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8.奥様とお出かけ

翌朝、起きたオーロラに昨夜のことを伝えると、目に見えて機嫌がよくなった。

 もちろん、当たり障りなく言葉をオブラートに包むことは忘れずに。


 薄桃色のドレスを着せて「まるでバラの花の妖精のようですよ」と言うと、ちょっと不機嫌さを出しつつ、でも喜びながら部屋を飛び出していった。

 多分、兄の部屋に向かって行ったのだろう。

 もう起きているとは思うけれど、着替えの最中に突撃しないことを祈るだけだ。


 しかし本当に、アルバートの女性運はないようだった。

 というか、ツイてない?

 これならエヴァが誰か紹介してあげた方が、まだマシな女性を紹介できるだろう。

 そんな下らないことを考えて思わずふふっ、と笑みをこぼしてしまった。


 オーロラの分の朝食を取りに行くと、珍しくウォートレット夫人の侍女がいた。長年仕えている年配の女性だ。

 いつもウォートレット夫人は遅く起きているので、食事の時間がオーロラとは合わないのだ。


「エヴァさん、馬車を操作できると聞いたのだけれど」

「はい。何頭も繋がれているのはできませんが」

「なら大丈夫よ、二頭立て馬車だから。今日ね奥様が外出なさるの。申し訳ないのだけれど付き添いを代わってもらえないかしら? 私昨日から腰が痛くて……馬車が辛いのよ」

「わかりました。お大事になさってください」


 アルバートにも言われていたことだ。

 エヴァの返事を聞くと、ほっとしたような顔をして微笑んだ。

 ウォートレット夫人に似て、どことなく儚い感じのする女性だと思った。





 

 外套を着て待っていると外出着に着替えた奥様がゆったりとした足取りでやってきた。

 美しい黒髪を結い、帽子を被っている。

 後ろから日傘を持った侍女が着いてきているのをみて、エヴァは玄関前につけた二頭立て馬車(フェートン)に案内をした。

 明るい日差しの下で見ても、奥様の顔色は優れなかった。


 静かに馬車を走らせる。

 行先はエヴァが馬車を探していた駅のある街だ。王都とは比べ物にならないけれど、十分に大きな街といえるだろう。


 両側に小麦畑が広がるのどかな道を走る。

 しばらくは無言だったが、奥様が口を開いた。


「エヴァ、だったかしら?」

「はい、奥様」

「私の侍女はね、私が結婚する前から侍女として働いてくれていたの。実家にいた時に二頭立て馬車の駆り方を習ったのだけれど、あなたもどこかで習ったの?」


 探るような雰囲気ではなく、本当にわからなくて聞いたような様子だった。

 エヴァはどうこたえようか困ってしまった。

 実家には馬車だけじゃなくて、観賞用ですが蒸気自動車もありました。だなんて言えない。だってただの使用人の家にあるものじゃないから。


「ええと、たまたま教えていただく機会がありまして……」

「そうなの? どなたから? そんなことってあるかしら」


 エヴァの曖昧な答えが奥様に不信感を与えてしまったらしい。

 まさか、馬車を操縦する機会があると思っていなかったのだ。アルバートは事情を知っていたし、聞かれると思っていなかったから言い訳を用意していなかった。


「言葉も綺麗すぎるわ。ねぇ、お名前何と言ったんだったかしら」

「エヴァ・ガルシアです」


 困ったエヴァは、嘘をつく必要もないと開き直り正直に話すことにした。

 不信感を募らされて疑いの眼差しで見られ続けるよりも、正直に話す方がずっといいだろう。

 それによって起こる最悪なことは、せいぜい屋敷から追い出されるくらいだ。それならそうなった時に別の何かを考えればいいだけだし、そもそもエヴァは追い出されるような悪い事もしていないわけで。


「実は、求婚されていたのですが厄介な方でして。彼から距離を取りたくてこちらで働かせていただいていたんです」

「厄介ということは、お断りしにくい方とかしつこい方だったのかしら」

「はい。何度もお断りしたのですが、どうにも話がかみ合いませんでした」

「そう……。この事はアルバートは知っているのかしら?」

「はい、もちろん。全てご存じで雇っていただきました。ただ、あの、使用人仲間から距離を取られたら働きにくいので、皆には奥様も内緒にしていただけると助かるのですが……」

「もうあなたを雇っているのだし、アルバートが全て了承しているのなら私がどうこう言う事でもないでしょう」


 そう言うと、ウォートレット夫人は口を閉ざした。

 視線は遠くを見つめたまま。






 街に着いて馬車を預ける。

 石畳をウォートレット夫人の後に着いて歩くと、赤煉瓦を用いた集合住宅の中にある一軒の扉の前で立ち止まった。

 呼び鈴を鳴らすと、女中が出てきた。案内されるまま彼女の後をついて歩く。

 エヴァは物珍し気に辺りを見回したが、どうということのない、普通の家だった。

 ただ、全体がひっそりとした空気を纏っていた。


 女中が一つの扉の前でノックをして声をかける。


「フォックス夫人、ウォートレット夫人がいらっしゃいました」

「どうぞ」


 くぐもった女性の声が聞こえてきた。

 女中によって扉が開かれる。

 エヴァも後に続いて行こうとしたら止められた。


「付き添いの方は別室でお待ちください」

 

 顔を上げて、ウォートレット夫人の肩越しに見た室内はカーテンが閉じられているのか薄暗かった。

 ぼんやりとした光が浮いているのは、蝋燭だろうか。ひやりとした空気が室内から流れてくるようで、なんとなく薄気味悪さを感じてエヴァはこのままひとりで行かせることが正しいと思えなかった。


「私も……」


 けれど最後まで言い切る前に、無情にも扉は閉められてしまった。

 扉が閉まるその瞬間、ウォートレット夫人の今まで聞いたことのないような、張りのある声が聞こえてきた。


「先生、エリオットに会わせて!」

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