表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: シグマ君
16/38

待ち人来たらず

「ご…ごめんなさい…あ…あ…すみません。ゆるして…ください…クックリーニング出し…出します」


 深々と頭を下げて顔を上げない。声も震えている。


「も、もーしわけ、ごっ、ごごご… ございません。お、お、お客様、だいじょーぶでしたか!! あのぉぉ、うちの者がとんだ粗相を……」


 なに? ちょっと待ってくれよ。

 俺は言葉が見つからず、頭を上げない二人を、ただ、呆然と見ていた。



 数時間前。


 俺は出掛ける準備をしていた。

 昨日の夜中に掛ってきた由美ちゃんからの電話。今更ながら悔やまれる。どうして断らなかったのか。



「シグマ……だめ?」


 何と断ったら良いのかが思い付かない。


「シグマ、彼女…いる?」

「いや、いない」

「静香に聞いたんだけど、結婚してるって本当?」

「ああ、離婚した」

「私、シグマと……」

「付き合ってはいないけど、好きな人がいる」

「ぇ……ぁ…そっか…ごめん、私ったら勝手に……誤解して。いい、さっき言ったこと忘れて。そんなこと頼むのって、どうかしてた。うん、もういいの、ごめんね、変なこと言っちゃって」

「いや……頼める人って、他にいないのか?」

「うん、シグマがフリーだと思ってたから言っちゃったけど、こんなの頼める人 …いない」


 どうやら、俺にも責任ありのようだ。そんなつもりは無かったのだが、由美ちゃんに気がある素振りを見せていたのだろう。それに動物園で出会った夜、俺は弱っていた。結果的ではあるが彼女に借りがある。


「いいよ、その役、引き受けるよ」

「ほんと? いいの? 迷惑じゃ…」

「気にしなくていいよ」

「私、シグマに付き合って欲しいって……ごめん…今の間違い。なんでも無い。あはは…」



 バイトから帰ってきて、そんな昨夜のやり取りを思い出しながら準備をしていた。

 時計を見ると7時ちょっと前。約束の9時には随分と間がある。

 蕎麦を茹でよう。満腹じゃない方がいい。


 ベロの六畳間にタンス類がある。そこで何を着て行こうか迷っていた。

 人と会う時の服装に不思議と気を使うところがあるのだ。ジーパンにTシャツじゃダメだ。スーツにしましょ。どのスーツがいいだろう?

 俺って学生さんのくせに、スーツが好きで5〜6着持っている。

 身体にフィットし過ぎない余裕がある方が動き易いな。まぁ、めったな事にはならないだろうけど、いざとなったら動き難いスタイルはハンデになる。

 確か足が余裕で上がるのが1着あったな。タック入ってたから腰回りにもゆとりがあるはず。

 スーツの下は何を着ましょう? Yシャツにネクタイじゃ動けない。

 整理ダンスの引き出しを開けると、黒のVネックのセーターが目に入った。これなら伸縮性があって全然動ける。これに決まりだ。


 部屋の隅ではベロが蹲ってます。前足でーーー手かもしれないーーーパンを押さえながら。


「早いとこ食ってくれよ〜」


 っと言うと、「う〜」と、返事とは思えない唸り声を出すベロ。


「あれ? その紙クズって何よ? どっから持って来た?」


 蹲っているベロのお尻あたりに、クチャクチャになった紙が見える。何枚もあるようだ。ベロの腹の下からもはみ出している。近寄って手に取ろうとすると、「う〜〜、う〜〜」って。


「そんなパンなんかいらんわ! その紙だって紙。ちょっと見せろ!」

「う〜〜」


 ダメだ。パンがあると欲張りな犬に変貌する。ちょうど蕎麦が茹で上がったようだ。さっさと食わねば。ベロにかまってる場合じゃない。




 約束の喫茶店には、9時ちょっと前には着きコーヒーを頼んだ。俺以外、他には客のいない喫茶店。

 初めて入る喫茶店だった。

 妙に細長い造りだな。入り口から奥に向かって細長い。

 窓際には4卓のボックスが並んでおり、壁側にはカウンターが入り口から奥まで繋がっている。

 俺は1番奥のボックスに、入り口の方を向いて座った。ここなら店の全部が見渡せる。


 俺は自分がため息をついているのに気が付いた。

 由美ちゃんの声までが思い出される。


「例の男の人に言っちゃったの。彼氏ができたって。だから、もうしつこくしないでって言ったら、嘘だって言うの。嘘じゃないんだったら連れて来い、由美にふさわしい男か見てやるって」


 俺に彼氏のふりをして、そいつと会って欲しいと言うのが由美ちゃんの頼み事なのだ。

 由美ちゃん抜きで喫茶店で会いたいと、偉そうな事を言ってるらしい。それを聞いて、女房持ちが若い女に手ぇ出しといて、今更、なにもっともらしい事ほざいてんだ! と、少々カチンときたのも事実。俺の悪い癖が出ている。



 9時を5分過ぎた。

 遅刻かよ。人を呼び出しておいてだらしねぇぇ。

 俺は人を待たせるのが嫌いだ。けっこうイライラしてきた。

 他には客がいない店。マスターらしきオッさんと、お姉さん1人の喫茶店。なぜかは知らんけれど、チラチラチラチラ俺を見る。それがよけいに神経に触る。


 タバコが吸いたいのに灰皿がない。禁煙か?

