そう言うと思って
とある夜。駅前で待ち合わせをし、繁華街に向かって歩く二人の男女がいた。人々は彼らの横を通り過ぎる際、ちらりと目を向ける。それも当然だろう、彼らは理想的な美男美女のカップルだ。女も周囲からそう見られていることがわかっているので、足取りは軽く、どこか浮かれた表情に弾むような笑い声を振りまいていた。
「ねえ、今日は何が食べたい?」男が訊ねた。
「うーん、今日はねぇ……フレンチかな」
「そう言うと思って、予約しておいたよ。ほら、この店」
男はそう言って、スマートフォンの画面を女に見せた。女は「わぁ!」と声を弾ませて喜んでみせる。そして、できる彼氏の存在によって自己肯定感を高めると同時に、彼女の中には悪戯心が湧いてきた。
「あ、でも……中華もいいかなぁー」
「ふふっ、そう言うと思って、中華も予約しておいたよ」
「わあ、すごーい! でもぉ、やっぱり和食の気分かな」
「そう言うと思って、ほら、この店を予約しておいたよ」
「ふふふっ! すごーい! さすがだね!」
そう、さすがだ。彼の用意の良さは今に始まったことではない。彼女が欲しいと思ったものについて言葉を発した瞬間、あるいはその前にすでに彼は彼女にそれを差し出しているのだ。「そう言うと思って」は彼の口癖だった。
「ごちそうさまっ。もー、最高だった」
「ふふっ。はい、これをどうぞ。いつもありがとう」
結局、彼が予約していたイタリアンレストランで食事をした二人。そして食後、彼は鞄の中から取り出したプレゼントを彼女に渡した。
「え、嘘! 嬉しい! 欲しかったやつだぁ。でもなんで? 昨日、ネットで見かけていいなって思ったやつなのに。いつものことだけど、もしかして」
「読んでないよ」
「え?」
「心を読んでるの? って言おうとしたでしょ?」
「ふふふっ、やっぱり読んでるでしょっ」
「ははは、君のことをいつも考えているからだよ」
「ふふ、嬉しい……だけど」
「ああ、まあ、直感がほとんどだけどね」
と、彼女がどこか不気味に思ったのを表情から察したのか、彼はそう付け加えた。
二人とも笑い、そして女が言った。
「でも、これはさすがに先回りは無理だよね?」
「え?」
「私と、結婚してくださいっ」
「ふふっ、ははははは!」
「ふふふっ、言っちゃった。ねえ、それで、返事は……?」
「もちろん、イエスだよ」
「あはははっ、よかったぁ。ドキドキしちゃった」
「ちなみに」
「ん?」
「そう言うと思って、はい、指輪」
「えー!? これも読んでたの? ……って、本当は今日、私にプロポーズするつもりだったんでしょ? あはははっ、先回りされたのを認めなさいっ」
「ふふふっ」
彼は彼女の指に指輪をはめ、こうして二人はめでたく結婚した。よく気が利く彼氏が旦那となったのだ。結婚生活は何不自由なく、不満が湧くこともない。喧嘩も起きなかった。むろん、それは彼が先回りをし、彼女の機嫌を取るからだ。二人の結婚生活は理想的なまま、最期を迎えた。
先に亡くなったのは彼だった。男女の平均寿命から考えると、それもまた既定路線と言えるだろう。彼が息を引き取る前、別れを惜しみ涙を流して、二人はこう約束をした。また――
そして、時が流れ……。
「ねえ」
「えっ」
自宅のウッドデッキ。椅子に腰かけ、本を読んでいた彼女は少年の声に顔を上げた。
「どうしたの、君。勝手に人のおうちの庭に入ってきちゃ駄目だよ。あ、それとも迷子かな?」
「僕だよ」
「え?」
「ふふふっ、僕だよ。約束したでしょ?」
「約束……え、まさか君は、でも、う」
「ふふっ、嘘じゃないよ。『二人生まれ変わったら、また会って』」
「結婚しようね……あの時、そう言ったよね。ふふっ、あはは、でもあなたったら、また先回りね。だって、私はまだこうして生き――」
「そう言うと思って」
少年は取り出したナイフを彼女の喉にゆっくりと刺し込んだ。