花火大会その二
あいつら高校生じゃねぇな。サキに何やろうとしてんだ。そこ動くんじゃねぇぇぞ、前歯全部へし折ってやっからよ。
「シグマーーーーーーーーーー!!」
男たちの手を振りほどいて、道路を横切り俺に向かって走って来る。
「危ない! 危ないってーーーーーーーー! 車! 車来てるだろーーー!!」
けたたましくクラクションが鳴る。離れた場所から、警官のホイッスルも聞こえた。
「サキーーー、周りを見ろ! 4車線だぞ!!」
俺は向かってくる車に手を突き出しながら走っているが、サキちゃん、こっちしか見てない。
2/3を超えたあたりですくい上げ、首にしがみつくサキちゃんを抱えて走り抜ける。
「シグマ……私…」
「どこ触られた!」
「……触られてない」
歩道に立たせると顔を伏せる。
「顔あげろ」
顎を上げさせると、涙が零れそうな大きな目が俺を見る。唇も震えていた。ああ、どうしよう。こんなに怯えてる。
「ご…ごめん……もう大丈夫だから……泣かないで。俺、傍にいるから」
俺の肩に顔を埋めるサキちゃんの背中が震えている。周りは大勢の人が何事も無かったように河川敷の方へと流れてゆく。そ~っとサキちゃんの震える身体を抱き締め、ゆっくりと背中をさする。そのまま周りを見渡すが、奴らの姿は見えない。何処に行きやがった。あのツラ忘れんぞ。
俺は恐ろしい顔で周りを見渡していたのだと思う。忘れていたが、2発殴られ唇の端から血が滴っていた。好奇の目で俺とサキちゃんを見る人達。俺と目が合った途端、慌てて視線を逸らして足早に通り過ぎて行く。携帯が鳴った。
「シグマ、どうなの! まだ見つかんないの? もう警察に行こうって」
「見つけた。今ここに居る」
「ぇ…ほんと? ほんとにほんと!!」
「ああ、お前は大丈夫か?」
「うん平気だけど、キモイ奴、コンビニに増殖中」
「キモイ奴? そいつ電話口に出せ」
「え?…ウソウソ、全然なんともないって。ちょっと言ってみただけ」
「ほんとにか?」
「うん、……シグマ…サキちゃん居なくなってからメッチャ戦闘モード。初めて見た。目つきが全然違ったし、今も電話口で…怖い」
そんな俺のやり取りを聞いたサキちゃんが、改めて我に返ったようだ。
「ユっちゃん…ユっちゃん何処?」
「向こうのコンビニで待たせてる」
「あ~~よかった……え…シグ君…唇切れてるし、ぶす色に腫れて……私のせいだ」
俺が殴られたのだと気づいたのか、ボロボロと大粒の涙を零し始めた。俺は何も考えずに、その大きな目に唇を寄せていた。片方ずつ2回も。
「ぁ……」
血がサキちゃんに付いてしまったかと慌てて離れると、濡れた睫毛を光らせた二つの瞳が、瞬きもしないで大きく見開いていた。それは僅かな時間でしか無かったが、見つめ合った瞬間だった。じっと俺を見つめて目を逸らさない。
ダメだサキちゃん。貴方に見つめられると眩しくて……。意気地なしの俺が急に顔を覗かせた。
「いっ、行こう…」
「ぇ……うん」
手を繋いで小走りで向かった。俺はヘタレだ。だけど、もう離したくない。
コンビニ見っけ。
ユイが両手を突き出しながら走って来る。サキちゃんに抱きついて離れない。そのサキちゃんも、ユイの頭を撫ぜながらすっかり落ち着いてきた。
「あれ…シグマ、その唇……誰かと戦った?」
「あ~、これは何でもない」
「ふ~~ん。あ…あーーーーーーーーーー! サキちゃんと手ぇ繋いでるーー!」
再び真っ赤になってしまったサキちゃん。「え…え…」と言いながらこっちを見る。俺は遠くに視線を向けて繋いだ手に力を込めていた。貴方がどうしようもなく好きだ。
河川敷の会場は、恐ろしいほどの人だった。いったい何処から集まって来るのか。
すでに花火は始まっており、三人とも上を見ながら歩いている。
「あ! あっこ。空いてる場所あった! 行こ、行こ」
ユイが何かを持ってはいるな~っと思ってはいたが、それは、かなり小さく折りたためるシートだった。