 9時20分になった。来ねぇぇ!


 男の3人連れが入って来た。チラっと俺に視線を向けると、カウンターの入口側に腰を降ろす。

 あいつらの中の1人か? 俺の顔って知らないだろうな。俺は写真で1度見たけど、あいつらだったかな?

 1人は帽子を目深に被ってるから、よく見えない。


 声を掛けようか。いや、待てよ。呼び出されたのはこっちだ。なのに俺がそんな事やらんきゃならんってか? っざけんな!

 更にイライラが増す。くっそーーーー、タバコが吸いてぇぇ。


「そこの姉さん! ここって禁煙か?」


 BGMが薄っすらと流れる店内。だ〜れも喋っていないところに、俺の声が異様に響き渡っちまった。こういう時の俺って、自分がめっちゃガラ悪いのに殆んど気が付かない。


「は…はい……いえ…吸えます、タバコ。灰皿…すいません、すぐにお持ちします」


 お姉さんが慌ててカウンターから飛び出してきます。灰皿持って。


 クソったれが。野郎はなんで来やがらねぇぇのよ。と、俺はブツブツ言っていたのかもしれない。それも、お姉さんが灰皿を持って来る前にタバコに火をつけて。

 腰が引けたような変な姿勢で、お姉さんが灰皿を置いていきます。視線を向けると、下げていた頭をちょうど上げたところだった。

 目が合った。

 慌てて下を向き、戻って行くお姉さん。


 カウンターの端っこに座っている三人組が、なにやらコソコソ喋っている。だが、俺の方を一度も振り返りもしない。

 違うのか?


 9時半になった。

 腕組みをして入口を睨みつけているのだが、誰かが入って来る気配すらしない。


 こんだけ遅れるってのは、野郎、なめてんのか? 来やがったら、目力で睨み殺してやる。

 くそ〜〜、どうしてくれる? 頼まれた以上は帰る訳にもいかねぇぇし。無性に腹が立つのだが、その怒りをぶつける相手が居ねーーーーーーー!!


 三人組が立ち上がった。

 おおおおお、やっぱりテメェらかーー? って見ていると、振り返りもしないで会計を始めやがった。全然違う人かよ。


「コーヒー、おかわり貰えるかい!」


 またもや、静かな喫茶店に俺の怒りを含んだ声が響き渡ってます。

 会計を済ませようとしてる三人組までもが、ビクっとしたのがハッキリと分かった。そして、初めて振り返って俺を見る。目が合った。

 相手が見るなら俺も見る。

 そそくさと、店を出て行く三人組。

 何もかもがイラつく。


「はっ、はい!! コッ、コーヒーのおかわりですね!!」


 お姉さんの返事も妙にデカい声。

 暫くすると、新しいカップにコーヒーを入れて持ってきたお姉さん。

 サービスのつもりか、見るからに入れ過ぎ。タップタップして零れそうだ。


「おまっ、おまっ…おまたを……しました…………あっ」


 出た。零すかもしれないと思っていたが、おまた、おまたと、変な事を言いながら、テーブルの上にコーヒーカップを転がしちゃったよ。想像もしてなかったぜ。

 不思議とカップは割れなかった。

 火傷するかもとは思ったが、とにかく腹が立ち過ぎて動く気にならない。

 失敗しちゃったお姉さんに、優しい言葉でもかけなきゃと頭では分かっているのだが、イラついてる時の俺ってダメだ。

 腕を組んだまま、右手に持ったタバコが口元にある。そんな姿勢で視線だけをお姉さんに。目が合ってます。何か言わなきゃ…


「ごっ、ごめんなさい。あの…あの……ゆるして……」


 ゆるして?


「す……すみません……クックリーニング…だっだっ…だします。ご…ごめんなさい」


 マズイ。何か言わなきゃ。なんて言ったら?


