夜明け前が一番暗い
土曜日。仕事場のホームセンターデイリーワン徳島中央店に出勤した。私は関東にいる娘の大学費用を稼ぐためフルタイムパートとして閉店までの勤務をしている。
休憩室へと続く長い階段を上る。
更衣室前、休憩室で人影が見えた。会いたくない人物。パワハラ店長だ。
火曜日に事務室で怒鳴られ、執拗に責められたのを思い出した。その日以来で顔を見たのは初。あのときのバケモノの顔が、視界の隅に見える。おはようございます、とあいさつをしたら睨まれた。
自分の両手の平が小刻みに震えていた。動悸も激しい。頭が痛い。吐き気もする。
ムリ。
端末を操作し、出勤した。売場に出て作業台を引っ張る。すれ違った従業員にあいさつをしながら歩いていたら、急に涙が出てきた。慌ててトイレへ入った。個室の便座に座る。ハンカチで涙をぬぐった。手を見る。やっぱり震えている。
ムリだ。
作業台を片づけて事務所に戻った。菅野店長が私の方を振り向く。
「早退させてください」って言った。
「どこが悪いんだ」
椅子にふんぞり返ってこちらに視線を移す。 店長は相変わらず威圧的。
マジで大っ嫌い。
「手も震えるし、動悸も激しいです」
「熱は」
「ありません」
頭も痛い。お前の顔を見たせいだ。
「明日は大丈夫なんだろうな」
「大丈夫です」
何が大丈夫なんだろう。
「帰っていいよ」
そう言われて事務所を出た。非常階段から店舗に出て、自動ドアをくぐる。もう手は震えていなかった。
家に帰った。何もする気がなくて、二階に上がる。娘の机に一冊のノート。真っ黒な壁紙に大きな楕円の鏡がかかっているリアルな絵の表紙。鏡にはあふれんばかりの花束。
手に取ったけど、なぜか怖くなって机に戻した。階段を下りる。リビングに戻って、ソファーにすわった。あのノートが頭から、離れない。娘にラインした。
「黒い表紙の花束が乗っているノートって、ミサキのだよね。見てもいい?」
「そんなノートあったかなぁ」
二階に上がった。娘の部屋に入る。写真を撮って、送った。
「わたしのじゃない」
「机の上にあったんだよ」
「知らない」
ヘンだ。実は私も見たことない。こんな表紙、見たら覚えているはずなのに。掃除するとき部屋にはよく入っている。
「捨てるよ」
「どうぞ」
手に取っただけなのに鼓動が早くなった。中が気になる。体の芯が震えている。
さっきの店長を見たときの手の鼓動とは種類が違う気がした。
ページをめくった。
何も書かれてない。中は白でなく、うっすらと花柄が書かれていた。
まるでお花畑だ。ページをめくる。紙質は柔らかい。
紙の中からシミが浮き上がってきた。インクが繊維に染み出てくるように、ゆっくりと文字になっていく。
『このままでは、納得できないよね?』
店長のことを言っているのか。
「しょうがないよ。私が我慢してればいいだけ」
私はノートに答えた。
風が急に拭いてきて、顔をそむけた。
目を開けるとそこは花、花、花。娘の部屋ではない。
視界全てが花だった。花がすべてを覆いつくしていた。昔見たアニメのようだ。ごつごつした岩がある山に、一面の黄色い花、そして白、ピンク。小さな青い花も群生していた。空は白く濁っている。その先に、クロスをはったような天井らしきものが見えた。
強い風が吹いた。花が激しく揺れる。私の前髪も結んでいた後ろの髪も大きく揺れた。
岩の根元に菅野店長が横たわっていた。目はタオルで隠され、ロープで縛られ、くの字に横たわっていた。
「店長?」
声をかける。
「うるせいわ。クソばばーが」
店長は三十代後半。私は五十代に突入したばかりだから確かに、アンタから見ればただのばばーだ。
自分の両手の平を見た。震えていない。
縛られている彼のそばに、私の足があった。足元を見る。職場で履いているスニーカー。足はいつもより行儀よく並んでいる。でも、足先だけが異様に大きい。片足の靴が菅野店長の顏くらいある。
デカっ。
『やっちゃえば』
誰かが言った。
声の聞こえた方向、真上を見る。赤い字が空に浮いている。にじんだ字は、空に消えてまた新しい文字へと変わっていく。
『やんなよ、やんなよ』
文字と共に子供の無邪気な声。
何を?
