きだ。音にビビって逃げ掛けたクセに、すぐさまソファーに飛び乗り姐さんに寄り添うように座ってる。
お皿に乗せた湯呑みに姐さんが久保田をつぐ。
「シグ、いいね〜。日本酒飲む時は、やっぱり冷やでモッキリだよね」
「日本酒の味って、あんがい分かってないけどさ、盛り切って呑む方が、それっぽくていいよね」
「そっか、シグは洋酒党だっけ。とにかく久保田を呑んでみ。イケるからさ」
「ブランデーは嫌いだけどね。どれどれ……」
湯呑みに盛り切った酒が、受け皿にもけっこう零れているせいで、尖らせた口を寄せてゆく。
「ん……おっ……これ美味いな」
「でしょ〜」
姐さんは、そんな俺の反応に満足したのか、もう一つの湯呑みにも久保田をたっぷりと溢れさせてゆく。そして、やはり口を尖らせながら顔を寄せ始めた。
なんとも行儀の悪い呑み方だが、妙に艶っぽいのも事実で、俺はドギマギしていた。
「シグ、ちょっとだけベロちゃんにも呑ませていい?」
「ああ、いいよ」
「どれどれベロちゃん、受け皿に零れたの呑んでもいいよ。ほれほれ」
久保田が入った皿を床に置くと、「なになに」って感じでベロがソファーからゆっくりと降り、鼻先を寄せてクンクンやり始めた。
「あれ、嫌いかな?」
「いや、けっこう酒好きだから間違いなく呑むわ」
「へ〜、そうなんだ……あっ本当だ。舐めてる舐めてる。あははははは、ベロちゃんもお酒呑むんだ。何だか可愛い」
一心不乱にペロペロやってるベロ君。
たま〜にベロと晩酌をしたりする俺。日本酒、焼酎、ウィスキー、スコッチ、バーボン、ワイン…とにかくベロは何でも呑む。ただ、ビールだけは嫌いらしい。
俺と姐さんも二杯目となり、ちょっと照れ臭そうだった姐さんは、もう何時もの姐さんに戻り、「ギャハハハハ」などと、喉チンコまで見せるような笑方をしている。エクボは何処に行った?
「あっ、そうだ。水産業者から直接貰った珍味あるんだ。タラだけど姐さんも食うだろ。美味いぜ」
「うっ……この時間だと……太る」
「日本酒ってカロリー高目と違ったっけ? 今更気にしたって…」
「だよね〜。うん、たーーべよっと」
二人で結構な量を呑んでます。一升瓶の2/3は飲んだ。しかし、この姐さんいったい何しに来たんだか、「ギャハハハハ、グハハハハハ」って、膝を叩きながら大笑いしている。会話の内容は下ネタばっかり。酔ってるこの人の下ネタはメチャクチャだ。
「シグ、あんたサキと付き合って、もうヤったんだろ? いひひひひ、あの子どうだった?」
「いやいやいや……ちょっと、ちょっと……あはは」
「はぁあああ? まだなの? あんた童貞?」
「なっ……あのね……ますみさん、俺バツイチなんですけど」
「だよね〜〜、チェリーボーイな訳ないか。アヒャヒャヒャヒャ……ならさ〜、言いなよ、ほらほらほら」
「……チューはしました」
「はい?? キスだけ? まった〜〜、またまたまた〜〜。モミモミくらい……え……まじ? ほんとキスだけ?」
「ヘイ…」
暫くの間、ポカーンとした表情で俺を見ている。
「チューって、まさかチユッ…じゃないだろ。ブッチューってさ、濃厚にレロレロしちゃうやつだろ」
「レロレロって……表現がちょっと…」
「あんたさ〜、彼女が居るのにだよ、毎日シコシコしてんのーーー?」
「がっ……」
「なに? まさか……ED」
「そっ、そんなわけない!!」
「私だったら怒っちゃうね。付き合ってんのに私に手を出さないで、家に帰って一人でシコってんなんてさ〜」
「あ、あのね…ますみ様…あははは…」
「なに笑って誤魔化してんの。男なら濃厚なキスしたら反応するだろ。サキだってガキじゃないんだからバレてるはずだよ。いくら鈍くたってさ〜。どうしてんだろう、一人で処理してんのかな〜って普通思うって」
