紹介の儀 5話
すっとエルヴィスがアナベルの手首を掴む。
顔を上げると、彼が愛しそうにアナベルを見つめていた。
ドキリ、と自分の胸が高鳴ったことに、アナベルは眉を下げる。
「どうしました? エルヴィス殿下」
「舞踏会を開くのならば、きみのドレスも新調しないといけないな」
「あら、エルヴィス陛下のお召し物も必要になりますわよ? そうだ! せっかくですし、お揃いの色にしませんか?」
キラキラと目を輝かせ、声を弾ませるアナベルに周囲の人たちがどよめいた。
――揃いの色を身につける――それが許されるのは、王妃だけのはずだった。
「ああ、ベルが望むようにしよう」
エルヴィスのその発言に、周囲はさらに戸惑う。
「楽しみですわぁ」
きゃっきゃとはしゃぐアナベルに、そういえば、とばかりにコラリーが声をかける。
「……あの、アナベルさまはアンリオ、と名乗っていましたよね。アンリオ侯爵家と養子縁組をなさったと……。寵姫は普通、夫人がなるものでしょう? どなたかと婚姻を……?」
アナベルはその質問を待っていた。
薄く微笑みを浮かべると、ゆるりと頭を横に振る。
「――いいえ、わたくしは誰とも婚姻を結んでおりません」
会場内が一気にざわめいた。信じられないものを見るかのように、アナベルとエルヴィスに視線が集まった。
「では、どうやって寵姫に……?」
訝しむように、眉間に皺を寄せた女性が尋ねる。
その問いに答えたのはエルヴィスだった。
「――私が強引に、寵姫の在り方を変えたのだ」
ざわめきは一層激しくなる。
「ど、どういうことですか、エルヴィス陛下」
困惑したような表情を浮かべる男性に視線を向け、エルヴィスは不敵に微笑む。
「ベルを結婚させてから……なんてもったいないからな。私は彼女のすべてを手に入れたかった。だから、少し……わがままを強行しただけさ」
――レアルテキ王国初の、未婚の寵姫。
一瞬たりとも他の男の者になるのを許さないという、エルヴィスの独占欲。
(――ああ、彼は本当に彼女を愛しているのだ――……)
エルヴィスが寵姫に対してこのような扱いをしたことなど、一度もなかった。
帰るべき家を失ったものたちを、保護しているような関係だった。
宮殿で寵姫たちは争うこともなく、静かに暮らしていた。エルヴィスが自分たちに興味がないことを知っていたから。
住める場所を用意してくれた、食べるものを与えてくれた、温かなベッドで眠らせてくれた。
――寵姫たちはそれだけで充分だと笑っていたことを、コラリーは思い出す。
彼女の友人も寵姫として宮殿で暮らしていた。たまに『一緒にお茶を飲みましょう』と誘ってくれて、そのときはお茶の時間を楽しんでいた。
宮殿でどんなふうに暮らしているのか気になり、それとなく聞いた。彼女はほんの少しだけ目を伏せて、
『エルヴィス陛下は寂しいお方なの。誰も愛したことがないお方。私たちへ優しくしてくださるけれど、愛されることを望んでいない。どうやって恩を返せばよいのか、わからないの……』
と口にしていた。
魔物討伐に何度も向かう彼は、宮殿へ足を運ぶことが少なかった、と。
――そんな彼が、変わった。
コラリーは少し切なそうに目元を細め、ぎゅっと扇子を握りしめる。
(エルヴィス陛下がもっと早く彼女と再会していれば、あの子は助かったのかしら……?)
そう考えて、それを振り払うように頭を横に振った。
ただ、コラリーは願う。
――アナベルが、今までの寵姫たちと同じような目に遭わないことを――……
「……コラリーさま? どうかなさいましたか?」
「……いいえ、アナベルさま。なんでもありませんわ」
儚く微笑むコラリーに、アナベルは近付き、彼女の手をくるりとエルヴィスに顔を向けた。
エルヴィスは彼女の考えを察し、小さくうなずく。
「さて、今宵ももう良い時間だ。紹介の儀に参加してくれた全員に、感謝の意を伝えよう。ベル、いくぞ」
「はい、エルヴィス陛下。……コラリーさま」
こそりとアナベルが耳打ちをした。
その言葉を聞いて、コラリーは目を大きく見開く。
驚愕の表情を浮かべていると、アナベルはにっこりと笑い、彼女から手を離して全員に向けてカーテシーをした。
「本日はわたくしのためにお時間をいただき、誠にありがとうございました。これからもお付き合いのほど、よろしくお願いいたします」
柔らかな口調、優しい微笑み――しかし、アナベルの目だけはらんらんと輝いている。
エルヴィスがアナベルに手を差し伸べた。
彼女はその手を取って、二人で歩き出す。
アナベルとエルヴィスが会場から出ていくと、その姿を見送っていた貴族たちが一斉に息を吐いた。
「――平民でもあれだけ美しい女性がいるんだな……」
「それに、完璧なカーテシーでしたわ。さすがカルメ伯爵夫人が教えただけあります……」
「エルヴィス陛下は、本当に彼女のことを愛しているのだな。ひしひしと感じたよ」
「王妃陛下と一緒にいるときは、全然態度が違いましたわね……」
「彼女が陛下を変えたのだろうか……」
そんな会話をしている貴族たち。
アナベルにつくか、イレインにつくか、どちらについたほうが得かを計算しているのだろう。
ダヴィドはそんな貴族たちを見て、内心で細く笑う。
(――上出来だ)
アナベルの美しさ、無邪気さ。さらにエルヴィスが彼女を愛していると周りに見せつけること。
求めていたすべてを、アナベルとエルヴィスはこの紹介の儀で演じてみせた。
(――はたしてどこまで演技だったのか。……それは彼らのみが知る、だな)
ダヴィドは小さく口角を上げ、会場内に残っている貴族たちの声を聞いていた――……
一方その頃、アナベルとエルヴィスは馬車に乗り込み、彼女が住んでいる宮殿へ向かっている途中だった。
会場から少し離れた場所で、アナベルはようやく終わったとばかりに深く息を吐く。
「疲れたか?」
「そりゃあねぇ。あんなに猫を被ったことなんてないってくらい、猫被ったよ……」
肩に手を置いてぐるぐると回している姿を見て、エルヴィスがくすりと笑った。
「ご苦労だった。カルメ伯爵夫人のおかげで、どこからどう見ても『令嬢』だったよ」
「それはどうも。もうあんだけ猫を被るのはごめんだよ……」
心底疲れたのか、アナベルがくったりとした様子で肩をすくめた。
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