肥大した右足が私の意識と関係なく店長を踏みつけていた。靴を履いているのに裸足のように感覚が伝わってくる。柔らかい皮膚、まぶた頬、口。そして、唾液も。
そのあとは惰性で、何度も勢いをつけて横たわる顔にめがけて踏み続けた。汗なのか唾液なのか、体液が飛び散る。血液なのかもしれない。
奇妙な感覚。
ぐりっ。音がした。
皮膚はやっぱり柔らかくて、でも芯が硬い。骨って硬いのか。足の裏が滑って耳元へ移動する。耳がちぎれた。
「死ね、死ね、死ね」
大声で叫んで、膝を胸のあたりまであげて、力任せに振り下ろす。そのあと、頭を二回踏みつける。
ぐちゃって、いやな音がする。血が飛び散った。顔に液体がつく。つぶれた頭のそばには血だまり。靴がどす黒く赤く染まっているのに気付いた。目元を縛られていたタオルはとっくに外れていた。店長は黒目がなく白目だけ。両目が黄色に濁っていた。
顔は変り果て、つぶれていた。誰の顏か、どんな顔だったかも思い出せない。
「気持ちわるっ」
右人差し指をかぎ穴風の形に関節を曲げ、白目の上あたりを形に添って刺すように突っ込んでみた。目玉はゼリー状で弾力があり柔らかかった。
人間は骨でできている。意識したことはなかったけれど、確かに頭蓋骨は存在していた。
皮膚をつけた顔の奥、目の奥に生暖かい肉があって、突き当りには固い丸い窪みを感じた。筋や薄い膜のようなものがある。そのまま球体ごと掴んで、引き抜いてみた。ぬめっとした感覚。
飛び出た目玉には、糸状の筋や血管、皮膚などがついていた。それを遠くに投げて、血で汚れた指先を強く花びらに押し付けながら拭いた。きれいには取れない。まわりは血だらけ。私の踏み荒らした跡は血で汚れている。
これって凄惨な殺人事件?
靴の中の血は靴下が血液を吸って、びちゃびちゃと音がする。
店長はひもで縛られたはずだったのに、いつの間にか縛られた形跡はなかった。体が横たわっているだけ。店長の手が私の足に絡みついていた。怖くなって、また何度も蹴って、踏みつけた。
一回、二回三回。何度も何度も。
踏みつけた分、体は小さくなって最後には体もなくなって、つぶれた顔だけが転がっていた。
生理的に無理だった形の変わった店長を見ても、気分が悪くはならなかった。
「バイバイ、店長」
思いっきり頭を蹴っ飛ばした。でも、頭はボーリング玉みたいに重くて、飛ばなかった。顔しか見えないけど、ほんとうは体がついているのだろうか。
強風が吹いた。まっすぐ立てなくて、思わずしゃがみ込んだ。顔をあげたら、そこは花畑だった。頭が転がっていたはずの岩場には何もなかった。足元を見る。血で汚れたはずのスニーカーは、よれてはいたが、血の跡はどこにもなかった。血だまりも、飛び散って汚れた花たちも、岩場にはねた血しぶきも見当たらない。ただの大きい岩が存在しているだけ。その岩場に黄色の花が群生して存在しているだけ。風は小さな花びらを連れて渦を巻き、上空にふきあがった。ほこりが目に入り痛くて両目をつぶる。目を開けるとそこは娘の部屋だった。
手にはノート。表紙の中の花束の量が増えている気がした。中を開いた。ノートの紙には文字らしきものはなかった。赤黒いシミがついている。それは店長から引き抜いた目玉の形にも見えた。
気持ち悪くなって、思わず手を離すと、ノートはスローモーションで床に落ちた。
次の日、出勤した。
今日は朝九時出勤。久しぶりの時間帯。
割り当てられていた開店作業は様変わりしていた。職場用携帯端末を使って、項目に書いてある作業を終えたらチェックをつける。作業は慣れないせいか時間がかかった。視聴用テレビの設定、家電のスイッチ、時計の時間合わせ。商品案内のチラシの不足分の印刷などだ。複数の項目をクリアしていき、作業が終わった、と思って完了登録をつける。完了したら、すべての従業員の端末にも、完了がつく。端末を見れば、誰が何時になにを終わらせたのか、分かるようになっている。