「お~、すげぇ優れモンだな。かなり広くなるじゃん」
「っでしょ! サキちゃんもシグマも絶対に気が回らないの知ってるから、ウチがちゃーーんと用意して来たんだもん。偉いでしょ」
サキちゃんを真ん中に三人で並んで座る。ユイは真ん中に陣取りたかったのだろうが、さっきの事があってか、サキちゃんが真ん中の方が良いと思ったらしい。
「あ! 裕子」
「あーーー、ユイ!」
偶然、学校の友達が隣だったようだ。
「紹介するね。こっちがサキちゃん。若いけどウチの叔母さん。美人でしょ。それと、例のシグマ」
花火の音で聞こえ難かったが、例のシグマと言ったような。
その友達の隣は母親のようだ。俺とサキちゃんに目で挨拶をしてきた。
「裕子、こっちにおいでよ。サキちゃんとシグマ、もっと寄って」
これ以上くっつけないほ寄り添う事に。もう泣いてなどいない。いつものサキちゃんに戻っている。二人で黙って夜空を見上げていた。手を繋いだままで。サキちゃんの温かい何かが、繋いだ手から流れてくるような気がした。
火の華
その形を残したまま
降り注いでくる
君と僕しかいない
音の消えた世界で
フィナーレだ。
観客は皆総立ちで眺めている。俺とサキちゃんも立ち上がって見上げていた。
凄い、昼間のようだ。
俺の左手とサキちゃんの右手が繋がっている。そのサキちゃんの右手を引っ張って、俺の右手としっかり繋ぐ。俺の左手はサキちゃんの肩を抱き寄せていた。
その左手に、そうっとサキちゃんの左手が添えられる。それでも俺は夜の空から降る火の華を見ていた。
ユイのリクエストによって寿司を食いに行きました。懐が温かだった俺の驕り。
「ウチ、ここの回転寿司だーーーい好き」
「そうなんだ。私、初めて来たけど美味しそうね」
よかった…回転寿司で。普通の寿司屋でお好みだったら、三人で三万は堅いって想像してたぜ。……ふ~~よかった~。
回転寿司って子供の頃に家族で行ったっきりだな。どうもサキちゃんもそんな感じだ。あの頃と比べると、回転寿司って凄く増えた。どんな客層が多いんだろう? 見渡してみると家族連れが多い。カップルもちらほら見える。一人で来る人って居ないんだな。女性の二人連れってのも見えないな。
サキちゃんが、盛んにユイに聞いています。
「この回ってくるのを食べるの?」
「ダメダメ。食べたいのを書いて注文するの。回ってくるのって乾いてるのもあるから」
「あ~、ここに注文用紙あった。これに書くの?」
「うんうん」
なんとも微笑ましい感じのする叔母と姪だ。「遠慮しなくていいよ」と俺が告げると、「そんなつもりは、全くありませーーーん」と、ユイ。
「ゴメンね~シグ君。私ったら、何にも持ってこなかったの…」
「今度、一緒にドライブに行こう。その時はサキちゃんが、お弁当作りの担当って事で」
「うんうん」
「ずっりーーーー。ウチもついてっから」
こいつなら、本当について来そうだ。
「ユイって、いつも誰と回転寿司に来るの?」
「お友達と内緒で来る。そん時はね~、お皿の色睨んで計算しまくってんの。今日は高い色のお皿、いっぱい取るんだもーーーん」
いや~、女子中学生って食べるわ~~。驚きだね。サキちゃんも、いい食いっぷりしてる。この家族って、ほんとに素敵だ。男の前でチマチマ気取って食べる女性は苦手だ。
どれどれ、俺も頼みましょう。
「なんでもいいから白身」
おおおお、美味いじゃねぇぇかよ。回転寿司、あなどれん。
「ベローーー、ただいま~~。今日は帰って来るの早かったろう」
玄関前で頭を下げて、俺の足に絡み付いてくるベロ。いっぱい撫ぜてくれと催促している。頭やら背中をガシガシ撫ぜながら、「お前もサキちゃんの事が好きなんだろ」と聞くと、「あったりまえだぜ」とでも言うように、シッポをバンバン振っている。
サキちゃんを見ていたら、どんどん放っておけなくなってきた。ギューーって抱きしめたくなる。どうしよう。俺みたな奴でいいはず無いよな…
