過去の確執
俺は疲れてもいたし、イラついてもいた。
喫茶店に入って来た静香と由美ちゃんの二人。その二人の女子に視線だけを向けた姿勢。普通は声でも掛けるのだろうが、そんな気分でもなく、どうしようか思案中。
俺の欠点だと自分でも分かっている。自分の嫌いなところでもある。気分の切り替えが苦手で引きずってしまうのだ。
見られたくないんだよな。切り替えが出来ない時を。意識して何とかしなければと思うのだが、意識すればするほど無理だ。はぁぁぁ。
入口付近で固まっていた二人が、静香を先頭に、おずおずと近寄って来る。由美ちゃんはと言うと、静香の後ろに隠れるようにしている。二人とも腰を引いて、両手をお尻に当てながらーーー変な姿勢で歩いて来る。
なんだ?
静香が俺の向かえの端っこに座った。二人掛けのソファーなのだから奥に座ればいいのに。
由美ちゃんは立ったままだ。静香が奥に座らないから座る場所もない。
何度も咳払いをしている静香君。喉の調子がおかしいのか、「オホッン! オッホン! ゴッホン!」と、やればやるほど更に気になるようだ。ちょっとうるさい。
「っうーーん! シグマ………ごめんね…あの…待ってたんでしょ。由美から連絡きて……一緒に……来たの」
「ごっ、ご…ごめんなさい。例の人ね……何だか分かんないんだけど……もういいって。もう連絡もしないから、自分にも連絡してくるな。って………。来なかったんでしょ。なんでなのかな……でも済んだみたい」
「そっか………よかったな」
いや〜、俺ってもっと別な言い方出来ないもんかね。自分でも本当にウンザリするわ。
それから静香が喋り続けてます。そのおかけで俺は喋らずに済んでいる。ただ、静香の様子がぎこちない。妙に一生懸命感がバンバン伝わってくる。隣りに目を向けると、眉をしかめた由美ちゃんが、真剣な表情で突っ立ったままだ。緊張した時の癖なのか、身体の前で組んだ手の指が、落ち着きなく動いている。なんだか股間をいじっているようにしか見えない。
座っている俺の目線の高さに合っちゃってるんだよね。静香の喋り方と由美ちゃんのそれが、とにかく笑えた。
「へ??? なに? なんかおかしい? 私? 由美? 顔に何かついてる? 目? 鼻? 口? ええええ? なになになに?」
「悪い悪い。静香の喋り方が何て言うか……悲壮感? 必死さ? そんなんが見えちゃって……それと……あははは……由美ちゃん、その手の癖、けっこう恥ずいって。クックックックック……」
「え…手の癖って……あっ! ちっ、ちがうもん!! やだ〜〜、エッチーーー! 違うんだからね! ちょっと〜、もう〜〜、シグマ〜〜」
顔を真っ赤にした由美ちゃんが、俺の隣に無理矢理座ってきて睨みつけてくる。
静香は由美ちゃんの癖に気が付かなかったのか、「なになになに? 手の癖って、由美なにやってた?」と、身体を乗り出してくる。
「こんなとこで一人エッチするわけないでしょ、バカ! ウ〜〜……」
「一人エッチ??!!」
「二人とも声がデカイって」
カウンターの向こうで、マスターとおねえさんの二人が、ギョっとした顔をこっちに向けています。
静香は、この手の話はマジで苦手なのだろう。顔を真っ赤にして居心地が悪そうに唇を噛み始めた。純情なのかね?