まいったね、この人は凄いわ。俺は珍味を咥えたまま、床にゴロンと寝転がってしまった。女の人と二人っきりで酒を飲みながらこの手の話は……酔ってる俺ですら恥ずかしくなっちまったじゃねぇかよ。
すると、タタタタタっと足音が聞こえた。
「ん………痛ぇぇぇ……」
「あ、ベロちゃん」
俺の身体の上に飛び乗ったベロが、咥えていた珍味を盗っていった。
「こらベロ!! ……いや〜痛ぇぇぇ……唇まで噛んでいきやがった」
「ぇぇえええ??!! ぎゃははははははははははは」
自分の部屋に行ったベロ。明らかに悪い事をしましたって顔で、こっちを覗いている。
俺は床に寝転がるのは止めて姐さんの隣に座った。ちょびっと離れて。
「あれ? シグ、ちょっとこっち向いてみ。…………あ……あああああああああああああああああ!!ギャハハハハハハハハハ、ヒーーーーーーッヒッヒッヒッヒッヒ……グルジィィ……シグ、あんたさ〜、アハハハハハハハ、上唇腫れてきたわ」
「えーーーーー!! 腫れてきた? まいったな……ベローーー!」
向こうの部屋から顔だけ出しているベロを睨んでいると、横からの視線を感じた。見ると、俺の唇をじっと見ている姐さん。
「え……ちょっと……ますみさん…」
「まずい……」
「なにが?」
「私が噛んだと思われるかも」
「誰に?」
「サキやユイに。……シグ、腫れが引くまでマスクしてなさいよ」
「ますみさんがここに来てるって、サキちゃん知ってんの?」
「妹の彼氏に会うのに、なんで秘密にするのさ。あんた、私と浮気したかった? ヒッヒッヒッヒ」
「いえ、そんな…絶対に無いです!!」
「なにそれ??」
「え??!!……いや……そんな意味じゃ………あっ、あーーーーー!!」
ガッチリ掴まれた。
「アハハハハハハハ、久々に若い子の触っちゃったーーー!」
「ちょっ……姐さん!!」
ようやっと手を離したますみさんが、可笑しくてたまらないと言うように、ソファーからずり落ち、床に転がって笑っています。暫くすると大きく息を吐き出し、天井を見据えたまま大の字に。
「シグ、これから私が喋る事に、口を挟むんじゃないよ」
ますみさんは、身体を起こすこともなくそう言った。
「……ああ、分かった」
「私がさ〜、あと10歳…いや5歳若かったら、あんたのこと食べちゃってる」
「……」
「遊びって意味じゃないから」
「……」
「そもそも、男遊びはもういいしね。最近さ〜、ちょと見えてきた事あってさ。……一緒に暮らすって、一緒に歳を重ねるって事なんだよね」
「うん」
「男なんてさ、いつまでも子供でさ〜……40になってようやっと大人で働き盛り。物凄いエネルギッシュでセクシー」
「……そうなの?」
「うん。私もオネエチャンじゃない歳になって、ようやっと分かってきた」
そう言ったますみさんが、ジーパンを履いた長い足を投げ出したまま、上半身を起こし俺を見る。口を閉じて照れたような笑顔。エクボが見えた。
「シグが40になったら、私って幾つだと思う?」
「う〜〜ん、あと19年だから……53……54か?」
「そう。考えたく無いけどね。シグ、あんた私の性格わかるでしょ? 自分が50過ぎてんのに相手がバリバリの年代で、何にでも果敢に攻めて行く事が出来るなんて……私にはダメ。ムリだ」
「あぁ、なんとなくだけど、分かる気がする」
立ち上がったますみさんが、両手を上げて大きく伸びをした。シャツが捲れてヘソが見える。俺が慌てて視線を泳がせたのに気がついたようで、
「アハハハハハハハ、もっと違うとこ見たかった? でも、ダーーーメ。シグがまた立ったら困るもん」
「なっ……」
「あんた、いい男だよ。マジで惚れちゃいそうだった」
「ぇ……」
「今話した事は心の中にしまっときなよ。いいね」
「ああ……分かった」
話がひと段落ついたのが分かったのか、ベロが頭を下げてノソノソと歩いて来る。そして、ますみさんの足に身体を擦り付けていた。そんなベロの頭を屈んで撫ぜながら、
