05:シンデレラと魔法使い(前)
シンシアが暴力には暴力で返すと決め、継母に頬を叩かれるやカウンターで引っ叩き返していた頃。
――ちなみに謝罪の言葉は「私が長い物に巻かれない強い心の持ち主なばっかりに、つい手が」だった――
「テオフィル様、お昼の準備が出来ました」
庭に居るテオフィルに、高く鈴の音のような声が掛かった。
見れば家の窓から一人の少女がこちらを見ている。自分が見られていると気付くと嬉しそうに目を細めて笑った。
金色の長い髪、青い瞳、華やかな色合いの美しい少女シンデレラ。最初に見た薄幸そうな印象は次第に薄れ、代わりに晴れた日の太陽のような温かさを纏っている。
「すまない、集中していた。何度か呼ばせたか?」
「いえ、大丈夫です。それよりお庭で何をなさっていたんですか?」
「午後の天候を見ていたんだ。雨が降るなら魔法薬の採取に行こうと思っていた」
「天気を見る? 雨が降ったら採取に行かれるんですか?」
首を傾げながら尋ねてくるシンデレラの声が疑問の色で溢れている。何から何まで分からない、と言いたげだ。
それに対してテオフィルもまたいったい何が分からないのかと疑問を抱き……、「あぁ」と合点がいったと声を漏らした。
「人間は空を見ても午後の天気は見えないんだな」
「多少の予想は出来ますが、見るという程ではありません。魔法使い様には見えるんですか?」
「見ようと思えば来年の天気だって見える」
「そうなんですね、凄いです! でもどうして雨なのに採取に行かれるんですか?」
「雨の日にしか咲かない花があるんだ。それを研究に使いたいから採ってこようと思って」
「雨の日に……。どんなお花なんですか? 先日見せて頂いたお花も凄く綺麗で、私、あれほど綺麗なお花は初めて見ました」
瞳を輝かせてシンデレラが訪ねてくる。
それどころか窓枠に手をかけてぐいと身を寄せてくるではないか。
そのせいか彼女の顔が間近に迫り、これには逆にテオフィルが身を引いてしまった。気付いたシンデレラがはっと息を呑み身を戻す。
「も、申し訳ありません……! 私ってば、つい」
「いや、良い。気にするな。興味があるなら一緒に行くか?」
「よろしいんですか? ぜひ! ……あっ、私ってばまた」
詫びた傍からまた身を寄せて迫ってしまった、とシンデレラが慌てて身を戻した。
ほんのりと頬が赤くなっているのは自分の行動を省みてだろう。それでいて表情には喜びの色が隠しきれていない。
今のシンデレラは薄幸そうな印象が薄れ、その代わりにあどけなさと朗らかさを感じさせるようになっていた。
小さなことでも一喜一憂し、話すことすべてを瞳を輝かせて聞いてくれる。心境に余裕が出来たからか、継母と姉達からの仕打ちに対して怒りを抱きながら話す事もあった。立ち向かえない自分の弱さを嘆き、かと思えばそんな自分に気付かせてくれたと礼を告げてくる。
豊かな感情とコロコロと変わる表情はまるで魔法で切り替えているかのようで、テオフィルには目まぐるしくさえ思えた。
……だがこの目まぐるしさは嫌ではない。華やかで、輝いて見える。
シンデレラの事を知れば知るほど、彼女が新たな一面を見せれば見せるほど、より深く知りたいと好奇心が湧く。
「申し訳ありません。テオフィル様のお話はどれも素敵で、つい興奮してしまって」
「気にしないでいい。だが話は食事をしながらにしょうか」
「あ、そ、そうですね! 私ってば食事の準備が出来たからお呼びしたのに。それじゃあ、紅茶を淹れて待っていますね」
シンデレラが室内へと戻っていく。
テオフィルはそれを見届け、ふと、自分も微笑んでいることに気付いた。
シンデレラと話をしていると心が穏やかになる。温かく、そして少し擽ったい、なんとも言えない感情だ。
今まで感じた事のないこの感情は自分らしくない。否、自分だけではなく魔法使いとしてもらしくない感情だ。
魔法使いとは常に落ち着きを持ち、感情に左右されない。そういった者とは別次元の存在だ。……そのはずだった。
料理もその一つだ。
魔法使いにとって食事は栄養補給の手段でしかない。ゆえに、魔法使いの半数は食事を手間と考えて魔法で省いている。食事をする魔法使いも居るには居るが、楽しんでいるというよりはただ研究の一端である。