「あ〜〜あ、シグマの機嫌なおってよかった。……でも私、やってないからね!」
「え…おっ…おお…確かに機嫌最悪だったわ。えらい待たされたからな」
「それって私に関係ないもん。由美から電話で呼ばれただけだから。電話の向こうのシグマがメッチャ怖かったから、一緒に行ってって。来て見たらさ……いや、あれだって。シグマ、気付いてた? 高校の時のアンタだって。声なんか掛けられないオーラ、バンバン出しまくってた」
「うん、そうそう。シグマから電話きたでしょ。怒鳴ってる訳じゃないのに、ビリビリするもの伝わってきた。シグマって、どっちが素? 私が無理なお願いして、1時間以上も待ちぼうけさせちゃったみたいだから、これは怒ってるなって思ったけど…」
「電話でか〜? 確かにイラついて掛けたかもな」
「でも来てみたら、電話どころじゃなかった〜。恐くて静香の後ろから出れなかったもん。エーーン、エーーン、怖かったよ〜」
「おいおいおい、ちょっと……。さっきも何だか知らんけど、ここのお姉さん泣いちゃって、マジで困ってたんだからよ。泣き真似止めなさいって。ほら……こっち見てるって」
俺は、お姉さんに向かって笑って見せた。「あははは…どうも」などと言いながら。
「泣かせたんだ…」
「なにやったの?」
二人にここでの出来事を説明すると、俺の隣りの由美ちゃんが、どんどん寄ってきて、「それって分かる。シグマって、あんまり喋んないの? さっきだって、私達が入って来た時、目線だけで……あれって凄く怖いよ。女の子だったら、絶対固まっちゃうって」と言ってる割りには楽しそうだ。それに、ちょっと顔近いって。
「うんうん、お姉さんが泣いちゃったのってシグマが悪いわ。かわいそうに。まだ、目ぇ赤いんじゃない」
「はぁぁあああ?? 俺がヒールかよ。止めてくれって。だいたい、なんで来ないのよ、例の奴。腹立っちまって、その怒りを向ける相手が来ないのって……そのまんま1時間以上だぜ。俺がかわいそうだって」
「ごめんね……どうしてなのかな? でも、さっき電話した時、何だか様子が変だった」
「変って?」
「うん、なんて言うのかな〜。私に、もう電話もしてくるなっって、怒ったように言ってんだけど、ちょっと怯えたような感じだった」
「ここに来たんじゃないの? シグマ、ほんとに誰も来なかった?」
「3人組の男が来たけど、あれって関係ないだろ。黙って帰ってったしな」
喫茶店の純ってお姉さんが水を持って来た。まだ、おどおどしている。
「あ…あの〜、ご注文は決まりましたか?」
「私、コーヒー。アイスで」
「私も」
すぐさま戻ろうとするお姉さん。俺の方を不自然なくらいに見もしない。
そんなお姉さんに静香が、
「すいません、純さんって言うんですよね。シグマから……あ、この彼から聞きました。ごめんなさいね。ヤクザに見えた?」
「ぇ……いえ…わたしが零しちゃって……すいませんでした」
「そんなの全然いいの。怖かったんでしょ。それで手が震えてってパターンでしょ」
「はい………あっ、ごめんなさい……怖いなんて……でも普通の人…なんですか?」
静香も由美ちゃんも俺に視線を向けています。純さんも、こわごわって感じで俺を見ている。どうして、こうなのかね。頬に凄い傷痕があるわけでもないだろ。
「実は好青年なの!」
純さんが、「コウセイネン……なんですか?」と、聞いてきやがった。言ったこっちが恥ずかしくなる。
「あのさ、シグマ……いまさらムリでしょ。私だってシグマのこと、とてもじゃないけど好青年だなんて思ったことないから」
「キャハハハハハハハ、やっぱりシグマって可愛いぃぃぃ」
「てっきり……わたし…どっかに連れてかれちゃうんじゃないかって……」
「はぁぁあああ? いくらなんでも、それは無いだろ。拉致してどうすんだよ。それこそ、変なサービスでも強要するってか〜」
「ぇ…変なサービスって?? あーーーー……あはははははは、ごめんなさい。でも、可愛いハンカチ持ってるし、チョコレートケーキばくばく食べてるし、恐い人にしては変だな〜って…」
「チョコレートケーキ食べてたんだ」
「好きなんだって。悪いかよ」
「ふ〜ん、似合わないね。可愛いハンカチって?」
「わたし泣いちゃって、そうしたら貸してくれたんです。これ」
