紹介の儀 その後 1話
そこからは沈黙が続いた。
アナベルも、エルヴィスもなにも話さない。
ただ、紹介の儀をやり終えたことの安堵感が勝っていた。
宮殿まで送られ、御者が馬車の扉を開く。
アナベルが降りる前に、エルヴィスが先に降りて彼女に手を差し伸べた。彼女は彼の手を取り、ゆっくりと馬車を降りる。
「ご苦労だった」
御者の手に小袋を乗せると、彼はバッと顔を上げてエルヴィスを見た。
「確か、きみのところには病に伏せている母君がいただろう。それで薬を買いなさい」
「……! ありがとうございます、本当に、ありがとうございます……!」
御者は何度も頭を下げる。その光景を見たアナベルは「ふぅん」とつぶやく。
もともとここにいた人を御者にするのではなく、外注したのはなぜなのかと考えていたからだ。そして、その理由を知って、ニッと口角を上げる。
(――よく知っているのね、民のことを)
御者は大切そうに小袋を抱いて、もう一度頭を下げて去っていった。
宮殿内に入ると、執事とメイドたちが出迎えてくれ、アナベルとエルヴィスを交互に見る。
「お帰りなさいませ。お疲れでしょう? お風呂の準備、できておりますよ」
「本当? それは嬉しいわ。……あれ、カルメ伯爵夫人は?」
「……?」
意外そうに目を丸くするアナベルに、執事が微笑ましそうに目元を細めて、こっそりと教えてくれた。
「――一ヶ月もこの宮殿で過ごしていたので、旦那様が恋しくなったようですよ」
「まあ、それは……お熱いのね」
ひそひそと話すアナベルと執事を眺め、首をかしげるエルヴィス。
彼にも「お風呂の準備ができていますよ」とメイドが声をかけた。
二人は別々のお風呂に入り、今日の疲れをゆっくりと癒す。
アナベルはメイドに、一つお願いしてみた。彼女はそのお願いを聞いて、ぱぁっと表情を明るくして、「お任せください」と張り切って声を弾ませた。
それからたっぷりと時間を使ってお風呂を堪能したあとに、エルヴィスのもとに向かう。
しっかりと温かな格好をしているが、夜はやはり冷える。
彼の部屋の前に何度か深呼吸を繰り返し、いざノックをしようとした瞬間、ガチャリと扉が開いた。
「――人の気配がすると思ったら、きみだったのか」
それは柔らかく、甘く、ささやくような声だった――……
「えっと、その、ワインとつまみを持ってきたのだけど、一緒にどうかしら?」
「――良いのか、一緒で?」
窺うようにアナベルを見るエルヴィス。
こくり、とアナベルが小さくうなずくのを見て、「おいで」と部屋に招き入れた。
実は、エルヴィスの寝室に入るのは初めてのことだった。
カルメ伯爵夫人により、徹底的にマナーを叩きこまれていたアナベルは、マナー講座が終わると同時に力尽きたように眠ることも多く、エルヴィスと寝室を別々にされていた。
だから、今日、初めて彼の寝室に入る。
物珍しそうに辺りを見渡すアナベルに、エルヴィスが「なにか興味あるものはあったかい?」と尋ねた。
「あ、ううん……なんというか、その……殺風景ね。もっとこう、ゴージャスなイメージがあったから、驚いちゃった」
華美に飾り付けられていることを想像していたが、まったくの正反対で拍子抜けしてしまい、軽く頬をかくアナベル。
ワインとつまみの入ったバスケットをローテーブルの上に置いて、ソファに座った。
エルヴィスがワインを手に取り「ほう、良いワインだな」とラベルを眺めてつぶやき、コルクを抜いた。バスケットの中に用意されたワイングラスを取り出し、トクトクと注ぐ。
すっと差し出されたワイングラスを受け取り、視線を上げるとエルヴィスがアナベルの隣に座った。
「必要最低限のものがあれば暮らしていけるからな。……さて、なにに乾杯しようか?」
「無事に紹介の儀を終えたことについて――かしら?」
くすり、とアナベルが口元に弧を描く。エルヴィスは小さくうなずき、「それじゃあ」と言葉を紡ぎ、
「――紹介の儀を無事に終え、貴族たちの関心を向けられたことに」
「乾杯」
二人の声が綺麗に重なる。
すっとワイングラスを軽く持ち上げて乾杯すると、グラスに口をつけてこくりと飲んだ。
「……さすが、美味しいワインだわ」
自分が今まで飲んでいたワインとは、まるで違う。
甘さは思っていたよりも控えめだったが、しっかりとしたブドウの酸味も加わり、さらに渋みまでもがちょうど良いバランスで整えられていた。
「……ここのワインは、私が一番よく飲んでいるワインだ。酒が甘いのはあまり好みではなくてね。気に入ってくれたのなら、よかった」
「とても美味しいわ。あたしが今まで飲んでいたのは、甘ったるいかものすごく渋いかの二択だったもの」
くすくすと笑うアナベルに、エルヴィスの表情も綻ぶ。
「さらに言えば、王妃イレインの歪んだ顔を思い出すだけで、ワインがすすむむわぁ」
――悔しそうに歪んだ表情。それを見逃すアナベルではなかった。
カクテルを飲み干して、気分が悪くなった――なんて。
「戦えそうか?」
「ええ、まあ。王妃サマは本当に『自分が中心』の世界にしかいたことがないみたいだから、ちょっといろいろしようかな―……なんて、考えているわ」
「いろいろ?」
「――寵姫が自分のためではなく、民のためにお金を使ったら、どう思うかしらね?」
きらり、とアナベルの目が輝く。
そのことに気付いたエルヴィスは、ふっと笑みを浮かべて、くしゃりと彼女の頭を撫でた。
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