売り場はかなり広い。寝具に布団、キッチン用品に自転車や自転車用品、洗剤などの消耗品もある。
開店作業が終わってキッチン雑貨の売り場を通った。フライパンが並んでいる前を横切り、端末で予定表を確認。今日は夏用の寝具を撤去して秋冬用に簡単にシフトする作業。お盆前で暑さは厳しい。日中は猛暑だが朝晩は涼しくなっている。台風が通過したらいっきに秋になるパターン。さすがに売り場が毛布一色とはならないが、綿系とか麻に変更して、徐々に冬へと突入の準備が始まる。
台車の上に設計図みたいな指示書をのせて、売場に移動中のとき、インカムでどなり声が聞こえてきた。
「佐藤、主通路のテレビついていないだろうが。早くつけろや」
「すいません」
わたしは走って主通路に行った。簡易家具の組み立ての簡単さをうたった映像が永遠に流れる販促用テレビ。端末画面にチェック項目はないがこれも開店作業の仕事。
リモコンを操作して設定、スイッチをつける。若い女性二人が組み立て始める映像が流れはじめた。よし、終了。
店長には何かにつけて怒鳴られている。歩き方や、姿勢、話し方に至るまで。すいませんとだけ答える私が気に入らないのだろうか。怒鳴られる側の人間。息をするだけでも許されない。同じ行動をしても怒鳴られない人もいる。
すれ違いざま挨拶をした。
顔を見た。いつもの顏だった。目もしっかりあるし、耳もちぎれていなかった。
「文句でもあるのか」
怒鳴られた。
「すみません」
頭を深く下げ、視界の入らない通路に行った。
ちょっとほっとしたような、残念だったような。複雑な気持ちだった。
菅野店長が着任してから二年が経った。おそらく転勤まであと、一年。あと少し、あと少し耐えれば新しい店長がくる。それまでの辛抱だ。
私はこんなことでビビっているわけではない。五日前にあった監査の点数が原因。監査は年に一度。全国の店舗に抜き打ちで、店長不在時にくる。書類の不備や、売場の転倒防止器具設置、消防法を順守しているかなどのチェックなど多岐にわたる。これを従業員はガサ入れと呼んでいる。
これで店、そして店長の評価が決まるらしい。ボーナスの金額も変わってくる。
先週の月曜日。四国に上陸して愛媛と高知の店舗が入った、とリアル情報がパート内でも共有されていた。
レンタカーを使って移動しているらしい、どこの店舗に入ったらしい、南の方面に向かったなど、店舗間の情報共有はマストだ。
ぶっちゃけ、パートはボーナスもないし、監査の結果で時給が上がるわけでもない。私はただただ、店長に怒鳴られないように、機嫌を損なわないように、顔色を窺いながら息をひそめて生きているだけだ。
店長は、監査が四国に上陸してからの三日間、何度も売り場を見回りしていた。梯子に上って棚上をチェック。什器庫の什器がキレイに安全に収納されているかチェック。残業しまくりで、遅くまで店舗に電気がついていた。
お気に入りの四十歳の川崎さんと一緒に残業の日々。中学生の子供が二人もいるのに。付き合わされてかわいそう。
木曜日の昼過ぎ、監査は岡山入りしたという情報が流れた。中国地方へ移動。店内点検をしまくっていた菅野店長は明日休み。定時で帰った。
「監査、本州に行ったね」
数日付き合わされていた川崎さんが言った。
ご苦労様と、心の中でねぎらった。
「もう来ないだろう、って菅野店長言っていたよ」
川崎さんの言葉に私は頷いた。
川崎さんは、店長のお気に入りで、いつも一緒に作業し、愛でられている。怒られるところは見たことがない。美人さんだ。いつも一緒なんて私は絶対に嫌だ。お気の毒に。
監査が岡山に行った次の日の金曜日、私は仕事だった。いつものように出勤。十時四十分くらいに、お客様用自動ドアから店内に入る。