そのハンカチは白地にピンクのウサギが描かれていた。周りはフリル? が付いている。
一瞬の間が空いて、「ギャハハハハハハハハハハハハハハハ」と、静香と由美ちゃん。
「……すきなだけ笑え」
純さんが確認してきました。「自分で買ったんですか?」と。ほぉぉ、あえて聞いてくるかい。
「知らん。あったの。……家に」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ………くるしい……」
「おなか…おなか………痛いって〜」
女三人が、暫くの間、狂ったように笑ってます。俺は一人でタバコを吸う……しかねぇぇ。
純さんが、一旦カウンターに戻りアイスコーヒーを二つ持ってきた。
「マスターがね、ほっとしてた。もう、気が気でなかったみたい。ふふふふ…。あっ、それとね、今日の分は全部サービスだって言ってた。わたしが失敗しちゃったせいなんだけど。マスターってわたしの叔父なの。わたしの事すごく心配してた。でも、普通の人だよって教えたら、肩の力が抜けたみたい」
「ラッキー。そうだ、今日、この人見なかった?」
由美ちゃんがバックから写真を取り出して、純さんに見せている。
「あ〜、さっき来てた人だよ。三人で来てた。帽子被ってた人」
「えーーーーー! 間違い無い?」
「うん、間違いないよ。わたし、人の顔覚えるの得意なの。………やっぱり」
「やっぱりって、なに?」
「彼のこと、すっごく気にしてた」
「彼って、シグマのこと?」
「シグマって呼ばれてるんですか。そう、シグマさんの事、ずーーっと意識してた。でも、わたしと同じで、普通の人じゃ無いと思ってたみたい。3人でヒソヒソ話して怖がってた。……わたしも怖かったし、お客さんも怖がって帰っちゃうし……もうどうしようって…」
「そ〜なんだ…だから電話で……」
静香が俺をジロジロ見ながら、
「シグマ、そのファッション……やばいわ」
「失礼がないように、わざわざスーツ着て来たのにか?」
「シグマって、背が高いし肩幅も広いからスーツ似合うと思うよ。でもさ…黒のダブルのスーツで、黒のVネックのセーターって…素敵だとは思うけど……シグマが着ると危ない系だわ」
「このセーターか? 伸縮性があって、動き易いから着て来たんだって」
「え……それって、乱暴なことするつもりだったって事?」
「相手しだいだろ」
やたらと俺の近くにいる由美ちゃんが、まじまじと俺を見ています。耳元に息が掛かって、くすぐったいんですけど。
「由美、この男に頼み事する場合はさ、やばい事になっても、丸く納めるつもりなんか無いって事、少し考えなさいよね」
「うん………でも良かった。もう、しつこくされないみたいだし」
そんな事を喋っていると、いつの間にか純さんが静香の隣りに座っている。
「ところで、この店って何時まで?」
「12時で閉めるの。だから、まだいいよ。ね〜、わたし22歳なんだけど、この街で知り合いってあんまり居ないの。みんな、似たような歳でしょ? 友達になってくれたら嬉しいな」
「うんうん、私、由美」
「私は静香。そして、そっちはシグマ。誰も本名で呼ぶ人いないから、純さんもシグマでいいよ。全員21歳」
女三人寄れば「かしまし」とか言ったはずだ。どんな意味なのかは知らんけど、いや〜よく喋るわ。会話が成立してるのかね。
「へ〜、そうなんだ。静香ちゃんとシグマって、高校のクラスメートなんだ」
「そう。高校の時のシグマって、さっきみたいなオーラ、ずーーーっと出しっぱなし」
「それって、近寄れないよね。シグマからは静香ちゃんに話し掛けた事なかったの?」
どうだったろう? 一度や二度は喋ったことはあるのだろうが、思い出せない。
「一度だけ、あった」
「一度だけって………静香、覚えてんの?」
「うん……忘れる事ができないの………憎たらしくって!!」
「げ…」
出た。ついに出たよ。
由美ちゃんが興味深々といった具合に聞いてきます。「なになに? 静香教えて」と。純さんも「わたしも聞きたーーーい。シグマはいいんでしょ?」と、親切にも俺に同意まで求めてきたよ。
「ああ、別にいいけど」
平静を装って言ったものの、なんだっけ? 全然覚えてないぞ。二人の時に言って欲しいんですけど。
「う〜〜ん…」
静香は、いつもの静香らしくない。なにやら言い難そうだ。だが、俺を睨んでいる。なぜよ?
