02:シンデレラ
三人もれなくバランスを崩して倒れ込む、まさに揉みくちゃ状態である。
「あ、危ないだろう! 何を考えてるんだ!」
最初に身を起こしたのはテオフィル。叱咤の声には怒りと同時に焦りも交えており、冷静沈着な彼らしからぬ声量だ。表情にも鬼気迫るものがある。
彼に次いで身を起こしたシンシアに至っては、叱咤どころか声を出すことすら出来ずにいた。咄嗟の事に考えるよりも先に体が動き、今更ながらに冷や汗が額を伝う。
あの瞬間、シンデレラの身体は井戸に落ちそうになっていた。
それをシンシアとテオフィルが抱き着いて止めたのだ。
だが二人とシンデレラの距離はだいぶあり、本来ならば間に合うものではない。どれだけ足が早かろうとも、瞬時に駆け寄って手を伸ばそうとも、シンデレラを止めるどころか指先が掠りすらしなかったはずだ。
だけど間に合った。それは……、
「テオフィル師匠が……」
魔法で間に合わせたのか。
そう言いかけ、口を噤んだ。代わりに視線で問えば彼が目配せで肯定してくる。
さすが世界に名だたる魔法使いだ。この場にシンデレラがいなければ、シンシアは声に出して彼を称えただろう。
だが今は『魔法』と口に出すことは出来ない。もちろん、『魔法使い』も同様。
なにせ魔法使いの出番はまだまだ先なのだ。
「あ、あの……、あなた、たちは……」
聞こえてきた細い声に、師の活躍に感嘆していたシンシアははっと我に返った。
シンデレラが地面に腰を下ろしたままこちらを見ている。
唖然とした表情。遠目で見た時も思ったがやはり顔色が良くない。顔立ちは良く美しく、朗らかに笑えばさぞや魅力的だろうに、今は儚さと薄幸そうな印象が強い。
「貴方達は……、いったいどこから……」
「シンデレラ、なぜ井戸に落ちようとした。あのままでは死んでいたかもしれないんだぞ」
「そんな、落ちようとなんて、私……」
「していただろう。自ら落ちたわけではないとしても、落ちかけた瞬間に抗おうともしていなかった。あれは自ら落ちようとしていたのと同じだ」
「……それは」
テオフィルに言及されてシンデレラが口を噤む。視線を他所に向ける表情は痛々しさすら感じかねないほどだ。
慌ててシンシアは話を止めるように師を呼んだ。
「師匠、落ち着いてください。そんなに強く言ったらシンデレラが話せないでしょう」
「僕は事実を尋ねているだけだぞ」
「事実だろうと、人間には強く言われたら話せなくなる人もいるんです。とにかく、師匠は黙っていてください」
シンシアがぴしゃりとテオフィルを制止すれば、彼はムゥと眉間に皺を寄せた。
「少し人間に詳しいからって生意気な弟子だ」という文句は師とは思えない子供っぽさがあるが、それ以上はなにも言わないあたり、シンシアに話し手を譲る気はあるのだろう。
ならばとシンシアは改めてシンデレラへと向き直った。
彼女は困惑と怯えの色を強め、体を強張らせてシンシアとテオフィルを交互に見ている。
ここが彼女の家でなければ走って逃げ出してしまいそうなほど。いや、走って逃げる気力もなく怯えるだけか。
「あの……、貴方達は……」
「驚かせてしまってごめんね。私はシンシア、こちらは私の師であるテオフィル」
「師……? 職人さんでしょうか、それとも学者様?」
「私達は……、その……」
なんと言うべきか。
そうシンシアが逡巡していると、「魔法使いだ」とはっきりとした断言が割って入ってきた。
言わずもがなテオフィルである。再びシンシアがぎょっとして「師匠!」と彼を呼んだ。
ぐいと身を寄せて、シンデレラには聞こえないよう「言っちゃって良いんですか!?」と小声で問う。
「『世界からの依頼』は人間に話しちゃいけないって言ってたじゃないですか!」
「そうだが、僕達の素性ぐらいは話しても問題ない」
曰く、世界からの依頼には幾つか規約があり、その一つに『依頼について人間に話してはならない』というものがある。
だが『魔法使いが素性をばらす』は規約には引っ掛からないらしい。
何をどこまで話して良いのかは微妙な塩梅で、分かるのは依頼を受けた当人のみ。つまりテオフィルだけだ。
そして唯一判断出来るテオフィルが言うには、話せるのは自分達が魔法使いであること、そして……、
「シンデレラ、僕達はきみを舞踏会に出席させるために来たんだ」
と、ここぐらいまでだという
その先の『王子様と出会い末永く幸せに……』という部分は話してはいけないらしい。いうなれば、起承転結の起、ギリギリを攻めて承の前半程度。
なるほど、とシンシアが納得する。対してシンデレラは告げられた言葉の意味が理解できていないようで、目を丸くさせて唖然としていた。
「魔法使い様、が……、私を……舞踏会に……?」
「あぁ、そうだ。きみに舞踏会に出てもらわないとならない。だから井戸に身投げなんてされたら困るんだ。そもそも、自ら命を絶つというのは」
「師匠! また説教臭くなってますよ!」
慌ててシンシアがテオフィルの裾をぐいと引っ張った。
そのまま師を黙らせて「実は」とシンデレラに話しかける。この際なので説教臭いと言われたテオフィルの訴えは聞き流しておく。
「突然こんな事を言われて貴女が混乱するのは仕方ないと思う。だけど嘘じゃないし貴女を騙したり悪いようにはしないから、私達を信じて話を聞いてくれないかな」
「……ですが、こんな話を急にされても」
シンデレラの声色にはまだ混乱の色が強い。それと突拍子もない話を出されたこで警戒心も抱いているだろう。
このままでは彼女は家に戻ってしまう。だからといって無理強いをしても警戒心を増させるだけだ。
いっそ出直して、魔法で見た目を変えて一から関係を築いた方が良いかもしれない。
そう考えるシンシアの頬にポタリと何かが落ちてきた。
見上げれば、先程まで晴れていたのにいつの間にか墨色の雲が空を覆っている。周囲は暗く、妙にヒヤリとした冷たい風がザァと吹き抜けて周囲の草木を揺らした。そうしてまた一粒、シンシアの手の甲に落ちてくる。
これは……。
「雨……?」
「雨!? 大変、お母様とお姉様の服が濡れちゃう!」
シンデレラが悲鳴じみた声をあげ、慌てて洗濯物へと走っていった。
干されているのは服に加えてシーツやタオル、彼女一人で取り込むのは大変だろう。
「シンシア、僕達も手伝おう」
「え、あ、はい」
「手伝えば、もしかしたら家にあげて話を聞いて貰えるかもしれないからな」
「……それって、もしかして師匠が雨を降らしたんですか?」
あのまま話をしていてもシンデレラからの信頼を得られたかは微妙なところだ。
もしかしたら魔法使いを自称する怪しい者達と取られ、話を終わらされていたかもしれない。姿を変えたところでシンデレラが『自称魔法使い』を警戒するようになったら面倒だ。
テオフィルはそれを考え、雨を降らせることで一度場を改めることにしたのだろう。洗濯物を取り込むのを手伝えばシンデレラの警戒心が多少は和らぐ可能性もある。
そのためにテオフィルは雨を降らせたのか。
だけど天候を変える魔法はなかなかに難しかったはず。
そうシンシアが問えば、彼は「造作もないことだ」と断言した。どことなく得意げな顔、そうしてシンデレラを手伝うべく彼女を追って足早に歩き出した。