今日、改めて自分の気持ちを知ってしまった。サキちゃんに言い寄っていた二人連れ。あれを見た時、我を忘れそうになった。腹の底から怒りが湧いた。
あれ? これってどっちなんだろう。
嫌がる事をしようとしてたから許せないのか、サキちゃんに言い寄る事自体が許せないのか。
夜中の12時過ぎに、サキちゃんから携帯に電話が来た。
回転寿司で、互いの携帯番号を初めて交換したのだが、さっそく掛かってきた。飛び上がるほど嬉しかった。
「サキちゃん…」
「シグ君…今日は……ごめんなさい」
「サキちゃんが謝るようなことじゃないよ」
「うん……でもね…私の方がシグ君より年上なのに…全然ダメなんだもん」
「あ~アハハハ」
「あ…笑った」
少しの間、電話口で笑い合っていた。
「私ね…シグ君が見つけてくれるって、不思議と分かってた。だから、あんまり怖くなかった」
「うん」
「声が聞こえてきた時、あ~これで悪い人、シグ君がやっつけちゃうんだって…思った」
「そっか」
「あのね…私ね…高校3年生の時、シグ君の事…知ってた」
「え…そうなんだ」
「うん、3年生の間でね、今年の新入生にね、すごく生意気なのが居るって評判だったの。それがシグ君」
「うんうん、確かブラックリストナンバー1だったらしい」
「うん、男子の中で、不良の人がね…いっつも1年生の教室に行ってた」
「あ~来てた来てた」
「放課後とか、偶然シグ君を見かけた事もあって……怖かったの…シグ君の事」
「え…」
「なんて言うのかな…目? 目の奥の光?」
そう言えば、この前、静香とリカも同じようなことを言っていたのを思い出した。
「誰も近寄らせないの…シグ君の目。シグ君の事ね、狼だって言ってた先生も居た。確か体育の先生」
「へ~~、狼か」
「今日ね、昔のシグ君だった。……狼の目をしたシグ君」
「サキちゃん……俺の事…怖かった?」
「違う違う…いつもこうなの…私って。うまく言えないの」
「うん、大丈夫。しっかり聞いてるから」
「うん…ごめんね…おかしなこと言って」
「全然OKだって。もっと聞かせて」
ちょっとの間があった。どうやら頭の中で整理しているようだ。
「ユっちゃんとか、おねえちゃんと暮らすようになって…シグ君と会ってビックリした。あ…優しい顔になってるって」
「そんなに変わった?」
「うん、変わった。最初は別の人かと思ったけど、…シグマって呼ばれてるから……やっぱりそうなんだって」
「そっか…」
「今日、花火見てる時にね……手…繋いで…ずっとね」
「うん」
「あったかい何か…伝わってきた…そんな気がしたの」
「ああ、俺も感じた」
「シグ君の事、怖くない…全然。狼の目って言うの? あれも……嬉しかったの。それが言いたくて」
「そっか」
「それと…もう一つ聞いて欲しいことがあるの…」
「なに?」
「私ね……付き合っている人がいて……」
その後、サキちゃんが何を言っていたか、俺は覚えていない。途中で遮ってしまったのかもしれない。聞きたくないと言うより、サキちゃんに申し訳なくて。俺のような奴に気を使っているのがハッキり分かったから。
誰が見たって、俺がサキちゃんに気があるのはバレバレだ。あれだけ可愛いのに彼氏が居ないはずがない。俺はバカだ。とても言い難そうに切り出したサキちゃんに、それ以上、気を使わしたくなかった。
電話口で俺は慌てたように言っていた。
「あ…そ…そっか…そうだよね。うん…ごめん。気にしないで。ほんとゴメン。俺ってバカだから、人の気持ちってあんまり考えないとこあってさ………。手…繋いだり…あ…あーーー…全部全部…気にしないで、忘れて。とにかく、今日の花火は綺麗だった……それだけだよね。彼氏に……いや…いい。なんでもない。おやすみ…サキちゃん」
電話を切った。
もう、時計の針は夜中の1時を回っていた。
今日も一人と一匹で寝ました。