私は入り口右の壁際に進んで、非常口のドアを開ける。奥にはグレーの階段がある。店の天井は高いから、階段も長い。それを上りつめる。二階奥のドアが休憩室、更衣室へと続く。
着替えて事務所に行く。ドアがいきなり開いて福島さんが出てきた。
「おはよう、佐藤さん。今朝、うちにガサ入れ入ったよ」
「マジですか?」
福島さんはこの店のフロアマネージャー。役職者だ。二十代後半の男性で物腰の柔らかいおとなしめの性格。半年前に転勤してきた。社員は店長を含め、この二人しかいない。
売場に出た。人はまばら。監査らしい人を探したがいない。そのまままっすぐに進むと、バックルームのスイングドア。押した。ドアが内側に開く。
入って左には大きな段ボール箱。中に入っているのは布団。右はクローゼットケースの在庫が山積みになっている。
奥に組み立て簡易家具、自転車、物置収納ケースなど、項目ごとにスチール棚に格納されている。
中央の広場風スペースに三好さんがいた。小学生と幼稚園の男の子がいる三十代のお母さんだ。売場に出す商品を箱から出し、台車に乗せている。
「おはよう」と言った。
「おはよう」
あいさつを交わして周囲を見渡す。バックルームは、はてしなく広い。はてしなく広いが、きれいに整頓されているから、視界は良好。
さあどこだ。どこにいる?
一番奥に貨物用の大きなエレベーター。その横にくぼみがあり、作業用長テーブルが置いてある。その上にノートパソコンを開いて、折りたたみイスに座り、ひたすら入力していく見慣れないスーツ男。あれか。あれが監査だ。
「おはようございます」
言ったが返事はない。
三好さんを見る。目が合った。
「これ出してきていいかな」と私。
「お願い」
三好さんに目配せした。エレベーター側のスーツ男を見る。パソコン入力に夢中でこちらを見ていない。三好さんの細い左手を引っ張ってバックルームの外に出た。
「ガサ入れ、どこまで進んでいるの?」
「終わったみたい。いろいろなところを写真で撮っていた。梯子に上ったり、床をのぞき込んだりして。リビングフロアーも、自転車の並んだ台の上とか、ヘルメット陳列棚とか。カーテンの見本コーナーも。とにかくすべて」
「終わったんだ」
「店長から電話があったんだよ。バックで監査見張とっけって言われているんだ。戻らなきゃ。消防法の赤い線にモノが乗らないように張り付いていなきゃいけない。もし何かあったら、殺される」
「あ、ごめん」
三好さんは戻っていった。
私もバックルームに戻って台車を受け取った。子供用の食器を並べていると、福島さんが店内をウロウロしているのが視界に入った。事務所におとなしく座っている気持ちにはなれないのだろう。中年女性が大きなカートを推して商品を眺めているのが見えた。店内の客数は、視界に入るだけで、一、二、三人。少ない。
「佐藤さん」
福島さんに呼ばれてそばに行く。
「バックルームどんな感じでした?見に行ってくれませんか」
「わかりました」
子供の食器を早々に片づけて、バックに台車を押していく。デイリーワンは独自の安全基準があり、台車の押し方にもルールがある。台車にはモノを多く乗せてはいけないとか、周りの状況を確認してからでないと、進んではいけないとか。視界に入らない小さな子どもが台車とぶつかって思わぬケガをしないように。配慮だ。
バックに行って、商品の乗った台車を受け取る。空の台車を三好さんに渡した。長机でパソコン入力しているスーツ男を横目で確認。特に安全に留意して、商品の乗った台車受け取って売場に出て行く。
スイングドアの前に福島さんが立っていた。
「まだパソコンに何かを入力しています」
「まじか」
福島さんの顔は暗い。
「不審な点ありますか?」
