03:シンデレラと代理シンデレラ
洗濯物を取り込むのを手伝えばシンデレラは僅かだが警戒を解き、そのうえ「濡れてしまったので」と家の中へと案内してくれた。
そうして通されたシンデレラの家は外観もさることながら内装も立派なものだ。
真っ赤な絨毯、金色の刺繍が入った同色のカーテン。あちこちに絵画や壺が飾られており、その派手さは貴族の屋敷のようではないか。
人間の家屋の物珍しさからシンシアが周囲を見回しながらシンデレラの後を歩けば、彼女は壁の絵をチラと一瞥し、小さく溜息を吐いた。
「これはお母様が好きで飾っているんです。カーテンも絨毯も、明るい色が良いってすべて変えてしまって……。それに庭の畑を潰して噴水を置いてもっと豪華にしたいって」
「随分と派手好きなんだね。そのお母様とやらは今日は?」
「お姉様達と出掛けています」
母親と姉の事を語るシンデレラの口調は静かで淡々としており、一切感情が乗っていない。
語るのは辛いと敢えて乗せないようにしているのか、もしくは既に感情が失せてしまったのか。まるで他人についてを語るかのようではないか。
「こちらでお待ちください、今お茶をお持ちします」
「いや、お茶は大丈夫だ。それより母君達が戻る前に少し話を聞いてほしい」
案内してもらった客間のテーブルセットに着き、さっそくと話を始めたのはテオフィル。
「さっきも言った通り、僕とシンシアは魔法使いだ」
「……本当に魔法使い様なんですか?」
尋ねてくるシンデレラの声には疑惑と困惑、そして恐る恐る問うような色が綯い交ぜになっている。
にわかには信じ難い。だが本当に魔法使いだった場合、問うことで怒らせてしまうかもしれない。……そんな葛藤があるのだろう。
シンデレラの様子から彼女の葛藤を感じ取ったのか、テオフィルが仕方ないと言いたげに小さく息を吐いた。次いで「見ていなさい」と一言告げて軽く指先を振った。
小さく高い音がする。キラキラともチリチリともとれる、上質の鈴が軽やかに揺れるような音。心地良さと涼しさを感じさせる綺麗な音だ。
その音に合わせ、テオフィルの指先が細かく輝きだした。光の粒が舞い上がり、輝きを増し、風に煽られるように流れていく。
光が向かうのは壁の一角。そこに掛けられている絵画に吸い込まれていった。
「今の光は、……っ! 絵が!」
シンデレラが驚愕の声をあげた。
彼女の視線の先。そこには一枚の絵画が飾られている。
継母が買ったという絵。広大な海とそれを横切る船、空を飛ぶ海鳥が描かれており、白い額縁と合わさって清々しさを感じさせる。
美しい。だががありふれた絵画だ。
少なくとも、シンデレラが最後に見た時はありふれた絵画だった。
だが今その絵画は、『絵』とは思えぬものを額縁の中に宿していた。
「波が動いている、船も……。どうして。煙が」
信じられないと言いたげなシンデレラの口調。声は震え、見開かれた目は絵に釘付けになっている。
なにせ壁に掛けられた絵はシンデレラの言う通り動いているのだ。驚くのも当然。
波は優雅に揺れて白い泡が揺蕩う。そこを渡る船は煙突から煙を上げ、ゆっくりと海を渡ると絵の左端へと到達して消えていった。かと思えば、まるで世界が絵画の中だけで完結しているかのように右端から再び船が現れて再び煙を上げて海を横断し始めた。
晴天の空には雲が流れ、そこを海鳥が軽快に飛ぶ。耳を澄ませば波の音と海鳥の鳴き声まで聞こえてくるではないか。
海だ。確かに額縁の中に海がある。
だがその海は絵の具で描かれている。
「絵が動くなんて……、そんな……」
「これで僕達が魔法使いということは信じられるだろう?」
「ほ、本当に魔法使い様なんですね。申し訳ありません、私ってば疑ってしまって……」
「いや、気にしないでくれ。信じてくれたのなら何よりだ。それで本題だが、さっきも話したように、我々はきみを舞踏会に出席させるために来た」
「……私が、舞踏会」
シンデレラがポツリと呟く。まだ心ここにあらずといった様子だ。
それでも自分が舞踏会に出席する姿を想像しているのか、彼女はしばらく物思いに耽るように黙り込み……、
「……私には無理です」
小さく呟いて弱々しく首を横に振った。
これには思わずシンシアも「えっ!?」と焦りの声をあげてしまった。
「な、なんで? 舞踏会だよ? 綺麗なドレスを着て、美味しいもの食べて、……王子様と踊っちゃったりして」
「……華やかな場所は苦手なんです。私なんかが行っても楽しめないし、場違いで恥をかくだけですから」
