夜の訪問者
え、ちょっとサキちゃん、なに? なに?
仰向けの俺の上でマウントポジションのサキちゃんが、「うふふ…」と、妖しく笑ってます。
どっ、どうした…? え?
途惑う俺を見下ろすサキちゃんの顔が近づいてくる。
そっ、そんな…え? ちょっ、ちょっと…
そして口を塞がれた。
なっ、うそ?! そんな大胆なことを…ちょっと待って。おっ、落ち着こう。うんうん。え?? なに?? ちょっと…グゥグゥって……唸ってる? はっ、はな? 鼻息荒過ぎない?
上に乗りながら一心不乱に口づけをするサキちゃんが凄い。唸りながらエライ鼻息だ。
え…? ちょっと舌…長くない? それに、分厚いような…はい? …ぇぇええ? 黒い? 毛だらけ?
「うわあああああああああ!! べっ、ベローーー!! お前…なにやってんだ!!」
「ワンワンワンワン!!」
「ペッ、ペッ、ペッ、ペッ…」
一気に目が覚めた。
とんでもない夢を見ちまったぜ。って言うか、口の周りがデロデロな俺。
ベットから跳ね起きると、「さっさと散歩に行こうぜ」って感じで、ベロが部屋中を走り回っては飛び付いてくる。それを無視して俺は洗面台へと走る。まずはウガイだ。そして歯磨き。後ろからはギャウギャウ聞こえる。
どうやら口を開けて寝ていたらしい。何を思ったのか、そんな俺の口の中をベロの野郎がペロペロしてやがった。おまけにサキちゃんにチューされてる夢を見て、なかなか目が覚めなかったときた。だいたい、あんなに舌の長い女が居るかよ。とんでもなく分厚かったし、勘弁してくれ。俺も直ぐに気付けよな。
「ベロ! 口の中を舐めたらダメだからな! 絶対だぞ! 分かったか!」
そんな俺の言葉なんかまるで聞いていないようだ。玄関へと走って行っては、物凄い勢いで戻って来て、俺にジャンピングアタックを繰り返している。とにかく散歩の事しか頭に無い奴。
今日は月曜日の朝だ。とにかくベロのお散歩から1日のスタート。憎たらしいが。
「お前って、月曜日だろうとテンション変わらんね」
普段の月曜日であればとにかくダルい。だが今日は、こいつのせいでバッチリ目が覚めちまってるぜ。シャキシャキ歩く俺。
「お、ニャンコだ」
行く手に一匹の猫が蹲っているのが見える。それも道路の真ん中だ。妙にデカイ。
俺とベロが近づいているのに動こうともしないで睨んでくる。
「おいおいおい、ガン飛ばしてんじゃん。なんだアイツ?」
ベロの足取りが心なしか鈍くなってきたような。そして道の端に寄って行く。猫は道のど真ん中だ。
リールに引っ張られ、俺まで端に寄って歩くことに。何やってんだ?
通り過ぎようとするベロを猫の視線が追いかけて来る。ベロは決して見ようとはしない。明らかに視界の端っこに猫の姿が映っているのに、前を見たまんまで道の端っこを歩くベロ。
通り過ぎると、気になって仕方がなかったのか、今更振り返りながら歩いている。猫の方は相変わらず道の真ん中で蹲ったまんまで振り向きもしない。図太い神経してやがんな。俺もベロと一緒に振り返っている。
「ギャオン!!」
見ると、後ろを見ながら道の端っこを歩いていたせいで、電柱に頭をぶつけ、驚いて跳ね上がっていた。俺の方が驚いたわ。
「お前ね〜〜」
気の毒で、それ以上声を掛けれません。
そんな散歩の途中でメールが来た。見ると、
『今晩行くから、予定空けといて』
姐さんからです。ちょっと怖いんですけど…
『ヘイ、了解です』
と、平静を装い返事を送る。そもそも断れない強制力が短かい文面から滲み出ている。
しばらくの間、立ち止まったままで携帯の画面をじっと見ていると、げっ…着信…思わず飛び上がってしまった。そこら辺の草むらに鼻を突っ込んでいたベロまでギョッとしたのか、ひと跳ねしていた。
「痛ててて…引っ張るな、ベロ」
とにかくメールを開けましょう。
『シグマ、あんたクラス会の時、奈緒と抜け出してホテル行ったらしいね。いったいどう言うつもりなの! 由美に言ったらショックで寝込んじゃったんだからね。話しあるから、今晩都合つけて』
なんだ??