「高3の時なの」
静香は決心したらしく話し始めたが、妙に顔が赤い。
「学祭の準備してたんだよね。私、教室で何かを造ってたの。確か日曜日だったと思う。だからジーパン履いてたのよね。っで、教室の一番後ろで椅子に座って作業してたの。その時は、私一人しか居ないって思ってたんだけど………教室の前の方にシグマが居たの。なんで居たのかは知らないけど、この男も一人だったはず」
そこで一旦話しを止めて、下を向いた静香。じれた由美ちゃんが、「それで?」と、続きを促します。
「うん………私、ずっと下向いていたから気付かなかったんだけど…急に誰かに…男子に声掛けられたの」
「なんて?」
「うん…………ア・イ・テ・ル……って」
「え???」
「あいてるって、何が?」
「うん、私も何が空いてるか分からなくて、顔を上げたら、目の前にシグマが居て、指さしてた」
「指? どこを?」
「うん…………私の………股間」
「コカンって…アソコってこと?」
「そう!! シグマが私のアソコば指差してた!」
「えーーーーーー!! ファスナー開いてたの?」
「そう、バックリ。……ファスナー全開だったの」
「でも、ジーパンって一番上にボタンあるし、ベルトだって…」
「ボタンも開いてて、ベルトもしてなかった」
「えええええええええええええええええええ!!!………………クックックックック…」
「ベロ見せ??……ヒッヒッヒッヒッヒ…」
由美ちゃんと純さんは、笑ったら悪いと思ったのか、下を向いて耐えている。静香は真っ赤な鬼のような形相で睨んでいる。俺を。
「ふんっ! どうせシグマなんて覚えてないんでしょ! 私なんか、ずっと忘れられないんだからね!」
「いや、そんな事ないって。覚えてるって。あの時のパンツって静香のパンツか。あれ………レースのパンツだったように記憶してるぞ。ちょっと透けた」
「でっ………………」
由美ちゃんが「ひっ」っと言って、一瞬だけ俺と静香の顔を見たが、すぐに下を向いて肩を震わせている。純さんも「グヒッ」っと言って、全く同じリアクションだ。
言っちまってからシマッタと思っても、あとの祭りとはこういう状態を言うのだろう。静香が目から炎を噴き出すほどに睨んでいます。
「やっぱり見たんだ!! シグマ、私の大事なとこ見たんだ!!」
「いや…大事なとこって…見てないって。黒いのが見えただけで……あれって毛だろ」
純さんが耐えられなくなったようだ。
「ぎゃはははははははははは………グルジイイ………ごめん……笑ったら……だめだよね……でも……ひぃぃぃぃぃ……ダメ〜〜〜〜お腹が〜〜」
由美ちゃんは耐えているようがが、「グギギギギ……」などと、口から変な音を出している。歯ぎしりでもしてるのか。
「ちょっとーーー!! 二人して笑すぎだって! 想像してみてよ、 アソコ見られたんだからね! 自分だったら、どうすんの!」
「うん……ごめんね……もう笑わない………」
「私も……でも…シグマにだったら……いいかも」
「ふんっ! 由美、あんた実際に見られてないからだって! 普通、指差す? 女の子のアソコ。デリカシー無さ過ぎなんだって!」
俺は止めとけばいいのに、更に浮かんだ疑問を口にしてしまった。
「でもさ、女子高生って、みんなあんな透けたレースのパンツ履いてんの?」
再び下を向いて肩を震わせる由美ちゃんと純さん。
思わず立ち上がった静香。
だがら立ち上がると、自然と目線が股間の高さに合っちゃうんだって。
「スケベーーーー!」
俺の視線に気がついたのか、股間を押さえながら、そう叫ぶ静香君でした。