憂いを帯びたシンデレラの表情。美しいが、それ以上に自虐の色が強く、薄幸そうな印象を深める。
「私にはここで掃除をしてお母様達の帰りを待つのが一番なんです。だから舞踏会はどうか他の人を誘ってください」
シンデレラの口調は落ち着いているが、はっきりとした意志を感じさせた。挙げ句に話を断ることを頭を下げて詫びてくるのだ、これは説得しても応じてくれそうにない。
参った、とシンシアは心の中で呟いた。横目でテオフィルを窺えば、彼も難しい表情をしている。
世界からの依頼はシンデレラを舞踏会に参加させることだけではない。むしろそれは序章に過ぎず、本題はその後だ。
シンデレラを舞踏会へ行かせ、そこで彼女が王子と踊り、去り際に落とした靴を切っ掛けに再会し結婚、末永く幸せに……。と導かなくてはならないのだ。
今のシンデレラは仮に説得に応じて舞踏会に行ったとして、王子と踊るとは思えないし、その後の展開も難しい。今の彼女の態度を見るに、『末永く幸せに』どころか全てが重荷になりかねない。
どうしたものか……、とシンシアが悩んでいると、テオフィルが「それなら」と話を続けた。
「しばらくの間、シンデレラは僕と暮らしてもらえないだろうか」
「わ、私が魔法使い様と……?」
「師匠、なにを言ってるんですか!?」
突然のテオフィルの提案に、シンデレラはもちろんシンシアも驚いて声をあげてしまった。
いったい彼は何を考えているのか。シンデレラを舞踏会に行かせるのに、どうしてシンデレラと一緒に暮らす必要があるのか。
それを問いただそうとするも、それより先にシンシアの耳に『落ち着け』とテオフィルの声が聞こえてきた。
だが彼は口を開いていない。カップに口をつけて紅茶を飲んでいる。魔法を使って声には出さず話しかけてきたのだ。
『考えてみろ、今のシンデレラでは、仮にうまいこと舞踏会に連れ出せたとしてもそこで終わりだ』
『それは……、私もそこは引っ掛かっていました。舞踏会に行けばそれで良いってわけじゃないし、その後だって難しいですよ』
『だからシンデレラの考えを根本から変える必要がある。そのためにはまず今の環境、継母と姉達から引き離すべきだ』
『なるほど』
一理ある。とシンシアが頷いた。
確かにテオフィルの言う通りだ。シンデレラは継母や姉達から虐げられ孤立しており、そのせいで自尊心が叩き折られている。この状況では舞踏会は無理、王子との結婚も負担でしかない。
なのでまずはシンデレラを今の環境から引き離し、彼女の自尊心と自己肯定感を回復させる。
さすが師匠だとシンシアが感心する。
だが意図を知らぬシンデレラはいまだ混乱しており、眉尻を下げて不安そうにしていた。
「私が魔法使い様と……」
「異性との生活が嫌なら同性の魔法使いを呼ぼう」
「そ、そんな、魔法使い様を疑うわけがありません。それでお役に立てられるのであれば……。ですが、その間の家の事はどうすればいいんでしょうか。料理に掃除、洗濯、庭の手入れ、洋服の直しに靴磨きもしないと」
あれもこれもとシンデレラが挙げていく。それら全てを一人でやってきたのだ。……否、やらされてきた、と言うべきか。
「心配するな、代理を立てる」
「私の代理……?」
「あぁ、舞踏会までの間、ここで生活する代理のシンデレラだ。もちろん魔法を使うから正体がバレることはない。だから安心して務めてくれ、シンシア」
こちらを向いて「任せたぞ」と告げてくるテオフィルに、突然話題を振られたシンシアは数度瞬きを繰り返し……、
「私がシンデレラの代理?」
と、間の抜けた声をあげた。
その瞬間、テオフィルが軽く手を振り魔法を掛けてきた。問答無用と言わんばかりの速さではないか。
哀れシンシアは無数の光の粒に巻き込まれ「私の返事は!」と文句を訴えるだけで精一杯だ。
そうして光の粒がスゥと音立てて引いていく。
そこに居るのは以前の通りシンシア。試しに鏡を見ても何も変わらない。もちろんシンデレラもシンデレラのままだ。
だけど……、
「安心しなさい、今のシンシアは周囲からはシンデレラと認識される。見た目も声も、行動も、すべてシンシアだが、周りはシンデレラのものだと考える」
というテオフィルの説明通り、今のシンシアはシンシアであり、だが周囲からはシンデレラと認識されるのだという。
なるほど、これが代理シンデレラ。
「……素敵な魔法ですこと」
まったく心のこもっていない褒め言葉を送れば、テオフィルが「これぐらい造作ない」と得意げに笑った。