「入力長すぎじゃないかな。指摘事項が多いのかもしれない。点数が低かったらどうしよう。十点はとらないと」
福島さんはその場から離れた。店長から、様子を見て来いと入電があったのだろう。
監査は十点満点。十点はまず取れないと言われている。七点からが合格で、六点以下は年内に再度ガサ入れが入る。合格すれば、今年度は安泰。何もない。
スーツ男は二時過ぎに帰っていった。福島さんから九点ゲットできたって聞いた。高得点だ。
「菅野店長はね、十点を目指しているんだよ」
川崎さんが言っているのを思い出した。こわっ。誰が血祭りにあげられるのだろう。
月曜日。川崎さんが私に声をかけてきた。小声だ。
「大丈夫?佐藤さんと安田さんが作った掃除用具売場に、ストッパーがついていなかったんだって。それがなければ、監査は満点だったのにさぁ」
ストッパーは一センチほどの小さな部品だ。角バーという棒状の什器をウケが支えるのだが、ウケが外れないようにウケと壁とのわずかなすき間に入れる。
「そうなの?」
「うん。菅野さんがラインで言っていたよ」
あの売り場作業はしばらく前に作ったやつだ。
「菅野店長ものすごく怒ってけど。大丈夫?」
ああ。また、怒鳴られる。大丈夫じゃない。一瞬で鳥肌が立った。最近作った売場なら覚えているけど、そこの売り場を作ったのは二か月以上前。そんな昔にどこを不備したかなんて覚えてないよ。
その日はすぐに来た。怒鳴られる日。
金曜日に監査がきて、結果が出た。土曜と日曜日どちらかで犯人捜しをした。月曜日、川崎さんに原因は私か安田さんだって言われた。そして火曜日。菅野店長は出勤前に話があると、にこやかな口調で言ってきた。
事務室で携帯端末に自分のコードを入力し出勤。
そのまま、店長の机の前に立った。
「監査、なにが悪くて九点だったか原因知っている?」
監査が帰った後、福島さんが書類を片手に売り場を走り回っていたのは知っていたが、具体的な場所は知らない。教えてもらってもいない。川崎情報のみ。
「川崎さんに掃除用具売場って聞きましたけど、場所までは知りません」
「安田さんと二人で作業していたよね。どっちがしたの」
声がどんどん荒くなる。
安田さんとフロアマネージャーの福島さんと私の三人で作業したのは覚えていた。
他の名前を言えば他の人も怒鳴られる。
「私一人だけでしました」
「ストッパーがついてなかったけど、どうしてなんだろうね」
「すいません、覚えていません」
「佐藤さんが犯人か。ストッパーつけてないってないってどういうこと」
店長がたたみかける。声は怒鳴り声。
「覚えていません」
「はあ?あんたがやってないからこんなことになったの、わからんの。ストッパーつけてなくて什器が落ちてきたらどうやって弁償してくれるの。そこに子供がいたらケガするかもしれないんやで。命軽く考えてない?どう弁償するか聞いてんのやけど」
店長が足を大きく踏み鳴らす。
「すいません」
「俺、いつ謝れって言った?そんなしょうもないこと、聞いてんのちゃうんやって。お前がやったんやろ、お前がよう、違うんか?子どもが怪我したらどう責任取るんだよ」
店長は監査の報告書を私に投げつけた。顔に当たって、床に落ちる。それを拾った。写真が載っている。
「この、丸ついているの、プライスケースですよね、ストッパーじゃないですよね」
「違う、その下」
店長が指を指す。
「見にくいんですけど。現場に行ってどこに不備があったか教えてください」
「行く必要ない。関係ないやろ」
私の手から報告書を強引に引っ張った。
「関係ないこと、ないんじゃないですか」
「なんで、お前俺に指図している?俺が話しているんだけど。すべてお前のせいなんだろうが。どうしてこうなったんだ、原因はおまえなのに、反省もしないのか」
「私が作業したから、私の責任だと思いますけど。どこが悪いのか、抜けていたのか知りたいので、現場見せてください」
