寵姫 アナベル 9話
「念のため、離れていてください」
アナベルの言葉に、エルヴィスとパトリックは小さくうなずいて、彼女から少し離れる。
牢屋にいる男をじっと見つめて、ふわり、と花が綻ぶように笑った。
「な、なンだよ……?」
なぜ自分に美しい笑みをみせるのかわからなくて、男は困惑したようにアナベルを見る。
「――わたくしは、レアルテキ王国の君主、エルヴィスの寵姫、アナベル。あなたの名は?」
アナベルから、甘い香りが漂う。
ぼうっとしたように蕩ける瞳になった男に対して、問いかけた。
「……ジョン」
「そう、ジョンという名なの。では、どうしてわたくしを襲ったの?」
「お前、殺せば……金、もらえる……」
ぽつぽつと言葉をこぼすジョンに、「お金?」と眉根を寄せる。
ジョンは「そうだ……」とつぶやき、アナベルはさらに言葉を続けた。
「誰からの依頼?」
「……知らない、知らされていない……」
「……では、どんな人だったかは、覚えている?」
自分を殺そうとした相手が誰なのか、見当はつく。
「……おぼえているのは、真っ赤なくちびる、だけ……」
――真っ赤な唇。それは、王妃イレインが好む口紅の色。
(幼い頃に会ったときも、紹介の儀で会ったときも、真っ赤な口紅だった……)
そう考えて、「他には?」と聞いたが、それ以上の情報は出なかった。
「それじゃあ、別の質問をするわ。……あなた、この王国の人ではないわよね?」
「知らない。気が付いたら、ここにいた……、……、言うことを聞けば、よくしてくれた……」
どういう意味かと尋ねても、彼はもう反応しなかったので、アナベルは魔法を使うのを止めた。
すると、ずりと男が寝転ぶ――いや、気を失ったのだろう。
目を閉じているのと、身体が呼吸で動いているのを見て、ゆっくりと息を吐いた。
「ごめんなさい、有益な情報は得られませんでした」
「いや、充分だ。それにしても……すごい魔法だな」
「……変な魔法でしょう?」
アナベルは困ったように眉を下げて微笑む。
パトリックは唖然としたように、アナベルと牢の男を交互に見ていた。
「ま、魔法だったんですか、今の……?」
「ええ、パトリック卿。内緒にしてね」
アナベルが片目を閉じて人差し指を口元で立てると、パトリックは「か、かしこまりました!」と何度もうなずいた。
「きみは本当に未知数だな……」
「お褒めの言葉として、受け取りますわ」
にっこりと微笑むアナベル。エルヴィスはそっと手を伸ばして彼女の身体を抱き上げる。
「エルヴィス陛下!?」
「パトリック、今夜、私はこの宮殿で休む。オーブの保存を頼んだぞ」
「承知いたしました、エルヴィス陛下」
頭を下げてオーブを大切そうに抱えるパトリックに、いきなり抱き上げられて動揺するアナベル。
「落ちないように、私の首に腕を回して」
エルヴィスの指示に、言われた通りに腕を回し、落ちないようにぎゅっと抱きつき――そこでようやく、自分が震えていることに気付いた。
あのまま気付かず歩こうとしていたら、動けなかっただろう。
気丈に振る舞ってはいたが、やはり恐怖心は簡単に拭えるものではなかったようだ。
エルヴィスに寝室まで運ばれると、そっとベッドの上に優しく座らせられた。
「あ、ありがとうございます……」
「いや、無理をさせてすまない」
アナベルの隣に座り、そっと彼女の手に自分の手を重ねる。
「……あの人は、どうなりますか?」
「……とりあえず、城の牢屋に移動させる。イレインがどんな反応を見せるかを、この目で確かめよう」
アナベルは不安そうにエルヴィスを見る。彼がぎゅっと手を握ると、小さくうなずいた。
「……この国の人ではないのに、どうやって王妃サマと出会ったのでしょうか?」
「それは……なんとも言えないな。王妃側の連中が手を回したのかもしない。……任務に失敗して自らの命を絶つ連中だ。本当に、無事でよかった……」
アナベルの肩にもたれかかるように、エルヴィスが身体を密着させる。
彼の声が少し掠れていた気がして、アナベルの胸はずきりと痛んだ。
「……やっぱり、強くならなくちゃ……」
小さくても意志の固い声を紡ぐ。決意を硬くした彼女の瞳は、きらめいていた。
アナベルの言葉はエルヴィスの耳にも届いていたが、彼はなにも言わずにただ目を閉じている。
静かな時間が流れる。互いの体温を分け合うように寄り添う二人。
その静寂を破ったのは、ノックの音だった。
「はい」
「アナベルさま、こちらにエルヴィス陛下はいらっしゃいますか?」
エルヴィスは目を開けて、扉に視線を移す。彼は名残惜しそうにアナベルから離れた。
「どうした?」
エルヴィスの声を聞いて、扉の向こうにいるメイドが「いらっしゃったんですね」とどこか安堵したような声を出す。
アナベルとエルヴィスは顔を見合わせて、首をかしげる。
「どうぞ、入って?」
メイドに入るようにうながすと、なにかを手にしたメイドがアナベルたちに近付いてきた。
(カード?)
彼女が手にしているものをエルヴィスに渡す。彼はカードを受け取り、誰からかを確認する。
「……イレイン……」
「えっ」
カードの内容を見て、エルヴィスはくしゃりとカードを握り潰した。
「な、なにが書かれていましたか?」
「……きみは知らないほうが良い」
カードをポケットにしまったエルヴィスに、アナベルは頭の上に疑問符を浮かべる。
(王妃サマがわざわざ、エルヴィスに伝えるようなこと……?)
なんだろう、と考えてみたが思いつかなかった。
メイドは不機嫌そうなエルヴィスを見て、急いで一礼をしてから「それでは、失礼いたします」と逃げるように部屋から出ていく。
「怖がられていますよ、エルヴィス」
「今に始まったことではない。……が、そうだな、きみに慰めてもらうとするか」
「ふふ、わたくしで良ければ、喜んで」
――どちらかと言えば、アナベルのほうが慰めてもらった。
エルヴィスとともに夜を過ごすことで、恐怖心は和らいでいき、熟睡することができたからだ。
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