大体、このメールって誰よ? と思ったのは一瞬だけで、直ぐに思いつきましたよ。静香だよ静香。アイツしかいねぇぇ。でも、俺のアドレスなぜ知ってる? それも直ぐに分かりました。太郎だよ太郎。どうせ無理やり聞き出したに違いない。
しっかし太郎も責められたら弱いぞな。なんでも喋っちまう。
だが、男の友人とは電話で喋ることはあっても、メールのやり取りなんぞ一度もやったことがない。とりあえずアドレス交換ってもんをしてみたが、男相手にチマチマ携帯のちっこいキーを駆使して、何を語ればいいのかが分からん。「今なにしてる? 暇?」なんて打つのか? おおおお、鳥肌が立ってきた。
太郎も俺なんかに一度もメールをしてきたことが無いのに、静香に無断で教えるかね。まぁ、どうでもいいけど。
どうしよう。返事をした方が良いのだろうか? シカト決め込んだら、きっと電話攻撃が始まりそうだと思い、とりあえず返事を入れておいた。
『君って静香君?』
すると、速攻で返事が返ってくる。
『あ、ごめん。名前入れるの忘れてた。このアドレス私だから、登録しておいて』
俺の返事はモタクサしている。指がダルいぜ。
『ヘイヘイ、了解です。ところで今日は先約があってムリ』
『奈緒とまた逢うんだ。いやらしい』
『勝手に妄想膨らませて、静香君って、けっこうスケベなんだね』
ギャンギャン反論してくるだろうと思っていたが、プッツリ返信が来ないから悪戯半分で更に突っ込んでみた。
『え……図星だったの。では次に会った時には、卑猥な話しで語り明かしましょうか』
『ドスケベ、変態、痴漢、覗き魔、気狂い……』
ハイ、罵詈雑言の嵐が着ました。
そんなこんなで、散歩から帰って来るのが遅くなり、ヤベーだろ、遅刻しちまうって。今日は朝飯抜きだ! でも、ベロ君は鼻を鳴らして冷蔵庫の前で待ってます。
ベロに牛乳やって、俺も飲んで、シャワーを浴びて裸で居間を横切ると、
「シグ君、おは……」
「え……」
風呂から出ると、居間を通らなければ別の部屋には行けない間取りなのです。ベロの六畳間に整理ダンスがあって、そこに下着類がありまして。その部屋から顔だけ出して、
「サ、サキちゃん……」
「チャイム鳴らしたけど返事無かったし、鍵も開いてた」
「そっ、そっか……アハハ……見た?」
「……うん」
思わず、壁の陰に隠れている下半身を見てみた。おおお、今日は大丈夫だ。
「でっ、でも、ふっ、普通だったろ?」
「普通??……なっ……シグマのエッチ!! もう〜、これで3回目。お風呂に入る時、ちゃんと鍵掛けて……あーーー! 他の女の人にも見られた事あるんでしょ!」
「ダメダメダメ、ちょっと、こっちに来たらダメだって!」
後ろを振り向き振り向き、タンスの引き出しからパンツを取り出してる俺の姿は、きっと凄くマヌケだと思う。だが、そのマヌケに追い打ちを掛けるようにベロがじゃらけてくる。
「こ、こら! 止せ! パンツ下げんな!」
「シグマ! ちゃんと答えて!」
腰に手を当てたサキちゃんが口を尖らせて睨んでる。
「こんなマヌケなとこ見られたのはサキちゃんだけ!」
「ウソ言ったら…」
まだ何かを言い掛けていたサキちゃんの口を、俺は強引に塞いでいた。唇で。
これって、けっこう格好の良いシチュエーションだとは思うけど、パンツ一枚の男じゃ…
「アギャッ!!」
「ぇええ? シグ君、どうしたの?」
後ろからベロに飛びつかれ、ケツをかっちゃかれた。
あの停電の夜から一週間が過ぎていた。
俺とサキちゃんは、毎日のように会っている。家が近所のせいで、今日みたいに朝からサキちゃんが来る時もある。そして、その都度口づけは交わすが、それ以上の進展はない。
バイトの昼休み、再びメールが。恐る恐る開けて見ると姐さんからだ。
『悪い。行くの遅くなる。10時には行くから』
『了解です』
バイトが終わって家に着くと、まだ7時だ。ベロを家に入れてドックフードあげて、俺もチャカチャカ炒飯作って、食べ終えると8時。なんだか落ち着かない。
今日はサキちゃん、バレー部のOBで作ってるサークルに行っているから逢えない。まぁ、朝に逢えたが。変な状態で。
姐さん、サキちゃんが居ない日を選んだんだろうな。
以前は、ちょくちょく晩飯を持って来てくれた姐さん。今は、3日と空けずにサキちゃんが作りに来る。そんなこともあって、姐さんと二人っきりになるのは、随分と久々だ。
姐さんとバーでチークを踊ったのが思い出される。いい匂いだった。
異性を感じた俺は反応していた。姐さんも分かっていたはず。あれはアルコールが入っていたせいなんだろうか。いや、きっと違う。姐さんとだったら、いいと思った。
サキちゃんは憧れの対象、初恋の人でしかなかった。
これってなんなんだろう。今はサキちゃんしか見えないのに、一歩先に進むことが出来ない。傍に居るサキちゃんの手を引っ張って行くのを躊躇っている。
姐さんの事が引っ掛かっているのだろうか。それもある。俺は、間違いなくサキちゃんの姉を誘った。だけど、それだけじゃない事も知っている。
サキちゃんの存在が眩しすぎて、自分がくすんで思える。初めてサキちゃんを見た時のように、自分を恥ずかしく感じる。
誰よりも自分で知っているからだ。俺じゃ釣り合わないよ。
チャイムが鳴った。いつの間にかウトウトしていた俺は、その音で目が覚め、掛け時計を見上げていた。
10時5分前か。相変わらず時間に遅れる事をしない人だな。
ベロに続き玄関に行くと、ドアが開けられ、
「シグ、遅い時間に悪いね。まぁ、いつものことか。あはははは。今日は一緒に飲もうや」
一升瓶を抱えた姐さんの笑顔が、とっても綺麗だった。




