07:シンデレラのカボチャ畑
『シンシア! 起きて!大変だよ!!』
『カボチャが! シンデレラとお母さんのカボチャ畑が!』
小さく甲高い声が耳に纏わりつき、ペチペチと小さな何かが頬を叩いてくる。
あまりのしつこさに、眠っていたシンシアは薄っすらと目を開けた。
ぼんやりとする視界。そこに映るのは茶色のネズミ。
「……衛生面が気になる目覚め」
『失礼しちゃう! 僕達ちゃんと毎朝水たまりで体を洗ってるんだからね! それに今朝はゴミ箱の第二層までしか漁ってないよ!』
「……より一層衛生面が気になる」
『そんなことより、シンシア大変だよ! カボチャ畑が潰されちゃった!!』
「カボチャ畑……? カボチャ畑が!? どうして!」
ネズミ達の訴えに眠気は綺麗さっぱり消え失せ、シンシアは跳ねるように起きるとすぐさまベッドから降りた。
シンデレラの住む家にはカボチャ畑がある。
いわゆる家庭菜園。生計を立てるほどの規模では無く、素人が管理できる程度の畑だ。
それでも毎年立派なカボチャが収穫できるらしく、調理して馴染みの者達に振る舞っているのだという。
『最初はお花を植えていたんです。でも幼い頃に私がカボチャ料理をもっと食べたいってカボチャの種を植えて、それからはずっとカボチャを育てているんです。昔はお母さんと一緒に……』
そう話すシンデレラの口調には思い出を語る穏やかさと、亡き母を想う切なさが綯い交ぜになっていた。
そんな大事なカボチャ畑が、無惨な更地になっている。
土は無遠慮に掘り返され、囲い代わりのレンガは一角に山積みにされている。
周囲が汚れることも気にせず作業をしたのか、整備された道にまで土が散乱し、蹂躙するかのように足跡が行き交う。
一目で荒らされたと分かる光景。
そしてなにより目を覆いたくなるのは収穫前のカボチャ達だ。叩きつけたのか踏んだのかカボチャ達は無惨に割られ、あちこちに転がされている。痛々しさすら感じかねない。破棄するにしたってもっとマシなやり方があっただろうに。
「酷い……、なんでこんな」
「シンデレラ、ようやく起きたのね。いったい私達が何度声を掛けたと思ってるの。おかげで私が朝食を作らなきゃいけなくなったじゃない」
まったくと言いたげに溜息を吐いたのは継母。二人の姉達も彼女の後ろで「そうよそうよ」と口を揃えて囃し立てる。
だが今のシンシアはそれに反論する余裕は無く、愕然と目の前の惨状を見つめていた。
「なんで、どうしてカボチャ畑を……!」
「畑なんて土臭いしみすぼらしいし、景観を損なうからずっと潰したかったの。せいせいしたわ」
かつてのカボチャ畑、今は無惨に荒らされた土地を見つめ、継母が鼻で笑う。
その侮蔑の笑みの悪どさと言ったらない。本人の言う通りカボチャ畑への負のイメージもあっただろうが、きっと根底にはシンデレラと彼女の亡き母親への嫌がらせがあるのだろう。「安くついて良かった」と話すあたり、踏み荒らすことを期待し敢えて素行の悪い業者を選んだ可能性も高い。
なんて酷い女だ。とシンシアは侮蔑を込めて継母を睨みつけた。
「なによその顔。この家の主人は私よ。敷地内をどうしようと私の勝手でしょう。それよりさっさと洗濯物をしてちょうだい。朝食を私に作らせたんだから昼食は手を抜いたらしょうちしないから」
勝ち誇ったような継母の表情と言葉。彼女の後ろでは二人の姉がニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。
シンシアはそんな三人を横目に、返事もせず踵を返すと自室へと戻っていった。
もはや暴言を吐く気にもならない。
◆◆◆
「まさかカボチャ畑をやられるなんて……。シンデレラが知ったら悲しむだろうな……」
申し訳なさでシンシアが溜息を吐いたのは、市街地の一角。
あの後とうてい家に居る気にならず、洗濯しろだのお茶を用意しろだのと騒ぐ継母達を無視して家を出た。
あんな悲惨なカボチャ畑と勝ち誇った下卑た笑みを見て、いったいどうしてお茶の用意なんて出来るのか。
ちなみに置き土産として、彼女達の味覚をちょっと魔法で変えて飲むものすべて泥臭く感じるようにしておいた。悪戯程度の魔法である。実際に認識を操って泥水を飲ませても良かったのだが、それで体調不良になられても今後が面倒なので我慢した。
「カボチャかぁ……。時期を考えるとそろそろ舞踏会のお触れが出る頃だし、カボチャの目途を立てておかないと」
『カボチャの目途?』
シンシアの呟きに返事をしたのは、鞄から顔を出すネズミ。
周囲の賑やかな声に掻き消されそうなチュッという小さな鳴き声。だがシンシアの耳にはしっかりと届いたし、同様にシンシアの呟きもネズミ達だけには届く。
言わずもがな魔法である。
「シンデレラが舞踏会に行くためにカボチャが必要なんだよ。カボチャを馬車にして、君達に馬と御者を務めてもらう」
『かっ飛ばしてやるぜ!!』
「程々にね。とまぁそういうわけでカボチャが必要なの。いざ魔法を使う段階でカボチャが売り切れて探し回る……、なんて事にならないようにしないと」
幸いカボチャは野菜の中でも日持ちするほうだ。舞踏会の日程が分かり次第、逆算して買っておけばいい。