テオフィルも例に漏れず同じ考えだった。食事は面倒でしかなく、魔法で省けるならその方が効率が良い。
だがシンシアは例外で、彼女は勝手に厨房を設けて料理していた。珍しい食材が手に入っただの、自分でレシピを考えただの……。その延長で一人で食べるのは味気ないと訴えており、仕方なく付き合って共に食べていた。
だが一緒に食事をしたのは弟子の頼みだからだ。――あとシンシアの煩さに根負けしたのもある――。テオフィル自身には、シンシアのような食への好奇心は無かった。
それが今は……、
「シンデレラが作ってくれる食事を楽しみにしているなんて……。僕はいったいどうしたんだ」
まさか自分がこんな変化をするなんて。
そう考え、テオフィルは小さく息を吐くとシンデレラの待つ家へと入っていった。……自分の足取りが軽くなっていることに気付かず。
屋内に戻りリビングへと入れば、ふわりと食欲を誘う香りがテオフィルの鼻を擽った。
シンデレラの得意料理の一つであるビーフシチュー。それに焼きたてのパンも添えられている。
今まで食事なんて興味がなかったテオフィルだったが、テーブルに並ぶ料理を見て無意識に「美味しそうだ」と漏らしてしまった。きっとシンシアが居たら驚いたことだろう。
そうしてテーブルに着き食事を済ませ、食後のお茶の最中、テオフィルが「そういえば」と話を始めた。
「シンデレラが着るドレスのデザインが終わったと連絡があった」
「私のドレスですか?」
「舞踏会で着るためのドレスだ。母君のドレスを着たいと言っていたが、あれは型落ちしているからな。もちろん素敵なドレスではあるんだが」
最初こそ『自分には舞踏会なんて無理です』の一点張りだったシンデレラだが、最近では徐々に話を聞く姿勢を見せ始めていた。
その結果、先日ついに『会場に行くだけなら……』と受け入れてくれたのだ。王子と踊るまでには至ってないが、これは大きな一歩と言えるだろう。
そして会場に行くことを了承すると共に、かつて母が気に入っていたドレスを着ていきたいと言い出したのだ。
「あのドレスは継母達も見たことがあるだろうから、そのまま着ていくとシンデレラだと気付かれる可能性が高い。何をしてくるか分からないからな」
「それは……、確かに怖いです」
「だからあのドレスを元にして、魔法でアレンジを加えようと思うんだ。それを別の魔法使いに頼んでおいた」
魔法使いといえども万能ではない。
得意不得意が各々にあり、テオフィルにとって『ドレスのアレンジ』は不得意の領域だ。――試しにやってみたが、自分でも「これは無い」と分かる惨憺たるものだった――
ゆえに得意そうな魔法使いに頼み、先程返事が返ってきた。
「これが元のドレス、シンデレラの母君が愛用したものだ」
テオフィルが軽く手を振れば、手元から光の粒が舞い上がり、テーブルの上に集まりだした。
形を作り青みを増していく。瞬く間に手のひらサイズのドレスがテーブルの上に現れた。ご丁寧にトルソーに飾られている。
「お母様のドレス……」
光の粒で作られたドレスは小さくはあるが、シンデレラの母親が生前愛用していたドレスだ。
晴れ渡った初夏の空のような青色の布に、白い糸で描かれる刺繍。ドレスでありながらも芸術品のような一着。
確かに型落ちではあるが、それでも衰えぬ美しさがある。良い代物だと誰でも一目で分かるだろう。
「ふむ、やはり良い一着だ」
「これも魔法なんですね。でもなんだかお人形のドレスみたい」
可愛い、とシンデレラが小さなドレスを愛でた。
楽し気な表情。まるで人形の着せ替えを楽しむ子供のようではないか。あどけなさがあり、ドレスを見つめる瞳が輝いている。
テオフィルはそんなシンデレラの横顔にしばし見惚れ……、はたと我に返ると「そ、それで」と話を進めた。
「これを元にしたドレスというのが……」
話しつつテオフィルが軽く手を振れば、再び光の粒が現れ、ドレスの横に集まり出した。
光が形を作り、色を濃くさせていく……。
そうして光が収まると、そこには先程と同様、小さなドレスが一着トルソーに飾られていた。