紹介の儀 2話
それを見て面白くないのは、もちろんイレインだ。
それでも、彼女は本心を探られないように、美しい笑みを浮かべる。
ずっと彼の傍にいたというのに、アナベルに注がれるような愛情深いまなざしを受けたことなど、一度もない。
むしろ、忌み嫌うように冷たい視線ばかりを受けていた。
「――陛下は魔物の討伐で王城を留守にしてばかりですから、支えてあげないといけませんわ」
イレインはちらりとエルヴィスに視線を送り、柔らかい口調でアナベルに語りかけた。
エルヴィスが氷の魔法を使いこなせるようになってから、王城で政務をするのはエルヴィスが選んだ側近が主だ。
「はい、王妃陛下。お任せください。エルヴィス陛下のことを、心身ともに支えますわ」
そっと、アナベルは片手をエルヴィスの胸元に置いた。くすぐったいのか、彼ははにかみ彼女を愛しそうに見つめる。
「……驚きましたわ、陛下。そんな顔をして笑うことができるのですね」
自分に一度も向けられたことない笑みを視界に入れ、イレインが息を吐いた。
「――良い女性だろう?」
――お前とは違って。
そんな声が聞こえそうなほどに、イレインに対して冷たい声とまなざしを送るエルヴィスに、「っ」とイレインの息を呑む音が耳に届く。
この場に貴族たちは、緊迫した空気にハラハラしながらエルヴィスたちを見つめていた。
――エルヴィスとイレインの仲が、そんなに良くないという噂を耳にしたことはあるが、これほどとは――……と。
「……陛下。そんなに冷たい目を向けては、王妃陛下が憐れですわ」
睨み合う二人。
しんと静まり返った会場に、アナベルの言葉が響いた。
それも、かなり同情しているような声で言うものだから、イレインはギッと鋭い眼光をアナベルに向ける。
(――あたしを憎みなさい、王妃イレイン!)
殺気の込められた視線に気付かないふりをして、アナベルは口元に手を添えて眉を下げた。
「――申し訳ございません、王妃陛下。エルヴィス陛下は、先日までの魔物討伐で気が昂っているようですわ」
「……そうだな。魔物討伐もそうだが、以前宮殿に住んでいた寵姫たちが亡き者になったことで、少しまいっているのかもしれない。――ベル、きみも同じようになるのではないかと思うと、私は本当に怖いのだよ……」
エルヴィスはガラス細工に触れるように優しく、アナベルの頬に手を添える。彼女は彼を見上げて、ふわり、と微笑んだ。
「大丈夫ですわ、陛下。わたくし、悪運には自信がありますの」
自信満々に胸を張るアナベルに、周りの貴族たちは「悪運?」と首をかしげる。
「実はわたくし……五歳の頃に貴族に買われましたの。その貴族のもとに行く馬車が魔物に襲われて……崖から落ちたのです。ですが、この通り生き残りましたの。……それで、村に帰ろうと思って森をさまよい……村についたときにはすでに……」
うるっと目に涙をためて、顔をうつむかせるアナベルに、イレインは十五年前のことを思い出した。
(――あのときの小娘か!)
エルヴィスとともに視察に行った村で、目を引いた少女。
イレインはそのことに気付き、ぐっと拳を握った。
「しかし本当、エルヴィスのおかげで国が平和になったよなぁ」
ダヴィドが飲み物を手にして、すっとイレインとアナベルに差し出す。
イレインはすぐにそれを受け取り、アナベルはちらりとエルヴィスを見上げる。彼はそっと彼女の目尻の涙を拭い、うなずいた。その姿を確認してから、彼女は手を伸ばして飲み物を受け取った。
「これは?」
「カクテル。なんといっても、美女がこんなにいるんだ。目の保養、目の保養」
ダヴィドの軽い口調に、アナベルはくすくすと可憐な笑い声を上げる。
イレインは呆れたように肩をすくめて、こくりとカクテルを一口飲んだ。
「……申し訳ございませんが、私、少し気分が優れませんのでこれで失礼いたします。アナベル、と言ったわね? 精一杯、エルヴィス陛下を支えるのですよ」
手にしたカクテルを飲み干して、空になったグラスを近くの女性に押し付けるように渡すと、イレインはふらりと歩き出す。
「王妃陛下、お供いたします!」
護衛の騎士たちが彼女に続き、会場から出ていくのを見送った。
――紹介の儀から、たった一時間ほどしか経っていない。
残された貴族たちは困惑したようにざわついたが、エルヴィスが視線を巡らせるとびくりと身体を硬直させた。
「王妃陛下、気分が優れないとおっしゃっていましたが、カクテルを飲んで平気だったでしょうか?」
心配そうにつぶやくアナベルに、ダヴィドはくくっと喉を鳴らして笑う。
「ドライマティーニは、度数が高かったかね?」
「さぁ。彼女がどんな酒を好んでいるのか知らないから、なんとも言えんな」
「あら、エルヴィス陛下、知りませんの?」
意外そうにアナベルが目を丸くする。エルヴィスはこくりと首を振った。
「彼女と食事を摂ることも、夜をともにすることも、数えるくらいしかないからな」
どこか寂しそうに目を伏せるエルヴィスに、周りの貴族たちはひそひそと言葉を交わす。
彼がこんなふうに夫婦関係のことを口にすることなんて、今まで一度もなかったからだ。
「――それは、寂しかったでしょう……?」
優しく、柔らかく……アナベルが慈しむような声を出す。
誰の耳にも、エルヴィスを憐れんでいるように聞こえるだろう。
こつん、とアナベルの額に自分の額を重ね、「――今はきみがいてくれるだろう?」と甘えるような声を出すエルヴィスに、アナベルはにこっと微笑んだ。
「はい、陛下。あなたのアナベルですもの」
甘く、とろけそうな声。
二人の世界、とばかりに人目もはばからず見つめ合うアナベルとエルヴィス。
こほん、とダヴィドが咳払いをしたことで、ようやくここがどこかを思い出したかのように、少し離れた。
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