いっそ今日良さそうなカボチャを見つけて買って、魔法で保管しておくのも手だ。仮にも世界に名立たる魔法使いの弟子なのだから、野菜を日持ちさせる魔法程度は調べずとも容易に出来る。
「……本当はカボチャ畑を元に戻してあげたいんだけど」
シンデレラと彼女の母親が愛したカボチャ畑。家族と、そして周囲の者達の楽しく暖かい思い出に満ちたカボチャ畑。
そんな畑で育ったカボチャこそがシンデレラを舞踏会に運ぶにふさわしい。
だがあそこまで破壊されてしまうと魔法で元に戻すのは難しい。
『魔法でも出来ないの?』
「いや、出来るには出来るんだけどね。ただ戻せば良いって話じゃないんだよ。カボチャ畑を元に戻すってことは、『カボチャ畑が潰された』ってことを無かった事にするわけだから、知ってる人の記憶を改竄しないといけないの」
カボチャ畑を壊すのは業者が行っていたし、作業中に近所のひとが目撃していたかもしれない。今も話が広がり、間接的に今回の件を知る人が増えていっている可能性だってある。
それらすべての記憶を改竄するとなると大掛かりな魔法になるだろう。そもそも何人に魔法を掛ける必要があるのかも分からず、それを調べるためにも魔法を使わねばならないのだ。
今回の一件は『世界からの依頼』であり、行動には制限がある。あまり派手な行動は控えた方が良いだろう。
「だから申し訳ないけど、カボチャはお店で調達しよう。でもせめて良いカボチャを選ばないとね。形と艶が良くて、乗り心地が良いカボチャ」
『スピードが出るカボチャ!』
「……程々にね」
『他の馬車とぶつかっても傷一つ付かない硬いカボチャ! 周りに棘をつけよう!! 舞踏会会場までに二、三台の馬車を潰しておかないと!』
ライバルは事前に減らすに限る! と鞄の中が盛り上がる。あまりの熱意に、チュウチュウを通り越しヂュヴヂュヴである。荒れ狂って鞄が不自然に歪む。
「こいつらは留守番組にしよう」と心の中で呟き、シンシアは市街地を進んだ。
街はいつ来ても人で賑わっており活気で溢れている。
まさに老若男女問わず。様々な人間が各々の意志のもと、時に足早に歩き、時にゆったりと景色を眺めて歩き、そして時に立ち止まる。
彼等の表情もまた様々で、楽し気に笑う者もいれば何かあったのか怒りを露わにする者もいる。その近くでは転んだと泣く子供。
喜怒哀楽を露わにし、ふとしたタイミングで表情を変える。現に、先程まで泣いていた子供は親にあやされて泣き止み、アイスを買ってやると言われると途端に笑顔になってしまった。
まさに目まぐるしいの一言に尽きる。
目まぐるしい変化を見せる人間が、目まぐるしく行き交う。
この速さを魔法使い達は忙しないと言うが、シンシアには流れ星のように輝かしく感じられた。
「やっぱり人間は魅力的だよ。季節によって食べ物を変えたり、流行と称して似たような服を着たかと思えば、あっさりと別の流行を追いかけたり。どうして他の魔法使いにはこの魅力が分からないんだろう」
話すシンシアの手にはブルーベリーのクレープ。通りがかった喫茶店の店主に声を掛けられ、是非にと勧められて買った品だ。
店主曰く、ブルーベリーを使ったクレープは今の時期限定で、来月には違うフルーツのクレープを提供するのだという。
他にも季節限定の品はあり、シンシアが『限定』に興味を示したのを見てチャンスと考えたのか、限定の茶葉とクッキーまで勧めてくる。もちろんそれらもしっかりと買ってしまった。
シンシアからしたらこれもまた目まぐるしい話だ。
だが期間を決めて次から次へと新しいものを提供する商売人も、『期間限定』という付加価値に惹かれてしまう人間達も、なんて眩く愛おしいのだろうか。
シンシアが季節限定のクレープを食べているのを見て、うちの限定商品もどうかと声を掛けてくる商魂逞しい商人達も愛おしい。
『シンシアは魔法使いの中では変わってる方なの?』
「変わってる方だね。他の魔法使いだったら、『期間限定』なんて言われても歯牙にもかけないし、そもそもクレープを食べようなんて思わないだろうからね」
『美味しいのにねぇ』
「『美味しい、というのはあくまで個人の感覚であり、それもほんの一瞬にすぎないのだから、そのために労力を割くのは非効率的だ』っていうのが魔法使いの考えだからね。前に師匠も言ってたよ」
まさか己の師が人間の少女が作る食事を楽しんでいるとは露知らず、つまらないよねとシンシアが肩を竦めた。
ついでにちぎったクレープを鞄の中に突っ込む。ネズミ達へのおすそ分けだ。
随分と喜んでくれたようで、ヂュッ!!! と威勢の良い鳴き声があがり鞄が大きく揺れた。……余りの威勢の良さに、だんだん鞄に手を突っ込むのが怖くなっているのはここだけの話。
「ジェラートも食べたいし、昼食もどこかいいお店で食べたいけど、まずはカボチャを探さないと」
カボチャを買うならもちろん八百屋だ。
そう考えて八百屋へと向かう途中、ふと広場の一角を見て足を止めた。
催事だろうか。テントが建っている。
そこに飾られているのは大きなオレンジ色の……。
カボチャだ。
やたらと大きい、巨大とさえ言えるカボチャだ。