4.伯爵家の現状
エヴァはあたりを見回したが、子供部屋にはエヴァの他に誰もいなかった。
子どもだし独り言じゃないだろう。
そう思ってエヴァは小さく反応を返した。
「そうなのですか?」
「ええ。近くの屋敷に来ているの。一緒に食事もしたみたい」
「そうなのですね」
エブリン?
もしかして、とエヴァは思った。その名前に心当たりがあった。
母国で有力者の夫人が開いているサロンに参加した時、その名前の女性と会ったことがある。
年の頃は20代前半の、金の巻き毛と青い瞳を持つ美しく機知に富んだ女性だったと思う。
快活で朗らかさもある素敵な女性だった。サロンでもとても目立っていた。
自国にいた時から毎日男性が求婚する順番待ちをしているとかなんとか……。このあたりは三流ゴシップ紙の記事で読んだだけだから、本当のところはわからないけれど。
エブリンか……。
その名前をここで聞くことになるなんて、とエヴァは小さく独り言ちた。
求婚者が列を成すような女性がこの国にいるのは、やっぱりエブリンもエヴァと同じように貴族と縁ずく為、婚活に来たのだろう。
その彼女と食事をしたということは、つまりアルバートもお金の為に婚活をしているということだ。
エブリンを選ぶとはかなり趣味が良いとエヴァは思った。
美しく社交的な妻は伯爵をしっかりと支えると思うし、どこか影のあるような陰鬱な空気を纏った奥様の気持ちも明るくしてくれるだろう。そして、ほんの少し生意気なオーロラとも上手に付き合うと思う。
――でも、ここまで来てもまた婚活の話。
結婚という言葉にうんざりする気持ちだったが、エヴァは努めて明るい声を出した。
もちろん、エブリンのことなんて知らないという振りで。
「旦那様のお選びになる方ですもの、きっと素敵な方ですよ」
するとオーロラは、さっきよりもずっとむくれた顔をしてしまった。
「お兄様は素敵な方だから、花の蜜を欲しがる蜂のように女性たちに近寄られてるのよ」
エヴァはクスリと笑いを漏らした。
自分は砂糖と表現していたが、アルバートは花らしい。
表現の方法は違っても、陥っている状態は同じだ。
持参金目当てと、爵位目当て。
なんだかエヴァは初めてアルバートに同情したい気持ちになったのだった。
「素敵な男性ですから、女性におモテになるのは仕方ありませんよ」
すると、オーロラはキッとエヴァを睨みつけた。
「あなたも素敵って思うの?」
オーロラが「素敵なお兄様」と言ったので、そのままエヴァも「素敵な男性」と言ったのだが、どうやらそれが気に食わなかったらしい。
また狙っていると思われたのだろう。
「お嬢様と旦那様は仲良しなところが素敵ですね。ところでもう旦那様は求婚に行かれたのですか?」
妹の気持ちを汲み取りながら褒めるのも難しいのね、と知ったエヴァだった。
こんな時は話題をそらすに限る。
オーロラが結婚すると言っているくらいだ。きっとかなり状況は進んでいるのだろう。そう思って聞いたエヴァだったが、オーロラは少し考える仕草をして言った。
「まだみたい。今週には行くんじゃないかしら? ってお母様が言ってたわ」
「いつ頃お食事されたのですか?」
「ええと、確か3日前……いえ、5日前だったかしら? 私一緒に食事してないの。だからはっきりと覚えてないわ」
「そうですか」
世の中には食事をした翌日には求婚に来る男性もいるくらいなのに、なんだかゆったりしたペースだ。
そんなことで人気の女性と結婚できるのだろうか?
内心頭をひねる思いだったが、アルバートにはアルバートの考えもあるだろう。
それはエヴァの関知するところではないのだ。
今のエヴァが求めているのは、厄介な求婚者が来ない環境と、自国に帰るかくたびれた心を奮い立たせてもう一度婚活が出来るようになるまで一休みできる場所さえあればいいのだ。
日曜日は使用人達がお休みを貰える日だ。
使用人仲間たちは教会に行ったり、町に降りて買い物をしたりするらしいが、エヴァは屋敷の裏にある森を散策することにした。
王都にはなかった広大な緑の草原と森に心を打たれていたし、気分を変えてひとりになりたかったからだ。
手にはここに来る前に、王都の駅のキオスクで買っていた本。
どこか腰を掛けられる場所があればそこでゆっくりと読むつもりだった。
良い場所を探して道を外れて草むらの中を歩いていると、木の奥にちらりと動く影が見えた。
――鹿か何かの獣だろうか?
エヴァがふとそちらの方に視線を向けた時、向こうも顔を上げたらしい。
タイミング悪く目線が合ってしまった。
「エヴァも散歩かい?」
アルバートだった。