店長は私の肩を突き飛ばした。
「だから。今さら、見る必要ないって言っている。わからん?」
ああ、現場を確認してないから、店長は場所を知らないんだ。監査から指摘を受けて、売り場を正しい状態に戻したのは福島さんだ。
「どう改善するんだ、これから」
顔の前で手を叩かれた。店長を見る。相変らずにらみつけられている。
「作業終わったら、しっかり確認しようと思います」
「確認しなかったんだな」
「作業の後、確認しました」
「はあ?確認しているのに、なんで抜けがあるんだよ」
「すいません」
「俺がいつ謝れって言った。なんで抜けているか、聞いているんだ」
「わかりません」
肩を強く押された。よろける。
「そんなこと言えって俺言ったか?だから、これからどう改善していくんだよ」
「作業後に確認して…」
「お前、確認してミスしたんだろうが。バカか。確認して抜けたんだよ。意味ないだろうが。お前のせいで子供が死ぬんだ。すべてお前のせいだろうが。どう責任取るんだ」
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「なんだよ、その顔は。ムスくれやがって」
そうか。わたし、キレているんだ。
店長が顔を近づけてにらみつける。
「お前さあ、反省なんかしてないだろうよ。俺、お前が人殺しにならないために親切に教えてあげているんだけど。わかる?人助け。佐藤さんの為に指摘してあげているわけ。心が壊れるよ、子供死んじゃったら。お気の毒に。ねえ、どう思っていんの、人殺しだよ、佐藤さん。あんたは人殺しだから」
イヤイヤイヤ。私は人を殺してはいない。
まず、多分三人で売場を作った。私は作業の後確認したけど抜けがあった。そのあと、作業確認者にチェックされる。指摘があれば、指摘部分のやり直しがあるがそれはなかった。定期的に安全管理担当が売り場全体をチェックして、最終的に店長が確認するのが一連の流れだ。最後の責任を負うのは店長のはず。パートではない。
それにあんた、三日間も残業して店内点検して。それで、自分は責任ないんだ。全部私のせいなんだ。
「お前さあ、どう責任取るんだよ、言えよ。俺があんなに安全に気をつけろってしょっちゅう言うてんのに、なんだよこのざまは。お前のせいで全部台無しなんだよ、わかっている?俺がお前に売り上げ伸ばせって言ったことある?おれ怒ったことないよね。安全だけは気を付けろって言っているの、なんで守れないの?なんで、そんなにバカなの。教えて?お前、本当にバカだね。どうしてそんなにバカなのか、教えてくださいよぉ」
私って一生この店長がいる限り、怒鳴られるのか。
「なんで、もっと優しく言葉を選んでくれないんですか」
「は?」
「なんで、いつも怒鳴るんですか」
「俺がいつ怒鳴ったんだよ、バカか。おまえさあ、どうしてくれるの、これ。ストッパーつけないでこんなことなっちゃって。どう、責任取るんだよ、責任取れよ。お前のせいで、人死ぬんだよ、人殺し」
怒鳴りまくっている。
「責任ってなんですか。それって、死んで詫びろってことですか」
「はあ?いつ俺がそんなこと言ったよ。お前さあ、ニ度と俺の前に出てくんな。ニ度と顔も見せるな。お前なんか顔も見たくないし、話しもしたくない。早く俺の前から消えろ。死んでくれ、マジで」
私は事務所を出た。
店長の前では泣かなかったけど、涙があふれていた。什器庫に行くと、ますます涙が止まらない。嗚咽していると、安田さんが来た。
「どうしたの?店長に何か言われた?」
涙があとからあとからあふれてきて、止まらなかった。サイアクだった。
でも、安田さんと作った売場が原因で怒鳴られたとは言えなかった。
