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2:静かなダイニングバー

一号が娘を連れてきたのは先ほどとは違って落ち着いた雰囲気の店だった。

この店は席ごとの仕切りが巧妙に配置されていて客同士の姿が見えないようになっている。

「まずは乾杯といこうや。」

自分は水割りを、娘には甘いカクテルを手にしてグラスを当てる。


「ワイのことは一号と呼んでくれ。お前の名前も教えてくれんか。」

「ヒグラシ。」

「ヒグラシ…変わった名前やな。」

「源氏名よ。本名は、捨てたわ。」

夜の街ではよくある話だ。ここで本名を尋ねるほど野暮な男ではない。

「お前、なんでまたあんな店に入ったんや?」

「別に…お金が稼げればどんな店でもよかったから。」

「せやけど、もうちょっとましな店もあるやろ。」

「いいの。どうせあたしは醜いし、踊りも下手だし。」

娘の口調が少し荒くなった。


ちょうどそこへ店員が料理を持って来た。

「まあ、今日はうまいもんでも食って陽気にいこうや。」

ジャケットを脱ぐ一号。そのとき、ポケットから光るものが滑り落ちた。

「おっと。」

「…それは?」

「ああ、ブレスレットや。友達が店を始めてな、開店祝いに何個か買ったんや。」

「キレイ…」

「ホナ、それやるわ。」

「え?でも…」

「気にすんな。そんなに高いもんやない。」

「あ、ありがとう…似合うかな?」

「おお、よく似合うと思うで。」

「ううん、あたしじゃなくて母さんにあげるの。」

目を輝かせてブレスレットを見つめるヒグラシ。

「母さん、最近全然おしゃれしてないから。ずっと苦労してきたし、手だってしわくちゃに…」

その目に悲しそうな色が浮かんだ。


「あ…とにかく、ありがとうございます。」

店の紙ナプキンに包んで大事そうにかばんにしまいこむ。

「優しい子やな。」

「いえ、そんなことないです。」

再びいつもの無表情に戻ってしまった。

これは長期戦になりそうだ。そう思った一号はトイレに行くと言って席を立ち、カウンターにいる男に耳打ちをした。

「頼むで。」

「ああ、任せてくれ。」


「なんや、グラスが開いとるやないか。おかわり頼もうな。」

「いえ…これ以上は。」

「ええから。兄ちゃん次の酒、頼むわー。」

「あの、そろそろ…」

わざとらしく胸元を強調させて一号にしなだれかかる。彼女が何を言いたいのかはわかっていた。

さっさとコトを済ませて店に戻りたいのだろうか?

しかし、あの店の料金は時間制だ。慌てて次の客を取る必要はないはずだ。

「なんや、長話は苦手か?」

黙ってうなずく。

「そうか、せやけど今のワイは客や。黙って聞くだけでもええからもうちょっと付き合ってくれや。」

強引に話を続ける。ヒグラシは一号の話に相槌を打つが、自分の話はしようとはしない。


「…でな、そいつはなんもかんもバレて嫁さんに怒られてしもーたわけや。」

「そうなんですか。」

ヒグラシの頬がほんの少し赤くなってきた。

彼女のドリンクは気づかれないように少しずつアルコールの量が増えていっている。


「そいつもなぁ、もうちょっと嫁さんに優しくしてればこんなことにはならんかったのにな。」

「そうですね。」

「その点、ワイなんか真面目なもんやからな。いつでも品行方正、誠実が服を着て歩いているようなもんや。」

「ふふっ。」

「おっ、ついに笑ったな。なんや笑うと可愛いやないか。」

「…っ!そんなことっ。やめてください!」

「おいおい、褒めとるんやで。」

「でもっ、あたしは醜くて…他の人たちに比べたら…」

「他の人が、どうなんや。」

ここぞとばかりに彼女の胸のうちを聞きだそうとする。アルコールの勢いに負けたヒグラシがついに口を開いた。


「あたし…ダンサーになろうとしてこの街にやってきたの。でも、その夢はあっという間に砕かれた。」

「…。」

「初めてのオーディションで他の人を見たとき、すごく驚いた。みんなキレイで輝いていて。あたしなんか足元にも及ばなかった。」

グラスを持つ手がぷるぷると震える。

「それでも、ダンスには自信があった。実力で仕事がもらえる、そう思っていた。でも…」

「オーディション、アカンかったんやな。」

「ええ。みんなの蝶々のような姿を見てあたしは完全に打ちのめされた。もうあたしには何も残っていない。バカな夢を見た報いだわ。」

「そんなことはないやろ。」

「…それでも、母さんにお金を送らなくちゃいけない。だからこの店に入ったの。あたしはその日暮らしの男の相手をするその日暮らしの蟲娘。」

「だからヒグラシなんか。」

「自分を売るためなら何でもしてやる。醜いあたしを買ってもらうためにはもっと目立たないと。だから…」

自分の服のボタンに手をかけた。しゅるしゅるとシャツを脱ぎ、背中を見せる。


「おっ、お前これは…!」

ヒグラシの背中には毒々しい芋虫の刺青が入っていた。グロテスクな配色が青白い背中の上で踊っている。

「珍しい物好きの男たちが次々にあたしを買っていった。何人もの男たちがあたしを本当の蟲のように扱った。それでも、母さんのためだから…っ!」

言葉もなかった。一号は震える手で水割りを口に運ぶ。

シャツを着ながらヒグラシが小さな声で話す。

「もういいでしょ。あたしのことは全部話したわ。ここでお開きにする?それともどこか宿を取る?」

「(…くそっ、これでええんか。このままこの子がこの街で朽ち果てるのを見てるだけなんか?ワイは…ワイはこの街で、今までなにをしとったんや!)」


ダンッとグラスを置いて一号はヒグラシに向き直った。

「アカンアカン!ワイはお前を買ったんや。一晩中付き合ってもらうで!さあ、次の店や!」

「え…きゃっ。どこにいくの?」

ヒグラシの手をとり、もう片方の手で携帯を操作しながら夜の街を走る。

とまどう彼女の質問には答えずに電話を掛けつづける一号。

「久々に羽…いや、腕が鳴るでぇ。cicadas全員集合や!」

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