4:大きなライブハウス
「ようこそ、おいでくださいました。さあお嬢様、中へ。」
店の前で男がうやうやしく礼をしてドアを開けた。
「六号、楽しませてもらうでぇ。料金はワイにツケといてや!」
「わかってるよ、こんなキレイなお嬢さんから金は取れないや。」
カウンターには先ほどの店にいた男がドリンクを作っていた。
「ダンスの前にこちらのドリンクをどうぞ。」
言われるがままにグラスを空ける。くらっとめまいがしたがそれも一瞬のことだった。
彼らの会話も聞き取れないぐらいに激しい音楽が流れている。
色とりどりのライト。酒とタバコの匂い。そして、今飲んだばかりのアルコール。
ヒグラシの中で忘れていた何かが弾けそうになっていた。
「あ…あぁ…」
「さぁ、お前の中にあるもの、全部吐き出せや!」
「で、でもあたし…」
「ワイらが付いとる。心配するな。」
「あたし、あたし…」
「行って来いよ。」「そうだよ、ヒグラシちゃん。」
「あたし…踊りたい!」
「よっしゃ!」
一号がさっと手を上げた。音楽がさらに激しいものに変わった。
初めはフロアの片隅で踊っていたヒグラシだが、だんだんと真ん中に押し出されていった。
「おい、すごいぞこの子!」
「なんだこのステップ、はじめて見た!」
「スタイルもよくて…きれい。」
ヒグラシのダンスは客たちの注目を集めていった。
「久しぶりだわ…こんなに気持ちよく踊るのは。そうよ、あたしやっぱりダンスが好き!」
「四号、お前のドリンクが効いとるようやな。」
「まあな、俺の腕もまだまだ通用するみたいだな。」
気持ちよさそうにくるくると踊るヒグラシ。しかし…
「ねぇ、ちょっと…あの背中…」
「うわっ、気持ち悪い。」
「あの娘…聞いたことがあるぜ。」
「そうだ確かあの店で…」
ヒグラシの腕がぴたりと止まった。観客の視線が憧憬から好奇のものに変わっていく。
「見ろよ、あの刺青。」
「蟲だわ…」「蟲…」「蟲娘…」
「い、いやーっ!」
その場でうずくまってしまうヒグラシ。両手を床に着き、頭をうなだれている。
「そうよ…あたしは蟲娘…」
「いかん!」
慌てて一号が彼女の元に駆け寄った。
「ヒグラシ!」
「あたし、あたしやっぱり踊れない!こんな醜い姿でっ!」
「なにを言うとんのや!」
ぐいと手を引っ張ってむりやりに立たせる。
いつしか音楽がとまっていた。シンとしたフロアで向き合う二人。
「お前は美しい。その背中の刺青もや!お前は自分の美しさに気が付いとらん。」
「嘘よっ!こんな醜いあたしが…っ!」
「黙っとれ!」
一号はヒグラシを強く抱きしめて熱い口付けを交わした。
「んっ!」
ヒグラシの肩からストールがするりと落ちた。
その瞬間。
「おぉ…」
「見ろよあの背中…」
ヒグラシの肌がピンク色に染まっていく。
背中の汗がライトを反射してキラキラと輝く。
いつしか刺青の毒々しさが消え、神々しいばかりの気を放ちはじめた。
「なに…これ。」
「すげぇ…」
「キレイだ…」
「周りを見てみぃ、ヒグラシ。」
「…え?」
観衆の目から好奇の色は消えていた。じっとヒグラシを見つめ、中には崇拝するような表情を浮かべているものもいる。
「踊ってくれ、ヒグラシ!」
「もっと見せて!」
「ヒグラシ!」「ヒグラシ!」
「何も考えるな。自分を信じろ。お前は、最高のダンサーや!」
アルコールはすっかり飛んでいたが頭のクラクラは止まらない。
自分が何者なのか、彼らは何を期待しているのか。考えれば考えるほどわからなくなってくる。
そして…ただ「踊りたい」という感情だけがヒグラシの脳内を支配する。
きゅっと唇をかみ締めてヒグラシが両手を挙げた。
「おぉーっ!」
歓声が沸き起こる。やがて、音楽が流れ出した。
「ワイにも見せてくれ。お前の最高のダンスを。」
「うん。」
その夜の出来事はあっという間に街中に広まった。醜い蟲娘、ヒグラシはついに蝶々に変身したのだった。