菅野店長は、パワハラ気質だ。何度も怒鳴られていた新入社員の森下さんは一年ほど休職して結局仕事を辞めた。店長に罰なんか当たらなかった。それどころか、森下さんがいなくなったおかげで売り上げが伸びてボーナスが上がったって店長が喜んでいたのを、見たことがある。
「大丈夫だった?」
怒鳴られてしばらくしてから川崎さんが心配そうに私のそばに来た。
「どうして、安田さんと私が売り場を作ったなんて言っていたのかな、店長」
「監視カメラを見たらしいよ。福島さん、安田さん、佐藤さんで作業して、その中で、問題の起こった場所は佐藤さんと安田さんが作業していたんだよ。上の方を福島さんがポップをつけていて、什器を触っていたのは佐藤さんと安田さん。佐藤さんは何度もお客さんに呼ばれて売場離れていたよ」
心配そうに顔を覗かれた。
「そうなんだ」
声を絞り出した。
なにそれ。
菅野店長は作業メンバーを知っていた。私一人で作業していないことを知っていたのだ。防犯カメラ映像を過去にさかのぼって探して見ていた。かなり前だから、時間がかかっていたに違いない。そして見つけた。該当者は複数人いた。そこで怒鳴りやすい私を犯人にした。何もかも知っていて、犯人に仕立てたのだ。
その横には川崎さん。店長と一緒に犯人をカメラでさがしていた。だから、作業の流れも何もかも知っていた。
ホームセンターデイリーワンは、数年前にホワイト企業として認定されていた。
この会社にも内部告発のシステムがある。でも、告発すると誰が言ったかバレるといううわさがある。電話、メール、専用紙の三パターン。通報して、監査の責任をなすりつけられたと言って、それを報告されれば、苦情を言ったのが私だってバレる。また怒鳴られる。
この店で一番偉い役職者。面談も、従業員の資質評価も店長が決める。そしてシフトも。気に入らなければ、仕事をさせなければいいだけだ。
考えていた。
誰が告発したか、ばれても戦うべきなのか。復讐されるかも。今以上に怒鳴られて、退職に追いやれるかも。娘の大学費用は高い。この年でパートの仕事は見つかるのか。
相談窓口の電話番号はすでに調べている。いつでも電話できる状態。告発すべきなのか?じゃあ、店長が変わるまで我慢する?できる?
告発した責任をとれ、と恫喝されたら?
疲れた。
一か月後、菅野店長が惨殺された。
仕事を終えて居酒屋を出た直後に襲われたらしい。川崎さんは犯人を見ていた。
私が犯人だと半狂乱で泣き叫んでいた、とうわさで聞いた。
警察はうちに来た。任意だと言われ警察署に連れていかれてアリバイを聞かれた。でも、その日のうちに家に帰された。
私は事件のあった時間は夫とスーパーで買い物をしていて、防犯カメラにもバッチリ映像が残っていた。電池の場所を聞いたことを、店員さんは覚えていた。テレビのリモコンの単四電池が切れていて助かった。
私の方こそびっくりだ。川崎さんと店長が一緒に二人で食事をする仲だったなんて。子どもは?留守番?週に二回火曜と木曜、会食していたんだって。職場で私だけが二人の仲を知らなかった。なにそれ。それだけでもびっくりするのに、私を犯人扱いするなんて。マジでムカつく。私が巨大化して顔を踏みつけて殺したって言っているらしい。
ラインで娘におくった。犯人にされかかった。びっくりよ、って書いた。
「小説みたい。怖い体験したね」って返事。
あれ?
ラインの履歴にこのノート知っているって聞いている。けど写真を送った形跡はない。書かれた文面も覚えていない。娘に聞いた。
「覚えていないってことは、大したことじゃないんじゃない。お母さん、いつもつまんないこと聞いてくるじゃん」
確かに。
ああ、思い出しただけでもムカつく。本当は痴話げんかの末、川崎さんが殺したんじゃないの。どうせ不倫していたんでしょうよ。
暴君には、だいたいそばに腰巾着いるよね。