「サキは、シグの事が大好きだね。なんとなく予感はあったんだ。シグが離婚した時って、サキはまだお父さんと住んでたけど、今年の4月からこっちに来たでしょ。あんたとくっ付いちゃうんじゃないかな〜って」
「……」
「シグ、これだけは確認させて。あんた、すみれさんとは…」
「もう終わった。別のパートナー見つけたみたいだ」
「そっか……あんた優し過ぎるのが欠点だね」
「……」
「ユイはさ、いつかシグのお嫁さんになるんだって頑張ってんだけどさ、なんだがサキの事になったら、自分が母親みたいになっちゃって……おっかしいよね。ふふふ」
俺は知っていた。ますみさんの事もユイの事も。
ユイはまだ中2だ。きっと何度も恋をする。ますみさんが言った事ーーいっしょに歳を重ねる相手ーーサキちゃんの相手は俺でいいのか。
「サキってさ〜、もう知ってると思うけど、超箱入りなんだよね。私と姉妹なのにさ。イヒヒヒヒ……今の世の中、あんな娘は絶滅貴種だわ」
「うん」
「サキのこと大事にしてあげて」
「うん、絶対に傷つけたく無い」
「でもさ、誤解しないでよ」
「ん?」
「あんたがた2人って全然若いんだからさ。シグなんて男だし、これからだって、選択肢なんていっぱいあるよ」
「……」
「2人がこれからどうなるかなんて、誰にも分からないってこと」
「……うん」
「ところでさ、ほんとサキとはチューだけ? なにやってんのさ、早く決めちゃいな!」
再び始まった。
自分の場合はどうだったとか、男は強引じゃなきゃダメだとか、下ネタをふんだんに織り交ぜた姐さんのお説教が。あげくの果てには、「こそこそオナニーやってんのサキにバラすよ!」と脅される始末。
「でもさ、ちょっと心配」
「なにが?」
「シグ、モテるだろ」
「ないよ。高校の時なんて、どの女の子にも敬遠されてたんだぜ。どうモテるの? 誰も近寄らんのに」
「ふ〜〜ん、見たいな、高校の時の写真持ってないの?」
ベロの部屋のクローゼットをーー押入れか?ーー探してみることに。ベロ邪魔だって。さっき俺の唇噛んだクセに。
「……見っけ!」
数少ない写真をファイルしたアルバムと、高校の卒業アルバムが出てきた。
「あああああ……ええええええ?? 確かに、今と雰囲気違うね」
「そうかな? 自分じゃ良く分かんないな。でも、何て言うのか……持って行き場のない怒りみたいなもの、絶えずあったかも」
「うん、写真に怒りが写ってるわ。あーー、それか。分かった」
アルバムから目を離したますみさんが、俺の目を覗き込んで来た。
「花火大会から帰ってきたユイが言ってたの思い出した」
「あれは俺のせいだ。俺が目を離した隙に…」
「何言ってんのバカだね。サキだって23なんだよ。シグのせいじゃないって。そんなことじゃなくて、ユイがさ、シグの事をスーパーサイヤ人だって言ってたの」
「スーパーサイヤ人って……ドラゴンボールの?」
「そうそう、見る見る戦闘モードに変わったらしいよ、シグ」
「そんなふうに見えたのか……ユイの年代って、あのアニメ知ってんの?」
「私が、あのコミックかなり持ってんのさ。ヒヒヒ…。それにTVで再放送やってるしね」
「俺がスーパーサイヤ人ね〜……」
「あの子って変に鋭いよ」
いつに間にか、夜中の2時を過ぎていた。
「そろそろ帰るわ」
「……うん」
「とにかく、私とシグはあり得ないから。そこんとこハッキリさせに来たの。分かった?」
「うん、分かった」
ベロと送って行こうとしたが、姐さんが「いらん」と断り、玄関で見送った。
「ベロ、縁って分かるか? タイミングとはちょっと違うな」
「グゥゥゥゥ……」
なんとなく考えてしまいそうだ。答えなんか無い事を。
エクボを見せて帰って行った姐さんを思い出しながら、今日も一人と一匹で寝ました。