「いっ、いや……」



「もっ、もーーしわけ、ごっ、ごごございません。だっ、だいじょーーぶですか!! お…お客様、うちの者が、とっ、とんだ粗相を…」


 マスターらしきオッさんが飛んで来て、お姉さんと一緒に頭を下げてます。まるで俺に喋らせまいとしているみたいだ。口に出す言葉が更に見えなくなったじゃねぇかよ。


「い…いや……コーヒー……くれ」


 俺っていったい何者? やっと出た台詞がコーヒーくれって…。自分でも嫌になる。

 マスターは、「えっ、ぇぇえええ!!」とか、「はいーーーー??」って言いながら店の奥へと走って行く。

 お姉さんは、俺の傍で突っ立ってます。両手で顔を覆うようにして。まいったね。


「…泣いてんの?」


 顔を隠したまま、横に首を振るお姉さん。


「いや…あのさ〜、怒ってないから。とにかく泣かないでくれって。…………ほら、これ」


 ポケットに入れてきたハンカチを渡す。受け取ったお姉さんは、ようやっと顔を見せた。バリバリ泣いてるわ。


 ひぇ〜〜、とにかく何かを言わなきゃならんと、「き…君…名前は?」って。名前聞いてどうすんだよ?

 お姉さんは、怯えたように視線を泳がせてます。


「…純って言います。…うっ…うっ……怒ってる…… だから名前聞いて…ほんとにごめんなさい……あたし…どうしよう……ぅぅぅぅぅ」


 名前を聞いたのがよけいにマズイってか? どうしようって言ってるけど、俺が言いたいわ。どうしよう…。


「お、おおおおお客さま〜、コーヒーをお持ちしました〜〜。あのぉぉぉ、本当に申し訳ありませんでした。クリーニング代は…こちらで…」

「そんなのいいって。それより、いつまでも二人してそこに居られるのって、すげぇ面倒」

「ぇ?? ぁ……はい。そっ、そうでした。気がつきませんで…その〜、向こうにおりますので、何かをご用があれば、はい、なんなりと」


 ホッとしたように、そんなことを言っているマスターの隣で、渡したハンカチで涙をぬぐいながら頭を下げるお姉さん。


 ようやっと二人から解放された。放っておいてくれればいいのに。は〜〜、チラチラこっち見てるし。あれ? また来たよ。


「あの………お詫びに何かサービスさせてください」

「サ…サービス??」


 純と名乗っていたお姉さんが、思いつめたような表情でそう言ってるけど、いったい何を言い出すつもりだ? と、唖然としてしまった。


「ちっ、違います! そっ、そんなサービス……あたし…急には……うっ…うっ…」


 真っ赤な顔でメニューを広げている。泣きながら。もう止めてくれ。


「てっ、店長が……お願いです、ぐすん、ぐすん…何か注文してください。……あの…お詫びのアレです…しるしです。ぅぅぅぅ……変なサービスは……ムリです……すみません」


 勝手に何を言ってんだか。とにかく早く済ませてほしかったのと、俺って甘い物がけっこう好き。酒飲みながらケーキが食えちゃう人なんです。

 チョコレートケーキを指で示す。面倒で喋りたく無かったから無言で。


「え……あの…それはチョコのケーキで……はい…かしこまりました」


 彼女の反応が何だか変だと感じたが、どうだっていい!! もう、10時すぎてるぞ! どうなってんだ、野郎が来ねーーー!!


 由美ちゃんに電話した。


「もし、奴が来ねぇぇ」

「え…シグマ…だよ…ね? 来ないって、ずっと? だって、もう、10時すぎてる…ぇぇえええ? ほんと?」

「ああ」

「ご…ごめん……なさい。ちょっ、ちょっと…一旦電話切るね。すぐ連絡する」


 俺はどうしたらいいんだ? もう、ここに座って1時間以上経つ。人を呼び出しといて、こんだけ待たせる神経が許せねぇわ。どんな話があろうと、どうだっていい。喋らせねぇぇぞ。


「あの…おまたせしました……ご注文は…その……チョコレートケーキで間違いなかった…ですか?」

「ああ」


 タバコを吸いながらケーキを食べる俺。けっこう小さいな。二口で食っちまったよ。美味いじゃん。


 奴が来ない。

 由美ちゃんからの電話も来ない。

 喫茶店の二人は俺の様子を盗み見ている。さっきマスターと目があったら、一瞬、仰け反るようにして、すぐにエヘラエヘラと引きつったような笑顔を向けて来た。


 俺の動き、妙に見張られてるっていうか…見てるよな、あの二人。やめてくれ。イライラするし気になる。

 気分を変えようと雑誌でも読もうかと思ったのだが、置いてある場所が遠い。入口付近だよ。動き難い。


 時計を見ると10時45分。

 怒りが頂点に達しようとしているのだが、その怒りをぶつける相手が居ない。


 俺は腕を組んで目を瞑っている。目が合うのが嫌で。

 入口から誰かが入って来た気配。

 野郎が来たかい? やっと来たか!

 目を開けると、入口からこちらに向かって歩いて来る二人の女。

 由美ちゃんと静香だ。


 俺と目が合ったとたん、二人は固まったように動きを止めてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